新谷尚紀のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
日本各地で氏神として地域の人びとに信仰されている神社を主題にとりあげ、そうした信仰のありかたがどのようなしかたで形成されてきたのかということを、民俗学と歴史学の双方の観点から考察している本です。
日本固有の宗教とされる神道は、明治時代において近代国家が確立されるなかで、天皇と皇室を中心とする制度のもとに統合されることになりました。これに対して、地域の人びとが「鎮守の森」と呼んで親しんできた、各地の神社を中心とする信仰には、国家神道によってすくいとることのできない内実がふくまれていたという議論が、主に民俗学者によって展開されてきました。しかし、柳田國男が見抜いていたように、民間の神祇信仰や神祇祭祀は古代から変わることなく継承されてきたものではなく、現代にいたるまでの変遷の過程を経てきたものです。本書では、こうした変遷過程を歴史学の観点から明らかにするとともに、民俗学の観点から現代の祭祀のありかたにまでその信仰が受け継がれていることを具体的に示しています。
著者はまず、「氏神」や「鎮守」ということばでなにが意味されていたのかということを明らかにしています。ここでは、藤原氏の氏神である香取神や源氏の守護神である八幡神などがとりあげられます。つづいて、和歌山県の隅田八幡宮、滋賀県の苗村神社など、地域の神社を中心とする人びとの信仰のありかたの変遷を、具体的な事例を紹介しながら考察がなされています。 -
Posted by ブクログ
民俗学の視点で、弥生時代くらいから今に至るまでの日本の歴史から現代日本人の考え方をやや批判的に分析している、結構左寄りの本。
それぞれの時代の環境で人々の倫理観や死生観も変わってくるものだが、政治体制的には「天皇を頂いた下で」が継続されている。しかし政治体制的にはともかく、大半の国民が貧しかった頃は「他人や他国から奪う」のが当たり前だったことは強調されている。現代日本人の精神構造は主に明治~戦後の中で作られてきているようだが、長い目で見れば島国であることと気候(これは他国でも同様)が大きく作用していると思われる。
啓蒙書、というほどではないが問題提起はあとがきでかなりされている。やや極論に降れてる気がしないでもないが、物事を批判的に捉える一つの考え方として参考になった。 -
Posted by ブクログ
「すぐ忘れる日本人の精神構造」を民俗学の視点から時代に沿って解説していくのか。民俗学者が書いてるのだから、面白そうではないか、ということで手に取る。
すぐ忘れる日本人、と聞いて思い浮かべたのは、イザベラ・バードだったかエドワード・モースだったか幕末から維新にかけて来日した外国人が、日本の家は紙と木で作った簡素なものだが、地震、火山噴火、洪水、大火事などの災害も多く、住人は家屋がぺしゃんこになっても嘆き騒がず、翌日には家を建て直して何もなかったかのように笑いながら日常に戻っている。そのたくましさが凄いという文章を書いていた。パール・バックが日本を舞台に書いた「大津波」もそうだ。津波で家族を亡くした少年ジヤが周囲の人達の優しさに触れながらお父さんと同じ漁師になって海に立ち向かっていく話だ。本当に忘れたわけではないけれど嫌な部分は忘れて何事もなかったかのように前を向く強さが日本人としては自画自賛したいところだ。
しかし!読み始めたら違うぞ。そんな話ではなかった。
著者の新谷氏は現代政権がお嫌いなようで、最初のページから物価高、円安、原発問題などへの批判が始まった。日本人は政治への不満が盛り上がってもすぐ忘れてしまう、と。そっちの話かい!私の期待に反して著者は「すぐ忘れる」ことを欠点と捉えているようだ。
ようやく本題。不満があっても強く抵抗せず忘れてしまうのは稲作文化の影響らしい。種籾の貸付がなされ収穫から年貢を納める、天皇や豪族たちが作った稲作による社会制度。そして荘園や公田の私物化が進んできたという。
「すぐ忘れる」に関する話はここまでで、あとは話があちこちに飛ぶ。言いたいことをもう少しまとめてほしいものだ。民俗学というよりも日本史に沿って日本人の宗教観や欧米文化嗜好について語られる。そして最後は「今のダメな日本を作ってしまった原因と対策」のような終わり方をする。今の何がダメなんだ?という疑問を置き去りにして悲観論で終わる。ネタは面白かったのにちょっと残念。
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Posted by ブクログ
民俗学の視点から、神道の歴史を通覧するとともに、それをつらぬいているものについて論じている本です。
本書のなかで著者は、「すべての事実、事象、言語、いずれもその発生から伝承へという運動の中で、浮動と漂流を重ねていく、だからその動態研究には比較研究が有効なのだ」と述べて、折口信夫の思想のなかに見いだされる「伝承分析論」の立場から、神道の変遷をたどっています。
こうした民俗学の立場から見たとき、神道は一つの伝統文化ないし伝承文化としてとらえられることになります。本書はそうした伝統の変遷をたどることで神道の具体的な内容をわかりやすく説明しています。そのさい、変遷の過程は「古代以来、稲作の王としての天皇を中核として伝承されてきている人びとの素朴な自然と生命への感謝の念と禊ぎ祓えの実践によるその信仰の意思表示の体系である」という著者の見解にもとづいて整理されています。
こうした本書の方法論は、近代ドイツのロマン主義を密輸入して神道を一種の生命論とみなすような素朴な解釈にくらべると、はるかに周到な方法論にもとづいて神道が理解されているといってよいと思います。ただその一方で、そうした方法論には若干の危うさも感じます。本書の立場は、神道のダイナミックな変遷そのものにおいてその特質を見るという、ある種の日本文化論に通じるような理解へと読者を誘導するようにも思えるのですが、ここではいわば「神道」と「日本」が相互に基礎づけあうような円環がえがかれてしまっており、よほど注意深く読まないと知らず知らずのうちにこの円環のなかに身を投じてしまうことになるのではないかという気がします。