小林章夫のレビュー一覧
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作者の類まれなる想像力と創作力に平伏す 超超有名なこちらのclassicも読んでみた。いくつか事前の刷り込みで知っていたフランケンシュタインとは、原作は少し違うことが分かった。アニメ等で書かれているあのイメージ(頭に横から釘が刺さっている)とはちょっと違う風貌なのかも。あと名前。フランケンシュタインとは、人造人間のことではなく、それを作った主の名前であったことがびっくり。
舞台も、スイス、イギリス、スコットランド、アイルランドと風景の描写も上手で、これは作者が実際に旅行をしたことも起因しているという。ストーリーに合わせて、周りの描写がよりリアルで、ストーリーだけでなく描写も楽しめるのが、この物語の魅力を増す要因ともなっている。1818年、この時代に女性が海外旅行、21歳に出版、かつテーマが人造人間という、すごいバイタリティ、才能の持ち主だったことに感嘆。 -
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1818年の作品
200年前ですよ!
圧巻!
そりゃあ残るわ、200年残るわ
そして間違いなくこの後の200年も残るわ
名作過ぎて震える
圧倒的に面白いのねこれに尽きます
そしてとんでもなく読みやすかった
訳者の小林章夫さんの力量に脱帽です
ご本人も触れていましたが、古典ものにありがちな注釈を極力廃して、本文の中で片付けようとしてるところがこの読みやすさに繋がってるんだと思う
ほんともうありがとうね
ありがとう『光文社古典新訳文庫』!
はい、本編!
やはりいろんな捉え方ができると思うんだけど、闘いよね
もう「苦悩」VS「苦悩」の闘い
怪物を生み出してしまった「苦悩」と怪物として生み出されてしまった「苦悩」の闘い
途中不幸自慢みたいなことにもなっとるけども
そん中で結局「人間」てなんなのよ?って考えさせられます
わいはこの不幸自慢に生み出した側の天才科学者フランケンシュタインの「身勝手さ」みたいなんをずっと感じていて腹立たしかったんだけど、この「身勝手さ」こそ「人間」なんだなとも思うわけね
今世界を悩ます問題の多くは「人間」の持つ「身勝手さ」の現れであるんじゃないかな〜って
この世界には多くのフランケンシュタイン博士が住んでいて、その「身勝手さ」が戦争や差別や環境破壊みたいな「怪物」を生み出している
そして最後にはこの物語と同じ結末を迎えるじゃないかな〜って思ったりします
結末?知りたかったら読んでみればいんじゃね? -
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19世紀のイギリス小説ですが、出てくる題材はルッキズムに無敵の人。寧ろ、現代の闇を掬い取ったかのような内容にびっくりしました。
中盤の怪物の自分語りが凄まじく、自分が共感してしまうのは、怪物の方でした。誰からも愛されないのに、それでも愛を求めてしまう姿が哀しい。やったことは確かにまずいけど、もっと最初の段階で彼に手をさしのべてる人がいれば違う運命もあったのでは?
フランケンシュタイン博士に関しては、あまりの無責任ぶりに終始イライラ。自分で作ったんやから、最後まで責任もてや!あんたがふらふらしてるから、こんな被害出たんやろ。の思いが消えませんでした。最後は全ての責任を取る覚悟でしたが。
二人のキャラと関係があまりに濃密過ぎて、他が霞みますね。どちらの側に立つかに寄っても印象の変わる作品だろうな。と思います。
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ネタバレ要再読。ゆっくりしっかり読み込みたい。
ふがふがフランケン。
思っていたのと全く違う話だった。
決して手に入ることのない母からの愛を求め続ける「子」。
その創造主、フランケン博士。
2人の感情の物語。
人間が自然に逆らい命を与える。
結果がわからない。
責任が取れないこと。
神の領域。
農作物や医療においても。
名前がない。
見てくれで呼ばれるから、怪物。
その怪物を造ったのは親。
子を産み育てるには、かなりの責任が伴う。
歳をとるだけで、「大人」に成長できるもんじゃない。
もし美人に産まれてきてたら、愛されたんだろうか。
作者のメアリーは産まれてすぐ母を失っている。
夫は浮気性。
母からの愛を求めるのは全ての生き物共通。
それが得られないなら、異性からの愛を欲する。
愛が得られなかった「子」。
映画グラディエーターとストーリー的に同じだと思った。
親からの愛が得られなかった子が親の愛する人達を殺していく。
いつの時代もテーマは愛。
愛を循環させる人間でいたい。
愛のない人生は破滅。
愛のある場所で愛のある人と生きていきたい。
健康的な食事と外見で。
次は、クララとお日様を読みたい。
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廣野由美子さんの「批評理論入門」を読みたく、まずはその本に置いて題材にされている作品を読もう!とのことで手に取った。レビューを見ていると同じ動機の方が結構いらっしゃるのでこちらの批評理論入門の名著ぶりがよくわかる。
また動機こそ外発的なものではあったが、(当然と言えば当然だが)本作自体も歴史に残る名著だった。200年近く前の作品だとは思えないほどのすさまじい出来の作品である。『科学者が人造人間をつくる』というアイディアを流用した形で多数の映像作品やフィクションが作られたことからして発想も一級品だし、作品の中に含まれる思想や主張も現代にも通底するものがある。「産む」という行為に接続する恐怖をこの時代の女性がここまで生々しく描き、かつそれを直接的に女性で表現せずに「男の科学者」として演出して見せたのはまさに「発明」と感じた。
仮にこの作品が「女性科が人造人間を産み出す」という筋書きだったならそれは単に「女性の問題」だけに片付けられていたように思う。それを「男性の科学者」として設定することで、「産むという恐怖」を性別やジェンダーに囚われない人類に共通の感情だと意味づけたのだ。「妊娠出産とは女性という性に紐づけられたものである」と片付けるのではなく、「どのような人間であれ、自分が何かを産み出し、それが自我をもって自らに迫りくるということはある種の恐怖を伴う」という命題を提示し、「現状、女性という性だけが引き受けることになる妊娠という行為はどのような恐怖を孕んでいるのか」ということを全人類に向けて問いかけている。男性が「産む」という側に立った時にどういうことが起こるのか。母性神話やキラキラしい生殖賛美だけではない「妊娠」というものに対しての根源的な再考を促す問いをこの作品は投げかけているようにも思う(勿論通常の出産と今回の人造人間の製造は何もかもが違うというのも承知のうえである。また私自身妊娠出産をしている人に対しての批判の意図は一切なく、それが尊く素晴らしい行いであることに異論はないことは念のため) -
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この本は、廣野由美子先生の『批評理論入門』を読むために読みました。だって、廣野先生、『フランケンシュタイン』をバラバラに解剖するようなので、元ネタ知らなきゃ苦しいでしょう。
だから、この感想は廣野先生に課題を提出する気持ちで書きました。(あくまで気持ちだけです。内容はいつもの感想で~す!)
まずはじめに、この本の感想を書くひとのお約束なので、わたしも怪物とフランケンシュタインの関係について書いときます。(ここは形式的なものなので、飛ばしてください!)
「みんなが知ってる怪物くんは怪物で、そのお伴のフランケンも怪物です。一方、この本の怪物はもちろん怪物ですが、フランケンシュタインは怪物ではないけれど、怪物をつくったある意味怪物です。したがって、みな怪物です。」以上
※お願い・・・次に感想を書くひとは、江川卓さんとか松坂大輔さんでお願いします。
さて、本題に戻りましょう。
本書はひとことで言うと「ツッコミ所にあふれた小説」と感じました。つまり、解釈の余地が大きいのです。レマン湖とかネス湖くらいあります。
わたしがヘタにつっこむと、廣野先生にピシッと指摘されそうで、簡単には手が出せません。
それでも勇気をふり絞って、書いておきます!
勇気その①、ひとつは「科学」についてです。
文庫うらの内容紹介には「天才科学者フランケンシュタイン」と書いてあります。本文中にも、フランケン(あと略)は科学に興味あるような書きっぷりです。
しかし、彼は理系臭がゼロ?わたしは感じないです。彼、たいがい「秘密」ですまします。
作者のメアリー・シェリーさんが「科学」を小説に取り入れたのは、その当時、「科学」が時代的に無視できない存在になっていたからではないでしょうか。
もしも「科学」を取り入れなければ、怖さのリアリティは消失し、単なる魔法話や昔話になってしまうように思います。
だから、最近の「クローン生物」みたいなのを先取りしたというよりも、神ではなく人間が人間をつくるお話に「科学」を組み合わせたアイデアがよいのかなと思います。
それでは、勇気その②です。
小説の構成がよいです。三層構造です。まるで、丸ごとの栗がはいった、栗まんじゅうです。もちろん、木の実好きの怪物は栗です。すばらしいハーモニーです!
そして文章がよいです。やわらかな、詩情・旅情あるれる文章です。登場人物たちは、きっとお目目がキラキラだと思います。そうなんです、この本は「少女マンガ」みたいな感じです。
もう、面食いな美男美女しかいないように感じてしまします(除く怪物)。
だから、もしもわたしが、作中に登場してしまったら「醜悪」とかいわれないか心配です。言語能力や運動能力ではわたしをはるかに上回る怪物ですが、さすがに容貌は怪物には勝っていると信じたいのです。(笑)
もともと怖いお話として書きはじめられた本書です。怪物も登場するホラー小説なので、読み手は自分の怖いものを思いながら読むのがよいと思います。
わたしはというと、お目目がキラキラした、とっても少女マンガな、命に向きあう愛の小説として読んじゃいました!
廣野先生から赤点もらいそうです。(^_^;) -
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18世紀イギリス文化を、コーヒーハウスを軸に置いて描き出した文化史。
コーヒーハウスは、かつて私が受けた世界史の授業で一つの文化拠点として紹介されたが、私のイメージよりも広範に影響を及ぼしたことが分かり率直に驚いた。
政治談義やビジネス、マスメディアや文学など、当時のイギリス文化を下支えする大きな役割を担っていたと言える。
コーヒーハウスに繁栄をもたらした雑多性が、時を経るにつれ減退し、各コーヒーハウスに分極化していく流れは、文化は否応なしにニッチ化していくという一つの必然を描き出しているようにも感じられた。
折角なら、喫茶店で読まれることをお勧めしたい。 -
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新聞という存在が生まれたのは17世紀のロンドンのコーヒー・ハウスから、という豆知識みたいなものはあったのですが、そもそもコーヒー・ハウスとは何だったのか?なぜそういう場所が生まれ、なぜ人々は集い盛り上がったのか?実はちゃんとわかっていない、と思い手に取った文庫です。決して現在のSTARBUCKSで人々がそれぞれにWiFiの接続先に向き合って黙々と飲み物を飲んでいる在り様からはイメージ出来ないものの実態を知りたかったのです。たまたま雑談していて現在の社会にコーヒー・ハウス的な存在が出来るといいな、とふと思ったのがきっかけでした。そもそもコーヒーそのものが新奇な飲み物であり、アルコールに対するアンチテーゼであったとのこと。そしてコーヒーを提供する店に身分・職業、上下貴賤の区別なく入店できたことがロンドンという都市において新しい社会を招来させるきっかけになったのです。市民という新しいクラスターや保険や新聞や広告という新しいビジネスや、さらにほ民主主義とか資本主義とかの揺籃器としての役割も果たしました。まさに現在の社会の仕組みに直接繋がる役割を果たしたのです。それが政治的な動きで分断が起こって衰退していく歴史にも、2025年と響あうものを感じました。パーソナルとパブリックのあわいに起こるクリエイティビティ、それがコーヒー・ハウスって存在だったのではないでしょうか?
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その名を知ってる人はかなり多いと思うが、実際この小説を読んだ人は少ない。私ももちろんその中の一人だった。
この小説を読んで一番驚いたのは、実はFrankensteinは化け物の名前ではなくてそれを作った創造主の名前だってことだ。生まれつきから親とも言える創造主から恐ろしく思われ、一生をかけ愛情の欠片すら貰えなかったこの有名な化け物には名前すらいない。
この名前のない化け物はもちろん小説の物だが、実は彼のように社会に敬遠され自分や周りを苦しめる物は山ほどある。もちろんその原因が化け物にだけあるとは限らない。彼らを融和できない社会の方に問題があるかも知らない。ただ重要なのはそういう葛藤が世の中に確実に存在しているということだ。
この小説を読みながらむかし読んだことあるある記事を思い出した。敏感な話しになると思うが、韓国では東南アジアとのハーフの社会不適応が社会問題化としてる。基本的に韓国人は自分と異なった外見を持つ人を難しがる。それだけではなく、通計をみると大学などの進学率で韓国人とハーフは極めく高い差が見られる。教育現場では既に何年前からこれを警告していた。その異質的な差のゆえ社会に融和されなかったFrankensteinの化け物が苦痛を味わったことと同じことが身近で起こるかもしらない。主人公のFrankensteinは結局それを解決できず皆を不幸に追い込んでしまった。我々はそれができるか。私には知らない。
古典が古典である理由、それは何百年が経ってもそれらは読者たちにいろいろ考えことを投げてあげるからだと私は思う。Frankensteinはいい古典小説だ。