この人の、本田宗一郎へのほれ込みぶり、藤沢さん自身の経営研究力、営業力、商品企画力(技術力とは違う次元で、どのようなものが売れるかを判断する力)が素晴らしいなと。
天才的技術者と天才的経営者が奇跡的に出会って時代を作っていったという、すごい話。
本人の発言はどこまでも控えめですが、その表現がまた
...続きを読むよいですね。これを第三者が書いたとしたら、藤沢さんを神格化するような表現でつまらないものになっていたでしょう。
私は藤沢武夫になる!
-------以下、抜粋----
1910年 明治43年 生まれ
S6 軍隊現役、お金を払えば除隊できる
「経済の分野で自分の力を試してみたい」
「自分の精いっぱいの知恵を出してみたいと思っていました。誰かのカバン持ちをして、なんとかその無名の人の持っている才能をフルに活かしてあげたい、というのが夢だったんです」
1949 ホンダに入社
・人間を判断するときは、その人の家庭を見る。人と人との間を結び付ける条件は、まず信頼であり、いたわりあいである。その基本は家庭にある。家庭を大事にしない人、奥さんを大切にしない男はだめ。
・S29 マン島レース宣言、藤沢の筆によるもの
・S29 本田が「クロス・ネジ」を拾ってくる(-ネジより革命的に作業効率が上がる)
金には魅力、というより、魔力がある。
・銀座に引きこもる(大手企業の、売上に対する利益率、在庫、借入金、現金等を研究)
・部品在庫、3日分あれば適当
・S31 ドイツ旅行、ベンツ、フォルクスワーゲン等を見て回る。作業別、職種別の賃金。スキル別の給与差。
・技術屋に数字の勉強をさせる。バランスシート、売上と在庫の関係、増産による利益等。
・繁盛している部門には顔を出さない。くさっている部門に顔を出して何時間でも話しこむ。
・付き合っていて自分の方が勝ちだと思った時、人は親近感を持つ。理詰めのものではダメ。
・あれだけ人に好かれる人もめずらしい
・金の流れを主力銀行(三菱銀行)にはっきりわかるようにしておく
・ホンダの代理店、全国15,6店舗だった時代に、
全国5万5千の自転車屋に手紙。3万通の返信。
・S32 2輪、アメリカ進出(欧300万台の時代に、米6万台の市場だった)
・スーパーカブ、自転車に取りつけるようなエンジンではなく、ボディぐるみのもの。50CC。底辺の広い、小さな商品を作ってほしい。
・生産調整
・アメリカでは、はじめスーパーカブが売れなかった。→デザインを多様にして、違うものに見えるようにしたら売れた
・4輪進出。ホンダスポーツS500。日本初の本格スポーツ。
・N360 低価格、4人乗り、低燃費、30馬力、
・エキスパート制度(専門職)
→研究所を独立させる(本田の頭脳を組織的に賄う)
・空冷エンジンから、水冷エンジンへ(低排気ガス規制にいちはやく対応する、という決断)
・スピードから安全性の時代へ(最高スピードを落とす、という決断)
・アメリカへの尊敬度は高い
・自動車屋のくせに自動車免許も持っていない