あらすじ
ピラミッド型の会社組織にしない、自社独自の製品を作る、エキスパートを陽のあたる場所に出す、一企業の枠を超えて社会的責任を負う――戦後の混乱の中、天才技術者本田宗一郎とコンビを組み、経営を一手に引き受けて本田技研を世界的な企業にまで育て上げながらも、裏方に徹して表に出ることのなかった藤沢武夫が、自らの半生を振り返って書き記した経営理念。長引く不況、企業の不祥事が相次ぐ今だからこそ、経営とは何かを見つめなおすビジネスマン必読の書!
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藤沢の肉声に取材したこういう本があることは、今まで見落としていた。Hondaは、組織形態としては特殊な形をとっているが、それが藤沢の思想に由来すること、紙の上の学問によらずして、本質を見極め、必要なテイクリスクを行い、現場に熱を吹き込みつづけ、だめなことはダメとポリシーを貫くことの重みが語られる。常人に真似ができるものではないが、企業人の生き方として感銘を受ける。
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よくリーダーについて書く本があるけど、リーダーってフォロワーがリーダーとして認めるからリーダーになるだけ。まさに本田宗一郎をリーダーにしたのはこの人であり、経営はこの二人の異なるタイプが相互に尊敬しているから成り立ったということがよくわかる本。
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藤沢さんはホンダの黎明期を支えた経営者の一人。天衣無縫な本田宗一郎さんを支えて、今のホンダの基礎を作りました。かねがね、なぜこのような立派な経営者がなぜ黎明期のホンダに身をささげたのか不思議に思っていましたが、この本でようやく分かりました。理由は、純粋な意味での本田と藤沢の愛です。このような人間関係が存在し、それを知ることができたのは、私の人生にとってとてもしあわせなことでした。
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他人のふんどしで勝負しない。
自分の松明を持って歩く。
自分の信念をいかに強く持つか
信頼できるパートナーに満足させるために基準を明確に!
万物は流転する
いかにここから抜け出し繁栄するか。
即断即決
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本田技研工業の創業者の一人、藤沢武夫の本。その生き方、考え方に非常に共感できる。経営に関してそのまま活かせるわけではないが、その思想は参考になる。
①「大きな夢を持っている人の、その夢を実現する橋がつくれればいい。」(p16)
その生き方に多いに同意できた。自分も複数のことに興味があり、一つの大きな夢はないので、こうした夢の実現に役立てる生き方がしたい。「いまは儲からなくても、とにかく橋をかけることができればいい。」そのために力をつけたい。
②社長には欠点が必要(p100)
欠点があるからこそ魅力があり、魅力があるからこそ人に好かれる。そうして、人前につく社長業ができる。そうした才能を本田宗一郎に見抜き、自分は経営に徹した藤沢。自分のできない能力を持つ者と組み、ビジネスを行うことが必要なのだろう。
③幸せな別れ(p226)
「二人いっしょだよ、おれもだよ。」
経営を退くと表明した藤沢に対し、藤沢が経営してきたからこそ自分がここまで来れたと自覚する本田も共に辞めることを選ぶ。こうしたお互いを高め合い、最後もいっしょに終われる関係が築ければ人生楽しいだろう。
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本田宗一郎と二人三脚で「世界のホンダ」をつくった藤澤武夫の記録。両方をセットにして読むと、いろいろなことが見えてくる。自分がどちらに共感するかで、表舞台に立つか裏方に徹するかを決めるという手もある。ちなみに、私は藤澤武夫のほうにより共感しました。編集者は黒子ですから。
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ご苦労はあったかと思われるが、そんな感じを与えず淡々と語っていることろが、すごい。自分自身と比べてみて、仕事って何なんだろう?って思いました。
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ホンダのNo.2として本田宗一郎を支え続けた藤沢武夫による回顧録。本田宗一郎を技術に専念させるべく、経営、営業を担い、後継者を育て、ホンダを成長させた方。『バイクメーカーはアメリカに行けないなら先がない。何が何でもアメリカに行こう』と判断して邁進するなど、その経営判断はシビレる。憧れの人物の一人。
再読です。
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本田宗一郎の相棒として名前は知っていたが、どのような人だかはわからなかった。
天才技術者である本田宗一郎とは対極の人物ではあるが、彼もまた経営の天才だった。
ホンダが作ったサーキットに来た女性が、ハイヒールが泥のぬかるみにはまり、楽しくない思い出となってしまっている光景を目にした時に、そういった事は今後は二度とないようにしようと思ったと言うエピソードが印象的だった。
また、有名な逸話ではあるが、本田宗一郎とともに本田から退任した際に本田宗一郎交わした「まあまあだったな。」「ああ、まあまあさ。」という引き際があまりにも鮮やかでかっこよすぎてしびれた。
最高にクールでかっこいい本田宗一郎と藤沢武夫のコンビ。
この2人のエピソードをもっとたくさん知りたいと思った。
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ホンダと言えば創業者の本田宗一郎があまりにも有名だがもうひとりの創業者である藤沢氏の存在は恥ずかしながらよく知らなかった。2人が両輪となりうまくバランスしたからこそホンダの急成長があったのだとよくわかった。名だたる企業には、名経営者の存在が注目されるが、影で支えた氏のようなNO.2がいるのだろうと想像された。
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成果に名だたるホンダを本田宗一郎とともに作り上げた著者の回顧録。
乗り物を売るためには安全も一緒に売らなければならないとサーキットを作り、安全教育などのイベントも起こしたとは先進的な考え方だ。
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“世界のホンダ”の創業者である本田宗一郎さんについては、その人柄とともに天才技術者として良く知られているところだが、創業時から経営を担当し世界企業に成長させた藤沢さんについての情報はあまりない。この本は藤沢さんによる貴重な記録。
「本業以外に手を出すな」、「万物流転の法則」、「たいまつは自分で持て」など、現代の経営にもその哲学は色あせない。
「ここらでいいということにするか」
「そうしましょう」
すると、本田はいいました。
「幸せだったな」
「ほんとうに幸福でした。心からお礼をいいます」
「おれも礼をいうよ、良い人生だったな」(p227)
25年間苦楽をともにして育てたホンダを離れる際の会話が感動的だった。
あ、カブ号、買おうかな。
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この人の、本田宗一郎へのほれ込みぶり、藤沢さん自身の経営研究力、営業力、商品企画力(技術力とは違う次元で、どのようなものが売れるかを判断する力)が素晴らしいなと。
天才的技術者と天才的経営者が奇跡的に出会って時代を作っていったという、すごい話。
本人の発言はどこまでも控えめですが、その表現がまたよいですね。これを第三者が書いたとしたら、藤沢さんを神格化するような表現でつまらないものになっていたでしょう。
私は藤沢武夫になる!
-------以下、抜粋----
1910年 明治43年 生まれ
S6 軍隊現役、お金を払えば除隊できる
「経済の分野で自分の力を試してみたい」
「自分の精いっぱいの知恵を出してみたいと思っていました。誰かのカバン持ちをして、なんとかその無名の人の持っている才能をフルに活かしてあげたい、というのが夢だったんです」
1949 ホンダに入社
・人間を判断するときは、その人の家庭を見る。人と人との間を結び付ける条件は、まず信頼であり、いたわりあいである。その基本は家庭にある。家庭を大事にしない人、奥さんを大切にしない男はだめ。
・S29 マン島レース宣言、藤沢の筆によるもの
・S29 本田が「クロス・ネジ」を拾ってくる(-ネジより革命的に作業効率が上がる)
金には魅力、というより、魔力がある。
・銀座に引きこもる(大手企業の、売上に対する利益率、在庫、借入金、現金等を研究)
・部品在庫、3日分あれば適当
・S31 ドイツ旅行、ベンツ、フォルクスワーゲン等を見て回る。作業別、職種別の賃金。スキル別の給与差。
・技術屋に数字の勉強をさせる。バランスシート、売上と在庫の関係、増産による利益等。
・繁盛している部門には顔を出さない。くさっている部門に顔を出して何時間でも話しこむ。
・付き合っていて自分の方が勝ちだと思った時、人は親近感を持つ。理詰めのものではダメ。
・あれだけ人に好かれる人もめずらしい
・金の流れを主力銀行(三菱銀行)にはっきりわかるようにしておく
・ホンダの代理店、全国15,6店舗だった時代に、
全国5万5千の自転車屋に手紙。3万通の返信。
・S32 2輪、アメリカ進出(欧300万台の時代に、米6万台の市場だった)
・スーパーカブ、自転車に取りつけるようなエンジンではなく、ボディぐるみのもの。50CC。底辺の広い、小さな商品を作ってほしい。
・生産調整
・アメリカでは、はじめスーパーカブが売れなかった。→デザインを多様にして、違うものに見えるようにしたら売れた
・4輪進出。ホンダスポーツS500。日本初の本格スポーツ。
・N360 低価格、4人乗り、低燃費、30馬力、
・エキスパート制度(専門職)
→研究所を独立させる(本田の頭脳を組織的に賄う)
・空冷エンジンから、水冷エンジンへ(低排気ガス規制にいちはやく対応する、という決断)
・スピードから安全性の時代へ(最高スピードを落とす、という決断)
・アメリカへの尊敬度は高い
・自動車屋のくせに自動車免許も持っていない
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藤沢さんの語りをライターの方が口述形式で文章にされているため、非常に読みやすくなっております。「松明は自分の手で」は藤沢さんらしい雰囲気が掴めますが内容を理解していくのは、こちらの書籍の方が良いと感じました。
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本田宗一郎とホンダ草創期の経営を支え、副社長、最高顧問を歴任した藤沢武夫氏の自伝(とはいっても自分で書いたわけではなく、文春がまとめたようです)。もともと経営のプロというわけではなくいものの、危機に際してもブレのない経営理念には感服です。
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本田宗一郎を支えた25年間をつづった本
藤沢は経営、本田は発明
藤沢の語る人の夢を叶えてあげるための経営は読んでいて惹かれる
単純であるけど、人を見るときに家族を見るはまさにそのとおりだと思う
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本田宗一郎の本と同じ時期に読んだが、やはり本田宗一郎の本の方が面白かった。
ただ、2冊読むことでホンダという会社がどのような思いの中からできてきた企業なのか理解ができる
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本田宗一郎は起業家であり、今のホンダをつくった藤沢さんは本当の意味での経営者なんでしょうね。読んでいて本当に素晴らしい方だと思います。なんか元気が出て来ました。
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本田技研の創業者、 本田宗一郎の片腕藤沢武夫氏の自伝。
よくある経営指南書というよりは、
リーダーシップに対する「フォロワーシップ」のあり方が
主に書かれてあります。
ビジネスマンにとって、 リーダー(上司)をよく理解し補佐していく力が
とても重要だということが、この本を読み改めて感じました。
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ホンダの創業から軌道に乗るまでの期間についての回顧録のような内容です。
モノであれ、仕事の仕方であれ、いかに自分たちの必要性から、工夫を重ねてきたのかが分かります。
他人のふんどしで相撲をするな。自分で松明を持って進め。周りに流されるな。
そんな哲学で本当に今までやってきた会社なのだということが分かります。
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本田技研のもう一人の創始者の本。
引越しでなくしてしまったので、再度購入。
藤沢氏がホンダでやってきたことをつらつらと語っている本。
再度読んで感じたのは、
このお方、本当に本田宗一郎氏を信頼して尊敬してたんだなぁと。
全部が全部、言っていることがデレてる。
藤沢氏視点の本田の考え方や沿革がわかる本。
一方で、経営者の視点、考え方や心の持ち方についての記載が少ないのが残念。
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本田宗一郎との二人三脚で世界的企業を育てあげた藤沢 武夫の半生を綴った自著伝。
本田宗一郎がトップで、藤沢さんが支えているという見方が多いが、本田宗一郎は技術やでお金を使う人、藤沢はそれ以外すべてを行っている=社長業を行っていることがよくわかる。
いくつも胸打つようなシーンがあったが特に
・重役とは「未知への探求をする役」であって、決して「後始末ばかりしている掃除屋であってはならない」
・あまり会わないから「不仲」という噂もあった。「お互いを理解しているから、いつも一緒にいる必要はなかった」だけ。
・社長は欠点だらけのほうが良い。社長にはむしろ欠点が必要で、欠点があるから魅力がある。欠点はあるけれども一つのことを追いかけ続けられる純粋な思いが必要
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ホンダを本田宗一郎氏とともにつくりあげた藤沢武夫氏の回顧録。
名参謀とあるが、本書を読む限り、参謀というよりパートナーと感じた。
技術者ではない経営者の話であり、まさに自分には勉強になるはず!
と思って読んだが、あまりピンと来るものではなかった。
再読が必要かな?
とは言え、この相思相愛というか、お互いにリスペクトし合う関係というものは、素晴らしいと思ったのは確か。
宗一郎氏に空冷エンジンを作らせたかった、という話には感動した。
[more]
(目次)
1 生命をあずかる仕事
2 思いがけぬ危機
3 本業以外に手を出すな
4 万物流転の法則
5 経営者の心構え
6 模索と学習の日々
7 たいまつは自分で持て
8 海のむこうへ
9 頭の切り替え
10 本田かぶれ
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この1ヶ月余りでホンダ関連の本を4冊目。このあたりで一段落しようと思う。
天才技術者に欠かすことができなかったもうひとりのヒーローの回顧録。
読んでいると何度博打のような判断で勝っているんだと驚く。それだけ彼の世の中を見る視点が長けていたのだなと感心する。
Posted by ブクログ
あらすじ
「おれは金はもってないけれど、金はつくるよ」著者・藤沢武夫はこう言って本田宗一郎とコンビを組んだ。単に一企業の儲けを考えるのではなく、社会的責任を全うするという愚直な道を選び、なおかつ本田技研を二人三脚で世界的企業に育て上げた名経営者が、初めて明かす、自らの半生と経営理念。
本田宗一郎とタッグを組んだ名経営者、藤沢武夫。彼の視点から描いたホンダの成長の軌跡。
印象に残った点をいくつか。
【横並びにして、組織にしない】
創業当初の横並びのスタイルが最も優れたアイデアや良い製品が生まれると考え、組織を作ろうとしないのが藤澤のスタイル。
その日に入ってきた社員でも課題を渡され、明日までにやってくることを求められ、社員も自ら考え動く。決められた役職に縛られていると、ついつい上司に聞いてしまうことが増え、自由な発想は生まれないのだろう。
これは、失敗を繰り返すことに繋がったり、意思決定が不安定になるというリスクもあるが、面白い発想だった。
モノづくりの会社は、投資ではなく、製品で儲けるべきだというのが、藤澤の考え方。投資で稼いでも現場の士気は上がらず、むしろ下がってしまう。
【完全な分業スタイル】
本田宗一郎はモノづくりに専念し、藤澤は経営に専念する。この分業スタイルががっちりとかみあったからこそ、ホンダという会社は成長したのだと感じた。得手に帆挙げて、というのはまさにこのことなのだろう。自分の長所を生かしつつ、足りない部分は謙虚に自覚すること。そうすることで苦手な分野を学んだり、他の人で補ったりすることが出来るのだろう。
またこの分業スタイルは、全従業員に対する彼の姿勢にも一貫している。現場の声をよく聞き、自分から指示を出すのではなく、自ら考え動き、それぞれの長所を生かして問題を解決していく。労働組合もしかり、工場の生産体制、管理業務の合理化など、従業員全員で取り組んでいくのである。
本田宗一郎は、一度も新しい生産設備が欲しいとお願いしたことはなかったという。藤澤は、本田の能力は限られた資源の中で、革新的な発明を生み出すことが出来る点と考えた。CVCCエンジンもしかり、アメリカでの現地法人もしかり、可能性がゼロに等しいからといって諦めるのではなく、バールでこじ開けるようにして、前へと進んでいく、創業期の力強さを感じることが出来た。