藤沢武夫のレビュー一覧
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本田技研工業の創業者の一人、藤沢武夫の本。その生き方、考え方に非常に共感できる。経営に関してそのまま活かせるわけではないが、その思想は参考になる。
①「大きな夢を持っている人の、その夢を実現する橋がつくれればいい。」(p16)
その生き方に多いに同意できた。自分も複数のことに興味があり、一つの大きな夢はないので、こうした夢の実現に役立てる生き方がしたい。「いまは儲からなくても、とにかく橋をかけることができればいい。」そのために力をつけたい。
②社長には欠点が必要(p100)
欠点があるからこそ魅力があり、魅力があるからこそ人に好かれる。そうして、人前につく社長業ができる。そうした才能を本田宗一郎に見抜き、自分は経営に徹した藤沢。自分のできない能力を持つ者と組み、ビジネスを行うことが必要なのだろう。
③幸せな別れ(p226)
「二人いっしょだよ、おれもだよ。」
経営を退くと表明した藤沢に対し、藤沢が経営してきたからこそ自分がここまで来れたと自覚する本田も共に辞めることを選ぶ。こうしたお互いを高め合い、最後もいっしょに終われる関係が築ければ人生楽しいだろう。 -
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ネタバレ私は、企業と言うものは、リズミカルであり、美的なものでなければならないと常々持っている。企業に芸術がなければ、それは企業にならない。と言うのは、みんなの心に訴えるものは、新しい姿であり、音楽であり、絵であり、芸術的なものである
たとえ小さな松明であろうと、本田は自分で作った松明を、自分の手で掲げて、前の人たちには関係なく好きな道を歩んでいく企業とする
少しこじつけと思われるかもしれないが、経営と仕事とは違う。毎日、経営者が出勤してハンコをしたり、書類を見たりするのは、それは仕事と名づけない
和辻哲郎鎖国 鎖国か開国かの分かれ道が、それからの日本民族のあり方に、どのようなものになったかは、今もって続いている。情の世界の美しさだけでは、世界に伍してはいかれない
重要な事は、いつでもリードしていけるには、どうすれば良いかと言うことですが、これは、刻々と変化する情勢を的確にキャッチして、企業の中に入れ、組織の中でこなして、それを安定させ、次の人にバトンを渡すということです
チャーチル:第二次大戦回顧録 -
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本田宗一郎の相棒として名前は知っていたが、どのような人だかはわからなかった。
天才技術者である本田宗一郎とは対極の人物ではあるが、彼もまた経営の天才だった。
ホンダが作ったサーキットに来た女性が、ハイヒールが泥のぬかるみにはまり、楽しくない思い出となってしまっている光景を目にした時に、そういった事は今後は二度とないようにしようと思ったと言うエピソードが印象的だった。
また、有名な逸話ではあるが、本田宗一郎とともに本田から退任した際に本田宗一郎交わした「まあまあだったな。」「ああ、まあまあさ。」という引き際があまりにも鮮やかでかっこよすぎてしびれた。
最高にクールでかっこいい本田宗一郎と藤沢武夫のコンビ。
この2人のエピソードをもっとたくさん知りたいと思った。 -
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ネタバレ“世界のホンダ”の創業者である本田宗一郎さんについては、その人柄とともに天才技術者として良く知られているところだが、創業時から経営を担当し世界企業に成長させた藤沢さんについての情報はあまりない。この本は藤沢さんによる貴重な記録。
「本業以外に手を出すな」、「万物流転の法則」、「たいまつは自分で持て」など、現代の経営にもその哲学は色あせない。
「ここらでいいということにするか」
「そうしましょう」
すると、本田はいいました。
「幸せだったな」
「ほんとうに幸福でした。心からお礼をいいます」
「おれも礼をいうよ、良い人生だったな」(p227)
25年間苦楽をともにして育てたホンダを離れる際の会話が感動的だった。
あ、カブ号、買おうかな。 -
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この人の、本田宗一郎へのほれ込みぶり、藤沢さん自身の経営研究力、営業力、商品企画力(技術力とは違う次元で、どのようなものが売れるかを判断する力)が素晴らしいなと。
天才的技術者と天才的経営者が奇跡的に出会って時代を作っていったという、すごい話。
本人の発言はどこまでも控えめですが、その表現がまたよいですね。これを第三者が書いたとしたら、藤沢さんを神格化するような表現でつまらないものになっていたでしょう。
私は藤沢武夫になる!
-------以下、抜粋----
1910年 明治43年 生まれ
S6 軍隊現役、お金を払えば除隊できる
「経済の分野で自分の力を試してみたい」
「自分の精いっぱいの知恵を出してみたいと思っていました。誰かのカバン持ちをして、なんとかその無名の人の持っている才能をフルに活かしてあげたい、というのが夢だったんです」
1949 ホンダに入社
・人間を判断するときは、その人の家庭を見る。人と人との間を結び付ける条件は、まず信頼であり、いたわりあいである。その基本は家庭にある。家庭を大事にしない人、奥さんを大切にしない男はだめ。
・S29 マン島レース宣言、藤沢の筆によるもの
・S29 本田が「クロス・ネジ」を拾ってくる(-ネジより革命的に作業効率が上がる)
金には魅力、というより、魔力がある。
・銀座に引きこもる(大手企業の、売上に対する利益率、在庫、借入金、現金等を研究)
・部品在庫、3日分あれば適当
・S31 ドイツ旅行、ベンツ、フォルクスワーゲン等を見て回る。作業別、職種別の賃金。スキル別の給与差。
・技術屋に数字の勉強をさせる。バランスシート、売上と在庫の関係、増産による利益等。
・繁盛している部門には顔を出さない。くさっている部門に顔を出して何時間でも話しこむ。
・付き合っていて自分の方が勝ちだと思った時、人は親近感を持つ。理詰めのものではダメ。
・あれだけ人に好かれる人もめずらしい
・金の流れを主力銀行(三菱銀行)にはっきりわかるようにしておく
・ホンダの代理店、全国15,6店舗だった時代に、
全国5万5千の自転車屋に手紙。3万通の返信。
・S32 2輪、アメリカ進出(欧300万台の時代に、米6万台の市場だった)
・スーパーカブ、自転車に取りつけるようなエンジンではなく、ボディぐるみのもの。50CC。底辺の広い、小さな商品を作ってほしい。
・生産調整
・アメリカでは、はじめスーパーカブが売れなかった。→デザインを多様にして、違うものに見えるようにしたら売れた
・4輪進出。ホンダスポーツS500。日本初の本格スポーツ。
・N360 低価格、4人乗り、低燃費、30馬力、
・エキスパート制度(専門職)
→研究所を独立させる(本田の頭脳を組織的に賄う)
・空冷エンジンから、水冷エンジンへ(低排気ガス規制にいちはやく対応する、という決断)
・スピードから安全性の時代へ(最高スピードを落とす、という決断)
・アメリカへの尊敬度は高い
・自動車屋のくせに自動車免許も持っていない