諏訪哲二のレビュー一覧
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p64『学校は成績評価、人物評価、規律や規範を提示することによって、子ども(生徒)たちに近代的な個人(市民)の「客観値」を示し、自己との距離を測らせようとする。距離が測れるようになるということは、(私そのもの)へのこだわりを少なくして、世の中に通用する大人になることだと表現してもいい。』
p68『勿論、10年前の学園闘争のときにも教師にその意味はわからなかった。しかし、何を主張(要求)しているかはわかった。当時は、まだ、教師と生徒は同じ文化性、コード、時代感覚にある、言葉は通じていたからである。』
p87『頭と身体が「商品交換」(人と人とは対等なやりとりをしなくてははならない)を求めている。い -
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新しい学力感の否定を色んな観点から否定した1冊。
なんか難しい言葉を無理やり使ってる感じで分かりにくかった。
日本語は目的語が曖昧で、議論がなあなあで終わる。教師も西洋的価値観を絶対視してる割に、その意見は個人内で神話化してなあなあにしてるじゃんというのは面白かった。
幸福度や経済成長率で見てたら西洋的価値観の教育のが良さそうに見えるけどなあ
文部科学省の転向
新しい学力感とは 個の選択に任せる 知識か創造性かの二項対立
子供の学ぶ意欲 観念上の子供と現実に生きる個々の子供の分離 大人の一方的なもの
教育改革論の原点
個の尊重 学校は文化性を内在させている所で変わりにくい体質 偏差 -
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なぜ勉強しなきゃいけないの?
と子どもに問われたら、私は「なんでだと思う?」と聞き返すことにしている。そして、子どもの答えをニコニコと聞いて、「そうかもね」とだけ言い、自分の答えは教えないことにしている。そして、時々家でも勉強している父の背中を見せることにしている。
著者は、頭脳明晰で、かつ、現場に立ち続けてきたホンモノの教師である。だから、説明がうまいし、説得力がある。けれど、だからこそ、上から目線で、やや断定的である。好みは分かれるところだろうし、「我が子を賢くする方法」などの記事を探しては読み、子を通わせる塾を転々と変えているような方は、絶対に読まない方が良いと思う。
ゆとり教育 -
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ネタバレプロ教師としての教育論
戦後60年間でこどもがかなり変容をとげてしまったということを前提に教育論を語るべきという主張。
なんといっても、教育における共同体的要素=社会化の重要性を強く主張しているところが特徴。また実践者の感覚でもある。
・教育における共同体的要素の必要性:宮台の考え方の否定。共同体的対市民社会的
・生活指導の必要性:和田秀樹と上野千鶴子の(生活指導などではなく)授業に集中する学校への回帰論がいかに現実的でないか
・子供は聖域ではない:特に、いわゆる教育の内部(家庭、学校、地域)だけの影響を受けているわけではない。すでにメディアによる共同体的要素の破壊は大きい。尾木直樹はユート -
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「プロ教師の会」代表が「子どものオレ様化」を軸に、教育を論じているのが本書。
「オレ様化」とは? ただ生徒がエラソーになったというだけのことではない。かつて「生徒」というものは、人格的にも知識的にも半人前で、教師から一方的に「贈与」を受け取る存在だった。しかし社会の近代化にともなって、子どもは変わった。大人と対等の存在、教師と対等の1人の「個」として現れてきた。教師-生徒関係が、「贈与」から「商品交換・等価交換」になってきたのが、教師の権力の失墜→学級崩壊→不登校・いじめ・援助交際・ひきこもり、へとつながっていくのだ……と本書は説く。
いつの時代も子どもは変わらないとか、子ども1人1人に -
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ネタバレ水無月新月の候におすすめする一冊は、諏訪哲二著『オレ様化する
子どもたち』です。著者は1941年生まれで、01年に定年で引退した
元高校教師。教師として教育現場の荒廃と格闘し続けてきた方です。
タイトルはちょっとキワモノっぽい本書ですが、中身は至って真剣。
教師ならではの視点での極めて真面目な教育論が展開されていて、
のっけからぐいぐいと引き込まれます。教育の考察を通じて、近代
とは何か、個性とは何か、というところまでが問い直されているの
で、子どもの教育に特に関心がないという方にも、十分な読みごた
えのある内容となっています。
「オレ様化」とは、80年代中葉以後の学校現場で出現してきた「