諏訪哲二のレビュー一覧
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筆者は教師という立場から「オレ様化」した子供について、「畏れる」ものを何も持たず、自ら自己を主張して何ら憚るところがないと述べている。
また、子供たちの内面のその自信に比して、その表れの何たる貧弱なことよ、とも。
これについては、親の立場から子供と接する身としても非常に同感する。
筆者が本著でも述べているように、親は育児をする機会が一度きりであり、この子供の態度が近代化の結果なのかどうかは私にはわからないが、その根拠のない自信に満ちた態度にたじろぐことは度々経験したものである。
ただし、だからといって筆者の述べる従来の教育が子供の教育環境として今日望ましいのかどうかは、これもまた判断できなか -
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齋藤孝、苅屋剛彦、隂山英男、内田樹、義家弘介、寺脇研、渡邉美樹諸氏の教育論を一つ一つ批判的に検証し、教育観の齟齬や誤解を解きほぐして行く誠ある著と言ってよい。啓蒙としての教育と文化としての教育という概念や、近代前期と高度消費社会を達成した近代後期に於ける教育状況の変化をとらえていることも正しい視点である。現場での教育、そして各教育論の考察と思索はやがて、「近代」は如何なる人間を理想とするのかという問いかけに行き着く。それでも著者は、現場の教師として「啓蒙」を説く。著者はそのことを「人類史的な哀しみ」という言葉で呟いた。その一語が本書の価値の一切であろう。
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元高校教員(プロ教師の会代表)である著者が、5人の教育論者の考えと対峙している。
さすがに現場経験が長いだけあって、「啓蒙」としての教育の大切さが強い説得力を持って納得させられた。はっきりと意識したことは無いが、教育を考える時にこの点は忘れてはならないことがよく分かった。
5人の教育論を攻撃しているスタンスの様にも見えるが、実はこの中でも著者は本当は肯定している人も居る様に感じる。(根本から否定されている人も居るが)
そう言う意味では、帯の「小林よしのり推薦」(彼らこそ日本を貶めた5人の教育家だ!)というのは無い方が良いと個人的には思う。これでマイナスイメージ先入観を持ってしまうと、著者 -
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ネタバレ子どもが変わってきているのではないか、と言う視点から、現在の教育問題を捉え直そうとした本。まだまだ素人に毛が生えた程度の私にはとにかく難しい。読むのに骨が折れます。学生時代に一度諦めたのですが、再度チャレンジ。
結局のところ、筆者の主張は
子どもの個性を伸ばす教育が求められているが、その個性はあくまで社会性の上に成り立つ個性でなければならず、学校教育では社会性と基礎的な知識を身につけることから始めなければならない、ということでした。
社会性を身に着ける中で、自己を相対化したり、自己を生き延びさせる術を覚えていかなければならないが、幼稚で鍛えられない自己が生き延びてしまうことによって、オレ -
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この本はまず、現在の受験戦争の早期化の時代背景を説明し、その後「ゆとり教育」の目的について話し、学校の必要性について説いた後、「学力向上」を求めるだけでは学力は上がらず、近代的な個人(おとな)になることができないことを述べ、最後にこどもにとって、ひとにとっての垂直的な存在(絶対な存在)の必要性について説明し、本を閉じている。
筆者は近代を「農業社会的な近代」、「産業社会な近代」、「消費社会的な近代」の3つに分けている。「農業社会」では共同体の力が強く、こどもは自身共同体の1個人であるという感覚を持っていた。自分が勉強し、頑張ることが親のため、家族のため、共同体のためになるという感覚が漠然とあ -
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かなり昔に読んだ本であるが、前々から読み直したいと思っていたので読んでみた。
んーむずかしい…。その辺にある教育論とは掘り下げの程度が全然違うと感じる。ところどころ著者が使っている用語の意味がわからない部分がある。
しかし内容としては、説得力がありかなりおもしろい内容やと思う。筆者は、学校が社会において果たすべきことは「のびのび」ではなく「厳しく」だと言う。「個性化」の前に「社会化」を目指すべきであるとも。
第二部の学者の教育論に対するコメントは、ちょっと見方が穿っているかなと思う部分があった。
二三一ページにある「管理はしないよりはしたほうがいい」という記述に安心した。その通りで、教育におい -
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[ 内容 ]
学校不信が止まらない。
保護者たちは、右往左往の教育改革を横目に、「わが子だけを良い学校に」と必死だ。
そのニーズに応えて、「百ます計算」や「親力」といったメソッドが次々と紹介され、指導法のカリスマが英雄視される。
勉強の目的といえば、「得になるから」「勝ち組になるため」に収束した感があり、すこぶるドライな経済的価値観が目立つようになった。
だからこそ、本質から問いたい。
「なぜ勉強させるのか?」と。
本書は、「プロ教師の会」代表の著者が、教職生活四十年間で培った究極の勉強論である。
[ 目次 ]
プロローグ―そして「学力向上」だけが残った
1章 時代論1―「お受験キッズ誌」が -
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"勉強の意味"とは。
プロ教師の会代表で、実際に長年現場を経験してきた筆者が「教師」と「子ども」のあり方について鋭い考察をおこなう。
ところどころ飛躍的であったり、歪曲的であったりする箇所があり、正直読んでいて不快になる事もあるが、全体を通してはきれいにまとまっている印象。
筆者は戦後日本を「農業社会」「産業社会」「消費社会」にの3つに分類し、その中で「個(私)」というものがどの様に変遷していったのか、現場でのリアルな経験を元に提示する。
教師論、子ども論にしても、勉強する意味について聞かれた時の対処法にしても、かなり現実的。ここらへんは、やはりプロ教師の会といったと -
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とても分かりやすかった。前に以前読んだ諏訪さんの作品(この本の後に出版された作品)と同じく、学校教育に資本主義が入り込んで、子供が変わってしまった、という主張だった。この主張は以前から変わっていないのだな、と感じた。しかし、今まで社会は子供を神格化し、地域(社会)、もしくは家庭に責任をなすりつけ、子供の中に原因がある、と考える学者の方がほぼいなかったお話や、内田樹さんと同じく、宗教の重要性に言及しているのが面白かった。最後の教育論者に対する批評は納得できない部分もあったが、考え方の違いが見ることができて面白かった。おすすめっす\(^o^)/
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内田樹経由で読む。
自分も氏の言う「消費社会期」の世代である。
しかし、幸か不幸か、超田舎であったためか、当時の教育は、とても氏の言う「市民社会的教育」ではなく、むしろ、「農業社会期的教育」であったように思う(中学までは)。
高校は確かに、消費社会期的だったなと、思う。
氏の論ずる「近代」の位置づけが、文中で若干揺らぐ部分があり、全面的に賛同できる内容ではないが、主旨はとてもよくわかり、大いに頷ける。
共同体意識の欠如による個の自立(という勘違い)。これがオレ様。
言っておくが、このオレ様は「ジャイアン」のオレ様とはまったく異なる。ジャイアンはむしろ、前近代的な姿だ。今の子ども社会にも、ジ -
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[ 内容 ]
校内暴力、大学生の急速な学力低下、小学校にまで波及しつつある学級崩壊、凶悪化する一方の青少年犯罪など、教育問題はこの数年、解決のための手掛かりすら得られないまま、さらにその混迷の度を深めつつある。
自由で個性的な人間を作ろうとして出発した戦後教育は、結局、肥大化し過ぎた「自己」を扱いかねている生徒を大量に生み出してしまった。
戦後日本の急激な変化に翻弄された生徒と教師の変容を歴史的にたどり、学校現場で本当に起こったことの全体像を正確に描き出す。
[ 目次 ]
第1章 戦後日本の子ども観(子どもを見る視点;教師が教師だった時代 ほか)
第2章 危機の発端と正体(「個人」の時代の始