【感想・ネタバレ】なぜ勉強させるのか?~教育再生を根本から考える~のレビュー

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Posted by ブクログ 2011年11月07日

自分の精神の内部に幾筋も乱反射させた本。「勉強とはありのままの自分を捨て、社会的な個になるためのもの。」結構生きてきましたが、初めて哲学的な題材の本に触れたような気がします。

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Posted by ブクログ 2011年09月20日

勉強になった。
やはり、勉強すると言うことは、精神性をも追求してしかるべき
成長を促す。と、私は、思った。

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Posted by ブクログ 2013年02月06日

ゆとり教育とは何だったのか、
よく分かりました。

子供の変化と家庭教育についても、
納得できました。

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Posted by ブクログ 2012年09月25日

この本はまず、現在の受験戦争の早期化の時代背景を説明し、その後「ゆとり教育」の目的について話し、学校の必要性について説いた後、「学力向上」を求めるだけでは学力は上がらず、近代的な個人(おとな)になることができないことを述べ、最後にこどもにとって、ひとにとっての垂直的な存在(絶対な存在)の必要性につい...続きを読むて説明し、本を閉じている。
筆者は近代を「農業社会的な近代」、「産業社会な近代」、「消費社会的な近代」の3つに分けている。「農業社会」では共同体の力が強く、こどもは自身共同体の1個人であるという感覚を持っていた。自分が勉強し、頑張ることが親のため、家族のため、共同体のためになるという感覚が漠然とあった。「産業社会」では、生活の中に「消費」という概念が入り、裕福な家族像を描きながら、家族の一人一人が「個」としての存在を形成していった。「消費社会」では一人一人が「私」という感覚を持ち、それぞれがお互いを主張する関係性に発展していった。そのような時代に生まれ育ったこどもは、幼い時から「私」という感覚を持ち始めた。「社会」があって、「私」があるのではなく、「私」があって、「社会」があるという感覚だ。
そのような時代のこどもに合わせて行おうとした政策が「ゆとり教育」である。私は恥ずかしながら、ゆとり教育の目的やヴィジョンを分かっているようで、理解していなかった。教育の有り方を細分化し、こどもに決定権を与え、社会にこどもを合わせるのではなく、こどもたちが選択した道によって社会を形成しようというのが、ゆとり教育の目的であり、それによってこどもたちは一人一人が大切にする「個性」を持った近代的個人に成長し、社会を形成していく、ヴィジョンがあったのだと、解釈した。しかし、結局親、こどもが学校教育のゴールは良い大学に入って良い企業に入るというゴール像に縛られてしまったことや、教育の多様化が義務教育時間の削減と教育の細分化という「科目」の面でしか改革が行われなかったことなどから、失敗してしまった(と認識されてしまった)。細分化されても、結局細分化される前の道をこどもは選択した(させられた)ため、細分化される前の道筋だけが残った。また時間に「ゆとり」ができたため、お金に余裕のある家庭は塾などにこどもを通わせ、教育格差が広がった。「ゆとり教育」が終わった今、またこどもの学力を向上させることが学校、家庭の役割であるという考えが強くなってきている。
しかし学校はこどもの「学力向上」の機能だけではなく、社会のルールや、コミュニケーション能力など、「生きる力」を学ばせる場所である。学校は塾がなくても存在することができるが、塾は学校がないと存在することができない。学校で「生きる力」を学び、その土台があった上で塾などの教育機関で学ぶことができるからだ。だから、こどもは学校に行かなければいけないし、親もこどもは学校に行ったほうがいいと、直感的に分かっている。
消費社会的な近代において、こども、ひとは自分の考えを主張し、自分の分かっている範囲内で周りの物事を判断するようになってきている。自分は1人の自立した個人であり「私」であるのだ。しかし、人とはちっぽけな存在であり、社会を構成する一要素(その人がいないと今の社会が成立しないという意味で大事な要素ではあるが)でしかない。その事実を認識させてくれる、絶対的な、垂直的な位置に存在するものが、今の日本には無いと筆者は述べる。筆者は日本の中学校で先生をしていたころ、オーストラリアの生徒が海外から交換留学に来て、その子の「決して自分の主観だけで物事を判断しない姿勢」に衝撃を受けたという。それは彼女にキリスト教という絶対的な宗教が存在し、それによって、彼女は自分自身を客観的に評価し、高められたのだと、筆者は考えている。この考えに、自分の過去に見たり聞いたりした経験が重なり、深く共感した。
現在の消費社会的な時代において、ひとが自立するというのは、自分が1人では生きていけないことを認めることだと、彼は言う。たしかに、勉強し、新しいことを学ぶということは、一度、そのことを知らなかった自分を否定し、それを自分の中に内面化する作業であるし、内面化した内容によって、「私」という存在が再構築されていく。
自分は「私」であるというありのままの「私」を一度否定し、私はいろいろなものに依存しながら生き、社会という圧力の中で部分的な「自分らしさ」を失い、自分が大切にしたい(とがりたい)「自分らしさ」を内面に持つこと(たこつぼ的な)。これが近代的な個人なのであり、勉強する意義なのだと思った。

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Posted by ブクログ 2011年11月13日

「教育」っていう部分は
一番、文句がつけやすい「処」ですよね
自分が「評論」した(文句を言った)としても
まず、自分自身に危害が加えられることが
ない「処」でもありますね
ただ、諏訪さんの場合
現場の先生であるという
強みが大きい
一億総教育評論家の時代の中で
ちゃんと 傾聴に値する一冊だと思う

...続きを読む本書の中で「そりゃそうだ!」
と思った人は次の人に
この一冊を薦めていきたいもの

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2011年06月30日

《学ぶや生きるは、人としてが経済的利益を離れ、換金出来ない人の崇高な価値として、再構成されていなければならない。≫からこそ、教師やおやは、子どもたち(若者)に勉強することへの精神的な価値に出会えるような働きかけをしようと説く第8章が印象に残った。

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Posted by ブクログ 2011年04月11日

[ 内容 ]
学校不信が止まらない。
保護者たちは、右往左往の教育改革を横目に、「わが子だけを良い学校に」と必死だ。
そのニーズに応えて、「百ます計算」や「親力」といったメソッドが次々と紹介され、指導法のカリスマが英雄視される。
勉強の目的といえば、「得になるから」「勝ち組になるため」に収束した感が...続きを読むあり、すこぶるドライな経済的価値観が目立つようになった。
だからこそ、本質から問いたい。
「なぜ勉強させるのか?」と。
本書は、「プロ教師の会」代表の著者が、教職生活四十年間で培った究極の勉強論である。

[ 目次 ]
プロローグ―そして「学力向上」だけが残った
1章 時代論1―「お受験キッズ誌」が映し出すもの
2章 時代論2―ゆとり教育は案外、将来を見据えていた
3章 学校論1―それでも学校を信じなければならない訳
4章 学校論2―塾・予備校は学校改革のモデルとなるか
5章 指導論1―「百ます計算」・陰山メソッドの問題点
6章 指導論2―「親力」ブームの誘惑に耐えられるか
7章 子ども論1―世界の子どもと比べてみる
8章 子ども論2―「なぜ勉強するの?」と問われたら
エピローグ―勉強するにも、させるにも覚悟がいる

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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Posted by ブクログ 2011年02月18日

"勉強の意味"とは。
プロ教師の会代表で、実際に長年現場を経験してきた筆者が「教師」と「子ども」のあり方について鋭い考察をおこなう。

ところどころ飛躍的であったり、歪曲的であったりする箇所があり、正直読んでいて不快になる事もあるが、全体を通してはきれいにまとまっている印象。

...続きを読む筆者は戦後日本を「農業社会」「産業社会」「消費社会」にの3つに分類し、その中で「個(私)」というものがどの様に変遷していったのか、現場でのリアルな経験を元に提示する。

教師論、子ども論にしても、勉強する意味について聞かれた時の対処法にしても、かなり現実的。ここらへんは、やはりプロ教師の会といったところ。

賛否両論ありそうだが、一読の価値あり。得るものは大きい。

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Posted by ブクログ 2011年01月19日

おそらくあらゆる人が教育から逃れる事はできないと思う
子供の教育など際たるものだ
特に、保護者達は学校不信になり「わが子だけを良い学校に」と必死に塾に通わせ奔走している

だったらこの世を塾だけにすればいい
評価制度と市場原理を持ち込めば屑な教師なんていなくなる

そんな俺の疑問に興味深い示唆を与え...続きを読むてくれたこの本をぜひ読んで欲しい

「なぜ勉強させるのか?」

あなたがもし親になったら一度は立ちはだかるであろうこの問いに答えるためにも

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Posted by ブクログ 2010年08月07日

光文社新書なのに内容が重い、というか堅めな文章。
ただ戦後の教育史とゆとり教育の実態などが事細かに述べられている。
読んだ価値はあった。
満足度7

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

この本が出てから読み終えるまで、そう時間はかかっていない。しかし、ずっとレビュー書くの忘れていた…。でも、今、内容を覚えていない。ということは…再読せねば。

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Posted by ブクログ 2022年09月14日

なぜ勉強しなきゃいけないの?

と子どもに問われたら、私は「なんでだと思う?」と聞き返すことにしている。そして、子どもの答えをニコニコと聞いて、「そうかもね」とだけ言い、自分の答えは教えないことにしている。そして、時々家でも勉強している父の背中を見せることにしている。


著者は、頭脳明晰で、かつ、...続きを読む現場に立ち続けてきたホンモノの教師である。だから、説明がうまいし、説得力がある。けれど、だからこそ、上から目線で、やや断定的である。好みは分かれるところだろうし、「我が子を賢くする方法」などの記事を探しては読み、子を通わせる塾を転々と変えているような方は、絶対に読まない方が良いと思う。

ゆとり教育のせいで学力が低下したわけではないことは、確かにそうだなと納得した。


あとがきの抜粋。
【したがって、勉強するということは、まず私たちひとの生物性を一度否定することと言えましょう。(略)まず先に「私」があって、後からその「私」が知識を身につけていくのではありません。近代的な主体である「私」をつくるために、ひとの本能や自然性に逆らって、知的な身体に変えていくことなのです。】

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Posted by ブクログ 2014年12月18日

学力至上主義に異を唱える。なんのために勉強するのかということに経済観念で考えるのには限界がある。
今、君たちが最も関心のあることの一つかもしれない。でも、そんなこと考える前に勉強するっていうのも一つの手です。長山 靖生『不勉強が身にしみる 学力・思考力・社会力とは何か』(光文社新書2005)は勉強す...続きを読むる意味が見つかるかも。

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Posted by ブクログ 2011年08月11日

中公新書ラクレでの著書に比べれば、興味深く読むことができた。

子どもはそのままでは社会で生きていけない。社会に自分を会わせる必要がある。また、学習して行くには、それへ向かう態度のようなものが必要となる。学校は学力向上にのみ目を向けるのでなく、子どもを社会化し、学習へ向かう態度を身につけさせることに...続きを読むも力を入れなければならない。そのために、強制は行われる。
子どもは、テレビとお金などの力により個として認められているために、学校でも個であり続けよう、教師と対等であろうとするがそれでは教育が行えない。

主張したいことは、変わらないようだし、他者の意見に対する断定と経験に基づく推測は相変わらずだった。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

これまでもやもやしていたことが、少しすっきりしました。

学ぶ態度みたいなものをきちっと付けないと応用力も基礎力も付かない。
→確かにそうですね.

まず人格の形成、それから知識の形成。

子供の個性を見極める。
どの方向にどの程度伸びていけそうなのか見極める。
その上で一人前の社会人としてやってい...続きを読むけるようにしてあげること。
→そうですよね。

何よりもこの近代社会に生きていくことが「私」の幸せ、かつ私の幸せが社会の発展につながる。
他者に役立つことに喜びを感じることを学ぶのが大切。
→そういう人が増えると社会が変わりますね。
世の中に絶対的な価値はない。
そのためにも神は必要。
生かされていると感じて謙虚になるところから学びの姿勢が変わると。

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Posted by ブクログ 2011年08月03日

勉強するのは「得になるから」「勝ち組になるため」という風潮に著者は批判的です。では、何のためなのか?私も、これを機会にじっくり考えてみたいと思います。

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