呉承恩のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ世界観超好き。神も仏も妖怪も入り乱れて、天でも地でも壮大な戦いになる。
山を背負わされたり何万里もぶっ飛んだり、とにかく規模でかすぎる。
悟空は超強くて意外に賢い。尊大で調子に乗りやすいけど、三蔵法師には頭が上がらないの良すぎる。変身して潜む妖怪を悟空だけが見破ってるとき、三蔵法師に叱られたくなくて強く主張できないとこ愛おしすぎた。三蔵法師は何回妖怪に騙されても人を疑うことをしないとこ可愛すぎた。
敵も最初は悪者でも、改心して人に仕えたりすること多くて、こういう善悪で二分しないとこが好き。
500年前の作品なの!?っていうくらいエンタメに満ちてる。現代でもずっとこの手の面白い展開は追随されてる -
Posted by ブクログ
グーテンベルクの活版印刷が発明された15世紀頃に中国の作家、呉承恩が西遊記を出版した。紙の本の文化が始まった瞬間にこんな凄い名作が出来るなんて凄い。
呉承恩(ゴショウオン) 1500-1582中国の明代の作家.字は汝忠,号は射陽といった.江蘇省淮安の出身.少年のころから秀才の誉れは高かったが,文官試験にはなかなか通らず,官吏になったのは, 60歳を過ぎてからであった. 6年ほどで職を退いて郷里に帰り,詩と酒を友にして余生を送ったという.
伊藤貴麿(イトウ・タカマロ) 1893-1967神戸生まれ. 1920年,早稲田大学英文科卒.浜田広介らとともに童心主義作家の時代に活躍した.中国文 -
Posted by ブクログ
西遊記第三巻にして最終巻。
妖怪変化に邪魔されながらも三蔵法師ご一行いよいよ天竺へ。
唐を出て早十四年。三蔵法師三十五歳。
三蔵法師は成仏し…、あ、成仏とは広義では死ぬことを指すが、この場合煩悩を脱して仏となり悟りを啓くことと解釈されたい。彼岸とはその悟りの境地であり、君たちが生きているこの世を此岸(しがん)とし、煩悩を川に例えて、それを渡った向こう岸のことを言うんだよ。(P220)、
…とまあそんなわけで九九(苦苦)八十一の苦難を越えて、三蔵と悟空は仏になり、猪八戒と沙悟浄と白馬(白い竜)の天上および現世での罪も許された。
子供向けの本ではありますが仏教道教の心を分かり易く説明しようと、最 -
Posted by ブクログ
第二巻。
副題「妖怪変化何するものぞ」の通り、妖怪変化が次々出てきて、三蔵法師を攫い、孫悟空が妖怪退治をして…というパターン。
そんな孫悟空の姿はこう表現される。
「顔は猿面、雷公もどき。頭に金の箍(タガ)をはめ、手にした如意棒振り回し、敵は百万ありとても義を見てせざるは勇無きなりと、快刀乱麻の鮮やかさ。天下にその名を轟かす、つわもの、切れもの、がさつもの。ざっとこのようにうかがっております」P142
しかしこの妖怪変化と言うものが天上から落されたり逃げ出したりした童子やら動物やらということが多い。そのため地上の人間や動物や土地神とかが被害被っていて、天上界のみなさんいくら神や仙人だからと言 -
Posted by ブクログ
物語自体はやっぱり面白い!! 決して完璧な存在とは言い難い4人の主人公の姿に何とも言えない愛情のようなものを感じました。 ホンモノの三蔵法師がこの物語に描かれているような軟弱 & 優柔不断 & 世話の焼ける人物だったのかどうかは甚だ疑問だとは思うけれど、逆に言えば現代の世界史の教科書にも名前が載るような偉人が、とっても親しみやすい人物になっているのも魅力だと感じました。
彼らの道中に立ちふさがる妖怪たちは言ってみれば「仏教の教えを知らない野蛮で原始的で動物的」な人間のことだったのかもしれないし、そうであったならば、どんな宗教にありがちな「未開な人たちを感化する」というシナ -
Posted by ブクログ
物語自体はやっぱり面白い!! 決して完璧な存在とは言い難い4人の主人公の姿に何とも言えない愛情のようなものを感じました。 ホンモノの三蔵法師がこの物語に描かれているような軟弱 & 優柔不断 & 世話の焼ける人物だったのかどうかは甚だ疑問だとは思うけれど、逆に言えば現代の世界史の教科書にも名前が載るような偉人が、とっても親しみやすい人物になっているのも魅力だと感じました。
彼らの道中に立ちふさがる妖怪たちは言ってみれば「仏教の教えを知らない野蛮で原始的で動物的」な人間のことだったのかもしれないし、そうであったならば、どんな宗教にありがちな「未開な人たちを感化する」というシナ -
Posted by ブクログ
物語自体はやっぱり面白い!! 決して完璧な存在とは言い難い4人の主人公の姿に何とも言えない愛情のようなものを感じました。 ホンモノの三蔵法師がこの物語に描かれているような軟弱 & 優柔不断 & 世話の焼ける人物だったのかどうかは甚だ疑問だとは思うけれど、逆に言えば現代の世界史の教科書にも名前が載るような偉人が、とっても親しみやすい人物になっているのも魅力だと感じました。
彼らの道中に立ちふさがる妖怪たちは言ってみれば「仏教の教えを知らない野蛮で原始的で動物的」な人間のことだったのかもしれないし、そうであったならば、どんな宗教にありがちな「未開な人たちを感化する」というシナ -
Posted by ブクログ
ネタバレ道は遠しといえども、ついにはゆきつく日があります。
昔から『たとえ泰山は運べても、凡夫は浮かばせがたい』といってるじゃないか。師父はどうきても、他国を艱難辛苦して経めぐらなかければならないのだ。われわれの役目は、ただとちゅうを保護してさしあげるだけだ。もしも師父のかわりになって、われわれが西天へとんでいったって、如来さまは経をさずけてくださりはしない。というのは、つまり『たやすく得たものは、とかくなおざりにしやすい』というわけだからね。
「道をいそいでるときに、どうしてからだなどを洗うのだ。」
「おれは水簾洞へ帰ってきてから、だいぶ日もたったので、からだに妖気が立ちこめている。師父らきれい -
Posted by ブクログ
ネタバレ石から生まれたサルが修行を積み、孫悟空と名前をもらったものの、天界で大暴れ。長い間、山の下敷きにされていたが、西天(さいてん)へお経を取りに行く三蔵法師のお供をする事に。旅の途中で出会った仲間と不気味な妖怪達に立ち向かう…。
『西遊記』を読むより先に『ドラゴンボール』の存在を知ってしまったため、まるで『ドラゴンボール』のストーリー(特に初期の頃)を読んでいるような感じがしました。悟空と牛魔王は確かに登場したし、筋斗雲や如意棒や芭蕉扇が存在したし…。『ドラゴンボール』は初期の頃は面白かったのですが、急に面白くなくなってきたような気がして…。いつの間にかドラゴンボールというアイテム自体の存在がなく