大塚初重のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
経験者の言葉ほど重いものはない。
私はどこの地に立っても、足元の土を感じながら、あの頃何があったのか、どれだけの人が命を落としたか、どんなに無念だったか、考えずにいられない。
その命と犠牲の柱の上に私たちは生きてるわけでしょ。
ならば、やっぱり今の時代をガンガン切り開いてアドレナリン出しながら生きていこうと思うんだよね。
P5 絶望におちるのではなく、希望にすがるのでもなく、微笑みながら夜をいく人、というのが私の感じたことだった。
P39 東京大空襲:日本人の、敵を恨むという感情をわりあい早く消し去る国民性というものは古代からあるんでしょうか。
P57 極寒のシベリアで夜中、虱が隣で寝ている人から自分のほうにうつってくることが嬉しかったというんです。
P66 無言でたちあがっていく。そういう女性が3人、4人とソ連兵にジープに乗せられていく。そして朝、ボロ雑巾のようになって帰ってくる。(中略)同じ女性でありながら、近づいたらだめよ、そういう人は性病をもっているから、と子供にいう。
P104 大英博物館のように、世界中の植民地から持ってきたものを堂々と陳列しているのをみると、いったいどういう制震構造をしているのかと思いますね。
P111 北朝鮮に残留孤児が何千人いると思います?
P162 人はすべて、この世という地獄に生まれてくるのではないか。その地獄のなかで、時として思いがけない歓びや友情、見知らない人との善意や奇跡のような愛にであることがありますよね。
P229 仏教では、人身受けがたし、という表現をする。人間として生まれるということは、稀有なラッキーなことであって、修羅・餓鬼道・畜生などといっぱいある世の中で、蚊にも生まれず、蠅にもうまれず、人としてこの世に生まれたということは、もうほんとに信じられないくらい奇跡で幸運なことである。だからその幸運な命を大切に、と言われているわけですね。
P232 かつて奈良時代に流行した言葉が、和魂漢才でした。
P239 ある時期は耐えること、涙をこぼしながらも耐えることが必要だなぁ、と思います。
P249 生きていくということは大変なことで、心が萎えてしまって生きる気力がなくなるときもある。(中略)引き上げてきた自分が無事に内地に戻ってこられた過程には、ずいぶんたくさんの人たちを押しやって、足で蹴飛ばしてきた、だからこの命はそういう人たちをのぶんまで生きてあげなきゃいけないんだ
P250 本当に明るく生きるためには、暗さを直進する勇気をもたなければいけない、ほんとうのよろこびというものを知る人間は、深く悲しむことを知っている人間なのではないかと思う。
P255 ちゃんとした死に方なんていうものなんてない。ちゃんとした生き方があるだけなんで。
P256 悲というのは、そばにいるだけで、何も言わない。黙って相手の手の上に手をのせえt、相手の顔を見つめている。
P279 自分のなかには、命というものは自分だけのものではなくて、帰ってこれなかった人たちから預かった命だという、そういう意識があった。 -
Posted by ブクログ
本書は、邪馬台国についての現在最新の知見を紹介したものとして実に興味深い良書であると思った。
日本の弥生時代や古墳時代の年代が「放射性炭素年代測定法」や「年輪年代測定法」により大幅に時代がさかのぼっていると判明してきているとは聞いていたが、それにより邪馬台国がどこにあったのかについての本書の考察は面白かった。
「箸墓」の周壕土器の年代が西暦240年~260年となると卑弥呼の死去の年代にあう。では箸墓は卑弥呼の墓なのだろうか。その本書の考古学的検証は興味深い。
本書では、「魏志倭人伝」などの中国の文書資料や、当時の東アジア情勢、そして「鉄と鏡の考古学」や「土器と墓」等を関連付けて、専門的かつ詳細な考察を展開しているが、どれも説得力がある。
特に年代がわかってきている土器について「土器だけが歩いてくるわけはない」とはまさにその通り、人と共に土器は移動したのだろうと思えた。
では、箸墓の纒向遺跡は邪馬台国なのだろうか。本書は、その可能性の高さと共に、否定的な発見もとり上げている。纒向遺跡では「木製の輪鐙」も出土しているが、「魏志倭人伝には邪馬台国では牛馬はいない」との記載があるというのだ。
最終的な本書の結論として、「今の考古学的資料はからは奈良県桜井市箸墓古墳が卑弥呼の墓と断定できる状況にはないと言わざるを得ない」との結論は面白かった。最新の知見でも、いまだ邪馬台国の所在地は謎なのだ。だから古代史は面白い。