ラディゲのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
でぇえ…本当に20歳(執筆している間は10代)でこれを書いたの、すごいな……自分が20歳の頃なんて思い出したくもないから比較はしたくない(できない)が…「早熟」なんて言葉では括れない才能な気がする…
解説も読みごたえあって面白かった、何となくコクトーと仲良かったみたいなイメージしかなかったからもう少し詳しく知れて良かったな(コクトーが手直ししてるとこ想像してしまいました…)
言い回し好きすぎる、どうしてそんな比喩引っ張ってこれるの?終わりかたも好きだなぁ、まさに舞踏会が終わってしまう感じ。
でもやっぱり『肉体の悪魔』より、文体がより洗練されてキレキレになってた感じがした(ちゃんと文体につい -
Posted by ブクログ
解説に邦訳に悩むエピソードがあり、もう1つの候補の方が確かに意味合いは近い気がしたが、これは正解。数多の本の中で目を引く強い単語。組み合わせ。
そして本編とはギャップがあって、精神の魔王とでも言おうか。肉体の悪魔にそれが輪をかけていて、さらに強力な大魔王に仕上がっている。
硬く攻撃的で冷たい。恋を凝縮して無機質めいたものにした筆致は、その淡さ弱さは見せず洗練され、もはや爽快である。
若者の恋であるが、大人も愛に至るまでに類似の葛藤や愚かさに弄ばれることが大いにある。
人間の欲望は、高次なものと本能的なものが混在してできているのが面白い。 -
Posted by ブクログ
この小説において"誤解"は重要なキーワードになるのではないかと思った。
他者への誤解、または自分自身の心の誤解。
語り手の焦点が定まっていないため、全登場人物の内面を覗き見ることができるが、皆なんらかの誤解をしながら物語が進んでいく。
一方で、自分自身の心を素直に読み取れている人物もいる。しかし、それは貞淑な人妻への恋心…。
純粋無垢な恋心は決して成就することはない。成就したところで、それは邪な関係性となり、信頼している人物を裏切ることになる。それは誰も望まないこと。
登場人物の素直な恋心と自分の気持ちを誤解して受け取ってしまった恋心、それぞれ揺れ動く内面の描写がなんとも激 -
Posted by ブクログ
青い麦と違い、あまりにも自堕落なストーリー。こちらは16歳の少年と19歳の人妻の物語だけど、なかなか16歳少年が狂っている。まさにフランス文学!あまりにも面白くいつもや読まない巻末の解説を読んでしまった。
少年だけではなく、周りの家族もおかしくそんな馬鹿な!って思ったが、この物語、ほぼほぼラディゲの体験談そのものと知り二度びっくり。
人妻との禁断の恋というのは何もフランス文学だけでなく、日本でも甘美な色物としてよくある話なんだけども、主人公のへその曲がった性格がこの物語の主軸となり関係するすべての人間関係を狂った方向へ導いてしまった。エンタメ要素は少ないながら結末をワクワクしながら読めた。やっ -
Posted by ブクログ
引用。
僕はマルトにキスをした自分の大胆さに呆然としていたが、本当は、僕が彼女に顔を寄せたとき、僕の頭を抱いて唇にひき寄せたのはマルトのほうだった。彼女の両手が僕の首に絡みついていた。遭難者の手だってこれほど激しく絡みつくことはないだろう。彼女は僕に救助してもらいたいのか、それとも一緒に溺れてほしいのか、僕には分からなかった。
平静に死を直視できるのは、ひとりで死と向かいあったときだけだ。二人で死ぬことはもはや死ではない。疑り深い人だってそう思うだろう。悲しいのは、命に別れを告げることではない。命に意味をあたえてくれるものと別れることだ。愛こそが命なら、一緒に生きることと一緒に死ぬことの -
Posted by ブクログ
【本の内容】
第一次大戦下のフランス。
パリの学校に通う15歳の「僕」は、ある日、19歳の美しい人妻マルトと出会う。
二人は年齢の差を超えて愛し合い、マルトの新居でともに過ごすようになる。
やがてマルトの妊娠が判明したことから、二人の愛は破滅に向かって進んでいく…。
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[ POP ]
作家が若いときでないと書けない物語があるように、読者もまた若いときでないと感じ得ない衝撃があると僕は思う。
そういった意味で、『肉体の悪魔』は10代の頃に読んでいたらもっとぶっ飛んでいただろうなと悔やまれる一冊だ。
これでもかというほど一人称で書かれていて、景色はあまり意味をなさない。