本間龍のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
原発プロパガンダ (岩波新書)
本間 龍
先日小泉純一郎元首相の講演会を聞きに行ったのですが、内容の8割くらいが反原発の話でした。その時思ったのは、原子力を営む会社でありながら、自分は原子力に対してスタンスを明らかにできるほど詳しく知らないということでした。
自分の不勉強さを恥じて読み始めた本の一つがこの本です。どうしても原発を生業としてきた東芝としては、原発推進の立場、ポジショントークになってしまいます。一旦批判的な人たちの声も含めてフラットに考えたいなと思っています。
この本の主張は、「安全かどうかわからない原発に対し、安全神話を構築し総括原価方式を使って集めた莫大な原資で大量の広告を撒いてきた。私たち受け手はその広告にどんなバイアスが掛かっているか理解しながら情報を咀嚼するリテラシー力が必要だ」と理解しました。
著者のプロパガンダに関する主張は正しいと思います。それは危険か安全かわからないまま、安全だとして煽動してきたというところまで。本来的に原発が安全なのか危険なのかという議論は避けて危険なモノを安全と言ってきた、という主張に見えるのが残念ではあります。
知らず知らずのうちに安全神話が刷り込まれてきたところがあるなと改めて思いました。
◯プロパガンダとは
・政治的思惑を伴った広報活動、世界各国で手を替え品を替え用いられてきた。
◯原子力プロパガンダ
・日本では電通と博報堂が技術を磨き担ってきた。
・1950年代に原発を国策と定めてから、国民の多数の合意という世論の形成を目指した。
◯なぜプロパガンダを必要としたか?
・度々の事故と地震国という事実が安全神話を必要とした。
・年間二百億もの電力会社の巨額の広告費(朝日新聞調べ)
・原発の事故や不祥事の旅に増額して来た。巨額ゆえメディアは原発批判ができなくなる。
◯資金、関係者
・原資は総括原価方式による資金
・自民党、経産省、電力会社…関係者は膨大だが、司令塔は不在で責任の所在も曖昧。
・民法の立ち上げを開脚時からそれぞれ支援したのが電通で、スポンサー窓口はほぼ独占状態。
・70年代、原発反対運動をどう抑え込むかを東電と電通が組んで考えていたのとを買いた原子力戦争、執筆した田原氏を圧力をかけて退社に追い込んだ。
・補助金は町を潤すが、切れると深刻な財政難に陥る。
◯福島の事故後
・事故をきっかけにPA(public acceptance)方策の考え方を制定、従来の安全押しから、危険なものを安全に扱ってると論調を変更。
・福島事故によりプロパガンダ停止、関係各社は一切に過去の広告を削除。自分の言説に責任も誇りもなかったことが明らかになった。
・事故から2,3年経ち、また広告が復活している。 -
Posted by ブクログ
原発安全神話を作り上げた原発広告をプロパガンダの一種と見做し、その歴史と構造を探った書。
1991年に作成された「原子力PA方策の考え方」は原発広告の舞台裏が垣間見えて興味深いし(p.48-64)、「私も脱原発だ」と公言して都知事選に立候補した舛添要一氏が過去にちゃっかり原発推進派のシンポジウムで基調講演を務めていた模様が収録されている点も見逃せない(p.244)。
ただ、広告の分析は表層的で決して鋭いものではないし、事実なのか著者の臆断なのかよく分からない表現が散見されるのもいただけない。したがって、本書の価値は歴代の原発広告を多数掲載した資料性の高さにあると言って良いのだが、縮小された広告の文字が小さすぎてほとんど解読できないのは致命的。
目の付け所は面白いと思ったのだが…。素材が良くても作りが雑なのは何とも残念。 -
Posted by ブクログ
巨大広告主たる電気事業連合会と電力各社が、電通、博報堂の大手広告代理店を通じて、どのようにメディアを支配し、マスメディアで自分たちに都合がよい情報だけを流し、不都合な情報を流さないようにコントロールしているかという仕組みを解説した書籍。
広告関係の仕事をしたことがない方にとってもふーんと読めると思います。
本書の指摘で再度思ったのは、電通、博報堂がメディア広告業界を独占しているのにもかかわらず、独占禁止法上の問題がまったく指摘されていないこと。これが、日本の言論界(マスメディア)と政治権力をどれだけ支配しているかということの指標になるだろう。 -
Posted by ブクログ
タイトルで電通悪みたいに見えてしまうけど、本当に叩かれるべきは電力会社のメディアへのプレッシャーだろう、と思う。
この本は電通、というかテレビの広告枠を買う広告会社はどのような仕事なのか、という紹介本として読むと面白い。
逆にメディア側の立場になったとき、メディアが広告費をもらうことで起こりうること、営業はどこまでクライアントファーストにして編集に意見を通すのか、そういった事を考えると面白い視点が生まれる。
あと、デンパクがそれぞれcciとDACを立ち上げた、というくだりがCAとDACを立ち上げた、というとんでもない誤記になっていてビックリした。 -
Posted by ブクログ
中国で起きた大規模な反日運動がその翌日に急速に収束するのに役立ったのは政府が国民の大半に向けて送ったショートメールだったという。国民の大半にメールを送れること自体も驚きだが、ITが支配に利用される現実を見せつけられた気がする。言論統制の最終段階の一端を垣間見た。
さて、わが国には言論の統制は存在しないのだろうか。一般に報道の自由という言葉は普及しているがその実態はどうなのだろうか。その答えの一つを本書は示してくれる。
東日本大震災に至るまで、原発はクリーンエネルギーとして好意的に報道されてきた。新聞各社は電力会社やその関連団体の出す全面広告をしばしば掲載し、特に地球温暖化問題が周知されて以降は二酸化炭素を排出しないことに力点をおいた報道に傾いた。もちろん私のスクラップには震災以前に書かれた核燃料リサイクルの矛盾点を述べた記事も切り取られているが、それが大きな話題にはならなかった。
原発の老朽化や津波対策の遅れなどについて気づいた記者もいたはずだ。それが報道されなかったのはもしかしたら莫大な広告費を払い続けてきた電力会社と、その「代理」としてはたらく広告代理店の圧力であったかもしれない。本書はそう訴えるのだ。日本の広告代理店は電通と博報堂という双璧によってほぼ寡占状態にあり、この2社がメディアの収入の大半を占める広告収入の趨勢を決定している。特に大手クライアントは莫大な広告費を長期にわたって安定的に出資しつづけてくれるので、メディアはこれを失いたくないのである。
結果としてクライアントの不利になる情報を発信することはできないし、しても控えめになる。これは立派な言論統制ではないか。資本主義の中にあるメディア支配は一般人には極めて分かりにくく進んでいることに気づかせてくれる一書であった。
告発だけが本書の目的ではないようだ。広告代理店はあくまでもクライアントの代理として、よい仕事も汚い手段も行う。いわゆる実行部隊なのである。高収入でしられる代理店の社員も最近はメディアの多様化や、テレビの視聴率の低下や分散化のため、あるいはインタラクティブなネット広告の出現のために窮地に立たされているという。そうした業界としての実情の一端を紹介している点でも興味深いものであった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレツイッターにしろブログ界隈にしろ、兎に角世界は常に何者かのあくどい陰謀によって支配され、陰謀者は美味しい思いをして、我々貧乏人は徹底的に搾取される、そんな話が絶える日は無い。
ある一面に於いてそれは確かにその通りではある。弱肉強食の現実は間違いなく存在し、そこには所謂勝ち組と負け組がいる。そして勝ち組は益々勝ち、負け組はどんどん負けるという残酷な現実も存在はする。
しかし、もう一つの側面から現実社会にアプローチすると、また違った面も見えてくる。それはどんな光景か?自らに課せられた義務を果たすため、世界が滅ぼうが人が死のうが、兎に角自身のミッション達成のためにがむしゃらに突き進んでいる人たちがひしめき合う社会だ。
今回、反・脱原発界隈でちょっとだけ話題になっていた本を読んでみた。本間龍さんの『電通と原発報道 巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ』という本なのだが、タイトルだけ見ると「おや、また全ては電通の陰謀であるって、その手の本?」と思ってしまうのだが、さに非ず。
実は著者は元・博報堂の営業マン。「昔の商売敵で本を書いたのかよ!w」などと思いつつまえがきを読み、本文をどどどと読んでみたのだが、実はこの本、ある種の広告業界本だった。いや、むしろ業界のあり方の概要を割と丁寧に説明しながら、そのあり方にこそネット上などのメディア陰謀論に繋がるようなある種の業界内/間のもたれかかり合いがあるのだということを示していた。
俺のように広告業などに関して余り知識が無い人間にとってはそもそも広告代理店とはどんな仕事をしている会社なのか、から知ることが出来る入門本にすらなり得る。逆に言えば、その業界について詳しい人が読んでも余り面白くない本なのかも知れない。ましてや、強烈な反・脱原発的業界内告発を期待する向きには全くと言って良いほど向いていない本でもある。
しかし、個人的にはこの本、読後に妙な納得感を味わった本だ。
そう、大抵の現実は実に散文的な実態なのだ。どこかに強烈な悪意を持った大ボスが居るわけではなく、ましてや完全無欠の正義のヒーローが居るわけでもない。
この本で描かれる電通・博報堂(デンパク)の人々は、兎に角クライアントの利益を上げる、守る為にありとあらゆる方策を用いる。挙げ句、同じ社内でも部署が違えば半ば敵同士だったり取引相手だったりと、間を取り持つ担当者は東奔西走。ある意味でそこらの忙しい商社マンや経営者などと大して変わらないのだ。
あとがきの一節を引用したい。
” しかしあえていうなら、原発という悪魔の商品販売を目標に狂奔した東電はじめ原発推進団体に比べれば、デンパクに明確な自己の意思などありません。なぜなら広告代理店には売るべき製品があるわけではなく、彼のレーゾンデートルは「得意先の課題解決を通じてその対価をもらう代理人」であるからです。”
では意思を持たないから罪は無いのか?と問われれば決してそんなことはないのだが、それと広告代理店陰謀主体論が正しいかは全く別の話になる。まさにこれは、「戦争における兵士の責任」に近いと言えるかも知れないが、それはまた別の話で。
そしてこの構造は別に広告代理店に限らず、他ならぬ東電や推進団体、政府、立法府、司法府、他の団体、そして個人にも同様に言えるのではないかとすら思う。
つまり、「自分たちしか見えていない」。
自分たちしか見えていないから自分たちが果たすべき役目、使命をひたすらこなそうとする。そしてそれが目的化する。一種の官僚主義である。そして責任を徹底的に細分化することにより、全体に於いて誰も責任が取れないままの状態へと突き進んでいく。まさに現代の、我が国。緩やかな無間地獄。首謀者無き陰謀が進行していると言うわけだ。
俺は一々陰謀論、または「真実」を信じている人たちをとやかく言うつもりは無い。もしかしたら俺が信じている何かだって、それに類するものなのかも知れないし、それが客観化出来ていない中で他人にどうこう言うというのも非常に気が引ける。
しかし、時に全体を、あるいはある問題を俯瞰する時に、実は全体がそれぞれに「ピタゴラ装置」(ルーブ・ゴールドバーグ・マシン)になっていて、それらの装置同士が思わぬ反応動作をし合っているだけだったという視点も持てた時、案外どの辺に問題の本質が隠れているのかが妙に見えてくる瞬間もある。そこで動き回る人間の姿は悲哀に満ち、自分もその中の一つの装置なのかと思うときの妙な無常感は何とも言えない。
そして何より、そんな馬鹿馬鹿しくもどうにもならない仕組みのせいで、多くの人々が不幸になったり命を失っているという現実こそが最も悲しい現実だ。