落合淳思のレビュー一覧
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今から3000年以上昔に実在した「殷」王朝。その実態は、当時の文字資料が少なく、また後世の創作的な歴史書のために分かりづらくなっていました。それを数少ない文字資料である甲骨占卜の古代資料から、出来るだけ公平に導き出されています。読んでいて分かるのですが、その論理の導き方、整理の仕方などは、非常に地道で粘り強い根気の必要なものだと思います。その根気を読んで追いかけることで、「殷」という王朝の真実に対して大分迫ることができました。
古代は、確かに現代とは違った文化がありますが、その現実的な部分は今に通じるものであり、古代人の思考なども理解できますし、現代でも似たような事象があることは、著者も最後に少し触られています。
これを契機に、歴史の人々に親近感を持つことができたことも、本書を読んでよかったと思わせていただいた点です。 -
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序章は漢字の歴史、第一章は部首の歴史。
自分の勉強のために、少しその内容をまとめてみる。
殷代の甲骨文字から説き起こされる。
その後成立した周王朝は殷の字を継承する。
そのころの字は青銅器に刻まれた銘文である金文から知ることができる。
加工が大変な青銅器に刻むから形が簡略化するかというとそうではなく、むしろ複雑化する傾向があるというのは面白い。
高価な素材だからだろうか?
周では象形性が薄まり、既存の字の組み合わせの方法が用いられ、理論化が進む。
春秋戦国時代になると、官僚制が発達し、法律の整備も進む。
字を日常的に読み書きする層が厚くなったため、象形性はさらに薄れ、字形の簡略化が進む。
この時期の資料としては金文の他、竹の札・木の板に文字を書いた簡牘文字がある。
江南地方の湿地帯で、酸素の少ない水につかっていたため残っていたのだという。
周代には字体の統一を行い、小篆が生まれる。
秦で使っていた金文を基礎とした文字で、曲線が多いのが特徴とのこと。
ただ、この統一字体が使われたのは正式な文書と碑文の字形で、手書き文字は簡牘文字が使われたという。
前漢の状況は大きく変わらない。
後漢では製紙技術の改良により、太い筆で質の良い紙に書くことができるようになり、より美しい筆法を追求した「八分(はつぶん)隷書」が生まれる。
隷書はそれまでも手書き文字として多く通用していた。
後漢のこの書法は、しかし篆書と隷書の両方を継承しているとのこと。
八分隷書は、中世に成立する楷書の源流の一つとなる。
漢字研究は後漢の許慎による「説文解字」が嚆矢となる。
王義之の時代には異体字が多用される状況だが、隋唐時代に科挙が始まったことで「正字」を定める必要が生まれ、「干禄字書」などの字書が作られる。
最も大規模な字典は清代の「康煕字典」だが、大規模なことがあだとなり、字形の誤りや部首分類の錯誤があるとのこと。
さて、本書ではあらあらこのような漢字の歴史が語られ、するりと書法のことも入っていた。
そこで気になるのは、行書・草書の話がないこと。
本書は部首の話がメインになるので省略されたのか?
行書や草書は部首の成立、変遷に影響はないという理解でよいのだろうか?
第一章では部首の歴史。
約九割を占める形成文字。
これを分類するのだから、大変だ。
実際自分が読み書きする中でも、「間」は門構えで、「聞」は耳など、部首はよくわからないことが多い。
これは部首の定義や解釈が時代ごとに変わったためだとのこと。
形成文字は意符と声符を組み合わせた構成だが、「洗」であれば、液体に関わる「セン」という行為を表すものと説明されている。
この説明の仕方に、自分的にはああ、と腹落ち感があった。
この例でいえば、「先」は音が同じ当て字だと考えておけばいい―というのは、言い過ぎだろうか?
例外的なものが多いのも形成文字。
意符の形も、役割も歴史的に変化する。
意符が二つあったりするものもある。
「雲」のように、意味は変わらないのに、象形文字であった本来の字形(「初文」、ここでは「云」)に、「雨」をつけてしまった(「繁文」)ものもある。
部首は、その異体字から同じ意味を表すのに別の形を取るものが生まれ(分化し)たり、別の意味が同じ形になって(同化し)たりすることもある。
「雲」の「云」のように、意符と声符を兼ねているものを「亦声」という現象もある。
「省声」という現象は、声符が略体になる。
「雪」のもともとの声符は「彗」だが、それが「ヨ」になるようなことだそうだ。
転用法と言えば、六書の転注と仮借。
本書で知ったのは、それに加えて似た形の字を転用する「借形」という方法もあるということだ。
ちなみに、「借形」はこの本での呼称。
仮借は発音を利用した当て字。
転注は意味を利用した当て字。
そして仮形は字形を利用した当て字ということである。
仮借の例。
「六」は殷代には屋根の形を強調した家屋の意味だったのだが、数字の6と発音が似ていたので、数を表す意味に転用される。
転注の例。
染色した糸を表す「幺」が、黒の意味に転用された(後に黒の意味の方は、上部を強調表示した「玄」という字に分化していく)。
そして仮形の例。
「夲」(トウ)を、字形の近い「もと=本」の意味に用いるというようなこと。
六書はかなりよくできた分類方法だけれど、それでもまだ当てはまらないものがあるということだったのだが、まだ他にもあるのだろうか。
沼が深すぎる。
許慎は「説文解字」で、篆書をもとに「字素(意味を持つ文字としてそれ以上分けられないもの)」と「意符」を基準にして540もの部首を立てた。
部首の採択基準は明確だったものの、配列方法は混迷し、検索の利便性がないことになったとのことだ。
後代の学者たちが整理し、例えば「康煕字典」などでは214にまとまったが、それ以降もさまざまな形で工夫が続いているのだとか。
さて、その後2章以降は各論ということになる。
金文、篆書、隷書、楷書に至る形の変化も大きくチャート化されているので、変化が追いやすい。
「鯖」は古代中国では淡水生の青魚を指していたということなど、個々の字の由来を通し、古代の社会が垣間見えることもあり、たしかに面白い。
(が、全部を同じ集中力と熱量で読んでいけるかというと、そこは自分には難しかった。) -
ネタバレ 購入済み
説得力に欠ける点も
史記に書かれてる逸話を次々否定していく
管仲は鮑叔は実在を示す発掘資料はないという指摘は新鮮だった
一方説得力もない記述も
始皇帝が不老不死を求めて水銀を飲んだと言う話も否定してたが
始皇帝が信望する法家では不老不死を認めないからと言う論法だったが
一生物の本能として死にたくないと思うのも不思議ではない気もする
事実不老不死の薬を探せと言われたけどそんなのないと困惑している役人のメモ書き見たいな文献も発掘されてるし
始皇帝陵からも調査で周辺の土は水銀濃度が高いことも確認されている(これは別に水銀飲んだ証拠にはならないが)
史記に書いてるから、歴史書に書いてるから本当だと言う根拠はないと言いたいんだろうが
間違ってると言う根拠もまたない
この本は~~だからこの説話は嘘という記述が多いが
嘘だと言う根拠や説得力が弱いきもした -
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最新の甲骨文字資料による研究の成果をふんだんに盛り込み、中国最古の王朝とされる殷王朝について、王の系譜、支配体制、祭祀、軍事、歴史的位置などの全体像を描いている。ただ、著者は、『史記』等による文献史学には批判的なスタンスを貫いており、「酒池肉林」のような説話は後世の創作に過ぎないと切り捨て、あまり文献史学の成果は取り入れていない。
本書を読んで、甲骨文字資料であっても、現在の漢字、漢文と基本的に変わらずに読解できることに、まず驚いた。また、龍や十干など、現代にまで続く中国文化の原形が殷王朝の頃に少なからず存在していたことにも感慨を持った。
当時は占いや祭祀による政治が行われていたが、当時の占いが骨の加工によってあらかじめ操作されていたという著者の研究成果は非常に興味深かった。祭祀による政治は現代から見れば非合理だが、当時においては、王の行為を正当化し、王の権威を確立するという一定の合理性を持っていたのである。人間社会の制度や構造は、一見すると非合理的であっても、長期間にわたって存続したものには、何らかの合理性が含まれていることが多いのであるという著者の指摘には説得力がある。そして、分権的な支配体制のもとでの合理性によって経営してきた殷王朝が、新しい状況に対処するため急速に集権化に向かったことで、「合理性の衝突」が起き、殷王朝は滅びたのだという。なかなか含蓄のある分析だと思った。
本書は、歴史学研究の醍醐味をよく感じることができる一冊だと感じた。 -
Posted by ブクログ
殷王朝というと封神演義の影響で宗教的権威と軍事力で広大な地域を支配していたイメージがあったので、そうしたイメージが覆されていくのが面白かった。
新書だけど、資料が多めに掲載されてるので、また読み返すのもいいかもしれない。
1 殷王朝の支配体制
(1) 間接統治
王が直接支配できた範囲は都の付近のみで、都の遠方の地域にあっては地方領主が支配していた。
そのため、殷の支配地には数百万人が生活していたものの、王が動員できたのは3,000人から5,000人程度だった。
王は直接支配していた地域で定期的に軍事訓練と視察を兼ねた狩猟を行うことで、自身の権力を誇示した。
(2) 祭祀儀礼の政治利用
こうした体制を支えたのは王のカリスマ性だった。王は自然神と祖先神への祭祀儀礼を司ることで自身の宗教的権威を確立し、支配を保持した。
占卜に使った甲骨の裏には「鑿」と呼ばれる窪みが彫られ、占いの結果がコントロールされた。殷の政治は、神意に従って政治を行うという意味での「神権政治」と異なり、自己の政策を正当化するために神意が利用された。
2 「合理性の衝突」
殷の支配体制は、反乱を契機に集権化に向かった。
しかし、集権化は既得権益の喪失を怖れた地方領主の反発を招き、反乱を誘発した。
殷の支配は、信仰に支えられた間接統治という旧来の合理性と、反乱に備えた集権化という新しい合理性の「衝突」によって崩壊していった。 -
Posted by ブクログ
面白かった、けど論理が飛躍してるように思えてならなかった…著者は他にも色々な資料を手元に置いて分析してるんだろうけど、もうちょっとページ増やして説明して欲しいという所が結構あった。
・歴史は勝者が作る。都合のいいように作る。
・「三国志」は歴史的価値があるけど、「三国志演義」は小説なので歴史資料としてはそんなに信憑性がない。面白さ重視。
・イメージアップのために、豪族とのコネで出世した人も、貧乏という設定にされている場合があった。
・始皇帝以前にほぼ秦の中国統一は確立されていた。
・「孫子」という書物が先にあって、孫子という人物が作られた可能性が高い。
・「酒池肉林」などの言葉を生んだ、中国古代の故事には矛盾があり、実在は疑わしい。