あらすじ
殷王朝は中国史最古の王朝である。紀元前一七世紀頃から紀元前一〇四六年まで、約六〇〇年続いたとされる。酒池肉林に耽る紂王の伝説が知られているが、この王朝にまつわる多くの逸話は、史記のような後世に編まれた史書の創作である。殷王朝の実像を知るには、同時代資料である甲骨文字を読み解かねばならない。本書は、膨大な数の甲骨文字から、殷王朝の軍事から祭祀、王の系譜、支配体制を再現する。
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存在する中国最古の王朝とされている殷王朝について,甲骨文字の資料よりその歴史を考察する本。どこまでが史実でどこからが後世の創作なのかが難しい分野。
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今から3000年以上昔に実在した「殷」王朝。その実態は、当時の文字資料が少なく、また後世の創作的な歴史書のために分かりづらくなっていました。それを数少ない文字資料である甲骨占卜の古代資料から、出来るだけ公平に導き出されています。読んでいて分かるのですが、その論理の導き方、整理の仕方などは、非常に地道で粘り強い根気の必要なものだと思います。その根気を読んで追いかけることで、「殷」という王朝の真実に対して大分迫ることができました。
古代は、確かに現代とは違った文化がありますが、その現実的な部分は今に通じるものであり、古代人の思考なども理解できますし、現代でも似たような事象があることは、著者も最後に少し触られています。
これを契機に、歴史の人々に親近感を持つことができたことも、本書を読んでよかったと思わせていただいた点です。
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殷と言えば、封神演義、紂王と妲己、酒池肉林...くらいしか思い浮かばなかったのだけど。史実であろう部分と、後代に改変された歴史...。甲骨文字の解読から、ここまで分かるんだなぁ。
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新しく出土した甲骨文字や金文から当時の出来事や社会について解釈してあります。後世にいかに物語が作り替えられたか?も想像でしかありませんが味わいは尽きません。
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史記等の後代編纂物の記述からは距離を置き、同時代資料である甲骨文字を中心に殷代の歴史を復元する内容。正直なところ甲骨文字については拓本の例示を見てもよく分からないが、再現される著名な文献史料と異なる世界が刺激的で面白い。
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最新の甲骨文字資料による研究の成果をふんだんに盛り込み、中国最古の王朝とされる殷王朝について、王の系譜、支配体制、祭祀、軍事、歴史的位置などの全体像を描いている。ただ、著者は、『史記』等による文献史学には批判的なスタンスを貫いており、「酒池肉林」のような説話は後世の創作に過ぎないと切り捨て、あまり文献史学の成果は取り入れていない。
本書を読んで、甲骨文字資料であっても、現在の漢字、漢文と基本的に変わらずに読解できることに、まず驚いた。また、龍や十干など、現代にまで続く中国文化の原形が殷王朝の頃に少なからず存在していたことにも感慨を持った。
当時は占いや祭祀による政治が行われていたが、当時の占いが骨の加工によってあらかじめ操作されていたという著者の研究成果は非常に興味深かった。祭祀による政治は現代から見れば非合理だが、当時においては、王の行為を正当化し、王の権威を確立するという一定の合理性を持っていたのである。人間社会の制度や構造は、一見すると非合理的であっても、長期間にわたって存続したものには、何らかの合理性が含まれていることが多いのであるという著者の指摘には説得力がある。そして、分権的な支配体制のもとでの合理性によって経営してきた殷王朝が、新しい状況に対処するため急速に集権化に向かったことで、「合理性の衝突」が起き、殷王朝は滅びたのだという。なかなか含蓄のある分析だと思った。
本書は、歴史学研究の醍醐味をよく感じることができる一冊だと感じた。
Posted by ブクログ
殷王朝というと封神演義の影響で宗教的権威と軍事力で広大な地域を支配していたイメージがあったので、そうしたイメージが覆されていくのが面白かった。
新書だけど、資料が多めに掲載されてるので、また読み返すのもいいかもしれない。
1 殷王朝の支配体制
(1) 間接統治
王が直接支配できた範囲は都の付近のみで、都の遠方の地域にあっては地方領主が支配していた。
そのため、殷の支配地には数百万人が生活していたものの、王が動員できたのは3,000人から5,000人程度だった。
王は直接支配していた地域で定期的に軍事訓練と視察を兼ねた狩猟を行うことで、自身の権力を誇示した。
(2) 祭祀儀礼の政治利用
こうした体制を支えたのは王のカリスマ性だった。王は自然神と祖先神への祭祀儀礼を司ることで自身の宗教的権威を確立し、支配を保持した。
占卜に使った甲骨の裏には「鑿」と呼ばれる窪みが彫られ、占いの結果がコントロールされた。殷の政治は、神意に従って政治を行うという意味での「神権政治」と異なり、自己の政策を正当化するために神意が利用された。
2 「合理性の衝突」
殷の支配体制は、反乱を契機に集権化に向かった。
しかし、集権化は既得権益の喪失を怖れた地方領主の反発を招き、反乱を誘発した。
殷の支配は、信仰に支えられた間接統治という旧来の合理性と、反乱に備えた集権化という新しい合理性の「衝突」によって崩壊していった。
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殷王朝は、今から三〇〇〇年以上も前に中国に実 在した王朝である。酒池肉林に耽る紂王の伝説な ど、多くの逸話が残されているが、これらは『史 記』をはじめとする後世の史書の創作である。い まだ謎き殷王朝の実像を知るには、同時代資料で ある甲骨文字を読み解かねばならない。本書は、 膨大な数にのぼる甲骨文字から、殷王朝の軍事や 祭祀、王の系譜、支配体制と統治の手法などを再 現し、解明したものである。
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学校で習いはするが,「殷」は謎である.その殷について現在わかっている範囲で詳しく解説してくれる.
そもそも,我々が知識として持っている殷についての情報は,それ以降の王朝による誹謗が多いらしい.とはいえ,殷の時代は甲骨文字の時代,すなわち漢字の勃興期であり,殷の途中まではほとんど記録はなく,残っている記録も占いの記録である.
そう,殷は占いに基づく神権政治だとされているが,さにあらず,その占いも細工によって「欲しい結果」を操作で得たものであり,また,記録の改竄もされていたということで,「神の名を騙った支配」と呼ぶのが適切.
このような甲骨文字から浮かんできたのは,ゆるい連合体としての殷王朝であり,それが中央集権化が進んだ結果,最終的に周に滅ぼされる羽目に.
しかし,殷に始まった様々な事項は,今でもアジア全体に受け継がれている.
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立命館生え抜きで、学生時代から甲骨文を専門にしてきた著者による古代史の再整理。
従来、後代に成立した『史記』などの文献重視で語られてきた殷王朝について、同時代資料の甲骨文を用いて事実関係の整理を試みられております。
王朝が存続した期間に比して王の数が多いところから、従来、「殷は兄弟相続であった」などとされていましたが、著者はこれを否定。甲骨文に見られる祭祀のグループ分けを行い、王統の分立と、後世それが統合された可能性を示唆。
日本史でいうならば、南北朝時代が100年続いて、のちに両方の皇統を一つの系図にまとめたようなものなので、そりゃあ『史記』の記述にも矛盾が起きるってもんです。
74年生まれの著者は現在、立命館白川静東洋文化研究所客員研究員。まさに白川学の流れをくむ最後の弟子と言えましょう。