鈴木邦男のレビュー一覧
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新右翼として活動してきた著者が最近の「愛国」感にもの申す。そして、今の改憲に向かおうとする輩に釘をさす。
自分もたぶん、改憲にまったく反対するわけではない。だけど、この浅薄な勢いのなかや安倍くんによってなし崩し的に進められることが嫌だし、危惧を覚えている。先日読んだ同じ著者の本はあまり響くところがなかったけど、この本はうなずけるところが多々あった。それにしても、こうして考えてしまうことの弱さもまた感じるところ。いっそ、何の考えもなく「憲法変えろ!」とか「日本人なんだから日本が好きで当たり前」って信じられれば、どれほど行動しやすいことか。
でも、人間は考える葦だもの。そうなってはやっぱりいけないのだ。憲法第12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」とか。これは憲法が絶対だというわけではないことを示しているし、だからこそ一人一人が考え、もてる権利をもち続ける努力をしなければいけない。著者との対談で映画作家の森達也さんが言っていた「主語が複数になると述語が暴走する」というのは至言。一人一人が自ら考えることが必要なのだ。 -
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ボクは国を愛している。本人が言うのだから間違いない(笑)言うまでもなく、それ以上に自分を、家族を、故郷を愛している。
愛国がこじれると『日本以外はみんな屑』になってしまうんだろうか?愛国って、外に向けないと発露できないのだろうか?常々そう思ってきたので、『日本を守るのではなく、日本を守るべき価値のある国にする』という(私が達てに意訳してます)鈴木氏の主張には頷ける部分が少なくない。
しかし、日本てなんだろう?日本にかぎらず文化や伝統や歴史なんて重層的で多元的で、「個」の集合体なのだから、「これこそが日本文化だ」なんてものは存在しない。和食だって歌舞伎だって着物だって、日本文化を構成する要素の内の代表的な(しかも比較的新しい)ものの一部でしかないのだ。だから、日本や日本の文化や日本の伝統を「こうだ」と決めつける人をボクは信じない。
国を愛するということは、日本の中の多様性を守ることであり、それは畢竟世界の多様性を認めることに他ならない。そういう意味でも、私は愛国者でありたいと思わせる1冊だった。 -
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ネタバレチェック項目14箇所。今の日本は、「ともかく愛国心を持て」「愛国心は常識だ」「愛国心さえもてばいい生徒、いい日本人になれる」と言っている、冗談じゃない、そんな単純なものではない、だから、この本では初心に返って愛国心とは何か、を考えてみた、愛国心は宝石にもなるし凶器にもなる、一面だけを見るのは危険だ。「愛国者」を自任する人は、家族や町、市、県からは孤立し、嫌われ、そのくせ「俺は愛国者だ」と言っている人が多い、三島の言うように、この共同体をピョンと飛び出して、国と自分が対等になって「愛している」と言っている、これでは思い上がりだし、錯覚だ。日本人の情緒的表現の最高のものは「恋」であって、「愛」ではない、もしキリスト教的な愛であるなら、その愛は無限定無条件でなければならない、従つて、「人類愛」といふのなら多少筋が通るが、「愛国心」といふのは筋が通らない、なぜなら愛国心とは、国境を以て閉ざされた愛だからである。三島は「愛」ではなく、「恋」でいいという、この二つはどう違うのか、僕が思うに、恋は一方的なものだ、相手がどう思っているか知らないが、一方的に思いを寄せる、人が結婚する時も愛ゆえだが、離婚する時も愛ゆえだ、「こんなに愛しているのに、応えてくれなかった」と自分の愛の大きさをでもって、相手の愛の小ささを攻撃する、また「彼女を一番愛していりうのは自分だ。彼女を幸せに出来るのは自分しかない」と思いつめる若者も多い、ストーカーも愛ゆえだ、愛は相手を縛り、拘束、時には暴力的になる。日本の場合は、二千年以上も国家を意識しないできた、明治維新以降、「西欧に追いつき追い越せ」で、急遽、近代国家をつくったのだ、憲法をつくり、国旗・国家をつくり、愛国心を教えた、西欧列強と肩を並べるために、近代国家・国民国家にならなくてはならない、アメリカのような愛国心を取り入れる必要がある、国の成り立ちが全く違うのに、そう思った、そこに無理がある。西郷軍が強かったのは西郷という強力なカリスマがいたからだ、こちらにはない、それで急遽、天皇を前面に持ってきた、それまでは「公家の代表」で雅びな天皇を、国家の中心にし、カリスマにしようとした、国家の求心力にしようとした。天皇独裁の国だったら戦争を止められただろう、しかし立憲君主国家だから、天皇も憲法のもとだ、国会が決めたことは覆せない、マスコミだって、「戦争やるべし!」と煽った、最後のギリギリになって、天皇の聖断にすがりつくしかなかった。まず愛国は保守的であり、憂国は革新的である、愛国はともかく美点を見つけ出し賞めなくてはならない、この日本のすべてを認め、愛する、現状容認だ、これを変えるのは嫌なのだ、現状維持的であり、保守的であり、受身だ、憂国は、この国の状態を憂うるのだ、もちろんこの国は好きだし、愛情はある、しかし、これでいいのかと怒り、憂うるのだ。憂国は暴発的な決起に結びつき、危険な連鎖のように見える、愛国は現状維持的で平和なように映る、しかし、一概にそうは言えない、憂国は、時に暴力的になり、暴発し、連鎖する、しかし、あくまでも個々人の自発的な意志に任されている。「尊重」と「強制」は全然違う、例えば僕は日の丸・君が代は好きだし尊重している、だからこそ大事にしたいし、やたらに強制してほしくない。国旗も国家も明治維新以後につくられた、実は初めは「五つの君が代」があったという、オペラ風のものもあれば、雅楽風のものもあり、讃美歌風のものもあった。明治維新は武士が中心になり幕府を倒した、っでは、武士が中心の世の中になったか、そんなことはない、刀を捨て、チョンマゲを捨て、藩まで捨て、武士という存在すべてを消滅させた、勝利者が自らを消滅させるなんて、歴史上、他にはない、「巨大な自己否定」だ。明治維新前は、日本人に「愛国心」はなかった、国への帰属意識も一体感もなかったからだ、「くに」は日本国ではなく、藩だった。企業はさらに<国家>的だ、献身を要求される、いや、企業の方が、より強い、いま、「国のため」に死ぬ人はいないが、「企業のため」に死ぬ人は多い、仕事のし過ぎで、過労死する。
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僕はプロフィールに「真正右翼」と書いているわけですが(笑)
この本を読んでもらうとその意味の一片が分かると思います。
護憲派のウエブマガジン「マガジン9」に連載されている「鈴木邦男の愛国問答」を再構成し、加筆して作られた本です。
ゆるく、自虐的な書き方をされていてそこは評価が分かれるところだと思いますが、これは「あえて」やっていることだと僕は思っているので、右翼に興味がない人、もっと言えば拒絶反応がある人に届くように書かれているのだと思います。
全体を読み通すと
「この人が右翼?」
と思われるかもしれましが
僕からいわせると、存命の方で言えば鈴木さんこそが
「ザ・右翼」
です。
(ネットウヨの人はたちはそう思わないのでしょうけど(苦笑))
序章と第六章「右翼人にとっての三島由紀夫」はぜひ読んでほしい。
鈴木さんのみならず、三島由紀夫も後世に、現東京都知事をはじめとする「自称・保守、右」の人たちによって、都合よく歪曲されているのがわかるのではないかと思います・ -
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一水会という右翼団体の幹部だった著者による。公安警察伝家の宝刀「転び公防」も写真付きで紹介し、自身の悔しい経験も多くふまえた内容で、文章も読みやすい。転び公防とは、身柄を確保したいときに、活動家を取り囲んだ警官が、触れただけで勝手に転んで「公務執行妨害」として現行犯逮捕することらしい。国家権力恐るべし!
警察には刑事と公安という全く別の分野がある。国民の安全のために犯罪を取り締まるという点では共通するが、その組織、活動の実態はかなり異なる。刑事警察は何か犯罪事件が発覚したときに、捜査にあたって証拠を集め、被疑者を取り調べ、検察に引き渡す役目。報道に多く登場したり小説・ドラマになるなど華やかな分野だ。一方公安警察は、犯罪が発覚する前から常時各種団体について情報収集に努め、陰謀段階で摘発したり、デモ行進を警戒監視したりする。要するに治安警察だ。任務の性質上、あまり表に出てこないので活動の詳細は不明であり、不祥事も隠蔽されるという。警察の暗部といわれる所以である。
日本の警察は都道府県の自治体警察が基本である。刑事も公安警察官も、地方公務員として都道府県から給与をうけている。しかし公安警察は、実質上警察庁が束ねており、極めて中央集権性が強い組織である。警察庁が活動費を支給し、情報をまとめる作業をしていて、県警本部を飛び越えて指揮を行うという。活動の基本となる内偵は、警察官自らが集会などに入り込んで行うこともあるが、監視する組織の構成員を買収して協力者(スパイ)とし、そこから継続的に引き出す情報も重要な部分を占める。協力者が良心の呵責から自殺するなどの悲劇をうんだりするが、秩序維持のためには少々の弊害は気にしてもいられない。目的のためには何とやら、時には違法な盗聴も辞さないといわれる。
あまり目に触れない公安であるが、警察内での力は大きい。警察トップに公安畑出身の人間がなることも多い。実際に有能な人間は公安に配属されるらしい。「日本の治安を守っているのだ」という彼らのエリート意識は高い。確かに六七十年代、過激派の活動が盛んだった頃には公安が未然に防いだ事件も少なくなかったろう。公安の存在は大きな抑止力だったといえる。公安の影に怯えるあまり、協力者でない構成員が協力者と疑われ、総括と称して粛正されるという狂気まで現出する。
それにしてもあの悪名高い特高警察はとうに解体されたはず。なぜ再び似たような性格の組織がつくられ、今に至っているのか。その理由はこうだ。公安警察は、占領後期の逆コースの中、共産党対策として発足した。当時の共産党は、戦前の非合法闘争から脱し、合法的な政党を標榜していたが、赤色革命を憂慮する当局は党員・シンパを公職から追放した。レッドパージである。当時共産党の脅威はとても大きかった。
時代は移りかわりソ連も崩潰したが、時代錯誤なことに今でも公安は共産党を重点的にスパイしている。一時過激派の活動がすさまじかった左右両翼の各団体も、破壊的な非合法活動に訴えることはもはやほとんどない。しかし、公安の人員は、最盛期からほとんど減らされていない。デモ隊より多人数でデモを二重三重に囲んで監視したり、公安は今も地道に働いている。さすがに一部で無用論も出たらしいが、オウム事件でまた息を吹き返したそうだ。自己防衛本能はどんな組織にもあるが、公安の場合内部の不透明性が、組織の延命に大きく買っているのであろう。
共産党を含め、監視される団体と公安との間には、いまや一種の共存関係があるという。このような団体がなくなってしまったり、社会にとって無害であることが明らかになってしまうと、公安という組織の存立が危うくなる。だから公安はこういった組織を完全に撲滅しようとはしない。組織が続くようにほどほどに観察して泳がせておく。その一方、市民にはまだまだこんなに危険な思想の団体が町に潜伏していると吹聴する。監視される団体側は、強大な国家権力につけねらわれていることを自己のアイデンティティにして、結束を固め、日々活動に勤しむ。何かロマンチックでさえある。
思想が原因の破壊活動は、最近では団体構成員よりむしろ孤立した個人が散発的に起こすことが多くなっている。そういった潜在的な思想犯は、心のうちに秘めた思いを突然暴発させる。公安の力をもってしてもこれを事前に捕捉するのは難しい。ますます公安の存在意義が疑われている。思想犯罪以外でも、昨今は経済的・社会的に追いつめられた個人の通り魔的犯罪が、市民生活への大きな脅威となっている。公安がこの方面に活路を見いだすことはよもやあるまいが、そういう画策がされているとしたら恐ろしい。 -
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ネタバレ愛国運動歴40年の著者が語る「愛国心」。
気になった点
・あの三島由紀夫は「愛国心」という言葉が嫌いだった。これは官製で押し付けがましく、国を単なる愛玩物に貶める言葉だったからだという
・そんな三島は押し付けがましくて現状維持を是とする「愛国」に代わって、「この国はこのままでいいのか?」と憂う革新的な「憂国」を旨とした。だからこそ自衛隊に決起を促そうとしたのであろう
・明治時代の右翼団体・玄洋社は孫文の中国国民党や朝鮮の東学党を支援したことがある。玄洋社は国家権力なくしては民衆の権利は守れないと考えた。
・改憲派の憲法学者である小林節は、改憲案に愛国心を盛り込もうとした自民党に対して「いかがなものか」と言ったら学者仲間にはぶられた。愛国心は自然に育つもののはずなのに、わざわざ国の最高法規である憲法にいちいち明記することか?
・内ゲバというと、右翼団体より左翼団体の方に多く見られる現象のように思うが、右翼団体内にもあったそうな。大体は玄洋社のような伝統的な派と、今のネット右翼と同じようなことを掲げる派の二つに分かれていたという
・日の丸、君が代を式で強制したら、日の丸と君が代がかわいそう
・ドイツ出身の医学者でお雇い外国人ベルツの『ベルツの日記』にはよく言えば謙虚、悪く言えば自虐的な日本人の姿が描かれている。彼は日本人以上に日本が好きだったそうな
保守派を自認する私の愛国心に関する見解は、著者である鈴木氏にかなり近いものがあります。愛国心があるからこそ、国民が一丸となって大業丕績を成し遂げることもあれば、とんでもない惨事を招いてしまうこともあるでしょう。鈴木氏の言う「愛国心は宝石にも凶器にもなる」というのはまさに至言。
某F県では学校の通知表に「愛国心」という項目を導入したことがあります。日の丸を見て涙を流すほど感動したり、君が代を大声で歌うようなことをすれば愛国心があると見なされるのか… ましてや憲法に愛国心を盛り込む必要があるのか… 少なくとも私は反対です。
ちなみに私は日の丸のシンプルかつ鮮やかなデザインも君が代の厳かな雰囲気も大好きです。小中高時代は校歌より君が代のほうを大きな声で歌った覚えがあります。パフォーマンスでも何でもなく、自然的な感情に基づいた行動です。
学校と愛国心というと、自虐史観うんぬんの問題になることが多いですが、近現代史は授業日数の関係で深くは扱わなかったし、日本だけが特別悪く書かれているということも感じませんでした。こんなことを言っている私って暢気なのかなあ…
今でも一部の、いわゆる「ネット右翼」は排他的で偏狭で軽薄なナショナリズムを掲げ、自分たちと同じ考えを持たない人間に「国賊」、「売国奴」のレッテルを貼り、罵る。愛国心という言葉も人によって定義が大きく変わるから何とも言えない部分もあるが… まあ、彼らは不安だからこそ偏狭なナショナリズムに走るのだろう。
海外から帰ってきたとき、懐かしい気分を感じると共に白いご飯や味噌汁を頂きたくなるだろう?野球やサッカーの国際試合では日本を応援するでしょう?それで十分愛国心と呼べると思う。 -
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[ 内容 ]
三島由紀夫は言った「愛国心は嫌いだ」。
なぜか!?
新右翼の大物が問う「天皇と愛国心」。
[ 目次 ]
第1章 「愛国心は嫌いだ」と三島は言った
第2章 誰のものか―愛国心争奪の歴史
第3章 愛国と憂国―その決定的な違い
第4章 愛国者の条件
第5章 天皇制と愛国心
第6章 謙遜の日本史
第7章 天皇論の革命
第8章 過熱する女帝論議
第9章 三島の改憲・女帝論
第10章 「愛国心」の必要ない世界は来るのか
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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ワールドカップがやってくるとナショナリズムが高揚する。愛国者にとってはまさに至福の時だろうし、自称左翼の方々には日の丸の旗が観客席を埋め尽くしているさまに眉を顰める御仁もあろう。しかし、いずれにしても私たちはきちんと愛国心について考えることを避けてきたのではないだろうか。その一方で、愛国心に反発を覚えつつ、ぬくぬくと「この国」の慈愛の中で日々の平安を満喫している人もいるのかもしれない。
それはさておき、世の中には自分は愛国者だと言いつつ、実際は不忠者が多々いるようだ。記憶にあるかどうかわからないが、日の丸・君が代を無理強いしようとして「強制しないように」と天皇にたしなめられた某自治体の教育委員なんぞはその典型のようなものだ。ただただ自分の卑小な生育史の呪縛から逃れられないやつ(換言すれば、自分の都合のいいようにしか社会を見てこられなかった人々)であろう。もっともこうした人間は自称左翼の中にも多々いるようだ。
ところで、くだんの教育委員、もとい将棋差しがただその生育史の中において純朴に日の丸・君が代大好き人間であったからということで某知事の覚えめでたく教育委員になり、自分の小さな世界観を一千万の市民に押しつけていくという姿はどう見てもこの国をよくしていこうというふうには見えない。天皇がその愚かさをたしなめたのはまさしくこの国を思う天皇の見識であろう。その点からみてもこの教育委員とそれを雇用し、日の丸・君が代を強要している某知事などはまさしく不忠者ではないのだろうか。
不忠とは愛国者ならば国家に対して背信行為をするということである。もとよりこの国を天皇制国家と信ずる天皇主義者ならば天皇の望むところにそわない奴等である。古より天皇は何より民の平安な暮らしを望んだと言う。ならば国民を戦場に駆り立てる者ども、威嚇的な街宣車で恫喝していく者ども、言論を力で抑えようとする者ども、愛国心を強制する者、君が代斉唱を強要する者は皆不忠者と言ってよいのだろうと思う。
それならば忠なる者とは誰か。おそらくは愛国者であるにちがいない。そしてなんと言っても愛国心といえば右翼だ。それはまっとうな右翼にちがいあるまい。ということで本書は右翼団体一水会の代表鈴木邦男による愛国者と愛国心についての提言だ。この人は元日本赤軍の連中と友誼を交わし、日教組委員長と対談したことで物議を醸すということで耳目を集めてきた人だ。愛国心についてもその立場での見識を持っているであろう。ということで、本書は世の腐敗した右翼もどき・似非愛国者たちのみならず、愛国心について考えたこともなく愛国心通信表を見過ごした左翼もどきにも是非読んでもらいたい本だ。
鈴木邦男は暴走した愛国心や強圧的に押しつけてくる愛国心を嫌う。他人と他国を愛さない、自己愛と自国愛でしかない凶器としての愛国心をまずは嫌うのである。そしてどうしたら愛国心を暴走させない、凶器にさせないかを本書を通じて考えようとしている。
例えば鈴木氏は拷問死したプロレタリア作家小林多喜二が仁徳天皇と同じように民の幸福を願っていたということを指摘する。そして彼を国家の名において虐殺した特高こそが自己愛と自国愛しか持たない似非愛国者であり、不忠者だったかもしれぬというのだ。
本書のキーワードは「愛国と憂国」に尽きる。憂国ってわかるかなぁ。その辺を読み解いていくと愛国心を押しつけたり、愛国者であると傍若無人の振る舞いをするやつらが不忠者であることがよくわかる。そういうふうに考えれば御上の真意を理解しない中間管理職って多いだろう(中間管理職っていうのは天皇と下々の中間にいる管理職ってことだから、総理大臣から教務主任までを含む)。また、愛国者気取りで恩師が左翼だからといって非難してまわっているコンドーくん(誰?)やらも不忠者だし、組合嫌いの自称体制派教師も不忠者だろうね。何しろ陛下はそんなことをお望みではないだろうから。
そんなわけで鈴木邦男は憂国を主張する。この国がもっとよき国であるように現状を憂える。腐敗した似非愛国者の横行を憂うのだ。
もっともあちきが忠義者だとは言わないが、列挙した不忠者よりはまっとうな生き方をしているとは思う。何しろこの国を不忠者が跋扈している時勢を憂いているのだから(憂国だ!)。
☆☆☆☆ 不忠者必読のわかりやすい愛国心入門書だ。その稚拙な自己チュー的愛国心を洗い直せ!なんとなくあちきも右翼になったみたいな気がしてきた。そのくらいこの人は真面目に愛国心について考えているのだ。似非右翼よりも、似非左翼よりも、そして似非人権主義者よりも。(嗚呼!憂国的になってきたわい!) -
Posted by ブクログ
安保とかあの頃の左翼、右翼、三島由紀夫のこと、時代の空気、維新からの流れなど今までよくわからなかったけれど、分かりやすかったです。
書いたのは新右翼の鈴木 邦男氏。
しかし、主張一辺倒と思いきや、すごく理性的でわかりやすい。天皇や日の丸に対して盲目的かと思ったらそうではない。
女帝も反対していない。
愛国を振りかざして利用するのは権力、体制であって
本来の愛国心は強制されたり監視されたり評価されたりするものではない、内におのずから持つものである、
愛国心を持て、と強制するより国民がおのずと恋せる国を造れ、と。
愛国でなければ非国民となじられる、糾弾される、
最近の風潮に危惧する、という内容でした。
こぼれ話でも「へえ!」と思うことがいくつも。
やんごとなきお方と三島とのデートとか、明治天皇のお座布団とか。。 -
Posted by ブクログ
著者は本書では先進的な事を言っている訳でも、複雑な事を分かり易く噛み砕いている訳でもない。シンプルな事をそのままぶつけているだけだ。
それでも著者の思いが感じられる理由として、右翼の旗は掲げつつもその延長線上に何か釈然としないものがあれば立ち止まり周りを眺め、納得出来るものがあればそれがいかに左翼の持ち物であっても採り入れる、懐の深さが挙げられると思う。
やがては著者一個の愛国心として確固たるものとなっていく。右翼でもなく左翼でもない、鈴木邦男のこころ(一種の保守正道とも言えようか)が本書に書き連ねられている。
ふたば書房紫野店にて購入。 -
Posted by ブクログ
自分は愛国者であると公言しなくてもいい。僕は愛妻家だと叫ぶようなものだ。愛国心は胸の中にしまっておいて、何かあったときに、それに基づいて行動すればいい。p.23 ▼愛国心は強制するものではない。自民党の憲法案のように国民に「この国を愛せ」と言うのはおこがましい。私(鈴木)は君が代が好きだ。だからこそ君が代を強制して、いやいや歌ってほしくない。学校で日の丸を強制されるのは嫌だけど、サッカーの試合では日の丸を振っている日教組の活動家がいるかもしれない。p.72 ▼日本は議会制民主主義のもと戦争に突入した。天皇は反対した。天皇独裁であれば、戦争は止められた。しかし立憲君主国家だから、国会が決めたことを覆せない。マスコミは戦争を煽った。民主主義(人民)が煽って戦争に突入した。いくら敗色が濃くなっても、皆が賛成した戦争だから、なかなか止められなかった。最後のギリギリになって、天皇の聖断にすがりつくしかなかった。p.51 ▼昔は国際主義こそが進歩的だった。しかし今は、保守が改憲を主張し「日本一国のことだけ考えてはいけない、国際貢献だ」と言い、左翼のほうは憲法にしがみつき「日本だけでも平和憲法を守ろう」と一国平和主義に陥っている。p.43 すずき・くにお『愛国者は信用できるか』2006
反原発こそナショナリスティックな運動になるべきなので、デモには日の丸を持っていくべき。反レイシズム運動にも日の丸を掲げるべきで、レイシストが日の丸を持つと日の丸が汚れるから触らないでほしい。p.163 ▼生活保護を受けている人はお年寄りや怪我・病気で仕事ができない人がほとんであり、不正受給をしているのはごく少数の特異な事例。ごく一部の不正受給を理由に、生活保護制度を改悪するべきではない。p.87 noiehoie『保守の本分』2013 -
Posted by ブクログ
警察は信じちゃいかん、と最近は思っている。迷子の世話や遺失物の取り扱いなんて付帯サービスに過ぎなくて、その実、警察ってのは人々を監視するのが本業だと思ってる。なかでも公安ってほんと、姿かたちがはっきりしないだけより怖いなと思っていて、だからこの本を読んでみた。そしたら、やっぱりはっきりしないまま。
著者は新右翼として活動していた関係から公安といろいろ攻防があったそうだけど、そんな彼にしたって公安の全容……どころかわからなことだらけで厚い秘密のベールに隠されていることがわかった。著者のいわんとするところは、「公安がいるために日本の治安が守られているのではない。逆に、公安が事件を起こし、治安を攪乱させているのだ。~中略~公安があるから日本の治安が守られているなんていうのは真っ赤な嘘だ。逆に公安があることによって不必要な事件が起こり、治安が乱されているのだ」ということ。不必要な事件というのは、著者によれば新左翼の内ゲバだったりって感じなんだけど、(確かに公安には何だか腹立つんだけど)そこまで公安のせいにするのは、さらには自分が殺人死体の埋め直しをしたのとかまで公安のせいにするのは、さすがに責任転嫁でしょって思った。
ほんとは公安を痛烈かつ冷静に非難するような感想を書きたかったんだけど、ちょっと無理。がっくり。