1972年の「成長の限界」から40年。当時の著者の一人、ヨルゲン・ランダースによる最新の未来予測。40年を振り返りつつ、今後の40年=2052年までの世界がどうなるか。
「成長の限界」が世界に与えたインパクトの大きさから考えると、著者らが当時30歳前後だった事に驚かされる。
「成長の限界」と「2052」との違いは、前者がシナリオ分析であるのに対し、今回ランダースが行ったのは、彼が最もありうると考える未来予測である事だ。
そしてその結論は、本人は「悲観的」と表現しているが、「成長の限界」での帰結から比べると、幾分穏やかに修正されているとも言える。
「成長の限界」では、21世紀の前半には人類文明は物理的限界に達し、「管理された衰退」か「自然な崩壊」のどちらかしか起きないとしている。一方の「2052」では、21世紀前半にはそうした危機的な状態にはならないとしている。ただし、後半に訪れるという。
危機の時期が少し先延ばしになった理由は、都市化による少子化により人口増加が従来の予測よりも下方修正され、2040年に80億人でピークになるという予測と、再生可能エネルギーへの転換が急激に進み、化石資源等の供給制約の問題が発生しないということが根拠になっている。
この様な未来感の違いが、今回メドウズの名前が殆ど出てこない理由の一つなのかもしれない。メドウズの最近の記事などを見ても、彼はまだ1972年の予測が正しいと考えているようである。
ランダースは、化石資源の制約や気候変動の問題は21世紀前半には危機的水準には至らないとしながらも、彼の予測は悲観的であるという。
まず、過去40年間、あれだけの警鐘が世界に広がったのに、人類の対応は遅々としていた事がある。ランダースは特に温暖化の問題に取り組んで来たが、1960年代の地球温暖化問題の発見から始まって、1988年のIPCCの設立、1997年の京都議定書と、様々な取り組みは始まっているものの、そうした活動が必要十分に温室効果ガスの削減に貢献したとはいえない。
40年間を振り返った結論は、現在の民主主義・資本主義社会では、意思決定は遅れ、地球的な問題への対応は間に合わないという事だ。ランダースは、その傾向は今後の40年間も残念ながら変わらないだろうと考えている。
ランダースの予測がマイルドになった理由は、人類が賢いからではなく、少子化という必然的な変化から生まれたもので、叡智の勝利ではない。
もう一つのランダースの悲観は、彼の予想通り人口が抑えられ、再生可能エネルギーが爆発的に普及したとしても、温室効果ガスの削減は十分には行われず、2050年に2度、2080年には3度の上昇が免れないという事だ。そうして、世界の植生は変わり、異常気象が猛威を振るう。彼は個人へのアドバイスとして、自然の風景を愛するならば、守る為に行動せよというよりは人類のエゴの必然を受け入れて、今のうちに見ておきなさいという。
マクロな提案として、民主主義を超えた世界の意思決定機関の設立を提唱しているが、その実現についてランダースはそれほど現実的とは思っていない節がある。
つまり、21世紀の前半は破滅的な限界は訪れないが、徐々に経済活動を抑制するような出来事(=コスト=異常気象への対応、再エネの増加、軍事費の増加等)が増えるという。現在そうした消費以外の割合は25%だが、それが2052年には36%になると予想している。そうした影響は、人類の行動を大きく変えるほどのインパクトはないので、現在の延長線上で意思決定は遅々として進まないという。
彼が採用したモデルは、彼自身によるいくつかのカギとなる想定から導かれている。出生率の予測から人口構成・生産年齢人口を産出し、労働生産性の改善の予測と生産年齢人口からGDPを算出。そこからエネルギー使用量を算出し、想定再エネ比率からGHG排出量を計算。そこから異常気象等への対策コストをGDPから引いて、消費量とする。
これが彼のシステムダイナミクスフローの主な流れである。
エネルギーを専門とする私からすると、彼のエネルギー需給予測はかなり甘いものに見える。21世紀前半に厳しい供給制約が発生することは私には避けられないように思う。
こうした未来予測につきものなのが、楽観と悲観、実証主義と規範主義などの対立である。
どのようなスタンスに自分が立脚するのかは、結局「このままいけば」(いわゆるBAU)をどのように想定し、さらに「(ありうる)あるべき姿」をどのような範囲で捉えるかがカギになっている。
ある問題に対して、計算上はどのような行動を社会がとるべきかはある程度は事前に分かる。しかし、非常に厳しい選択肢の場合は、結果的にそうした選択を取らない可能性の方が高い。
なんらかの危機がもし本質的に必然だとしたら(資本主義下でのバブルの発生など)、一種の諦観に立ちつつ、起きる事象をあるがままに受け止めるだろう。もしそうだとしたら、対策のとりようのない一番確度の高い必然的未来を描くことは、学術的になんの意味があるというのか。
それは、エゴイスティックな好奇心や、世間の好奇心を満たすためだけと割り切るしかないのかもしれない。所詮、一人で世界全ては救えない。
また、この本はシステムダイナミクスという手法がたどった40年という歴史の現在の終着点でもある。現在は、需要成長を前提とした短中期の経済シミュレーション(一般均衡モデル等)が主流だが、代替弾性値のセッティングによってかなりモデラーのさじ加減に依る事を考えれば、未来予測の手法はさほど進歩していないようにも思う。
この本を読んだ人の受け止め方は様々だろう。
こうした先人の「杞憂」を乗り越えて、我々が未来を作って行かなければならないんだなと感じた。