野口武彦のレビュー一覧
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漱石が生まれたのは慶応3年。
その時、徳川将軍は、最後の将軍慶喜だ。
漱石の「吾輩は猫である」の冒頭には、「天璋院様」が登場する。登場すると言っても、「天璋院様の御祐筆の妹の嫁御に行った先の云々」と出てくるだけだが、天璋院様は、大河ドラマで宮﨑あおい演じた篤姫だ。
江戸時代の人物たちは、明治になっても生きていた。明治は江戸と地続きだったのだ。
慶喜は、明治天皇の崩御した翌年、大正二年に亡くなっている。
維新は勿論、近代日本の発展、日清•日露戦役も目撃しているのだ。
そして、「坂の上の雲」の時代が終わると共に、明治天皇、それに殉死じた乃木希典と共に、去っていった。
将軍時代の慶喜は、その聡明 -
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日本人が喧嘩による自力救済から法治社会へと変貌したのはどういう背景だったのか、関心があり手に取ってみました。
途上国で自力救済、つまり喧嘩による血みどろの暴力が支配する秩序から、どう法治社会へと変わりうるのか、、日本の過去を辿ることで考えてみたいと思ったからです。
要するに、公正な裁きの保障がなされていることと、その実効を担保する力が存在すること、ということが述べられていました。
暴力に支配される、血みどろの世界から社会がどう変わることができるのか、少しヒントになった気がします。
著者の独特の言い回しや、時折くだけた表現がマニアックな世界を身近に感じさせてくれ、私は一気に読むことができま -
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ネタバレ明治元年のタイトル名の戦いは、圧倒的な優勢であるはずの旧幕府軍がどうして敗れたのか?錦の御旗を掲げた新政府軍に敗れてしまったのか、著者は長州戦争では賊軍とされた長州が決して負けなかったことから、賊軍とされても旧幕府軍は勝てた要素が多くあったこと、その中でなぜ?を説得力ある論調で展開しています。薩摩と会津・桑名の私闘であったかのような最初の取り上げ方であったように、旧幕府軍といいながらも主力は会津・桑名藩で、大かたは様子見であったこと、激しい北風が続いたこと、旧幕府軍が背後から京都を突こうとせず、一方からのみ攻めたこと、そして鉄砲の性能、最後に徳川慶喜の優柔不断と大阪からの逃亡!などを書いていま