野口武彦のレビュー一覧
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漱石が生まれたのは慶応3年。
その時、徳川将軍は、最後の将軍慶喜だ。
漱石の「吾輩は猫である」の冒頭には、「天璋院様」が登場する。登場すると言っても、「天璋院様の御祐筆の妹の嫁御に行った先の云々」と出てくるだけだが、天璋院様は、大河ドラマで宮﨑あおい演じた篤姫だ。
江戸時代の人物たちは、明治になっても生きていた。明治は江戸と地続きだったのだ。
慶喜は、明治天皇の崩御した翌年、大正二年に亡くなっている。
維新は勿論、近代日本の発展、日清•日露戦役も目撃しているのだ。
そして、「坂の上の雲」の時代が終わると共に、明治天皇、それに殉死じた乃木希典と共に、去っていった。
将軍時代の慶喜は、その聡明な頭脳で時代状況を的確に判断して、幕府を超える政権の必要性を痛感していた。
そのための一手として竜馬の推進する大政奉還を挙行する。大政奉還自体は、龍馬の創見ではない。
それを命懸けでやろうとしたのが龍馬だったのだ。
薩長連合も同じ。幕末誰もが薩長連合の必要性を議論していた。だが、不可能ごととして議論するだけだった。それを命懸けで、ウィン•ウィンの提案を薩長にすることで成し遂げたのが龍馬だった。
慶喜は、龍馬の進める大政奉還によって、新政権による政権維持を企図した。
しかし、薩摩の西郷、大久保は一枚上手で、慶喜の政権参画を阻止する。
更に、幕府軍の暴発を誘発し、鳥羽伏見に於いて幕府軍を破ることで、慶喜を「朝敵」とすることに成功する。
官軍に倍する兵力を有しながら、「朝敵」の汚名を着たことで慶喜の心は折れ、幕府軍を残したまま大坂城から逃亡するのだ。
軍事力で見る限り、幕府軍は負けようがなかった。
しかし、天皇から「朝敵」=反逆者の烙印を押されることで、幕府軍は敗北したのだ。
それはある意味、家康が蒔いた種が巨大化して、徳川幕府を転覆したと言える。
家康以来の英邁な将軍と言われた慶喜が、家康の遺産にケリをつけたといった格好だ。
江戸に逃げ帰った慶喜は天皇に対してひたすら恭順の姿勢を示す。
慶喜を殺し、徳川幕府をぶっ潰して、江戸を灰燼に帰するべく進軍してきた新政府軍を説得して、慶喜の助命と、江戸総攻撃を思い止まらせたのが、幕府を代表する勝海舟だ。
新政府軍は、江戸と江戸城を炎上させるべく、アドレナリンみなぎってやってくる。
そんな野獣のような新政府軍をなだめ、説得して、矛を収めさせたのは、大将の西郷隆盛だ。
西郷のカリスマ無くして、新政府軍を抑えることは不可能だった。
大将が大久保だったら、いや、西郷以外の誰であっても、新政府軍の総攻撃は予定通り行われただろう。
江戸は灰燼に帰したばかりか、勝海舟の策略で新政府軍の大半は、江戸と共に滅んだはずだ。
勝海舟は、新政府軍を蒸し焼きにする計画を秘めていたのだ。
しかし、その場合、漁夫の利を狙うイギリス、フランス、アメリカが黙ってはいない。
日本を植民地化し、日本は分断された上、日本語は廃され、英語を話す日本人とフランス語を話す日本人が生まれたことだろう。
慶喜は命を長らえることは出来たが、政治家としての名運は尽きる。
本書は、幕末明治という激動の時代を、慶喜という稀代のカリスマが、そのカリスマ性を失い、歴史から消えてゆく姿を通して活写する。
天皇家に、昂然と戦いを挑んで、勝利したのは日本の歴史上、北条政子•義時、姉弟しかいない。
この二人が、「対幻想」(吉本隆明)によって固く結ばれた姉弟(女男)のペアであったことが大きい。
義時一人であったならば、後々の慶喜のように、錦の御旗を見ただけで、ヘナヘナと腰砕になっていたことは必定だからだ。
それを叱咤したのは姉の政子だ。
実際、義時は、息子泰時を総大将として派遣するに際して、泰時が「お父さん、もし、後鳥羽上皇様が戦場に姿を現したら、何としましょうか?」と問うた時、躊躇いもなく「その時は、馬から降りて、平伏して謝れ」と言っているのだ。
幸い(?)、上皇様が戦場に現れることはなく、「朝敵」である泰時は易々と、「無敵」天皇軍を打ち破っている。
この承久の乱以降、政権は天皇家から武家に移ったと言われる。
それはその通りだが、武家が長期にわたって政権を維持できたのは、天皇に対する「無謬神話」が崩壊したからに他ならない。
思想的な大転換が起こっていたのだ。
「朝敵」になることを恐れなくなったのだ。
だから、足利尊氏は平気で後醍醐天皇と戦うことが出来、織田信長は天皇を超える存在にみずからを祭り上げようとする企てを行うことが可能となったのだ。
では何故、幕末になって、武家政権のトップ慶喜に限って「朝敵」が決定的に効いたのか?
それは家康の採用した、政治思想にあった。
家康の政治思想には時限爆弾が仕掛けられていて、260年後、起動して幕府を崩壊に導いたのだ。
それを見るためには江戸時代の思想を全て辿る必要がある。
本書の後に、その思想的ダイナミズムに興味が湧いたら、山本七平「現人神の創作者たち」を読むべきだ。
慶喜がヘナヘナとなった理由が分かる。 -
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日本人が喧嘩による自力救済から法治社会へと変貌したのはどういう背景だったのか、関心があり手に取ってみました。
途上国で自力救済、つまり喧嘩による血みどろの暴力が支配する秩序から、どう法治社会へと変わりうるのか、、日本の過去を辿ることで考えてみたいと思ったからです。
要するに、公正な裁きの保障がなされていることと、その実効を担保する力が存在すること、ということが述べられていました。
暴力に支配される、血みどろの世界から社会がどう変わることができるのか、少しヒントになった気がします。
著者の独特の言い回しや、時折くだけた表現がマニアックな世界を身近に感じさせてくれ、私は一気に読むことができました。 -
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ネタバレ明治元年のタイトル名の戦いは、圧倒的な優勢であるはずの旧幕府軍がどうして敗れたのか?錦の御旗を掲げた新政府軍に敗れてしまったのか、著者は長州戦争では賊軍とされた長州が決して負けなかったことから、賊軍とされても旧幕府軍は勝てた要素が多くあったこと、その中でなぜ?を説得力ある論調で展開しています。薩摩と会津・桑名の私闘であったかのような最初の取り上げ方であったように、旧幕府軍といいながらも主力は会津・桑名藩で、大かたは様子見であったこと、激しい北風が続いたこと、旧幕府軍が背後から京都を突こうとせず、一方からのみ攻めたこと、そして鉄砲の性能、最後に徳川慶喜の優柔不断と大阪からの逃亡!などを書いています。慶喜に随分厳しい断罪をしていますが、旧幕府軍に従軍した兵士の記録などを引用し、元にしていることから少なくとも、配下にそう思われていたことは間違いないのでしょう。260年続いた幕府が4日間で崩壊するそのドラマティックな瞬間だったと痛感しました。