森炎のレビュー一覧

  • 死刑と正義

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    『死刑は必要かどうか』それは答えのない問いだ。本書は死刑判断、及び死刑の必要性を考える上で基礎となる考え方を具体的な事例をもとに提示してくれた。死刑判断はいろんな要素が絡み合って複雑化していくが、それを冷静に汲み取って考えていく必要があると思った。私は死刑は必要だと考える。たとえ殺人罪に問われた被告人に何人も侵害できない「生命権」があるとしても被告人がその権利を自ら侵害したことに変わりがない。すなわち、戦争に行けば、そんな権利はお構いなしのように人は人を殺した時、自分も殺される可能性があるということ、それを知るべきだ。だからこそ、私は死刑が必要だと思う。ここで初めの問いに戻るが、死刑は必要かどうか、この問いに答えはないし、これから先の時代で決断が変わっていくことだってありうる。つまり、死刑が将来なくなるかもしれないということだ。だけれども、私たちはこの問いを考え続けなければいけない。なぜなら私たちが思考をやめた瞬間に人間は人に言われるがままに動く機械になってしまうのだ。これからの未来を豊かにしていくためにも、考え続け、「正義」とは何かを模索していきたい。

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    2025年04月01日
  • 死刑と正義

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    死刑と正義、本書を読み終わった後には誰もが「死刑」の必要性について、脳が永久ループにでも入ったかの様に、停止しないメリーゴーラウンドの様にグルグルと、神経が動き回る様な感覚に陥る。そしてそこには正しい答えは存在せず、ただひたすらに考えるしかない思考の階段を登っているような状態だ。世の中には死刑を廃止すべき、維持すべきとの存廃両論が存在する。どちらの言い分も正しさも誤りも無く(両者が深く考えた上での各人の出した結論なら。単に浅い知識で何れかに追随するだけなら意味はない)、この議論は永久に終わらないだろう。
    本書は考え得る人間の最大の罪悪である「殺人」を題材として、それに対する最大の司法処置の「死刑」の意味を考えるきっかけを作るものだ。それは前述した様に明確な答えがあるとは言えない。死に対して死を用いて処分することは、古代バビロニアのハンムラビ法典、「目には目を、歯には歯を」の同害報復(タリオ)と同じだ。罪刑法定主義の起源と言われるが、古代バビロニアと現代では社会的な背景は全く異なる。
    本書は裁判員制度確立後に記載されている。過去の職業裁判員が作ってきた判断基準が通用しなくなる時期に書かれているので、死刑の意義や意味について考える良い時期が来たのではないかと感じる。
    本書を要約すれば、死刑に至る状況や背景から、死刑をパターンに当てはめるための「死刑空間」に一旦置いてみる。まず始めに解りやすく殺人を5つの空間に置き、更にそこに時代背景や殺人者の置かれた個別の背景、更には年齢や精神状態などの生物学的な背景を重ね合わせていく。殺人のシチュエーションとも言える発生事情は解りやすく、実際に発生した事件を挙げて説明されていく。
    ①ある日突然自分の家族が侵入者に殺害される、②無差別大量殺人、③重罪の繰り返し(抜きがたい犯罪性向)、④親族間殺人(親、祖父母殺し)
    、⑤(これが少し難しい)計画的、金銭目的、死姦など他人の生命をモノと見做す冷酷的な殺人、この5つの実際の犯罪事例を犯人及び被害者側観点で事実のみを述べていく。更に後半ではそれらが発生した背景として4つの空間をAからDに分類する。こうする事でニュースなどから表面的にしか見えてこなかった事件を背景や審議の過程で明らかにされた殺人犯の内面的なものを加えて、立体的に分析することを可能にしている。例えば後者は少年犯罪に該当する、18歳以下の起こした殺人は果たして死刑にならないことが妥当か、といった感じである。
    裁判員制度の導入により、それまで概ね存在していた、殺した人間の数による判断基準がかわりつつある。簡単に言えば市民による判断は量的判断から質的判断・市民の価値判断に変わった事を表し、従来の死刑基準が崩壊する。具体的に言えば、
    殺害人数であれば、3人殺す=死刑(1999-2008 94%括弧内は実際に死刑になった比率)、2人=ケースバイケース(73%)、1人=原則死刑なし(0.2%)が量的基準だ。職業裁判員が裁く世界ではそこに殺人の目的や計画性が加わり判断されてきた。裁判員制度では、当たり前だがこの判断に一般人が加わる。誰もが裁判員になり、人を殺す自由を手に入れる(神になる)状態になる。だから本来はより細部まで十分に考慮された判決になる必要がある。判断を鈍らせる様な残忍さや被害者への感情移入などがあっては妥当な判断がされるか懸念が生じる。またそれらを完全に排除するのは不可能だし(できたらそれはもう、人ではない)、ならばやはりコンピュータが分岐処理で判断する様な量的基準のみで良いかと言えばそうもならない。
    死刑か否かの判断で悩ましいのは、秋葉原事件などの様に7人殺されたケースである。死刑にしないと、安全な社会に戻らないとする発想もあるが、終身刑(日本には終身刑は無いが、法的根拠のない仮釈放なしの無期懲役は実存しはる)にすることで死刑の意味は薄れる。この場合、社会の安全は脅かされるのに、犯人は一生檻の中で守られるという矛盾、税金で一生面倒見るのかという疑問が生まれる。ならば税金節約のために死刑にするか、となるのである。こうした死刑に該当する犯罪者に労働させて得られる価値が税金による維持費を超えられるかという経済的打算のみになってもいけない。
    なお事実裁判員裁判では従来の量的判断基準では無期懲役だったケースでも死刑になった例がある。死刑は人が人を殺す判断だから慎重かつ十分に議論が尽くされるのは間違いないが、過去の基準との不整合は、大きく捉えれば正義の判断基準がブレる可能性がある事を如実に表したとも言える。
    また本書後半は主に後者の死刑空間について考察していくのであるが、少年犯罪については死刑が更生の可能性ではなく(終身刑で良いはず)、精神の未熟性に意味を求めている事を説明する。これは予測できない将来の可能性ではなく、現実の確実な事実によって裁かれるべきというごく当たり前の議論ではあるが、死刑存廃論においてはまだまだ議論の余地は沢山ある事を理解できる。
    死刑の効果として、死刑の存在自体が威嚇となり犯罪を思い止まらせる一般予防措置なら、殺人以外でも同じことが言えなければならないし、犯罪者をこの世から抹殺して再犯防止する特別予防措置なら終身刑で十分だし議論は尽きない。また、第三者のための正当防衛なら、勇気あるものが不正をしようとする侵略者の命を奪うことは非難されない(見殺しにしない)という考え方もあり、殺人者の背景やシチュエーション次第ではクリアな正しさなどは存在しないのかもしれない。
    こうして頭の中が稍疲れてくると、最後の最後はハンムラビ法典の世界が一番合理的ではないかとも感じてしまう。
    本書をきっかけに誰もが裁判員制度で人を殺す権利を与えられる状況において、今一度真剣に死刑と向き合う事の大切さを学ぶべきと考える。

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    2023年07月16日
  • なぜ日本人は世界の中で死刑を是とするのか 変わりゆく死刑基準と国民感情

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    日本では昨今、死刑基準に変化が生じている。国民の誰もが死刑裁判に立ち会う可能性がある今、妥当な死刑判決はあり得るのか。戦後の主だった「死刑判決」事件を振り返りながら、時代によって大きく変わる死刑基準について考察する(表紙カバー)。

    本書は実にシンプルな構成となっている。第1章では、戦後日本のめぼしい死刑事件の解説により、時代の変遷とともに死刑判決が異なっていることを示している。第2章では、議論の取っ掛かりとなる現在の死刑判決の基準の解説をしている。第3章は死刑判決の根底にある人間観、社会観について述べている。そして最終章はこれまでの議論から、死刑判決に正義があるのかということを読者に問いかけている。

    本書は私が大学1年(2011年)のとき、死刑制度についての論文を執筆するために購入したにもかかわらず読み損ねて、積読状態になっていた本である。しかし本書を読んでみると、それが悔やまれるほどに目から鱗の内容だった。

    裁判員制度が始まり、国民の誰もが死刑判決の判断を迫られる可能性がある。そうした時のために、ぜひ一度は読んでおきたい本である。

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    2014年11月30日
  • 司法殺人 元裁判官が問う歪んだ死刑判決

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    ネタバレ

    インタビューでの野崎弁護士は自分の責任逃れのために裁判所の批判をしているようにしか思えなかった。起こってしまった事実ありきで起こる前の判断を糾弾するのってずるい。まして自分も深く関わってることなのに。

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    2014年11月01日
  • 司法殺人 元裁判官が問う歪んだ死刑判決

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    冤罪を起こす日本の司法の実態を、「疑わしきは罰せず」の意味と、その履き違えも指摘しながら明らかにする。
    有罪とするのであれ無罪とするのであれ、判決は絶対のものだと考える強い性向を持つ裁判所、本当に恐ろしいと思った。

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    2014年05月19日
  • 死刑と正義

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    ネタバレ

    チェック項目20箇所。死刑の自由化とは、死刑の価値化でもある、これまでの職業裁判官制度のもとでは、死刑の基準はあっても、真の意味での判断はなかった、あったのは形式的な基準の運用だけで、実質的な正義の判断と言えるようなものはなかったのである、これまでの官僚司法が市民の司法に変わったことで、これからは正義の価値観を示すことができるようになった、また、それが求められている。死刑宣告である以上は、どうあっても、「こういう理由で死刑しかないのだ」とはっきり言えなければならない、それも、ここでとくに一つ注意喚起しておきたいのは、人命の価値は何ら理由にできないということである。最終の価値判断は個々の市民による、本書は答えを提示しようとするものではない、最後の答えは読者に委ねられる、が、本書は、「いま」の死刑をめぐる状況を開示することで、市民の決断を可能ならしめようとするものである、いや、可能ならしめるものである。職業裁判官のもとでの死刑の基準は、被害者の数を尺度に「殺害された被害者が三人以上であれば原則的に死刑を選択し、二人の場合はケース・バイ・ケースで決め、被害者の数が1人であれば原則として死刑は選択しない」を大枠としていた、そして、死刑を決する二次的な尺度として、「金銭目的」や「計画性」が考慮されてきた。同じ10年間において、「1人殺害」の場合は死刑になるのはあくまで例外的とされるが、約0.2%である。近年の一年あたりの殺人既遂の字件数は減少傾向にあるが、それでも500件程度はある、これらに死刑をもって臨むとした場合、われわれは、毎日毎日、必ず一人か二人の死刑を執行しつづけなければならないことになる、日本社会全体が「血の匂う社会」「血まみれの社会」になりかねない。死刑判断は最大の刑罰の発動であるが、それ以前に、無期懲役との区別をつける行為である、ところが、およそ検察から死刑求刑がおこなわれるような事件は、通常の道徳的倫理的観点からは論外のケースばかりである、そのような行為のうちから死刑になるものと無期懲役にとどめるものを選別するのが死刑判断である。日本の場合、死刑の必要性は、この事実上の終身刑判決、実質的な終身刑との対比で考えなければならない、極限的なかたちで死刑の必要性がとわれるのである。死刑は極刑と呼ばれるが、「永遠に罪あるものとして残される」ことも極刑にはちがいないだろう、なにゆえに「永遠に罪あるものとして残す」ことでは足りないのか、死刑の真の必要性とは何かが問われる。死刑は「正義」「悪」であるという価値判断はあり得ること、さらには、正義や善を実現するためにまちがっている者を抹殺するという価値判断も成り立つことである。かつて、古代から中世にかけてのゲルマン法には、アハトという制度があった、アハトで追放された犯罪者は、文字どおり、森や原野を彷徨うことになった、そして、放逐された者は人間ならざる「人狼」とみなされ、人狼たる漂泊者はたとえ誰かに殺傷されてもいかなる法的保護を受けることもできず、殺傷者は咎めなしとの掟になっていた。秋葉原事件……7人死亡という定量的なダメージが重要なのではなくて、安全な社会という理念、いわば安全神話がどれだけ崩れたかという価値的問題のほうがより重要になる。われわれが税金で面倒を見る必要があるのは、現に殺人を二度くりかえし、殺人の抜きがたい犯罪性向を持つ者である、われわれが税金を負担しなければならないのは、その者の一生涯という長きにわたる期間である、ここで生ずる疑問は、なぜ、かかる反社会性の強い者から二度と被害を受けないために、そこまでしなければならないのかである。一家無理心中……この場合に被告人を死刑にすることはどういうことを意味するか、一家を全滅させることになる、それこそ、一家を無理心中させることになってしまう、この場合、死刑の宣告をして、一家を全滅させて、われわれは「正義は貫かれた」と言って終われるか。両親殺し、祖父母殺し……自分の子ども、孫に当たる被告人が死刑になることを望む家族はほとんどいない、この場合に被告人を死刑にすることは、そういう被害者の感情を押しきって人命を絶つことを意味する。単なる同情では、死刑の決断には危うすぎる、死刑の決断に向かう勇気は、同情を殺したうえで生まれるべきなのである。刑事責任年齢とは年齢的な応答能力のことで、日本では14歳以上とされている、それに満たない子どもについては、たとえ残酷な犯罪行為をしても罰しない、子どもを刑罰で罰するのはそれ自体残酷とみなされる。光市母子殺害事件……「死刑でなければ遺族は再出発できない」「正義を示してほしい」、被害者がこれだけ苦しんでいるのに、どうして犯人が死刑でないのか、何のために被害者はこれほど苦しむのか――われわれは、その叫びに対して「少年の更生の可能性」で応えることはできない。帯広の事件では、留守番幼児を殺傷した被告人とその親は被害者に対して合計2000万円を支払うことを約束し、まず約600万円を支払い、残りは分割で支払っていくことを誓約していた。他者の「命を絶つ」ようなことをなぜしなければならないかと言えば「われわれが生き、これから生きてゆくなかで必要だから」と言う以外にないだろう、本書はいまを生き抜くための書でもある、動物化しないための書である。

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    2013年06月18日
  • 死刑と正義

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    久しぶりに読み応えのある新書。著者の教養の深さには驚かされた。未だ世論の8割以上が支持している死刑について,結論は示すことなく,その判断に至る価値判断をそれぞれの死刑空間(事件の種類)について書いている。法律論ではなく,哲学の勉強といった感じ。

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    2012年12月12日
  • 名作裁判 あの犯人をどう裁く?

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    表紙が子供向けのように見えた。
    実際に見てみたら、大人でも読める。
    NHKの昔話法廷みたいな感じだった。
    原作のほうも読んでみたい。
    また読み直したい。

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    2023年07月12日
  • 裁判所ってどんなところ? ──司法の仕組みがわかる本

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    「法学・経済学・社会学の分野で幅広い業績を残したマックス・ウェーバーは、国家権力を「暴力の独占体」と定義しました。いくら、「福祉国家」とか「法治国家」などと言ってみたところで、国家権力(立法・行政・司法)は、つきつめれば、暴力、実力なのです。
    法廷は、その原始的な姿があらわになる場でもあります。そのため、常に、国民による監視が必要になります。」p.38

    「裁判所によって論理が大事なのは、法を原理として理性的に活動する国家機関であることが、国家の権力構成上大きな意味を持っているからです。「真実の裁きを目指して法の論理で動く司法権は、そのほかに、力を発揮しようとする意思を持たない」と言えるからです。
    これによって、権力(国家権力)であるにもかかわらず、国民の信頼を得ることが可能となります。」p.143

    「判決(判決書、判決文)は、必ず、法的三段論法(判決三段論法)と呼ばれる論法形式で書くことになっています。法的三段論法とは、法規(R)を大前提、事実(F)を小前提として、大前提に小前提を当てはめて、結論(D)を出す形式を指します(「F×R=D」)。裁判の結論が論理的に導かれたものであることを明らかにするために、不可欠とされます。」p.145

    「2013年に最高裁判所は、非嫡出子(シングルマザーの場合で認知を受けた子どもなど)の相続分に関して、民法の規定を違憲と判断しました。民法では、ずっと非嫡出子の相続分は「普通」の場合(嫡出子)の半分とされてきました。これは、法律婚(正式の結婚)を推奨する趣旨でした。しかし、嫡出かどうかというのは、子どもから見ると、本人にはどうすることもできない「生まれ」に関することですから、最高裁判所は、民法の取り扱いは憲法の保証する平等に反するとしたのです。」p.158

    「2001年には、先進国で区別を残すのは日本だけになっていました。欧米各国では、非嫡出子の割合が50%を超えた国もあって、民意に基づく立法措置が次々にとられたのですが、日本の場合、非嫡出子の割合は、2パーセント程度でした。「立法による多数決原理にゆだねて解決」というわけにはいきませんでした。
    ここでは、裁判所は、日本では非嫡出子は固定的な少数者であり、これ以上、差別的措置を続けるならば「民主的専制」「多数者支配」に陥ると判断しました。そのため、裁判所が「人権の砦」として登場することになったのです。」p.158

    「国民やメディアの裁判批判は、かつては最高裁判所長官から「雑音」などとして迷惑視されていましたが(1950年代)、現在では、批判内容の説得力が裁判の結論に影響することは、司法権の独立の反するとはされていません。むしろ、「権利のための闘争」「法の動態」として、あるべき姿と考えられています。」p.161

    「あらかじめ提出しておいた書面(「準備書面」)を「陳述しますか」「はい、陳述します」というやり取りで、民事の法廷弁論はほぼ終わりです。あとは、せいぜい、次の進行についての訴訟指揮がある程度です。実際に要する時間は、三分から五分程度です。」p.183

    日本の三審制を、「三回チャンスがある」と解釈していた外国出身の人に、いやそれはちょっと違うぞ?とちゃんと説明したくて借りた。

    日本で教育を受けると、このあたりのことは義務教育で習って、ものすごくわかってるわけじゃないけど、なんとなくは了解している気がしてる。

    でも、移民はそうよね。移住した先の法律や制度を学ぶ暇も方法もほとんど無い中で生き続ける必要があるんだ。

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    2020年10月17日
  • 量刑相場 法の番人たちの暗黙ルール

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    犯罪の内容に対して量刑が軽すぎるだろ、と思うことはしばしばあるが、裁判官も過去の判例から大きく外れた判決をだすことはなかなか難しいとは思う。だからこそ裁判員裁判の結論をもっと重視するようにしたほうがいいと思うけど。禁錮と懲役の違いなどは初めて知った。

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    2020年08月30日
  • 「裁く」ための練習帳 裁判員の必読本

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     裁判員制度に向けて、実際の裁判結果から、どういう罪がどういう刑になるのか、大体の基準や、軽減する際の判断のポイントなどを教えてくれる本。
     同じ「殺人罪」でも、死刑と無期懲役で分かれるのはなぜ?殺した数によって変わるのか?
     「放火」と「放火殺人」の違いは?
     「強盗」と「強盗殺人」の違いは?
     など、テーマ毎に、まず実際に起きた複数の事件の概要とその裁判結果を簡単に出される。その後、作家と弁護士の対話形式で、なぜそんな裁判結果になったのか、判断基準は何なのかなどの説明がなされるという構成。
     裁判員裁判が行われる裁判は重要な裁判が多いため、死者がいたり、血生臭めの事件が多いのは仕方がない。
     あくまで「判決の基準」に重点を置いているため、裁判全体の流れなどはほとんど書かれていない。
     裁判員制度を学ぶためならずとも、「なぜこのような判決になるのか」を知りたい際に読んでみるとよい、入門書。
     

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    2020年01月16日
  • 死刑と正義

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     裁判員裁判が行われるようになったことによって死刑のあり方が大きな変容を遂げた事実をふまえた死刑論である。
     専門家の裁判官のみで行われていた裁判では死刑の認定はいわばポイント制であったという。いくつかの要素を満たしたものが死刑とされた。そのため死刑と無期懲役との境界線は一般人の感覚からは理解しがたいこともあったという。
     裁判員裁判が始まってからは正義の基準はいわば同情の度合いになったという。そのために裁判の判例は多様になり、その統一性はしばしば破られる。
     筆者は死刑の最終判断基準に関しては慎重ににして歯切れが悪い。ただ死刑制度自体は社会制度の維持に不可欠なものとして存在価値を認めている。
     同様の事件で被害者の数や残忍性などが同じでも死刑と無期懲役刑量の絶対的基準にはなっていないという事実を私たちは知っていなくてはならない。

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    2019年02月23日
  • 死刑と正義

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    未だに各方面が議題として挙げている『死刑』という制度について著者なりの見解を示したものです。

    死刑となり得る(なった)事件を幾つかピックアップし、事件の性質に基づいて細分化することで、『死刑』について多角的な視点を持って眺めることが出来るようになっています。

    事件のピックアップのみならず色んな哲学者の考え方なども引用してきているため、哲学の勉強にもなりました。

    著者自体は中立的な視点を持っているような記載っぷりでごじましたが、若干死刑廃止派に傾いているような感覚を覚えました。

    難しい部分もチラホラございますが、概ねスラスラ読み進めることが出来るため、暇な時に『死刑』について見つめ直すには打ってつけの書物かと思われます。

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    2017年11月16日
  • 裁判所ってどんなところ? ──司法の仕組みがわかる本

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    仕事のための読書。
    裁判所の組織の概要が、雑学感覚で楽しく身につけばいいな、と期待して読み出すも、はじめの数頁で難しさにその思惑はこっぱみじんに。
    そりゃそうだよね、楽に身につく知識なんかないよね……(遠い目)。
    というわけで、気持ちをただして、読み始める。

    元裁判官、現役の弁護士である著者が、裁判所という組織を解説した本書。
    解説といっても、裁判所の種類、働いている人たちと組織の構成、民事・刑事といった取り扱う事件の種類etc、現実的な運営に関する説明は、本書のごく一部。
    それよりも読んでいて全体から感じるのは、裁判所が法学的、政治学的に、どのような思想や問題点を抱えながら歩んできのかを包括的に解説しようとする、著者の強い意気込みである。
    が、いかんせんこちらは三権分立くらいはなんとかわかるかな……という身。
    “裁判所の組織としての性格は、自由主義的原理と民主主義的原理の兼ね合いで決まります”、と書かれていても、そのくだりを3回くらい読み返してはじめて次が読めるという感じなので、遅々として頁が進まない。
    それでも、
     ・ 東洋の法は命令、西洋の法は合意
     ・ 国家権力はつきつめれば暴力
     ・ 法の世界はすべてが発展過程
     ・ 現実問題として社会は不平等
    などの言葉にはっとさせられる。
    裁判所が社会の中でどのような役割を果たしているか、問題点も含めて手加減せずに書かれていて、いっそのこと清々しさを感じる。
    この本に、進路選択の際に巡り会えた学生は、とても幸運だと思う。

    裁判所や、それを取り巻く社会のシステム、政治って、複雑な論点が入り雑じりながらも、どこか現実に抗えずになし崩しで運営されている面もあって、一筋縄ではいかないな。
    裁判所を理解するどころか、広い海に放り出されたような読後感。
    それでも法学、政治学の味わい深さや広がりが感じられて楽しい一冊でした。

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    2017年07月22日
  • 死刑肯定論

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    死刑について、いろいろ考えてたつもりだったけど、考えたことない切り口で説明されていたり、面白かった。
    哲学や正義論など理論的・抽象的な話もあり、実際の事例に即した話もあり。

    事例として出てくる事件が凄惨で、かいつまんだあらすじだけで精神的にダメージを受けた。

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    2017年01月08日
  • 死刑肯定論

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    ネタバレ

    タイトルが挑発的であるが、内容は単に「死刑肯定」ではなく、「死刑反対論」に対する穴をつく、ということに終始していて、単純に死刑を肯定する本ではない。

    むしろ、死刑を肯定する側も必読であるかもしれない。
    また、現状の政府の国家の死刑に対する姿勢への批判もある。

    ただし、死刑に対する既存の論を並べただけの本である印象も拭えない。なるほどと思わせる所はあるが、最終的に結論が曖昧である気もする。

    個人的には冤罪による死刑反対論がいちばん説得力があると思っているが、彼は「新幹線や車などの産業は、必然的に事故を起こす。まったくではないが、これは死刑制度にも同じことがいえる。ゼロにする努力はするが、その死刑制度そのものはのこすべきであるというのが、いまの世論である。」とする。

    しかしこれは違和感がある。

    産業による事故は完全に偶発的である(人為的に殺しているならそれはそれで解決せねばならない問題である)。
    しかし、死刑執行は人が下して初めて執行されるものである。決して偶発的ではないはずだ。もちろん検察の取り調べに瑕疵があるかもしれないが、それでもなお求刑にたいして裁判官は死刑判決に関して回避する余地が残されているし、それは偶発ではなく任意によるものである。

    コレに対して著者はあまり明確な反論を示しているとは思えない。やはり冤罪による死刑廃止論は一定の論拠があると思える。

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    2015年05月17日
  • 虚構の法治国家

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    検察と裁判所という司法権力機構の内部組織に属する人たちが、外部から遮断された状態の中で、お互いの保有する国家権力をもたれ合いながら唯々諾々と人の命をもて遊ぶ。

    閉鎖的組織というものは、自らが長年踏襲してきた制度・慣習を正しいものと思いこみ、何ら反省することなく続けてしまう。

    司法官僚の実権は検察行政官僚が握っている。

    この本は、極々少数派である検察・司法の良識が悪習を正そうと語り合ったものである。

    検察と国税に脅される国会議員で構成される内閣で、司法行政を正すのは至難の業である(笑)。

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    2015年04月26日
  • 虚構の法治国家

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    郷原弁護士の名前は聞いていたが、本書でその迫力に圧倒された。

    美濃加茂市長が無罪になるのは当然のように思われる。
    小沢一郎、植草、が冤罪だろう、

    検察、裁判所が一体になっていれば何でも出来てしまう、いな、なされていたのだろう。

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    2015年03月22日
  • 死刑と正義

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    裁判員制度の中で、どのように向き合うべきかをケースに分けて説いてるので、なかなか分かりやすく且つ興味深く読むことができます。
    罰とは、正義とは、そして死刑とは。考えさせられる本でした。
    『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』を読んで思うところがあり、再読。
    物事には多面的な要素がある事を忘れず、感情や周りの意見に流されず、自分なりに考え、答えを持つ事が大事なのだと再確認。

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    2014年08月15日
  • 死刑と正義

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    何を基準とし、死刑かそうでないかを分けるのだろう…それには、「正解」が、ない。裁判員制度導入により、私たち一人ひとりがその都度考えていく。

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    2013年03月20日