マルキ・ド・サドのレビュー一覧
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ネタバレ姉のジュリエットは悪徳に溺れ、妹のジュスティーヌは美徳を貫くという物語。
この本は妹のジュスティーヌの物語部分だけで最初に書かれた中編を翻訳したものらしい。
実は先に姉のジュリエットの物語『悪徳の栄え』を少しだけ読んだ後に、妹の『美徳の不幸』に変えた。というのも『悪徳の栄え』を先に手にしていたけど読み切る前に『美徳の不幸』を買ったので、そちらをやはり先に読もうという気になったから。
美徳を貫くとは……一体何?と思ったけど、処女を守る事と『困った人を助けようとすること』のようだった。
処女については男どもがキモイ……としか感想はない。
困った人を助けるについては、知恵と経験ががなさすぎる……というだけ。
系統はかなり違うけど、あれこれ御託を並べ立てるのはカミュの『ペスト』にも似てるなと思った。
エログロ色が強いので万人にはあまりお勧めできない。 -
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「こうした偉大な思想にふれて堕落してしまうような輩には、用がない。哲学的見解の中からただ害悪しかつかみ取る事ができず、何にふれてもすぐ堕落してしまうような輩は、相手にならない!」(p.168~69)
と、本文中にもある通り、サドの残酷趣味の幻想だけを抽出して「サドはいいぜ」と言うような輩には、本書は用がないでしょう。ある意味、本書を通して読者はサド流の篩にかけられているというわけです。そして、「閨房」よりも「哲学」をたっぷり味わえる本書こそ、サド文学の真骨頂と言えましょう。
知恵と思想に富んだエロティシズムを! これは訳者の澁澤龍彦さんが説くところのエロスの信条にも適います。ドルマンセが様々な「美徳」をぶった切っていくのを楽しみながら、おのれが哲学を磨こうではありませんか! -
Posted by ブクログ
善いことをすればするほどひどい目にあって、ボロボロになっていく女の人の話し。
しかしよくまぁ次から次にひどい目に合うことか。
それでも現代人のほうがおそらくはるかにもっと残忍で、いやらしい責め苦を思いつくような気がする。当時画期的であったものでもいまや古典的、刺激の足りないものとなっているような…
自然の秩序と称されて、強者による弱者の支配が語られる。作者は逆説的にそれに反発しているようなのだが強者の繁栄、弱者の衰亡が読者の脳に張り付くのではないかと憂慮される。登場人物の一人が語っていたように、人生は善か悪かの二者択一ではなくて、その場その時の身の処し方次第なのだろう。
特に力のないものは曲がりくねった細い細い崖っぷちの道を歩くような注意が必要なんだと思った。ボケ~としてたらヤバイんだろうな。
Mahalo -
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ネタバレ「ソドム百二十日」
これは小説じゃない、小説なんかじゃない、カタログだ。
内面も成長もない。
さらにはキャラクターもなく、
作者の分身たる人物数名と、作者の欲望する人物数十名とともに城に閉じ込めて規則を作って、さあどうなるか、という壮大な実験に近い。
しかし私は小説なんかよりも、カタログであってもよい、「過剰なもの」を読みたいのだ。
ぜひとも完訳版を読まなければ。
・澁澤独特の隠語の面白さ。「強蔵」!(「ソドムの市」を再鑑賞するときには、あれが強蔵だ! と笑ってしまいそう。)
・「ソドムの市」が思いのほか原作に忠実な作りだったのだと驚く。
「悲惨物語」
・語り口の面白さ。この悪人を描くことで世の中の人への啓発になるでしょう、という語り口であるにも係らず、その悪人を描く楽しさに作者が耽溺している、というパターン。つまりは胡散臭さぷんぷんの道徳を語る語り手。乱歩に多い例のあれ。
・理想的な娘を作り出す、という源氏物語にも通ずるあれ。
・娘を肉体面だけでなく精神面をも犯すフランヴァルよりも、形式上は犯されたという状況にあるにも関わらず生き生きと父を愛する悪女ユージェニーのほうが、素敵。
・私もこのような娘におかしくされてみたい。
「ゾロエと二人の侍女」
未読。 -
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まず気をつけるべきなのは、この本に収録されているソドム百二十日は、初めの導入部分(主人公であるブランジ公爵とその弟である司教、キュルヴァル法院長、公爵の学友であるデュルセの4人の道楽者とその妻達の人物描写と、物語のメインである4ヶ月の放蕩に耽るまでの下準備の様子と、放蕩の加担者や犠牲者の人物描写まで)までであるということである。
主人公の道楽者達はどいつもマジキチであり、悪徳を愛し美徳を憎み、無神論者であり、犯罪を犯してはそれをオカズにハァハァするという始末である。
しかし、公爵の言う悪に対する見識(要約すると、「俺みたいな悪だって自然界、ひいては神様が生んだものなんだから、それに背いて悪いことしないってのは神様に逆らうのも同じ。だから俺は悪いことするお!」って感じ)には、なんだか納得させられてしまう。まあこの公爵の見識はそのままサドの思想に基づいたものらしいのだが。
ソドムの百二十日は未完のまま、サドは死を遂げてしまったそうだが、本当にそれが悔やまれる。澁澤氏の訳で完全版が読みたいところである。
悲惨物語も、ソドム百二十日の主人公達のように無神論者のサイコ野郎が主人公である。
彼は源氏物語よろしく、実の娘のユージェニーを見た目や思想までをも自分好みの女に育て上げ、自らの愛人へと仕立ててしまった。彼は自分や娘を心から愛している美しい奥さんを疎ましく思い、色々と酷いことをして奥さんを苦しめ続ける。しかし、奥さんの変わらない愛を受けて最後の最後には改心するのだが、結局救われない最期であった。
個人的に好きな部分は、「奥さんに悪いところがあったとしたら、それは夫や娘を愛していたということである」というとこ。奥さんカワイソス。あと、神父様が生きてて良かった。