高木仁三郎のレビュー一覧

  • プルトニウムの恐怖

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    1981年に書かれた本ですが、今でも通用する内容だと思いました。
    原子力発電はクリーンエネルギーで、地球温暖化対策のためには欠かせない、と考えている人に是非とも読んで欲しいです。
    この本を読んでもなお、原子力発電を支持すると思えるなら凄いです。

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    2023年06月20日
  • 市民科学者として生きる

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    生き方としては、非常に心打たれるものがあったというか、常に参照する必要があるだろう。高木仁三郎にはならないにしても。

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    2019年06月21日
  • 市民科学者として生きる

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    7年目の3月11日。
    たまたま、前に買ってあった本を手に取りました。
    恥ずかしながら、高木さんのことを知らなかった。
    彼が生きていたら、この現状をなんと言うんだろう。

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    2018年03月13日
  • プルトニウムの恐怖

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    原発とはどんなものか、裏と表どちら側もことについても書いてありました。今を生きるひとりの大人として、原発社会は受け止めねばならない事実でもあるので、いくらリスクばかりが目立つ原発についてであっても、どちらか片側だけを見て判断することは、避けたいと思っていたので、そんなわたしにはちょうど良い内容の本でした。

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    2016年03月22日
  • 市民科学者として生きる

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    在庫切れの合間にたまたま手に入れることが出来た。都立大助教授の地位を捨て、市民の立場で長年核問題に立ち向かってきた科学者の本。癌で闘病中ベッドの上で書き上げられた本です。

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    2015年09月06日
  • プルトニウムの恐怖

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    30年前に書かれた本だが、その通りの未来となり、状況も変わっていない。ただし、予想では3機稼働しているはずの再処理工場は1機も動いていない。筆者の予想を上回って、核燃料サイクルは完全に破綻している。

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    2012年11月01日
  • プルトニウムの恐怖

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    チェルノブイリ原発事故も、「もんじゅ」の事故も、東海村の臨界
    事故も起こる以前。今から約30年前に書かれた作品である。

    主にスリーマイル島原発事故を中心に扱っている。掲載されている
    データは、当然ならが古くはなっているが一般原子炉、高速増殖炉
    についての解説は今でも通用するだろう。

    人類が作り出した人工物であるプルトニウムを論じながら、原子力と
    核燃料リサイクルについて分かり易く書かれている。

    やはり思う。原子力の平和利用とは言うが、それは核の拡散と表裏
    一体をなしている。そして、核兵器を作らなくとも原子力施設を狙った
    テロの可能性だってあるのだ。

    「さらに、工業国の飽くことなきエネル

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    2017年08月17日
  • プルトニウムの恐怖

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    ネタバレ

    プルトニウムの危険性を分かりやすく説明している。
    読者が、本当に分かるのかどうかは分からない。

    恐怖は、しばしば現実を見る目を曇らせるからである。
    そのとき、そのとき、本当に必要なことは、いろいろ考えられる。

    今、考えなくてはならないのは、プロトニウムを恐れることではなく、
    マスメディアに踊らされることなく、危険を回避する方策ではないだろうか。

    短期的な対応,長期的な対応に区分して、現実に実施可能な方策を積み上げて行きたい。

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    2011年07月04日
  • プルトニウムの恐怖

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    TMIの悪夢が覚めやらぬ1981年に買ったもの。もう30年がたとうとしている。今、読んでみても名著だ。あまりに文学的な表現がそこかしこに見られるのは、著者が元文学青年だったのか。若干の反科学論的なにおいはあるが、問題提起の本として優れている。

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    2011年04月07日
  • プルトニウムの恐怖

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    序盤は分かりやすくテンポの良いプルトニウムについての講義。
    中盤はどれだけプルトニウムが危険か、原発が危険かを、具体的に科学的な専門用語や数値を交えての説明。難しい。
    終盤は尻切れ蜻蛉的な纏め…

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    2022年09月30日
  • プルトニウムの恐怖

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    ずいぶん昔に買った一冊。なんのために買ったかもすでに覚えていない。だけど、今こそいろんな人に読んでほしい本だと思う。この本が書かれた当時(1981年)よりプルトニウムにまつわる技術的な面はきっと進歩しているのだろう。しかし、社会はどうか。この本の後に、東海村JCO臨界事故(1999年)があり、東日本大震災(2011年)があった。技術に人間はついていけているのか。あらためてそんなことを考えた。今、高木氏が生きていたら、どんな言葉を発したのだろう。「エネルギー依存型でない文化をどう創るか、ということに大きな関心がある」という高木氏の言葉に共感を覚えた。

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    2016年12月12日
  • 市民科学者として生きる

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    1997年に環境・平和・人権の分野において「もうひとつのノーベル賞」と呼ばれるライト・ライブリフッド賞を受賞し、2000年に急逝した科学者・高木仁三郎氏が、自らの人生を振り返った自伝的著作。高木氏は、同賞の受賞直後にがんにかかっていることがわかり、死期を悟りつつ、1999年に本書を病床で書き上げたという。
    高木氏は、1938年に生まれ、高度成長の時代がまさに始まろうとし、その推進力のエンジンのようにして科学技術が存在し、ほとんどの人がその未来にバラ色の夢を描いていた時代に青少年時代を送り、東大で核化学を学んだ。そして、日本の原子力産業の黎明期に、当時原子炉を建設中だった日本原子力事業に就職した

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    2016年01月16日
  • 市民の科学

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    原子力発電所という、多分にして専門的かつ閉鎖的な巨大システムは、得てして市民とは程遠いところで勝手に管理運用されています。それを担うのは政府と官僚機構、そして国家の忠実なる下僕と化した一部の科学者たち。この事実を正確に認識している市民は多くはないでしょう。科学者の中には原発の恐るべき実態を知りながらも反抗することが出来ない者もいると本書では述べられていますが、このような現状の社会は、非常に怖いなと感じました。
    しかし、本書の著者は「専門的批判の組織化」という、専門的な原発システムに対抗し得る唯一の手段を確立し、あるべき社会へ向けて着実にその歩みを続けています。著者ご自身は現在はお亡くなりになっ

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    2014年07月11日
  • 市民科学者として生きる

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    原子力がエネルギーとして礼賛され、商業原発が各地に設置されるにいたった時代。
    空っ風の原風景と職業的科学者という立場との葛藤。
    「市民科学者」としての半生。

    国家・電源三法による原発推進の力は、改めて文字で読むと、不気味なほど大きい。筆者が受けた嫌がらせの事実には、驚愕。それでも「市民科学者」として「本気」で脱原発に取り組み続ける筆者の姿に、感銘を受けた。

    あきらめを希望へ。
    私たち日本人は、いつまでもシカタガナイと言い続けるわけにはいかない。

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    2013年01月05日
  • 市民科学者として生きる

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    高木仁三郎の思想信条の全てに同調する者ではないが、これを読むと高木が、3.11以降に雨後の筍の如く発生したニワカ反原発とは一線を画す科学者であった事が理解できる。
    叶わぬ事ではあるが、もし今も健在であったなら、現状についてどう述べていただろうか知りたい。
    誰か天国に繋がる電話を発明して欲しい。

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    2012年03月12日
  • 市民科学者として生きる

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    [内容]SBやNGOとはすこし離れてしまうかもしれませんが、純粋に面白いです。反原発の第一人者である高木仁三郎氏の自分史です。高木氏はもともと原子力関連の会社員で、核化学者に転身、しかし次第に原発に疑問を抱き、結局市民運動のリーダー的存在になりました。自分自身を常に見つめて人生を軌道修正していく筆者の姿には感銘を受けます。
    また個人的には筆者のとなえる「市民の科学」とSBの精神には合い通じるところがあると思います。

    さらにこの本では原発の生まれた背景や、今に至る過程などを知ることができます。高木氏の原発批判にはまるで3・11を予想していたかのような鋭さがあります。

    [文責]林

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    2011年09月27日
  • 市民科学者として生きる

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    [ 内容 ]
    専門性を持った科学者が、狭いアカデミズムの枠を超え、市民の立場で行動することは可能なのか。
    長年にわたって核問題に取り組み、反原発運動に大きな影響を与えてきた著者が、自分史を振り返りつつ、自立した科学者として生きることの意味を問い、希望の科学としての「市民の科学」のあり方を探る。

    [ 目次 ]
    序章 激変のなかで
    第1章 敗戦と空っ風
    第2章 科学を志す
    第3章 原子炉の傍で
    第4章 海に、そして山に
    第5章 三里塚と宮沢賢治
    第6章 原子力資料情報室
    第7章 専門家と市民のはざまで
    第8章 わが人生にとっての反原発
    終章 希望をつなぐ

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

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    2011年05月14日
  • 市民科学者として生きる

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    岩波にしては珍しいと群馬大の早川先生お奨めの本。科学の中立については考えさせられる。手塚治の陽だまりの樹で軍医が負傷兵を治療するよりも、戦争に行かせない方がいいという逡巡と共通する、永遠のテーマだろう。

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    2020年07月27日
  • 市民科学者として生きる

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    原発建設に躍起になっていた人は少なくとも嫌がらせの張本人だという意識をもって反省してほしい。原発や原発の廃炉の人間社会への嫌がらせは半減期を迎えることなど決してないのだから。

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    2011年04月25日
  • 市民科学者として生きる

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    故高木仁三郎氏の著作です。大学を離れ、今でいうNPOで市民のための科学者として、原発反対を訴えた著者の活動と心のうちがつづられています。ご本人だけでなく、ご家族にまでいやがらせが多かったというくだりには憤りを感じました。

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    2009年10月04日