高木仁三郎のレビュー一覧
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チェルノブイリ原発事故も、「もんじゅ」の事故も、東海村の臨界
事故も起こる以前。今から約30年前に書かれた作品である。
主にスリーマイル島原発事故を中心に扱っている。掲載されている
データは、当然ならが古くはなっているが一般原子炉、高速増殖炉
についての解説は今でも通用するだろう。
人類が作り出した人工物であるプルトニウムを論じながら、原子力と
核燃料リサイクルについて分かり易く書かれている。
やはり思う。原子力の平和利用とは言うが、それは核の拡散と表裏
一体をなしている。そして、核兵器を作らなくとも原子力施設を狙った
テロの可能性だってあるのだ。
「さらに、工業国の飽くことなきエネル -
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ずいぶん昔に買った一冊。なんのために買ったかもすでに覚えていない。だけど、今こそいろんな人に読んでほしい本だと思う。この本が書かれた当時(1981年)よりプルトニウムにまつわる技術的な面はきっと進歩しているのだろう。しかし、社会はどうか。この本の後に、東海村JCO臨界事故(1999年)があり、東日本大震災(2011年)があった。技術に人間はついていけているのか。あらためてそんなことを考えた。今、高木氏が生きていたら、どんな言葉を発したのだろう。「エネルギー依存型でない文化をどう創るか、ということに大きな関心がある」という高木氏の言葉に共感を覚えた。
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1997年に環境・平和・人権の分野において「もうひとつのノーベル賞」と呼ばれるライト・ライブリフッド賞を受賞し、2000年に急逝した科学者・高木仁三郎氏が、自らの人生を振り返った自伝的著作。高木氏は、同賞の受賞直後にがんにかかっていることがわかり、死期を悟りつつ、1999年に本書を病床で書き上げたという。
高木氏は、1938年に生まれ、高度成長の時代がまさに始まろうとし、その推進力のエンジンのようにして科学技術が存在し、ほとんどの人がその未来にバラ色の夢を描いていた時代に青少年時代を送り、東大で核化学を学んだ。そして、日本の原子力産業の黎明期に、当時原子炉を建設中だった日本原子力事業に就職した -
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原子力発電所という、多分にして専門的かつ閉鎖的な巨大システムは、得てして市民とは程遠いところで勝手に管理運用されています。それを担うのは政府と官僚機構、そして国家の忠実なる下僕と化した一部の科学者たち。この事実を正確に認識している市民は多くはないでしょう。科学者の中には原発の恐るべき実態を知りながらも反抗することが出来ない者もいると本書では述べられていますが、このような現状の社会は、非常に怖いなと感じました。
しかし、本書の著者は「専門的批判の組織化」という、専門的な原発システムに対抗し得る唯一の手段を確立し、あるべき社会へ向けて着実にその歩みを続けています。著者ご自身は現在はお亡くなりになっ -
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[内容]SBやNGOとはすこし離れてしまうかもしれませんが、純粋に面白いです。反原発の第一人者である高木仁三郎氏の自分史です。高木氏はもともと原子力関連の会社員で、核化学者に転身、しかし次第に原発に疑問を抱き、結局市民運動のリーダー的存在になりました。自分自身を常に見つめて人生を軌道修正していく筆者の姿には感銘を受けます。
また個人的には筆者のとなえる「市民の科学」とSBの精神には合い通じるところがあると思います。
さらにこの本では原発の生まれた背景や、今に至る過程などを知ることができます。高木氏の原発批判にはまるで3・11を予想していたかのような鋭さがあります。
[文責]林 -
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[ 内容 ]
専門性を持った科学者が、狭いアカデミズムの枠を超え、市民の立場で行動することは可能なのか。
長年にわたって核問題に取り組み、反原発運動に大きな影響を与えてきた著者が、自分史を振り返りつつ、自立した科学者として生きることの意味を問い、希望の科学としての「市民の科学」のあり方を探る。
[ 目次 ]
序章 激変のなかで
第1章 敗戦と空っ風
第2章 科学を志す
第3章 原子炉の傍で
第4章 海に、そして山に
第5章 三里塚と宮沢賢治
第6章 原子力資料情報室
第7章 専門家と市民のはざまで
第8章 わが人生にとっての反原発
終章 希望をつなぐ
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