村井康彦のレビュー一覧
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藤原定家 『明月記』の世界
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出雲の真実がわかる 出雲大社について、ほとんど知識のないところからの読書だったため、一回で十分理解できたとは言えないが、少なくとも非常にわかりやすく、説得力のある記載がなされている。大国主命が多くの名前を持っていることについても、いつもバラバラに色んな所、名前で出てくるのでその異同すら認識できていなかったが、かなり整理して考えることができるようになった。やはり大陸からの文化は日本海を経由して入ってきたこと、北九州からの航路は瀬戸内海より日本海が海流の影響で有利な事、弥生時代に特徴的な古墳が日本海側に広く分布していたこと、邪馬台国が不自然に記紀から省かれている事、等々… 私には事の真贋を判断することはできないが、すべて辻褄が合っているように思えた。これからの学びの基本になる書籍と出会えた気がする。
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藤原定家 『明月記』の世界
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著者がこの本を90歳にして世に出されたたことに感服する。各所の写真も著者の撮影とあり、そのフットワークも驚くべき軽さ。膨大な情報量の『明月記』を読み込んで、定家の実像に迫る作業は並々ならぬ熱量が必要だったという。それを見事にやり遂げられている。
私は、この本を読む前に、田渕句美子先生の『新古今集 後鳥羽院と定家の時代』と『百人一首──編纂がひらく小宇宙』を読んで、和歌集編纂者としての冴え渡る定家の姿に触れてきた。そして、この度、この本を読んで、定家の別の側面が非常にリアルに思い描くことができるようになった。九条兼実との主従関係、俊成との親子関係、彼を含めて九人もいる同母兄弟姉妹との関係、自分と息子の昇進にあくせくする日々など、など。人間味のある生身の実像がクッキリと像を結ぶまでになった。
意外な事実もあった。定家の息子・為家の妻は、北条時政と後妻の牧の方の娘の娘、ふなわち孫娘だった。大河ドラマの配役で言えば、坂東彌十郎さんと宮沢りえさんの娘のその娘が、為家の妻だった。その牧の方が京都にやってきて、時政の十三回忌をの供養をしにやってきて、定家の妻も彼女に会いに行ったという。
定家が私たちに残してくれた遺産は尊いものがあると思う。百人一首に代表される和歌文化はその筆頭である。また、『源氏物語』を始めとした日本古典文学の書写が今も残されているおかげで、私たちはそれらを読むことができている。この偉大な人物の実像に迫ることができて、とても良い体験ができた。 -
藤原定家 『明月記』の世界
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村井康彦先生、まだまだ元気だなあ~。(^o^)著者紹介もみるともういいお歳(失礼!)にもかかわらず、アクティブにフィールド踏査を重ね、また、さまざまな学問の垣根を越えてダイナミックな仮説を提示されるなど、心身ともに誠にお若い!
氏の専門である歴史学のみならず、考古学や文化人類学等の近隣領域を融合し、神話の世界から古代出雲と大和の関係の実像に迫る力作で、記紀に描かれた「大和朝廷」成り立ちの物語、出雲の大国主命の活躍から天照大神の子孫への国譲り、そして神武東征から大和王権の確立に至る神話について、大胆に読み解く。
鉄生産から勢力を拡大した出雲族の各地への展開は、大和へ至る磐座(いわくら)信仰の拡大、そして高志(越の国)にまでみられるヒトデ!(四隅突出墓)の存在により証明される。大国主命をはじめとする出雲系の神々を奈良の三輪山をはじめ、祭る理由は、かつてそこが出雲王国の一部であったことを物語るものとし、さらに、邪馬台国も大和で発展した出雲系氏族連合であったとする。それが、九州から侵攻してきた神武軍に敗れ、降伏する形で邪馬台国は終焉したという。また、国譲りの際に約束された大国主命を祭る宮殿が約束通りに建てられないため皇子が唖になったとの神話から、その後の巨大な出雲大社の成立につながるとしている。奈良時代おける出雲国造家が大領(郡司)を兼ねて勢威を高め、大和朝廷を護る立場になった出雲神々を強調する話なども興味深かった。
神話の神々の名前を憶えるのに難儀しましたが(笑)、歴史学としての神話解釈という難問を、氏ならではの流麗で論理が明快な文体にて、各地を巡る紀行を交えながら面白く構成巧みに説明されていて、興味が尽きないまま読み終えることができました。富山にも杉谷四号墳という有名なヒトデがあり、ずっと昔に見に行ったこともありますが、また新たな興味で見学に行きたくなったなあ。(笑)
2013年7月19日追記
「いずも」と「やまと」のお門違いの考察については、「コメント」の方へワープ!(笑) -
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歴史学者が、実証主義にとらわれずに描いた古代史。磐座信仰と四隅突出墓から出雲勢力の影響範囲を北九州から信濃までと考え、邪馬壹国も出雲勢力が建てた国とする。日本書紀や魏志倭人伝を先入観なく読めば、基本的な構想は納得できる。邪馬壹国の四官を書紀に書かれた奈良盆地の四隅にあった勢力に比定するなど面白いが個々の証明は難しいだろう。あと何故、日本書紀にわざわざ王家の始祖が南九州から来たという神武東征伝説が採用されているのか、という疑問は解けるが、逆に何故、南九州の一勢力に敗れたのか、それほどの勢力があったのか、狗奴国のことなのか、さまざまな疑問が生まれる。そういった意味でも非常に刺激的。
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藤原定家 『明月記』の世界
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『明月記』には定家の「本音」が残ってる
普通この時代の日記は、子孫に対して儀礼のノウハウなどを書き残す指南書の役割を果たすものだったらしい。
でも定家が書いたこの『明月記』は途中でその指南書にするのを諦めた痕跡がある。
なぜなら、私的なイライラとか喜怒哀楽の本音を書き残した記述がメインで、ノウハウ化できなかったからみたいw
だから、定家の「本音」が書かれてるのが、当時の日記としては『明月記』を特殊なものにしている。というのが本書のコンセプトか。
1日10km以上宮仕えのために移動して、翌朝まで仕事をしたり、宮廷の行列をコソコソ野次馬しに行ったり。人間くさい当時の貴族の生活が定家を通して見えてくる一冊。 -
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日本の宮都の歴史、特に飛鳥から平安遷都までの期間を扱っている。タイトルからは観光の記録のように思うかもだが、実際に著者はカメラを片手に現地をよく歩くらしい。
日本の古代史にあまり詳しくなかったので、今も残る文献からここまで明らかになるんだなと驚き。田身嶺に関しての通説を文献を丁寧読んでひっくり返しているのも。
遷都に伴って毎度のようにネズミが異常行動を起こしている。たとえば白村江での敗戦後の大津遷都や、難波遷都など。平城京に移ってからもフラフラしていた。山城は遷都されるまで山背だった。遣唐使は菅原道真により894にされたように教科書でも書かれていてそれが国風文化の発展に繋がったとされるが、実際は菅原道真が止めたのは個別の一件だけで、その10年後には唐が滅びていた。唐の後は宋と交易しているので、国風文化の発展は大陸からの文化を日本なりに咀嚼し吸収できるようになったと解すべき。 -
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なかなか骨のある本を読んだなあという気分。
今年は,5月に伊勢神宮,11月には出雲大社へ行ってきた。もちろん,大和政権の土地への行ったことがある。そんなわけで,少しだけ古事記や日本書紀に載っている日本神話にも興味がある。今のうちに読まないと,また積ん読になる。きっかけの論理で読んだのであった。本書は,10年ほど前,現役時代にお寺の坊守さんから「この本,○○さんなら面白いと思うよ」ともらったのだった。
神話だからといって馬鹿にしてはならない。いくら神話といえども,土地の名前や時代背景など,すべて創作で書けるわけではない。そこで筆者は,歴史的事実ではない部分が多々あるのは十分承知の上で,古事記や日本書紀,出雲風土記なとがまとめられた当時の歴史的事実と照らし合わせながら,出雲と大和政権との関係に迫っていくのである。謎解きのようで,けっこう面白く読めたのがよかった。
最後の部分には,能登の一之宮である気多大社も出てくる。ここの祭神が出雲関係であったことは初めて知った。神社観光をしても,いちいち祭神なんて覚えていないからな。気多大社には、時々行くので,今度行ったら見てみよう。
出雲の神々が磐座信仰から来ているらしいというのは面白い!
それにしても…である。同じ神様でありながら,亦の名(別名)が多すぎる。なんとかならんかな。古事記・日本書紀に出てくる同じ神さんの名前を挙げてみるか。
大国主命・大穴牟遅神・葦原色許男命・葦原醜男・宇都志国玉神・大国主神・顕国玉神・大物主神・国作大己貴命・八千矛神・大国玉神
これ,全部同じ神様・大黒さんなんだって。おいおい! -
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村井康彦 出雲と大和
古代出雲論。邪馬台国畿内説と神武東征を通して、出雲王朝から大和王朝への変遷を論じた本
著者のことは知らないが、かなり面白かった
出雲王朝から大和王朝への変遷
*邪馬台国=大和にいる出雲系氏族の連合王朝
*神武東征により、神武勢力が大和に侵攻し、神武が大和朝廷が成立
「伊勢神宮=天照大神=大和=天皇勢力=記紀」と「出雲大社=大国主神=出雲氏族=出雲国風土記」の対照的な関係は興味深く、出雲視点で見る「国譲り」は記紀と微妙に異なる面白さ。饒速日命の帰順を国譲りとし、葦原中国(地上世界)は 天孫に譲るが 出雲国は守ることを主題としている
大国主神(大国様)に異称が六つあることは知らなかった
*大国主神〜大きな国の主。葦原中国の主。大己貴神によって形成された国土の主。
*大物主神〜大和の三輪山に祭られた大神神社の祭神。万物の主、森羅万象を司る神。大国主神が自然神的存在に変身した姿
*大己貴神〜国作り、天下作り、葦原中国を形成した神
出雲国造が朝廷に奏上した神賀詞のなかで貢置を申し出た「皇孫の命の近き守神」
*大国主神の口を通して語られる四つの神を「皇孫の命の近き守神」として貢置した
*大和の神々として、出雲系の神々を選定し貢置した=守神の押し売り
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「明月記」を読み込んで、定家を含む家族との関係に重点が置かれたものだという印象。若いころは姻戚関係の記述が煩雑で嫌いでサラッと読み進めていたが、最近は文章と系図を交互に見ながらその人物の考え方や行動に影響があったのか考えるのが楽しくなった。当時を含め、古代(縄文を含めて)から近世までの日本では女性の果たす役割がすごく大きいと定家周辺の姻戚関係を見ていて、改めて感じた。いつもそうだが本を読むと興味が無限大に広がっていく。この本からは定家の生きた時代、後鳥羽天皇、新古今和歌集、百人一首、嵯峨の中院への旅・・・。時間が足りない。あと、定家が猫を飼っていたとは驚きであり、微笑ましくもあり、嫁さんが飼ったから世話をしたというんもええなぁ。どんな顔して猫をゴロゴロさせとったんやろう。(6/23記)
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日記『明月記』を中心に藤原定家とその周辺を歴史的に見た書。細かいところだが定家邸の変遷とか、家族についての考察など大変興味を引かれた。子の為家が関東武士宇都宮頼綱の娘を妻にしていたとか、その縁で牧の方(このころは牧尼となっている)が登場したりとか、朝幕関係を考えるうえでもなかなか面白い。もちろん後鳥羽院とか京都側のことも。
『玉葉』はかなり研究されているが、『明月記』ももっと歴史的にちゃんと読み込んで研究すべきなのだろう。個人的には著者も取り上げきれなかったと書いている天文関係記事についてもっと知りたい。かに星雲関係は有名だが最近注目されているオーロラ記事など天文学史的にも歴史学的にも重要な記事が多そう。 -
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1200年代の京都に住んでいた貴族の生態を「名月記」から考察した面白い本だ.当時の女性は天皇の后として男の子を産むことが、自分の一族の誉れであったようだが、本書でそれを期待していたが彼女たちの肉声はなかなか出てこない.ここでは定家の行動を追っているが、男として出世を願いながら、政敵との葛藤を勝ち抜くことも重要であり、定家の行動は1200年代も今もあまり変わっていないなと感じた.このような資料が残っていること、それを読める人がいることは、日本の文化としては非常に重要だと感じた.定家が家司として仕えた九条兼実、彼のカウンターパートであった源通親.それぞれの娘が男の子を産むがどうかで親の出世が決まる世界.何か腐臭を感じるが、通親が曹洞宗の高祖 道元の父だった可能性があるとの説もあり、貴族の世界の魑魅魍魎を実感した.
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藤原定家(1162~1241)が1180~1235の55カ年に渡って遺した日記『明月記』を家族、任官、荘園経営といった側面から読み解いたもの。家族に関する記述は特に充実している。筆者によると、『明月記』は多くの貴族日記と比べて私的なことを多く書き残しているため、中級公家定家の喜怒哀楽を窺うことができる。
『明月記』を通じて筆者がたどり着いた結論は、定家=ジコチュー(自己中心的性格)。殿上での喧嘩、任官への強い関心、後鳥羽院との仲違い、息子たちへの接し方など。源平の争乱や承久の乱を目の当たりにして、「紅旗征戎吾ガ事二非ズ」とうそぶいた精神も、この端的な例に加えられるだろう。もっとも、定家の「自己中心的な性格こそが、和歌の革新をもたらした原動力であった」。 -
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卑弥呼は天皇家とは無縁 村井康彦著『出雲と大和 古代国家の原像をたずねてー』.
本書を理解するためには、「あとがき」から読みはじめると、よい.本書の意図が提示されている.
1)大和の三輪山は山体自体が、出雲系の大国主神でること.
2)8世紀はじめの国造が「賀詞」を通じて、<貢置>を申し出ている.
それは大和朝廷が成立する以前から、出雲系の神が大和に存在して(大和の)<守り神>となっていた.
3)卑弥呼は大和朝廷とは無縁の存在であり、大王=皇統譜の系譜に載せられるべき人物ではなかった.
文献史学者は悩む.記紀に語られる「神話伝承の世界とは何であろうぁ」、と(「はじめに」 Xp).
そのうえで、「古今東西これを=神話をもたない民族も地域もない.だとすれば神話伝承をさけて通る古代史というものはありえないだろう」と、考える.
記紀を緻密に読み解く.そこで見えてきたこと.
大和のさきに、出雲、吉備、丹後の神々の国がさきにあり、そこに神武東征後、大和の覇権が後世に記録されたと、読む.
神話を、「枝葉末節が剥ぎおとされて、根幹部分が残ったものとみることができる」と、読み解いた.
「作業仮説」.そうした論があるかも知れない.ただ、文献史学者で著明な著者が、ライフワークの国分寺調査で積み上げた聞き取りに、考古学上の知見、神話の新しい機能を確認したうえでの立論には、尊重すべき点も豊富に、書き込まれている.