村井康彦のレビュー一覧
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藤原定家 『明月記』の世界
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試し読み
Posted by ブクログ
藤原定家の『明月記』を読み解き、定家の実像にせまっている本です。
建久の政変によって九条兼実が失脚し、兼実の家司であった定家は官途の望みを絶ったと告げたことに触れて、著者は「「そんな言い方はまずい、破滅するようなものだよ」などと、声をかけたくなる瞬間がたびたびある」といいつつも、「それが良くも悪くも定家の真骨頂であった」と述べています。
こうした著者の定家に対する批判的なまなざしは、定家が為家を目にかける一方、光家に対してはあまりにも冷たい態度をとっていたことを紹介しているところにも見られます。「定家さん、冷酷に過ぎませんか」といったことばがしばしば記されており、定家のつきあいきれない性格にあきれつつも、『明月記』に記されたことばから定家の実像を明らかにしようとしています。
「あとがき」で著者は、「『明月記』は徹底して私の視点で書かれた、いってみれば極私日記であった。この時代に、これほど“じこちゅう(自己中心的)”な記述も珍しい」と述べていますが、そのような性格をもつ『明月記』がのこされていたからこそ、定家のアクの強い個性がはっきりと見えてくるのかもしれません。
なお、本書とおなじ岩波新書から五味文彦の『藤原定家の時代―中世文化の空間』が刊行されており、やはり『明月記』の叙述をくわしく参照しながら、定家と彼の生きた時代について考察がなされています。 -
Posted by ブクログ
ヤマト王権による統治が確立される以前に、出雲勢力による「国作り」がおこなわれていたという著者の仮説が提出されている本です。
著者は、岡山県の総社宮に祭られているのが、オオナムチとスセリビメであることを知って、古代史においてオオナムチをめぐる数多くの説話が存在しており、多くの人びとの崇拝を受けていたことの理由をさがし求めます。著者は、記紀神話についての独創的な解釈を示したり、じっさいに各地の神社を訪ねて古代の信仰のありかたについて考察をおこなったり、さらには邪馬台国をめぐる論争にも立ち入ったりしつつ、上で述べた仮説の証拠とみなすことのできる事実を明らかにしています。
著者自身も「あとがき」で、「むろん、本書の取り組みが不完全であることは十二分に自覚しているが、これを捨て石としてさまざまな議論が起こるならば、これに勝る幸せはない」と述べているように、かなり大胆な仮説というべき内容だと感じました。その土地につたわる伝承を教えられて新たな視点に目を開かれる体験を語り、そのことをきっかけにして自説の形成に取り組む経緯が語られているところなどは、梅原猛の古代史関連の著作を思わせるような議論の進めかたで、眉に唾をつけながらも、わたくし自身はこういうスタイルの議論はけっしてきらいではありません。大胆な仮説にもとづいて古代史の大きな見取り図を示すことのロマンに浸ることができたということだけでも、読書のたのしみをじゅうぶんにあじわえたと感じています。 -
Posted by ブクログ
【神社ってなぁに?―2】
なにかにつけてミーハーなボクは、今年ばかりは、
伊勢神宮に行きたい! 出雲大社も行きたい!って
思っているのです…で、関係するような本を、
あれやこれや読もうと思って手にした一冊でした…
岩波新書の今年に入ってから出されたもの…
おそらくやボクのようなミーハーがいっぱいいるだろう…
って思って出されたものなんだろうなぁ…門外漢のボクにも
たいへん興味深く読むことができました…
著者は、「記紀」を読み、あちらこちらを訪ね歩きます…
そこから浮かび上がったのは…
「邪馬台国は出雲勢力が立てたクニである」ということ!
ま、おそらくや、つっこみどころはいっぱいあるんだろうけど…
どうやら、伊勢神宮の祭祀より出雲大社の方が古いようで、
古代国家の変遷…こんな仮説を脳裏に浮かべながら、
旅するのは、さぞや楽しいことだろう…と思うのです。
うふふ…近頃、むっちゃ暑いけど、夏休みが楽しみっ!