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Posted by ブクログ
著者がこの本を90歳にして世に出されたたことに感服する。各所の写真も著者の撮影とあり、そのフットワークも驚くべき軽さ。膨大な情報量の『明月記』を読み込んで、定家の実像に迫る作業は並々ならぬ熱量が必要だったという。それを見事にやり遂げられている。
私は、この本を読む前に、田渕句美子先生の『新古今集 後鳥羽院と定家の時代』と『百人一首──編纂がひらく小宇宙』を読んで、和歌集編纂者としての冴え渡る定家の姿に触れてきた。そして、この度、この本を読んで、定家の別の側面が非常にリアルに思い描くことができるようになった。九条兼実との主従関係、俊成との親子関係、彼を含めて九人もいる同母兄弟姉妹との関係、自分と息子の昇進にあくせくする日々など、など。人間味のある生身の実像がクッキリと像を結ぶまでになった。
意外な事実もあった。定家の息子・為家の妻は、北条時政と後妻の牧の方の娘の娘、ふなわち孫娘だった。大河ドラマの配役で言えば、坂東彌十郎さんと宮沢りえさんの娘のその娘が、為家の妻だった。その牧の方が京都にやってきて、時政の十三回忌をの供養をしにやってきて、定家の妻も彼女に会いに行ったという。
定家が私たちに残してくれた遺産は尊いものがあると思う。百人一首に代表される和歌文化はその筆頭である。また、『源氏物語』を始めとした日本古典文学の書写が今も残されているおかげで、私たちはそれらを読むことができている。この偉大な人物の実像に迫ることができて、とても良い体験ができた。
Posted by ブクログ
『明月記』には定家の「本音」が残ってる
普通この時代の日記は、子孫に対して儀礼のノウハウなどを書き残す指南書の役割を果たすものだったらしい。
でも定家が書いたこの『明月記』は途中でその指南書にするのを諦めた痕跡がある。
なぜなら、私的なイライラとか喜怒哀楽の本音を書き残した記述がメインで、ノウハウ化できなかったからみたいw
だから、定家の「本音」が書かれてるのが、当時の日記としては『明月記』を特殊なものにしている。というのが本書のコンセプトか。
1日10km以上宮仕えのために移動して、翌朝まで仕事をしたり、宮廷の行列をコソコソ野次馬しに行ったり。人間くさい当時の貴族の生活が定家を通して見えてくる一冊。
Posted by ブクログ
「明月記」を読み込んで、定家を含む家族との関係に重点が置かれたものだという印象。若いころは姻戚関係の記述が煩雑で嫌いでサラッと読み進めていたが、最近は文章と系図を交互に見ながらその人物の考え方や行動に影響があったのか考えるのが楽しくなった。当時を含め、古代(縄文を含めて)から近世までの日本では女性の果たす役割がすごく大きいと定家周辺の姻戚関係を見ていて、改めて感じた。いつもそうだが本を読むと興味が無限大に広がっていく。この本からは定家の生きた時代、後鳥羽天皇、新古今和歌集、百人一首、嵯峨の中院への旅・・・。時間が足りない。あと、定家が猫を飼っていたとは驚きであり、微笑ましくもあり、嫁さんが飼ったから世話をしたというんもええなぁ。どんな顔して猫をゴロゴロさせとったんやろう。(6/23記)
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日記『明月記』を中心に藤原定家とその周辺を歴史的に見た書。細かいところだが定家邸の変遷とか、家族についての考察など大変興味を引かれた。子の為家が関東武士宇都宮頼綱の娘を妻にしていたとか、その縁で牧の方(このころは牧尼となっている)が登場したりとか、朝幕関係を考えるうえでもなかなか面白い。もちろん後鳥羽院とか京都側のことも。
『玉葉』はかなり研究されているが、『明月記』ももっと歴史的にちゃんと読み込んで研究すべきなのだろう。個人的には著者も取り上げきれなかったと書いている天文関係記事についてもっと知りたい。かに星雲関係は有名だが最近注目されているオーロラ記事など天文学史的にも歴史学的にも重要な記事が多そう。
Posted by ブクログ
1200年代の京都に住んでいた貴族の生態を「名月記」から考察した面白い本だ.当時の女性は天皇の后として男の子を産むことが、自分の一族の誉れであったようだが、本書でそれを期待していたが彼女たちの肉声はなかなか出てこない.ここでは定家の行動を追っているが、男として出世を願いながら、政敵との葛藤を勝ち抜くことも重要であり、定家の行動は1200年代も今もあまり変わっていないなと感じた.このような資料が残っていること、それを読める人がいることは、日本の文化としては非常に重要だと感じた.定家が家司として仕えた九条兼実、彼のカウンターパートであった源通親.それぞれの娘が男の子を産むがどうかで親の出世が決まる世界.何か腐臭を感じるが、通親が曹洞宗の高祖 道元の父だった可能性があるとの説もあり、貴族の世界の魑魅魍魎を実感した.
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藤原定家(1162~1241)が1180~1235の55カ年に渡って遺した日記『明月記』を家族、任官、荘園経営といった側面から読み解いたもの。家族に関する記述は特に充実している。筆者によると、『明月記』は多くの貴族日記と比べて私的なことを多く書き残しているため、中級公家定家の喜怒哀楽を窺うことができる。
『明月記』を通じて筆者がたどり着いた結論は、定家=ジコチュー(自己中心的性格)。殿上での喧嘩、任官への強い関心、後鳥羽院との仲違い、息子たちへの接し方など。源平の争乱や承久の乱を目の当たりにして、「紅旗征戎吾ガ事二非ズ」とうそぶいた精神も、この端的な例に加えられるだろう。もっとも、定家の「自己中心的な性格こそが、和歌の革新をもたらした原動力であった」。
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