ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
6pt
よく知られるように平城京・平安京以外にも、古代には数多くの宮都があった。王権の所在地であり国家統治の中枢だった王宮は、やがて「百官の府」と称され、京域に貴族官人や庶民が集住し都市文化が萌芽。それは遷都と造都を繰り返す中でもたらされた。半世紀以上にわたり、古代の宮都を訪ね歩いてきた著者が、過去の景観と現在を比較し、文献史料を再検討することによって、宮都の知られざる事実を掘り起こす。通説にとらわれずに史実を明らかにしてきた碩学による宮都案内。
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
日本の宮都の歴史、特に飛鳥から平安遷都までの期間を扱っている。タイトルからは観光の記録のように思うかもだが、実際に著者はカメラを片手に現地をよく歩くらしい。 日本の古代史にあまり詳しくなかったので、今も残る文献からここまで明らかになるんだなと驚き。田身嶺に関しての通説を文献を丁寧読んでひっくり返して...続きを読むいるのも。 遷都に伴って毎度のようにネズミが異常行動を起こしている。たとえば白村江での敗戦後の大津遷都や、難波遷都など。平城京に移ってからもフラフラしていた。山城は遷都されるまで山背だった。遣唐使は菅原道真により894にされたように教科書でも書かれていてそれが国風文化の発展に繋がったとされるが、実際は菅原道真が止めたのは個別の一件だけで、その10年後には唐が滅びていた。唐の後は宋と交易しているので、国風文化の発展は大陸からの文化を日本なりに咀嚼し吸収できるようになったと解すべき。
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
古代日本の宮都を歩く
新刊情報をお知らせします。
村井康彦
フォロー機能について
「ちくま新書」の最新刊一覧へ
「学術・語学」無料一覧へ
「学術・語学」ランキングの一覧へ
出雲と大和 古代国家の原像をたずねて
試し読み
千利休
藤原定家 『明月記』の世界
武家文化と同朋衆 ──生活文化史論
「村井康彦」のこれもおすすめ一覧へ
一覧 >>
▲古代日本の宮都を歩く ページトップヘ