藤原新也のレビュー一覧

  • なみだふるはな

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    石牟礼道子さんと、藤原新也さんの対談。東日本大地震の、いや、福島原発事故の後、3ヶ月後から行われた対談。石牟礼道子さんの語りが美しすぎて、、藤原新也さんの子ども時代との共通体験に話は滑らかに進行するが、今から10年前のこの時にも、今なお水俣病を発症し何世代にもわたりこの病に苦しまへている方がいる、この衝撃。私も学生の頃水俣にお伺いして、とてもおいしいお刺身をご馳走になり、今風に言えば、本当に利他の心、そしてダライ・ラマの教えに通じる慈悲の心に満ちた方々にお会いした、美しい海、風景を思い出しながら、今なお、、と思うと怒りが湧き起こる。当時は成長成長で風景を壊し環境や生命を破壊破損しそれが正義だっ

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    2021年10月13日
  • 渋谷

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    この本に登場する人物は多くない。主に3人の少女と、写真家藤原新也さんとの交流にスポットが当てられており、それ以外の人物や事象については、たぶん意識的にであろう、あえて脇役の役をあてがえられている。3名の少女にスポットを当てた新也さんの想い入れは相当なものだったろうと推察されるのである。

    おいらがルポライターとして、渋谷あるいは青山、六本木、原宿、等々の街中に行き交う少女たちを取材・執筆していたのは、かれこれ20年近くの時を隔てたときであった。当時の少女たちはと云えば、軽々しく高校中退を語って自らを主張していたり、あるいはメディアにはびこる軽薄な語彙を身にまとっては、自らをアピールしていた。そ

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    2010年12月05日
  • メメント・ヴィータ

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    たくさんの国に訪れて、たくさんの経験と知識があってそしてたくさんの考察をしたりして、すごい人だなとシンプルに思った。

    以前読んだ東京放浪はさっぱり覚えていないからもう一度読もうと思った。

    文章なのか文字起こしなのかはわからないけど、藤原新也さんに語りかけられてる気分で読めた。

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    2025年10月17日
  • なみだふるはな

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    ネタバレ

    水俣から福島へ。
    近代の日本史において、国と企業の闘いが前景化・可視化され始めたのがサークル村による一連の活動からだったとするなら、そこから半世紀以上たった今、石牟礼さんは何を思うだろうか(何を思って旅立ったのだろう)。
    本書は、写真家の藤原さんとの対談であり、震災を契機として露になった政府や企業の暴力性を足掛かりに、水俣病とその後(母胎を通じて継がれる苦しみは、現在のものであり、未来のものだ)に言及しながら、変わらない構造的な暴力が紡がれる。
    日本には教科書に書かれていない公害がたくさんあったし、今も規模の大小に関わらず起こり続けている。その姿に接してきた二人の語りには、どこか諦めに近い幻滅

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    2020年05月11日
  • なみだふるはな

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    作家・詩人の石牟礼道子(1927~2018年)氏と作家・写真家の藤原新也(1944年~)氏が、2011年6月に熊本市の石牟礼氏の自宅で3日間に亘り行った対談である。2012年に出版、2020年に文庫化された。
    石牟礼氏は、天草市(現)に生まれ、1969年に発表したデビュー作にして代表作『苦海浄土~わが水俣病』(第1回大宅壮一ノンフィクション賞の受賞を辞退)は、文明の病としての水俣病を鎮魂の文学として描き出した作品として絶賛され、1973年にマグサイサイ賞を受賞、その後も、数々の小説、詩集のほか、創作能なども手掛けた。ノーベル文学賞に近い女性作家とも言われた。
    藤原氏は、北九州市(現)に生まれ、

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    2020年03月17日
  • 渋谷

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    渋谷は、よく通る駅でも、買い物に行く街でもあるけれど、その裏側にはいろいろな物語がありそうだ。
    ”アダルトチルドレン”をわかるのには具体的にわかりやすい本。
    「風俗するような娘はうちにはいないわ」と思いあがっている世の中の母親たちへ、なんらかの気づきになるかも。

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    2012年08月24日
  • 渋谷

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    若いときは渋谷に行きたがる。学校サボって渋谷に行った。何をするわけでもなくただウロウロとする。それがカッコイイんだ。わるそーなヤツがゴロゴロいてなんか弾けててカッコイイ。スクランブルに紛れて何か自分というものが誤魔化せる気もした。そんな時代は誰にでもあったはずだ。思春期だ。大人になりたい。子供でいたい。そういうアンバランスさは渋谷の求心力にすぐひっかかる。それから浮遊する。何かに気づくまで。「ダメな子も社会のダメな子像に自分を当てはめようと必死なんです。それは最低でも無視されず、そういう姿でこの社会に存在できるということなんだと思います。」無理に当てはめることもないしカテゴライズする必要もない

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    2011年09月15日
  • なみだふるはな

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    誠に失礼ながら、紹介きっかけで本書を紐解いたため、著者両名もどんな中身なのかも知らないまま、お二方の語りを傍で聴かせていただくことになった。
    近代化には様々な犠牲が伴う、という文脈の教育を、小中学校で盛んに受けてきた世代だが、とはいえ社会は過去に起きたことを繰り返さないようプロセスを見直しながら「それでも近代化に向かっていく」ということに変わりはないのだな、と感じていた。
    そんなスタンスの社会(あるいは、直接的な被害を受けずに近代化の利益を享受できている社会構成員全員)に対して、当事者は何を感じるか?「許す」というワードに得心がいくところがあった。
    色々なものを駄目にしながら社会が(勝手に?)

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    2025年09月01日
  • なみだふるはな

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    ネタバレ

    石牟礼道子 1927年~2018年
    藤原新也 1944年~
    (84歳くらい、と、67歳くらい)
    が、2011年の6月に三日かけて対談し(福島原発事故の後、3ヶ月後から行われた対談)、2012年3月に共著として刊行。
    当然2011年3月の東日本大震災への言及多い。
    この文庫は2020年。
    を2025年ようやく読んだ。

    水俣病と、福島原発と。
    正直な感想として、石牟礼晩年の10年は「働かせすぎじゃねぇの」と思わないでもないが(近代化の罪は、もう夢幻境で遊んでいてもいい人を、再度引っ張ってこなければならない状況を、またもや作り出してしまった)、対談の中でも「苦海浄土 第四部」を構想しているというく

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    2025年04月21日
  • なみだふるはな

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    水俣病も東日本大震災も確かに日本で起きたことで、傷ついた人たちは今でもたくさんいるということを忘れないでいるにはどうしたらいいんだろうか。
    怒るのではなく、責めるのでもなく、人に伝えるにはどうしたらいいんだろうか。

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    2021年09月26日
  • なみだふるはな

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    「この世には尊貴なものがあるのだ、と。それは身近にあるかもしれない。そのことに気づいて死ななきゃいけないと思っています。」

    石牟礼道子は、尊貴なものを感受し、詩に換えてこの世に現出させるシャーマンのような作家だったと思う。

    福島原発問題を、水俣事件の闘士がどう捉え、何を嘆き、どこに希望を見出そうとしているのか、という点が読みどころ。

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    2021年08月20日
  • 渋谷

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    1944年生まれというから、藤原新也は私よりも随分と年上になる。この本からも伺えるけれども、しかし、好奇心のあり方とか行動力とか、あるいは感性そのものをとってみても、非常な若々しさを感じる。

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    2011年07月25日
  • 幻世

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    '70〜80年代に書かれたエッセイ、雑文集。著者のスタンスは内在するオブザーバーとでも云った微妙なもの。時代を反映しているので、読み物としては面白い。

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    2009年10月07日