ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
3pt
親の前で厚化粧し、風俗で素顔になるユリカ。あらゆるイジメに遭い、過干渉な母親のもとで自閉ぎみになったエミ。母親との確執から家を飛び出し、デートクラブへ通った元コギャルのサヤカ。少女達は口々に「本当の自分を見てみたい」と言い「母親は自分を本当は愛していないのではないか」と葛藤し、揺れ動いている。写真家・藤原新也が“いま”をカメラで写しとるように、日本でリアルに起きている母娘の歪んだ愛憎関係をあぶり出す、戦慄のドキュメンタリー。映画化原作。
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
この本に登場する人物は多くない。主に3人の少女と、写真家藤原新也さんとの交流にスポットが当てられており、それ以外の人物や事象については、たぶん意識的にであろう、あえて脇役の役をあてがえられている。3名の少女にスポットを当てた新也さんの想い入れは相当なものだったろうと推察されるのである。 おいらがル...続きを読むポライターとして、渋谷あるいは青山、六本木、原宿、等々の街中に行き交う少女たちを取材・執筆していたのは、かれこれ20年近くの時を隔てたときであった。当時の少女たちはと云えば、軽々しく高校中退を語って自らを主張していたり、あるいはメディアにはびこる軽薄な語彙を身にまとっては、自らをアピールしていた。そんな現象をおいらは「メディアキッズ」と称しながらの、取材体験が続いていたのだ。 「高校生の崩壊」(双葉社)という1冊にまとめたそのドキュメントは、教育の現場における「崩壊」をテーマとしていた初めての書籍である。その嚆矢となるべき1冊であった。良い意味での軽さ、織田作之助流のいわゆる軽佻浮薄さを、おいらは好意的に受け止めて、レポートを書いていたという記憶を持っている。だが確実に、「渋谷」の登場人物たちは変貌を遂げたのだろう。藤原さんでなければ決して表現・証言し得なかったであろうやり取りを目にする度に、渋谷は大変な事態に突入しているであろうことを想うのである。
渋谷は、よく通る駅でも、買い物に行く街でもあるけれど、その裏側にはいろいろな物語がありそうだ。 ”アダルトチルドレン”をわかるのには具体的にわかりやすい本。 「風俗するような娘はうちにはいないわ」と思いあがっている世の中の母親たちへ、なんらかの気づきになるかも。
若いときは渋谷に行きたがる。学校サボって渋谷に行った。何をするわけでもなくただウロウロとする。それがカッコイイんだ。わるそーなヤツがゴロゴロいてなんか弾けててカッコイイ。スクランブルに紛れて何か自分というものが誤魔化せる気もした。そんな時代は誰にでもあったはずだ。思春期だ。大人になりたい。子供でいた...続きを読むい。そういうアンバランスさは渋谷の求心力にすぐひっかかる。それから浮遊する。何かに気づくまで。「ダメな子も社会のダメな子像に自分を当てはめようと必死なんです。それは最低でも無視されず、そういう姿でこの社会に存在できるということなんだと思います。」無理に当てはめることもないしカテゴライズする必要もないような気もするけれどな。無視する方もよくないな。カノジョたちはとにかく本気で自分の話に耳を傾けてほしいんだ。浮遊している理由がちゃんとわかるまで。無自覚のままココにたどり着いちゃったわけだから。自分のことそんな風に考えたことなかった。そんな自分に気づくことがなかったというのが思春期も終わりにさしかかる頃ようやく気づくことで。それまで思春期っていうのは継続的に浮遊しているんだ。わかりやすい一文があった。「格好やものの言い方が派手な子というのは、割と底が割れている子多いんだよね。」
1944年生まれというから、藤原新也は私よりも随分と年上になる。この本からも伺えるけれども、しかし、好奇心のあり方とか行動力とか、あるいは感性そのものをとってみても、非常な若々しさを感じる。
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
渋谷
新刊情報をお知らせします。
藤原新也
フォロー機能について
「文春文庫」の最新刊一覧へ
「ノンフィクション」無料一覧へ
「ノンフィクション」ランキングの一覧へ
なみだふるはな
幻世
「藤原新也」のこれもおすすめ一覧へ
一覧 >>
▲渋谷 ページトップヘ