福原義春のレビュー一覧
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1文字のタイトルは、実は、お目にかかったことが
ない。私にとっては非常に新鮮な印象を受けた。
また、サブタイトルにも好奇心に駆られた。
本書は、全部で6章から構成されている。
美意識や創造力、教養といった関心のある言葉が
並び、知的好奇心をくすぐる。
筆者は、自然や本物に触れることの大切さを説く。
これらは人としての感性だけでなく、教養をも豊かにするという。ここで、教養とは、筆者によれば、自己の中で知性に変換された人間性の一部であるようだ。
すなわち、特定分野における学びは、その他の分野にも活かされることがあり、複数分野を学ぶと、無意識的に既学習分野の価値観等が未習分野に恩恵を与えることになる。
つまり、特定分野の経験等が、他分野に対する潤滑剤となって新たな面を創り出し、やがては、物事を立体的に浮かび上がらせるようになるはずだ。
本書は、教養等の見えないものをみることについて考えるよいきっかけになった。元昆虫少年としては、スズムシ等の昆虫の鳴き声に関する描写が、
刺激的だった。
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Posted by ブクログ
装丁で本を選ぶことは多いけど、ここまで表紙しか見ずに買ったのは初めてかもしれない。いつもはちゃんと著者のプロフィールを見てから買うのに、この本は手に取ってすぐにレジに持って行ってしまったから、著者が資生堂の名誉会長であることを知ったのは読み始めたあとだった。表紙にもちゃんと肩書きが書いてあるのに、なんで気づかなかったんだろう。
それくらいこの本の表紙に、というか書名に惹かれたのは、読書術の本やビジネス書を読む中で「教養」というワードにたくさん出会ったからだ。教養というのはすごく大事なもので、しかもそれは本を読めばある程度身につく、という説はどの本にもわりと共通して登場する。でも「教養」ってなんだか漠然としていて、実体がないからいまいち掴めない。それでも私は「教養ある大人」にどうにも憧れてしまっているので、この本を読めば憧れの教養が身につくかもしれない! と期待したのだ。
この本では著者自身の豊かな読書体験について、具体的な書名を挙げながら淡々と、ときに熱く書かれている。読書の楽しいところと楽しいだけじゃないところ、古典を読むことがなぜ大切なのか、そもそも人はなぜ本を読むのか。私が一番気になっていた「教養」の部分については、冒頭でいきなりぐさっとやられた。
「ではなぜ、あなたは『教養読書』という書名の本を手に取ったのだろうか。『教養』の本質を確かめようと思ったのか。あるいは、読書によって得られる『教養』を期待したのかもしれない。いずれにしても、より良い本を求めてるのではないか」(本文より引用)
ここまで図星だと何も言い返せない。この人の言うことはちゃんと聞こうと思ったし、実際、この本の中で紹介されているいくつかの本は今すぐにでも読みたくなった。
それから私は偶然にこの本と並行して松岡正剛氏の『多読術』を読んでいたので、『千夜千冊』の話題が出たときはおお! と思った。同時に読んでいる2冊の本に共通の話題が出てくるのっておもしろい! 同分野の本を複数読んでいるとこういうこともあるんだなあ。
【読んだ目的・理由】読書を通じて教養を身につける方法を知りたかった
【入手経路】買った
【詳細評価】☆4.3
【一番好きな表現】古典の教養を共通して身に付けているということが、互いの能力や考え方への信頼感になっているように思える。それはまるで扇の要のところで、大切な価値観がしっかりとつながっているようなゆるぎのない感覚ではないだろうか。(本文から引用) -
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ネタバレ資生堂名誉会長の著者による、読書について論じた本。
著者が幼いころからどのように本に接して来たかから始まり、影響を受けた本の紹介、読書がいかに重要か、そして現代の本・出版を取り巻く問題点まで、内容は多岐にわたる。
影響を受けてきた本の章では、ガレア戦記や方丈記等の古典、陰影礼賛などまで、厳選された数々の本を紹介している。単なる紹介ではなく、その本を読むことの重要性や、その本の中の名文などが語られ、本当にその本に慣れ親しみ、愛読していることがわかるのだった。
著者の書く文章も平易だが洗練されており、知性の高さをひしひしと感じた。
以下、一点だけ引用。
”私は、教養とは、情報(データ)や知識(インフォメーション)が元の形のまま集積したものではなく、人間という入れ物の中で知性(インテリジェンス)に変換された人間性の一部ではないかと考える。 では、人間の本質を見極めることがなぜ必要なのか。それは自分の中に、ぶれない軸を作る必要があるからだ。” -
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資生堂の名誉会長が読んできた本の振り返りと、それを踏まえて現代の「読書」に対する筆者の主張が掲載されている。
強く思ったのは、この人の家庭の文化資本というのは大変高かったということ。
本を買い与えられて育ったという環境に「本を読む」という行為は強く依存するものではないかということ。
だから、単純に「本を読め」と言ってもそれは難しいことで、「本を読まない」家庭と「本を読む」家庭とのギャップを埋めないことには、同じようなスタートを切れないような気がするなあ。
と思ったのでした。
でも、大体の部分に同感。
今回新しく買った本は、大体ここからのチョイス。 -
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2011年最初に読んだ本。父さんが紹介してくれた本で、なぜ読書をするのか?という読書をする以前の根本的な問いを改めて考えることが出来、これから1年間を過ごしていく上で良い刺激になった。
資生堂社長の福原義春さんの読書に関する考え方で、なぜ本を読むのか、本を読む大切さを福原さんの経験に基づき分かりやすく書いてある。基本的なことと言ってしまえばそうであるが、自分の中に刻んでいきたい。
・本を読まないとは偉大な損失である。
一人の人間が一所懸命、一生をかけて色んな事を考え、経験を積もうと思っても、所詮一人がやることは僅かな領域。
我々の祖先の人々が経験し、考えたことが本になって膨大な「知」が残っているのだから、それを読んでいくことによって、私たちの一生は厚くなり、深くなる。
・書友を作る
共に本を読む仲間が読むべき本を教えてくれる。網を大きくしアンテナを広げると、大切な情報はいくらでも入ってくる。
・本にも旬があり、人が本を読むにも旬が大切
いつか読もう、買った本を机に置いていてはいけない。その時に読み、吸収した栄養をその時から人生に、仕事に役立てるべき。
・教養とは情報・知識の積み重ねでなく、人間という入れ物の中で知性(インテリジェンス)に変換された人間性の一部
11/1/1 No.1 -
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「人が本を読まなくなったのだという。それでいいのだろうかと怪しむ。何やかやと忙しくて時間がないからだともいう。そんなに忙しければ、朝起きた時に顔を洗わなければいいじゃないか。晩飯を抜いたらどうだろうか。それは困るというなら、どうして本を読むことだけをやめてしまうのか。」
「私という人間は、今まで読んでた本に編集されてでき上がっているのかもしれない。」
「私は、教養とは、情報(データ)や知識(インフォメーション)が元の形のまま集積したものではなく、人間という入れ物の中で知性(インテリジェンス)に変換された人間性の一部ではないかと考える。」
「日常の経営は、日々変化する個別具体の一回性の出来事への対応である。したがって、一般的な論理分析型モデルだけではその本質を理解できない。繊細な観察から日常見過ごしている『あっ』という気づき(文学的感性)から、その背後にある真善美の根拠を考え抜き(哲学的思考)、起承転結の物語(歴史的流れ)のなかで、適時の判断と行為を起す状況認知能力が必要である。これは自らの生き方に照らし、特殊(個別)のなかに普遍(本質)を見る教養の能力である。」
「本の選択とは、自分が何を読むかを編集することだ。そして、本を読んでしまえば、やがてそれらの本によって編集された自分が出てくるのである。」
「人が何を食べているかを知るということは、その人を知ることである。同様に、その人が何を読んでいるかを知ることもまた、その人を知ることになるのだ。」
「結果として、ある分野のことを追求したことが別の分野で役立ったし、仕事と私生活の境界がなくなったことで、仕事も私生活も充実した人生を送ることができた。それを「複線人生」と名付けたのである。これからの企業人には必要になるコンセプトではないだろうか。」
「かつてミシガン州立大学で「マーケティング」の講義をされていたウィリアム・レーザー教授が、経営のいちばん基礎の部分にフィロソフィー(哲学)、その上にプリンシプル(思考・行動の原理)、さらに上に載っているのがストラテジー(戦略)だとおっしゃっている。」 -
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羅針盤としての社史
数年前、企業史料協議会という団体からの依頼を受け、講演をした。聴衆の多くは企業内の記録・保存業務にたずさわる方々で、言ってみれば「どうやって社史をつくるか」という専門家だったのだが、私は経営者として「なぜ社史は必要なのか」ということを中心に話した。
企業は社会の要請に応えながら歩みを重ねる中で、それぞれの特色をもった知的・感性的価値を生む。それが企業文化だ。研究開発によって得られたノウハウ 、 製品や広告のデザインや会計処理の仕組みに至るまで、企業内の人間の営みすべてが企業文化をつくる。さらにそこで醸成される雰囲気や特有の思想、行動様式が企業風土となる。
そう考えると、創業して1年の新しい企業にも1年分の企業文化があり、それを積み重ねれば独自の企業風土も生じる。そういう無形の文化資本に光を当て、次の世代に受け継ぐのが社史の役割だ。
中国の『史記』や我が国の『日本書紀』は、単なる記録でなく、国家や国民という概念のよりどころとなり、その後の社会創造に役立った。
同様に社史も、単なる事実の羅列ではなく、連帯感を強めながら業界や企業の歴史的位置を確認し、理念と使命を表明するものだ。よって、そこに記される歴史的事実は先導的な記憶でもあり、社史には未来のための羅針盤ともいうべき重要な役割がある。
先が見えない時代に重要な判断を下すには、どうしても歴史観の裏付けが必要だ。 チャーチルは「過去をより遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう」という言葉を残した。今日明日のことを考えるためには昨日の記憶だけでいいが、長期的なビジョンを描くためには、先人から受け継がれた組織的な経験知に基づいた深い哲学がモノを言うのだ。
しかし、それは、過去の物差しをそのまま現在や未来に当てはめることではない。
過去の出来事や経営判断の記録と同時に、それがどんな社会的背景のもとで行われたかが記されていなければ、未来を示す羅針盤にはならない。
これは企業だけの問題ではない。学校も役所も国家も、それぞれの歴史を通してつむいできた経験や知恵が何らかの形できちんと残されているか、それを未来のためにどう役立てられるか、もう一度点検してみるべきだろう。
最近、家庭用品で有名なライオン株式会社から社史『ライオン120年史』をいただいた。同社を創業したのは、明治期の社会運動家・実業家の小林富次郎氏だ。 氏の葬儀の記録映画は、日本で撮影された最初期のフィルムとして国の重要文化財に指定されている。その社史も、社会的責任を重んじる企業風土を反映し、事業だけでなく消費社会の動向も示唆するものだ。近現代史の資料として、この先も読み返されるだろう。
高い志で編まれた社史は、過去だけでなく未来も照らすのだ。
(2014年11月2日) -
Posted by ブクログ
仕事や生活を豊かにする読書することのすばらしさを書いている。自分はそもそも洗脳的に読書っていいもんだと思っているから「書を捨てよ、町に出よう」じゃないけど本を頼りにするばかりは抑えたほうがいいと思っているんだけど、本書のまえがきに「書を読んで、町に出よう」とあり、そっちのほうがよいと思う。とはいえ、福原さんも刊行当時にしてけっこうな年輩の方。確かに読書は大切だけど、読書だけで知を養えるとも思いきれないのが現代だとも思う。ITとかも要は使いようなんだろうけど、本を読むことも併存させながら自分の知を築いていくようにしよう。
書中でも触れていた福原さん提唱の「サクセスフルエイジング」っていま風にいえば「ウェルビーイング」ってことかな。