ブライアン・クラースのレビュー一覧
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ネタバレ【「偶然」はどのようにあなたをつくるのか】 ブライアン・クラース 著
「万事は理由があって起こる」という収束性と、「物事は単に起こる」という偶発性との大きく二分類を比較し、後者に力点を置いた本です。
冒頭、具体例として原爆投下の事例を紹介します。かつて京都を訪れた米国人夫婦がその美しさに魅了され、その後、夫が原爆投下チームに配属。チームでは一番打撃の大きいと思われる京都への投下計画がなされるなか、京都に魅了された彼が強硬に反対して広島・小倉などへと変更。広島投下後、小倉への投下は当日雲が多くて「標的」が確認できず、長崎への投下に急遽変更。「もし」この夫妻が京都を訪問していなければ、「も -
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生物的、制度的、心理的などの側面からなぜ権力を持つ人が腐敗しやすいのかを明らかにしていく。
「神の目」が腐敗を防ぐ。しかし「神の目」を設定するのは権力者であり、それを設定させることができるのだろうか?トランプさんは悪人だと私は思う。けど彼を制する「神の目」を誰がどうやってせっていするのだろうか?
一般社会への監視の目は強くなる一方で、上位層にいる人たちへの監視は果たしてどうなんだろうか。
会社を考えた時もそうだ。
隣近視との付き合いの大切さや宗教が役立つ意味などまで考えが広がっていく。
隣近所や村が共同体として生きていた時代の日本は、相互監視が成立していたと思うが、それが腐敗の抑制に役に立っ -
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人間の行動を決めるもの、存在を決めるもの、意思を決めるもの、状況を決めるもの、いろんなことは「偶然」に支配されている。
偶然とは、人が自分でコントロールできないもの、という意味で使っているようだ。
複雑系におけるほぼカオスの縁。人は実は常にそこにいる。
自分でコントロール出来ないものは、歴史でもあり空間でもあり、あらゆる関わりであり得る。
人が世の中を理解する様々な手段は所詮、モデル、経験であり、シンプルなものは常に誤っており、複雑なものは役に立たないのが現実だ。
本書ではさまざまな「偶然」の具体例を挙げている。
かなり面白く読める。
最後の方よく繋がりがわからなくなって来 -
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より悪質な人が権力を掌握するのか?、権力が人をより悪質にするのか?、私たちはなぜ自らを、明らかに支配権を握らせるべきではない人に支配させるのか?といった問いを命題として権力の腐敗について述べた本。各章の結論めいた部分にたどり着くまでのエピソードが冗長に感じられ、なかなか要点のわかりづらい構成だった。
腐敗しやすい人は権力に引きつけられ、権力を手にするのが得意であることが多い。汚れた手(目的のために清濁併せ呑む覚悟)、学習(人間心理の急所を突く学習)機会(善人が躊躇する一瞬の隙)、精査(他者を監視し、自分の化けの皮を剥がされないように計算する能力)
という4つの要因のせいで、人は権力を持つと実際 -
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決定論(宇宙のすべての出来事は物理的・化学的法則によりあらかじめ決定されている)vs自由意志(外部環境や運命に支配されず、行動主体が自らの考えで選択する)
この作者は世の中は偶然の積み重ねによる決定論である。
良い社会とは、不確実を受け入れ、未知なことを大切にする。日常生活の一日一日を探求や素朴な楽しさ、愉快な驚き、つまり偶然の巡り合わせで満たすこと。コントロールしようと思わず、社会を簡単な方程式で矮小化しないこと。
あまりにも現代は最適化され、予定を入れすぎ、計画を立てられすぎ。知らないことを探索しながら、知っていることを活用していくバランス。
避けようのない不確実性に対して、プロセス -
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序章は歴史が示す今までの悪人の例。そして、悪人なのは生まれつきなのか、後天的なのか。その例として3歳児の実験をしている。そこでもともとは不正はしてはいけないと思っている人が多かった。
では次にどうして悪人はできるのか。
権力や環境でその確率は上がる。また周りの目や意識によっても格差や階級が生まれる。
そして、権力を持つと腐敗する。
第9章はなかなか興味深く、権力や地位は健康や寿命に影響を与えるというもの。
上の階級のサルはコカインか食べ物かの選択で誘惑に抗い食べ物を選んだ。「厳しい要求と少ない 裁量権の組み合わせ」が 問題である。
ストレスといってもボス猿のような圧倒的ストレスにさらされ常 -
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ネタバレこの世界は決定論か非決定論か?
筆者曰く、この世界は因果的に決定される。これは目的論的な運命論とは異なり、個人の自由な選択含め全ての事象は"複雑に絡み合っていて予測もコントロールも出来ない(これを筆者は偶然性または不確実性と呼ぶ)原因の数々"の結果として必然的に引き起こされる、とする決定論。
…とすると自由意志なんてものはないのでは?と心配になるが、筆者は決定論と自由意志は両立しうる、いわゆる両立論の立場を取る。筆者の意図とやや異なる部分があるかもしれないが、ここに"偶然性"を絡めて考えると、自分の選択は因果的に決定されるものの、偶然という予測不可能性が