佐藤彰一のレビュー一覧
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五世紀ころ聖ベネディクトが定めたベネディクト戒律は修道院における生活を厳しく律した。
罪を告白する習慣は六世紀アイルランドの聖コルンバヌスに由来する。フランク王国においてコルンバヌス修道世が広まった。貴族は魂の救済を求め教会に土地を寄進した。地上の喜捨が天国の宝になるというアウグスティヌスの論理に基づく。
弛緩していたガリア教会に比べ厳しい戒律を持っていた。シャルルマーニュの子ルイ敬虔帝は公開の贖罪儀式を行った。これは政治的紛争の解決の手段であった。
修道院は多くの土地を所有し農奴による生産が行われた。中世農奴制にとって修道院は重要な存在である。
分割後のフランク王国は、9世紀頃、ムスリム、バ -
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宗教改革が発展していった16世紀、ローマ教会はプロテスタントとの争いから目を転じて信徒の拡大を目指し、世界へ進出していく。その一環としてイエズス会があり、ザビエルらの日本宣教があった。それまでの欧州にとって、隣接しているイスラム世界は全くの異世界ではなく、遠く離れたアジア、新大陸アメリカこそが未開の地だった!世界各地での洗礼者が激増し、正に世界宗教に発展していく。新興のイエズス会はポルトガルと、旧来の托鉢修道会(フランチェスコ、ドミニコ、カプチノ、アウグスチノ会など)はスペイン王国と共同し、日本はイエズス会の独占活動だった。そこにフランチェスコ会の日本進出、スペインの徳川との対立が持ち込まれた
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信仰を深め全うするために世俗的・肉体的な欲望(特に性的なそれ)から離れようとする志向は、洋の東西を問わず多くの宗教に共通する。そうした「禁欲」の中でも、キリスト教における代表的なあり方である「修道院」制度の成立を追った一冊。
修道院という制度は、どのような理論や信念のもと成立したのか。そして、それらはどのようにして受容され広くヨーロッパ全土へ広がっていったのか。
著者はまずその前提としてギリシア文化や帝政ローマの状況から始める。ギリシアやローマにおいてもやはり禁欲は重要な位置を占め、それがキリスト教的な修道院制度の萌芽を支えたという。
そして、後半では4世紀以降、修道院制度がガリア地方に広く伝 -
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6世紀までのキリスト教修道院の歴史的思想的背景を考察。新書にしては極めてマニアック。
ギリシア時代の肉体の鍛錬、食事への関心が大元となり、その後ローマ時代でのより官僚的な状況での形式化された欲望の統制に変容していく。一方婦女子の抑圧された状況から彼女らがキリスト教とそれと結びついた禁欲主義に傾倒していき、ローマ世界のキリスト教化の契機となる。一方同時期のエジプトでは町を離れた僧が砂漠に庵を構えて修道生活に入り、それが大量化集団化し修道院の源流となる。寄進と労働によって質素な食料をまかない、生活道具の政策/写本などの労働を行う。
ローマがゲルマン人に駆逐される中で流動化した貴族層が修道生活を選択