犬怪寅日子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
一族の男はある時羊へと姿を変え、残された一族の人間はその羊を食べる。主人公はその羊を捌き料理するアンドロイド。
と、なんだかさっぱりわからないことを読みながら理解、儀式的な羊の解体シーンへと繋がる。
アンドロイドを通して見る世界を見ているので、表現が回りくどかったり意味がわからなかったりするけれど、世界をこのように見ている人がいるのかと離れて見ると、一族が関わるものは美しく、関わらないものには興味がないのだとわかる。
一族に継承、アンドロイドに生まれ変わりの役割をそれぞれ交換して何かを生み出そうとしているのか?と考えたけれど、一族を一つの家族として存続させるための役割として羊とアンドロイドがあるのではと考える。多分羊に変わり始めたのも一族始まってからではないと思うし。
不思議な世界に少しだけ浸るために。 -
Posted by ブクログ
一族の男性は死を前に御羊に変化し、その後屠られて一族に饗される――そんな一族を近くから見守る人間型の機械(アンドロイド)の視点から描かれる、ある当主の御羊化に始まる物語。SFというより幻想小説だけれど、この一族が何なのか、一族以外の人間はどう暮らしているのか、いつの時代のことなのか、どこの国のことなのか、それらは一切説明されない。語り手についても、見た目を含め詳細な仕様は明かされない。けれどそうした語られないディテールが気にならないほど、語り手の美しくも少しほころびのある言葉によって紡がれる濃密で独特な世界の空気に引き込まれる。
浮世離れしているのにそれぞれに色濃い生を生きているこの一族の、閉じているのに果てしがない、積み重ねられてきた歴史。その歴史に寄り添い、有限の生の巡りを見届け続けてきた語り手の胸のうちから溢れる思いは、「人間的」な存在として作られただけあって、非人間でありながらとても人間的。なすべき務めは淡々と果たしながらも、命を慈しみ、一族を愛し、最後は有限の生を持たぬものとして与えられた柵を自らはみ出してゆく。
人は誰しも、少なからず柵と枷の中で生きる。それは性別であり体質であり、生まれ、運命、矜持である。作中で、女性たちはそうした柵や枷に、果敢に挑んでいく。愛ゆえに進んで枷にとらわれる者もいれば、本能が叫ぶままに柵を超えようとする者もいる。一方で、御羊になる定めの男性たちは、それぞれの柵や枷から解き放たれることはない。定めの生の中で時に虚ろな人形となり、抗いは病に負け、御羊となり歴史の一部になっていく。
愛ゆえに柵に挑み枷を乗り越える語り手の衝動は、人間的なのだろうか、それとも非人間的なのだろうか。人間的な非人間として作り出された語り手の、非人間性と人間性のあわいに立つまなざしと行動が、「人間らしさ」とは何かという問いとなって胸に残る。
愛を持つアンドロイドと言うとカズオ・イシグロの「クララとお日さま」を想起するが、この語り手はAF(人工親友)とはまったく違う。語り手は愛をプログラミングされた商品ではなく、一族のためにただそこにいること、一族の歴史の目撃者になることを求められている。その、時の流れの積み重ねが、語り手の中に愛を生んでいる。
御羊解体と大旦那様との往時の思い出が並行して語られる場面は、具体的な言葉としての表現はないけれども、見守り続けてきたいのちへの強い強い愛を感じる圧巻のクライマックスである。同時に、愛するいのちを解体し見送ることのできる存在であることの非人間性、むしろ超人間性が恐ろしくも感じられる場面でもある。
この語り手がいなければ、御羊を饗する儀式は続いてきただろうか。御羊にはならない主人に作り出された語り手は、一族を守るものだったのか、一族を呪うものだったのか。人間性について、愛について、お伽噺めいて静かな非現実感の中から一気に生々しいいのちの現場へと展開する荒々しさに揺さぶられながら、強く心が刺激された作品だった。 -
Posted by ブクログ
ハヤカワSF公式Xの新刊情報で認知。「タイトル良し、カバーイラスト良し、あらすじ良し」と、三拍子が揃っていたので、予約して購入。(結局、読み始めたのは購入から1年以上経ってから。積読族あるある。)
男性が死の間際に「御羊」に変身する一族に仕える「わたくし」は、その肉を捌き血族に食べさせることを生業としている。ついに当代の大旦那様が御羊になった日、「わたくし」は儀式の準備を進めるが、一族の者たちは「御羊」に対して複雑な思いを抱いていた。かれらはなぜ、何代にもわたり血族の肉を食みつづけるのか。人間は/機械は、何のために存在するのか―――(カバーそであらすじまま)
「男性が死の間際に"羊"となり、"羊"となった血族を残された者が食す」一族に仕える"アンドロイド(=わたくし)"の視点で描かれる幻想小説(多分)。
「今現在観察していることに関する記述」と「過去の記憶(記録)に関する記述」が、(ほとんど)切れ目なくつらつらと書かれており、これがまあ読みにくいのなんの。おそらく、全てを記憶して自由に記憶を呼び出せるアンドロイドが、誰に向ける訳でもなく述懐しているからだろうが・・・。(「好きな人には堪らないが、合わない人には苦痛」、本作が「幻想小説」であると評したのはこれ故。)
ほぼ間違いなく、フィリップ・K・ディックの名作SF『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が意識された本作。前述の作品では、「人間と機械(=人間と見分けのつかないアンドロイド)の差異」は「共感力」であり、それが「人間らしさ」として描かれている。本作で登場するアンドロイドは、経験によって「共感力」を得て人間に近づくことが可能であるが、毎夜、その日に積み重ねた"経験値"をリセットして、あえて人間に近づけないようにしている。それは、「御羊」となった一族の男性を捌いて、遺された者に饗するという役目や、「人間ではない完全なる他者」として気兼ねや柵のない聴き手としての役目を果たすための措置なのだろう。
上記内容を作品全体通して描かれていれば面白かった(=私の好みだった)のだが、これが明かされるのが本当に最後の最後で、作品の9割は、先述したようにアンドロイドのとりとめのない述懐を記述した内容なので、残念ながら私には合わなかった。 -
Posted by ブクログ
男性が死に至る時に羊になってしまう、そしてその羊を家族で食す…という儀式を脈々と行う一族の人物史を、家に仕えるアンドロイドの目線で描いた小説。
アンドロイド視点の語り口調だからか、地の文も不思議で不安定な文体で、幻想文学が好きな人は好きなんじゃないかなと思った。私は好きです。
どこまでが回想でどこまでが今のことなのか混同するような書かれ方を度々するけれど、彼女の視点で、思考で出力されたものをそのまま見せてもらっているような体験で面白かった。
とはいえ全部を理解できたとは思えないし、家系図を何回見に行ったかも分からない。
男性だけが羊になること、は一体どういうことを伝えたくてできた世界設定なんだろう。
読みやすい作品とは言えないと思う、んだけど、惹き込まれる何があって、一気に読んでしまった。
現実の私たちの世界では男性は羊にならないし、家族だった人を食べるようなこともしない。ただ、儀式を繰り返しながら続いていく家族の姿を見ていると、生まれて死んでを繰り返して家族が続いていく人間の営みが続く先に一体何があるんだろう、意味なんかあるのかな、と喪失感のようなものを覚えた。
1番下の4兄弟が皆魅力的で、これだけの登場人物がいる中での色付けがすごく素敵だった。
「ここはすべての夜明け前」を思い出すところがたびたびあった。
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Posted by ブクログ
ネタバレ一度挫折して、もう一度読み直したら、意外とするするいけました。
幻想小説だということを念頭にして、ひとつひとつの事象を自分なりに解釈して受け入れることが必要ですね…
(霧に存在が溶け出して、また自然に戻ってくるとかごく普通な様にやり出すし)
やや不安定なアンドロイド視点で、過去にいきなり飛んだりするのも、難読原因かも。
だけど、登場人物たちの心情や、キャラクター性、その奥行きに想いを馳せることができれば、なかなかない小説体験ができます。
なんの話?とかどういうメタファー?とかは、何度も読み直して自分なりの解釈をするしかないと思いますが…