上坂あゆ美のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
30歳前後の若い歌人のエッセイと歌、だったのだ、この本。
少女時代の、家族や友達を呪うような文章がのっけから出てきて、
そしてそれが妙に面白かった。
途中目次のようにみそひともじが一ページの真ん中にどーんとでてきて、、
エッセイひと塊を総括する歌と、途中で気づく。
やんちゃな両親と姉に囲まれ育った彼女は、
そのエネルギーを歌に向けた、ってことなのかな。
なんだかよくわからないけど、おそらく自分の娘と同世代の女性のエッセイ、
何だかエネルギッシュだった。闘ってた。
以下目次、っていうか、これが各エッセイの総括なのね。
ほんとうのことがこの世にあるとしてそれは蟻の巣的なかたちだ
人生でまだ -
Posted by ブクログ
ネタバレ地獄を描いた希望の書
はじめて読む上坂さん
どんな人に影響を受けてどうやって生きてきたか、それが全てわかるエッセイ 周りに登場する人物たちが与えたものや言葉がいかにして上坂さんという人間を作っているか、ということを思い知った 他者は自分の媒介者と言うけれど、それが体現されている気がする
あともくじのデザインが良い タイトルも短歌になってるのかな?
「大体の人間は、25歳でようやく人間に成るのではないか」にすごく共感した
わたしもずっと自分のこと人間になりかけだと思っているし、なにができてなにができないのか、わたしはどう考えてどう行動するのか自分のこと全然わかっていない 今まで限界だと思って -
Posted by ブクログ
ネタバレ全く同質じゃないふたりの交換日記を読みながら最近の人間関係を重ねたり、ここ数年知人達にフェミニズムが全然賛同を得られなかった時の悔しさとそれによる失敗の数々や身近な友人との会話で感じていたわからないを思い出した
わりと長い年数をなんとなく摩擦が起きずらくする処世術でやりすごして来た身としては、居心地が悪い本だったし、2人の書いてる事が腹落ちしなかったりして、心から楽しめたのか?と言われれば、たぶん違いますね。と答えると思うが良い意味でもそうでない意味でも引っ掛かりというかチクチクする刺さりがたくさん感じられたし、何よりここが降りるべき駅だとわかっているのに読む事を止められず数駅先まで行って戻 -
Posted by ブクログ
ネタバレ・人間が一番恐ろしいのは、自分や他人を、どこのボックスに入れていいかわからない状態なのだと思う。〜そうやって雑なラベリングによる仕分けをすることで、誰もが安心したいのです。だけどそれは、難易度が低い生き方です。ほんとうは世界は二元論ではない。〜世界が二種類に分けられるわけがなく、本当は、そういう二つの事象の間に、数百、数千、無限通りのケースがある。それをたったの二つに分けて安心したがるのは、それこそ加害性を多分に孕んだ行為です。
・楽しんでつくっている人に、頑張ってつくっている人は敵わない
・人生には「can」なことと「can’t stop」なことがあり、収入に結びつきやすかったり、人から -
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Posted by ブクログ
ネタバレ自分のことを、相手のことを、ここまで細かく言語化できるってことは普段からそれだけ色々なことを感じて考えてるってことなんだろうなと思う。
感覚と擬音語擬態語で済ませてしまう自分には難しいところも多かったけど、お2人のやり取りの行方をちょっとハラハラ(それは…言い過ぎでは?とか)しながら読みました。
読みながらずっとうっすらもやりと思ってたことが、ひらりささんの " だって、負け戦では?" で決壊、あぁそれだーーーーと頭を抱えました。
自分を出し、相手を知ることで刺し違えることも厭わない覚悟を感じた、初めて読むタイプの往復書簡でした。 -
Posted by ブクログ
【友達】ってなんだろう。
友達じゃないかもしれない、ひらりささんと上坂さんは、互いに心の内を往復書簡としてしたためる。
それはさながら本気のボクシング、いや、異種格闘戦のようで、ほんとに人と人とが対話するということは、どこか格闘技めいてくるのかもしれない。
途中に挟まれる短歌がまた、意味深く輝いている。
ひらりささんは文筆家で、エッセイを書いていて、別名で短歌も発表している。劇団雌猫というユニットでオタク活動も。
上坂あゆ美さんは人気歌人で、エッセイも書いていて、ポットキャストや演劇、スナックのママと、いろんな方面で才能を発揮。
対話型AIのようなひらりささんと、自分自身を怪物という上坂