深井龍之介のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
元ゴールドマンサックスの田中渓さんが、YouTubeのインタビュー中にポケットに入れて持っていて、今この本読んでますっておっしゃっていたので、読んでみた。
著者の山口周さんは哲学を中心に経営コンサルタントをされているというところが面白いなと思う。本書は、COTEN RADIOの深井龍之介さんとの対談。哲学や歴史に興味を持ち始めたばかりの私には、ちょっと退屈、まだ面白さを一緒に感じることができなかった。
自分のテーマ、例えば愛とは何か、とか、幸せとは、とかそういう大きなテーマを持って、それを解決できそうな本を読むってことから始めたらいい、と言われていて、それは実践したい。 -
Posted by ブクログ
この本のテーマは【はじめに】の山口氏の文章に要約されていると思う。
p7
哲学は私たちが当たり前に受け入れているものに対して批判的な眼差しを向け、「なぜ、そうなのか」「なぜ、他ではないのか」を問いかけさせます。つまり前提を疑い、価値を多元的に吟味する学問です。
歴史学は私たちに「それはどこから来て、どこへ向かうのか」と問いかけることを教えます。人類が過去に何度も同じ失敗を繰り返してきたことを示し、私たちがいま置かれている局面を、長い時間のスケールのなかに位置づけてくれます。
文学は私たちに「人はなぜ、そのように感じ、行動するのか」を描く想像力を与えてく
れます。合理性だけでは説明できない欲望、恐れ、嫉妬、愛、希望。そうした人間の深層に触れさせてくれます。
これらはすべて、世界を理解するための「見取り図」を更新する営みです。
私は、人文科学を「教養」や「嗜み」と呼ぶよりも、むしろOS(オペレーティング・システム)だと考えています。どんなアプリケーション(スキル)を動かすか以前に、どのOSで世界を見ているかが、意思決定の質を決めてしまうからです。
同じデータを見ても、同じ出来事に直面しても、人によって洞察が分かれるのはなぜなのか?その差を生むのは、能力の差ではなく、「世界の切り取り方」の差です。
【以下、抜粋。】
p42
オックスフォード大学の看板学部、代表的な学位コースはPPE(Philosophy, Politics and Economics)といって、哲学・政治学・経済学という三つの分野を並行して学ぶことで人間や社会を深く理解することをめざすプログラムになっている。(略)ハーバード大学にあるのは、実はリベラルアーツ学部のみで、経営・法律・医学などの専門分野は大学院で学びます。専門性を身につけるためには、ベースとして文理融合の多分野にわたる知識が必要で、社会のリーダー候補、いわゆるエリートと呼ばれる人たちは、専門性だけに偏らない、幅広い知識や視野を持たなければならないという思想がある。
p73
特に大手企業の採用基準が、高度経済成長の時代とほとんど変わってないということです。未だに工業化社会において求められる人材像を求めている。代表例は、「与えられた問題に対して実直に正解を出せる能力」です。そういう能力に長けた人材を選ぶうえでのプリ・スクリーニングの機能を果たしたのが大学入試でした。(略)ところが、いままさに技術革新が起きています。AIの費用が安くなり、与えられた問題を解決するコストが下がると、その能力は過剰供給されるので、過去の歴史のパターンから考えると、価値が下がるはずなんです。
過去の歴史から見て、過剰供給されると何が起こるかというと、ボトルネックが隣の工程に移動します。(略)そう考えると、正解を出す能力が上がったいま、ボトルネックとなっているのは、次の2つの能力です。
「おもしろい問いを立てる」能力
「出した解を実行する」能力
p123
「技術革新が、社会のゲームルールを変える」ということについて詳しく話します。
単に新しい道具が増えて便利になる、といったレベルの話ではなくて。技術が変わることで社会の「主要な生産体制」が根底から変わり、その結果、それまで「正解」だと言じられていた行動原理や倫理が、新しい環境では致命的なエラー、つまり「バグ」になってし
まう。そういう構造的な変化が起こります。
歴史を振り返ると分かりやすいのですが、社会の「規範」や「道徳的価値」というのは、絶対普遍のものではなく、実はその時代の「生産体制」に都合が良いように後付けで作られている側面が非常に強いんです。
たとえば、産業革命によって人々が工場で働くようになったとき、規範もまた大きく書き換えられました。生活の場と労働の場が切り離されたことで、「男性は外で仕事、女性は家で家事・育児」という役割規範が新しくできあがりました。それに合わせて母親像も大きく変わったのがこの時代です。産業革命以前、農村や手工業者の家庭では家族全員が生産活動に携わっており、母親もまた家事と並行して農作業や家業を担う存在でした。子育ては家族全体、あるいは地域共同体で分担するものであり、「母親が子供につきっきりで育てる」「子供の教育は母親の仕事」という発想自体がそもそも存在しなかったのです。
しかし、核家族化が進む中で、「母親が愛情を持って子供と向き合い、献身的に育てることこそが正しい」という新しい規範が社会にインストールされていきました。「母性愛は本能である」という考え方も、ヨーロッパにおいてはこの時代以降意図的に作られたと言われています。日本においては、明治期の近代化と核家族化の進展の中で「良妻賢母」という規範が国家主導で形成されていったとされており、戦後さらに核家族化が加速する中で「母親が子育ての中心を担う」という規範が強化されていったと考えられています。
つまり、私たちが「当たり前」だと思っている規範の多くは、ある特定の時代・特定の生産体制のもとで「都合よく」形成されたものにすぎないのです。(略)いままで歴史で技術革新があったのに規範が変化しなかった例はないのです。だから今回も変わることはほぼ疑いがない。
p200
ヨハネの福音書の冒頭に「初めに言葉があった」、「すべては言葉によってなった」と書かれています。あの「言葉」というのは、もともとのギリシャ語だと「logos (ロゴス)」で、英語の「logic(ロジック)」の語源になった言葉だから、「logos」には「言葉」以外にも「論理」とか「理性」といった意味がある。日本語に訳すときになかなか苦労したと思うんですけど、日本人からすると「言葉」と「理性」というものがくっついてるってこと自体が、かなり違和感があるわけです。
でも、初めにlogosがあって、logosによってすべてがなったのであれば、logosによって万物は秩序づけられているわけで、それは神の似姿として作られた人間の理性で解明することができるはず、という思考が彼らのベースにはあるんです。
p230
「未来は予測できない」ということ。スタートアップは事業計画書を書いて売上目標や成長性を示す必要がありますが、数年後に急成長するという前提からバックキャストでつくる(未来のある時点から逆算して計画を立てる)のが基本です。
僕は、こうした資金調達のやり方は、欧米のような「理性に対する信仰」が暴走している状態だと思っていて。そもそも未来を予測することなんて、歴史を振り返っても、いまの社会状況を見ても、できていないのは明らかですよね。自然現象とは異なり、人間社会や歴史には厳密な法則性が存在しないので、未来を計算によって正確に予測することは本質的に不可能なんです。(略)
僕たちが直面している問題の根幹は、「企業のパフォーマンスはすべて数字で示せるはずだ」という強い思い込みにあります。いまのビジネス界を支配しているのは、デカルトやカントの時代から地続きの、いわば「300年前の古い哲学」なんですよね。それは、「世界は客観的に計測可能である」という前提に立ち、株価や離職率、果てはソーシャルインパクトまでも数字で説明しようとする「定量化至上主義」です。しかし、この古い思考基盤には、決定的な「ブラインドスポット(死角)」が存在します。(略)「人間の仕事」とは、不確実な未来を予測することではありません。計算や論理では導き出せない理想の「関係性」を自ら決定し、それを立ち上げるための「意志」を持つことです。「情勢が悪化しそうだから撤退する(予測)」のではなく、「悪化しそうだが、われわれは友好的な友人でありたい(意志)」と決めること。この矛盾を引き受け、決着させることこそが、AIにはできない経営者の責任だと僕は思っています。
p233
僕が歴史の勉強から導き出した仮説の一つに、「ホモ・サピエンスは、基本的に儀式をしないと集団での合意形成ができない」というものがあります。人類がもっともコストをかけてきたのは、儀式、コンセンサスをとる手続きだと思っています。
たとえば、古代中国では「龍の甲羅を焼いて、ヒビの入り方で方針を決める」という儀式を行っていました。これはたとえですけど「右にヒビが入ったら、戦争する」と決めておいて、戦争したかったら右にヒビが入るまで何度もやり直していたんですよ。(略)
現代人からすると、そんなのバカらしいと感じるじゃないですか。だけど、スタートアップが資金調達のために事業計画書を出して合意形成する「儀式」もまったく同じだと思っています。儀式でコンセンサスが取れても、未来が予測できているわけではない。
p238
数字というのは非常に具体的なものだと思われていますが、実は最も抽象的な表現方法なんです。学問の中で数学が最も抽象的であるように、数字の本質はその抽象性にこそあります。近代以降、民主主義と資本主義の登場によって、人間は数百人単位ではなく、数百万、数千万人単位で合意形成をしなければならない時代に突入した。そのときに数字の抽象性は非常に役に立った。社会階層や文化圏を超えて、抽象的な領域で合意形成をすることを可能にしたんですよね。しかし、いま僕たちが直面している問題の多くは、その抽象的な合意形成では乗り越えられないものばかりです。(略)数字に表れないものこそが本質的な価値を持っている。それなのにまた数字で合意形成しようとする慣習にのっとってしまうと、解決できないままになってしまう。
ソーシャルインパクト(ビジネスや公益活動を通じて社会に与える影響)がその典型です。
抽象性で解決できなかったことを具体的にして解決していこうという動きのはずなのに、インパクト投資の計測という形で数字化することで、また抽象性の世界に押し戻してしまっている。これは愚かだと思っています。そしてなぜこうなってしまうかというと、僕たちが合意形成の「儀式」をアップデートできないからなんですよね。 -
Posted by ブクログ
コテンラジオで深井さんが初期の頃に説明していて感激した、「歴史を学ぶ意義」を改めて文字化してくれていて、リベラルアーツ大学で歴史学を専攻した自分のやってきたことの意味を確認でき、有難かった。メタ認知、実際大学時代からできるようになった実感がとてもあった。最後の方では、深井さんと山口周さんが考える日本のこれからの話が興味深かった。政治の世界でも、もっとこうした人文知を柱の一つに置き、形だけ導入して失敗してきた欧米化に対するカウンターとしての「日本独自の」政策や動きをしていくイニシアチブが必要なのではないかと思った。(左翼は反日といった、誤ったプロパガンダを広めて金稼ぎするインフルエンサーがネット上に存在する以上やらざるを得ないと感じる)
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Posted by ブクログ
読み始めたきっかけ
コテンラジオ、資本主義から離れたい、
元々歴史も哲学も好き
→山口さんと深井さんのコラボは見逃すわけには行かん。
AIの台頭で正解を出す能力はコモディティ化。
面白い問いを立てること
建てた仮説を実行していくこと
がこれから重要になる
となってきた時に歴史がなん度も繰り返してるからそれを知りにいく。
そうすることで自分の外側にある誰かのかいを鵜呑みにすることなく、自分で考えて判断して決断するようになれる
タイミングの話
アーリーアダプター、イノベーターの話面白い
統計で優位になるまで待ってたらアーリーアダプターにはなれない
おせっかい企業が残る。好きが優って、とりあえずやってみたら共感を得られる世界になってたという話
歴史哲学自分家を学ぶ、小説を読む人たちは先を見通す力が備わる。
社会構造が変わるから、規範も変わって勝利条件が変わる
→一生懸命生きているのに生きづらいと言っている人はそのルールチェンジが起きている状況についづいで来てないなら
→そういう世の中なら、私は今波に乗れている気がする
→AIができたおかげで正解がコモディティ化して
わたしはマジで生きやすくなった。
→問いを立てるちから、好奇心をもって実行しきる力、想像力、AIじゃなくてあなたと言わしめるソフト力で勝負できる
分けることでわかる。わかることで変わる。変わるっていうのは、物事の見え方とか自分の視座が変わること
日本人の強みのところ良さそうなもの。半分入れて混ぜながら使っていけるところ和設置。神物神社とかお寺ハロウィン和館関西関西日本人のそういうところがとても私は好きだなぁ。うまく折衷案を取り入れる才能がある。 -
Posted by ブクログ
歴史上の事例や思想などを現在のビジネスや生活形態に結びつけて対話式で説明してくれているのがとてもわかりやすく、内容も興味深いものや名前のみ既知の歴史上の事例を詳しく結びつけていて学びが多かった。
本書で出てきた、「歴史上では技術や政治的な変革と共に変化、成長をしてきた中昭和はある意味長年平和でその中で長年かけて定着した様式や方法を現在でもいまだに使い続けているから勝利条件が変わっていることに気づけず、一生懸命やっているのにうまくいかない状況が発生する。」という説明が現代の日本の世界の中で見て経済成長など色々と遅れていることへの回答としてとても腑に落ちて面白かった。