戦争をほとんど描かない、日常の悲劇です。
第二次世界大戦、とりわけユダヤ人の迫害をテーマにした本と聞くと、読まずにはいられません。特に今回は大学時代の先輩のおすすめの一冊とのこと。すぐに手に入れて読んでしまいました。
歴史的に言えば、ある民族の迫害は枚挙に暇がありません。チェコスロバキア、フィリピン、インド。世界中で似たような出来事が起こっています。
その中でもドイツ、ユダヤ人差別に目が向いてしまう理由は、その悪行がポピュリズムに直接起因するのではなく、ひとりの独裁者による扇動だったこと。また、その恐るべき用意周到さに驚かされるからです。
悪意とはここまで人を不幸にできるのです。
今回の本は、そういったテーマの中でも少し異色かもしれません。
戦争中でありながら、戦争自体の描写は少ない。遠くに聞こえる軍靴の足音を聞きながら、まだ残る日常生活のモラルが少しずつ崩れていく。人間関係が直線的ではなく、うねるようにおかしくなっていく描写に、思わず唸ります。
題名の通り、この作品にはフリードリヒという少年、ユダヤ人が登場します。ですが、彼は主人公ではありません。彼のドイツ人の親友の目線で、彼と、その家族が巻き込まれる迫害の嵐が描写されます。
ユダヤ人とドイツ人の友達関係、これだけ聞くと手塚治虫の「アドルフに告ぐ」を思い出します。あの作品も子供時代の親友関係が、ユダヤ人迫害を通じて崩れていく物語でした。
最後に、この話を読んでみて印象的だった部分をお伝えします。それは、登場人物の発言から垣間見える動機、時にはダブルスタンダードと呼ばれるものです。
ユダヤ人迫害という表の行為に対して、当事者であるドイツ人達が、どんな背後関係でもっていたのか。
その表現が素晴らしい作品でした。
国が決めたことだから、盲目的に信じる。昨日までの隣人はもはや唾棄すべき劣等民族と足早に考えを変える人々。
隣人としてユダヤ人と関係を保ちたいが、家族を養うため、仕事を得るために仕方なくナチスに入党する父。
そして、フリードリヒを面前で鼓舞し、励ましながら、同じ口で学校を退学させ「ハイル、ヒトラー!」と敬礼する教師。
作中に描かれる人々がどんな思いをもってユダヤ人を傷つけたのか。
いわゆる戦記ものでは語られない心の機敏に触れられる作品でした。
最後、フリードリヒに起きる出来事も考えさせられます。
同じ場所にもし居合わせたら何を言えるのか?
同じ場所で、妻子の隣から、彼らを蛮行を非難する勇気はあるのか?
答えは想像出来ますが、、、
ここでは書かないことにします。
きっと後悔する事になる、恥ずかしい判断をするでしょうから。
あの日のフリードリヒは、私たちの弱さをさらけ出す悲劇の主人公に違いありません。