ハンス・ペーター・リヒターのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
この本はノンフィクションという分類の児童文学、作者のリヒターが子供の頃の事実を物語風に描いた作品。
作者リヒターの友達のフリードリヒが、ユダヤ人であることだけで、迫害を受け17歳で殺されてしまう。なんとも不条理な物語。
記録は1925年からはじまり1942年で終わる。
68歳の私が読むのに適した本かというと、そうではない気がする。
私のサラリーマン人生で、申し訳ないが「ナチス側」につくことはよくあることだったし、それに、あらすじは知っていたのでストーリーの新鮮味がなかった。
やはり、私には児童文学に対して免疫ができてしまっているのか、体温が上がらなかった。中学生ぐらいが読む適齢期では?
こ -
Posted by ブクログ
戦間期、ハイパーインフレがようやく収束しつつあったドイツ。同じアパートに住む同い年の「ぼく」とユダヤ人のフリードリヒは、時に喧嘩もしながらともに少年時代を過ごす。
ナチスによるホロコーストが激化する以前から、ヨーロッパには歴史的・宗教的な背景によるユダヤ人に対する潜在的な差別意識が存在していた。しかし、ぼくとその両親は、フリードリヒたちシュナイダー家と分け隔てなく親しく付き合っていた。
だが戦争が始まるとそれが少しずつ、街の中から変わっていく。ユダヤ人の店への嫌がらせ、経済的な背景も手伝っての露骨な排斥、学校からの排除。特に、フリードリヒの転校のところは先生の温かい言葉とその直後の行動の対比が -
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Posted by ブクログ
当時のユダヤ人差別が過激化する中で、ユダヤ人の信仰がどのように機能したかについてを調べる過程で本書を読む。事実を基にしているため、とても参考になった。
フリードリヒの父シュナイダーが、早く国を出ていった方が良いと忠告するハンスの父に対して言った言葉が心に残った。
「われわれに対する偏見というのは、もう二千年もの昔からあるんです。その偏見が、半生紀そこそこ無事だった共同生活で、たちまち消えてしまうとは、誰も期待できません。われわれユダヤ人は、それはもう、あきらめなきゃならないんです。この偏見は、中世なら、ユダヤ人にとって命の危険を意味していましたよ。しかし、人間は、その間に、少しは理性的になった -
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Posted by ブクログ
「あのころはフリードリヒがいた」
「ぼくたちもそこにいた」の
完結編となるこの作品。
読みながら、何か不思議だなと思っていたら
この作品は各章が*で仕切られているだけで
ストーリーがないことに気付いた。
つまり、リヒターは記憶に残っていることを
絞り出すようにして、
ただただ、書き残したのだろう。
思い出すこともつらく、思い出したくもないことを
「伝えなくては。。。」という使命感のみで
懸命に書き残したことが伝わる文章だった。
一説には、リヒターはこの作品を最後に
筆を折ったとも言われている。
それだけつらい作業だったんだろうと思う。
この三作品を読んで、まず「知る」ことが大事だと思った。 -
Posted by ブクログ
「あのころはフリードリヒがいた」の続編となるこの作品。
この作品は、ヒトラー・ユーゲントに入団した
3人のドイツ人少年の経験を書いている。
この作品を通して、少年達の中にも様々な葛藤が
あったことが分かる。
すぐに染まった者。
何かおかしいと思いつつ、進むしかなかった者
できるだけ抵抗した者など。
でも、これはドイツだけの話だけでなくて
戦時中は、日本でも同じようなことが
多かれ少なかれ起きていたのでは
ないかと思う。
このようなことが二度と起こってはいけないと思う。
この作品もリヒターの体験を基に書かれているので
まえがきのリヒターの言葉がとても重い。 -
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Posted by ブクログ
戦争をほとんど描かない、日常の悲劇です。
第二次世界大戦、とりわけユダヤ人の迫害をテーマにした本と聞くと、読まずにはいられません。特に今回は大学時代の先輩のおすすめの一冊とのこと。すぐに手に入れて読んでしまいました。
歴史的に言えば、ある民族の迫害は枚挙に暇がありません。チェコスロバキア、フィリピン、インド。世界中で似たような出来事が起こっています。
その中でもドイツ、ユダヤ人差別に目が向いてしまう理由は、その悪行がポピュリズムに直接起因するのではなく、ひとりの独裁者による扇動だったこと。また、その恐るべき用意周到さに驚かされるからです。
悪意とはここまで人を不幸にできるのです。
今回の -