河野啓のレビュー一覧
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競馬の世界にいない河野氏によるノンフィクションルポ。HHHはヒンディー・ホッカイドウ・ホースマンの略称(造語)だが、登場人物はヒンディーに限られず、イスラム教徒もいるし、出身地もインドに限らずベトナム・南アメリカ・ジンバブエなど幅広い。また、取材地も北海道が中心だが、千葉に行った人を追いかけたりもしている。
北海道ではインド人が多数いることや、マレーシア人のエージェントがいることはなんとなく噂では聞いていたし、地方競馬場では日本人ぽくないルックスの方が馬を引いているのをよく見るようになった。
そのあたりの事情が非常によく分かる。
浦河町では2015年に13人のインド人が初めて住民登録をし、2025年には327人にもなっているとのこと(39頁)。10年で激増している。
「日本人の若い子は入って来ないし、来てもすぐやめるし……成り立たないですからね、彼らがいなかったら。この辺の牧場、全部つぶれてますよ」という辻牧場及川氏の言葉(54頁)がことの発端。この現状を受け入れることが出発点。
しかし、登場するホースマンはいずれも良くも悪くも個性的。勤勉さは必ずしも期待できない。古くからいるオーストラリア人などは「技術もないし、態度も悪い」と厳しい目を向けている(73頁)。
中には(過失は不明だが)死亡交通事故をおこした人もいる。逃げた人もいる。アルコール中毒の人もいる。これらの人への取材の結果がしっかり残っている。死亡事故をおこしたマヘンドラとのやり取りは重い。まあ「そんな奴は日本から叩き出せ。代わりはいくらでもいる」というのは簡単だし、今はそういう意見の方が受けるんだろうけど。
とはいえ、インド人のセクハラ問題について「日本人も同じですよ。日本人の方がもっと陰湿かも……」(192頁)という意見もあったりして、馬産地の闇は深い。
さらに、エージェント側の様子も、その報酬分配の実態までしっかり踏み込んでいる。社会保険加入問題も赤裸々に語られている。
ラマダンの様子(236頁)も興味深い。断食をしていた乗り役は過去1人だけらしい。
最終10章では、JRAへの取材結果も。川崎競馬の山崎尋美調教師はインド人導入積極派で、大井と船橋が反対しているらしい(262頁)。また、橋本聖子議員のコメントも取っており、突っ込んだコメントを取っている。今の自民党的に大丈夫なのだろうか。
とまあ、とにかく取材の成果が存分に現れた、素晴らしい本。これだけの具体的なエピソードを載せたのは本当に凄い。競馬界にいない著者だからこそ、変なしがらみもなく書けたのかもなあ。 -
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登山家・栗城さんの訃報はなんとなく覚えている。
自分の登山する姿をネット配信するヒト、ぐらいの認識だった。
一人の人間が持つ魅力、エネルギー、挑戦、挫折、そして人間としての弱さを丹念に描いた文章にドラマ以上のドラマを感じた。
最後、それまで著者がその存在に胡散臭さを感じていた占い師との対話によって一気に解き明かされる本当の姿。
著者が栗城さんに対して抱く浅からぬ愛憎があってこそ、たどり着けた真実であるように感じた。
白くて大きく立ちはだかるエベレストに、ちっちゃなちっちゃな人間が挑む。
でもその人間自身もその人生の毀誉褒貶や、複雑な人間関係をはらむ、いわば小宇宙なのだ。 -
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栗城さんは、純粋な登山家というのではなく、山に登るインフルエンサーとでも定義すべき人なんだろうと感じた。
以前ならば自分で自分の業績を宣伝するには(あえて宣伝と書きます)せいぜい自費出版位で、しかも自費出版本などほとんど影響はないのですが、技術の進歩によりやり方によっては本当は内容が伴わなくても、影響を及ぼすことが可能になった。
しかしいいことばかりでないのは自明の理で、ある意味栗城さんの死はそれによって引き起こされた可能性だってある(それとなく文内でも暗示されているが)
報道に携わる人そして情報を受け取る我々も、この点はくれぐれも考えてゆく必要があると強く思った。 -
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ネタバレ2023/3/15 メトロ書店御影クラッセ店にて購入。
2023/6/1〜6/8
劇場型登山家?栗城史多氏の取材をしていた河野氏による、栗城氏のノンフィクション。第18回開高健ノンフィクション賞受賞作。
活動当時から栗城氏の名前は知っており、毀誉褒貶の激しい人だなぁ、と思っていたが、こんな人だった(少なくとも河野氏の眼を通しては)んだな、ということがよくわかる。他分野でもこういうタイプの人は居ると思うが、私個人としてはあまり関わりたくない感じの人だと思った(栗城氏もそうであったように、近しい人にはものすごくファンも多いのかもしれないが)。なかなか、考えさせられる内容であった。 -
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栗城さんの活動の初期に取材で関わった著者が、没後、彼の周囲の方々を取材し、謙虚に丁寧に書き上げられた良書と思います。
私自身は、彼の夢の共有には一度も参加することなく、ネットの記事を追いかけていた程度の者です。興味はあったので、購入して、自分にとってはとても早く、3日ほどで読み終わりました。
孫正義さんの、「未来をつくるため、いかがわしくあれ」という、インタビュー記事を思い出した。
当時なかった登山のライブ中継や、動画配信、夢の共有といったキャッチーな行動が多くの人に受けいれられ、彼はいかに見せ、自分がどうあるべきか、登山そのものより、追求された。見え方を追求しすぎて、いかがわしさももっていたのだと、思った。
ただ、新しいことを周りに受け入れてもらうには、多少のいかがわしさも併せ持つことは、仕方がない。現在のYouTubeなどで起きている、自分の経験を配信する行動は、これが一つのきっかけとなったとも言えるのでは、ないか。
彼が、山を下りてからどのような活躍をしたか、それがなされなくなったことは、残念に思いました。 -
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河野啓『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』集英社文庫。
第18回開高健ノンフィクション賞受賞作。
亡くなった人物を批難したくはないが、1ミリも共感出来ない人物を赤裸々に描いたノンフィクションであった。栗城史多の『一歩を越える勇気』が恐ろしいまでに内容が浅く、酷い自己啓発本だったので、これは最初から解り切っていたことなのだが。
タイトルの『エベレスト劇場』はまさにという感じだ。ドラマチックなストーリー重視の最初から登る気の無い態度は現地のシェルパにも指摘されている。
巷で『下山家』と呼ばれた自称登山家の栗城史多の虚言と無謀な行動の数々が描かれている。始めのうちは『七大陸最高峰単独無酸素登頂』を目指すと宣言する栗城に興味を抱いていた著者もその嘘に心が次第に離れていく様子が伝わる。
先人たちの偉業を台無しにするような行動、エベレストへの敬意や畏怖が全く感じられない態度や愚行、シェルパの大隊を従え、酸素ボンベをシェルパに調達させての『単独無酸素』の大嘘。
それでも、栗城が無謀にもエベレストの最難関のルートを選び、滑落死するまでを描いているのには敬服する。
『夢の共有』をテーマに詐欺的な手法で資金を集め、両手の指9本を失いながら挑戦した8度目のエベレスト単独無酸素登頂への挑戦で滑落し、35歳の若さで亡くなった自称登山家……
本体価格750円
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ネタバレこの本をきっかけに栗城さんのことをしり、登山に興味を持った。
三流と呼ばていたこを知り、登山家は崇高なものかと思ったけど、なんかそうでもないのかなと。なんか英語が喋れる人あるいは興味を持つ人たちが、あの人の英語はまだ全然足りないと、ランク付けしてるような姿と同じに見えた。
別に山が好きなら登ればいいし、人からの関心を集めたくて山に登りたいなら、それも自由。
でもその意図を共有されずに巻き込まれた人たちがいるのは可哀想だなと。
栗城さんはなぜこんな生き方を選んだのか?それはこの本を読んで父の影響が大きいように感じた。
記入忘れのため後日記載 -
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複雑な読後感。
僕は山登りをする訳ではないが、山登りの本を読むのはフィクションでもノンフィクションでも大好きだ。冒険心が満たされるからだと思う。
その点からすると読み始めてしばらく、本書で語られている事は決して単純な冒険物語ではない事に気づかされるが、良質なミステリーを読んでいるような感じでどんどんページをめくらさらる。読み終わっても謎が解けたカタルシスはないのだが。
残るのは栗城史多と言う承認欲求の塊で、毀誉褒貶の激しい一人の人間の肖像が仄かに立ち上ってくるだけだ。
栗城氏の人生を描くのと同時に、本書のもう一つのテーマでもあるだろうSNSの怖さ。僕にはSNSでの反応が、栗城氏を「デスゾーン」に追い詰めていったとしか思えない。 -
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ネタバレ何度も何度も本を読む手が止まった。
心が痛すぎて。
栗城史多氏のことは、北海道出身の若き登山家で、七大陸の最高峰を単独無酸素での登頂を目指していることを、たまたまつけていたラジオで聞いて知っていた。
明るく元気な青年という感じで、少なくとも無口な山男ではなかった。
無酸素にこだわるのは、「酸素ボンベって重いんですよ~」ということだったので、そうなのか、とその時は何も思わず納得した。
その時のラジオは、確かに彼を応援していたはずだ。
数年後、雑誌かネットニュースか何かで見たのは、彼が詐欺師であるという記事だ。
だから逮捕された、という話ではなく、そういう声が多数あがっているという情報。
けれど、大勢の人からお金を集めたとはいえ、実際にエベレストに行っているのなら、詐欺ではないのではないだろうか…と思いながら、その時は終わった。
さらに数年後、彼の訃報がニュースになった。
エベレスト登山なのだから危険なのは承知の上でも、若い人の死は、ショックだった。
彼の死を悼む声と、悼む必要などないという怒りの声とが聞こえてきて、一体何があったのだろうと不思議だった。
この本を読んだら、どちらの声も真実の声なのだと思った。
彼がエベレスト登頂に成功する道はいくつもあった。
単独に、無酸素にこだわらなければ。
そして、登山を基礎からきちんと学んでいたなら。
彼は、体格に恵まれているとはいえず、体力もさほどある方ではなく、登山の技術や知識に至ってはほぼ足りないと言ってよかった。
その彼が、エベレスト以外の6大陸の最高峰の登頂に成功したのはなぜか、というのも知りたいところだが、エベレストはやはり最初から無理だったのだろう。
なのに、「単独無酸素」を旗印にスポンサーを集め、何度も挑戦しては登頂をあきらめて下山してきた。
しかし実は、「単独」であることの解釈、「無酸素」ということの解釈の違いというか、本人はそうだとごり押ししても、登山家の常識から考えると、彼の登山は「単独」でも「無酸素」でもないことになるらしい。
要するに、自分に甘いのだ。
耳の痛い忠告は聞かないから、本当に彼のことを心配していた人たちは徐々に彼から離れてしまう。
目立ちたがりのアイデアマンなので、人の心をつかむのはうまいが、コツコツ何かをしとげることができない性格だった。
だから詐欺師という言われ方になったのだろう。
数々の彼の弱さ、欠点はあるとして。
でも、彼は実際エベレストまで行って、辛い思い、苦しい思いをしながらある程度までは登って行ったのだ。
それだけは、なかったことにはできない。
「夢を叶えましょう」「感動を与えたい」「感動の共有」
語る言葉はポジティブだし、本人もポジティブな人だったらしいけど、私がこの本から受けた印象では孤独な人である。
信頼する人はいたのだろうが、でも、誰にも心を開ききってはいない気がした。
「お金」も「名誉」も欲してはいなかったと思う。
ただ、「賞賛」だけを、人一倍欲していたように見えた。
賞賛を欲する=他人の評価を欲する姿勢では、幸せはなかなかつかめないと思う。
彼は、自分の評価を自分でしなければならなかった。
そうすれば、違った人生を送れたはずだと思うのだが。 -
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著者の河野啓(1963年~)氏は、北大法学部卒、北海道放送のディレクターとして、ドキュメンタリー、ドラマ、情報番組などを制作。『北緯43度の雪』で小学館ノンフィクション大賞(2011年)、本書で開高健ノンフィクション賞(2020年)を受賞。
栗城史多(1982~2018年)氏は、北海道生まれ。2002~09年に、6大陸(北米、南米、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア、南極)の最高峰、世界6位の高峰チョ・オユー、7位の高峰ダウラギリに登頂し、その後、2009~17年にエベレストに7度挑む(様々なルートで)も敗退、2018年に8度目の挑戦に失敗した下山中に滑落死した。35歳没。「単独無酸素」を謳うとともに、自らの登山の様子をインターネットで生中継することを掲げ、また、「冒険の共有」をテーマに幅広く講演活動等も行った。
本書は、2008~09年に放送局のディレクターとして栗城氏を取材し、TV番組も制作した著者が、栗城氏及び氏のエベレスト挑戦とは何だったのかについて、氏の死後に取材を行い、描いたものである。2020年出版、2023年文庫化。
私はノンフィクション物を好み、登山に関する本も、これまで、植村直己、山野井泰史・妙子、長谷川恒男、竹内洋岳等、少なからず読んできた。栗城氏については、高所登山をインターネット中継する新世代の登山家として認識はしていたし(ただ、不覚にも、氏を取り上げたTV番組を見た記憶はない)、本書が様々な議論を呼んでいることも知ってはいたのだが、今般、遅ればせながら読んでみた。
読み終えてまず感じた、というか、気になったのは、ノンフィクションにしては、構成が複雑だということである。時間の前後関係や、誰が言ったこと・感じたことなのか(栗城氏なのか、取材相手なのか、著者なのか)が、少々わかりにくいのだ。
そして、そのことは、本書の目的・本質にも関係している。解説でTBSのディレクター・金平茂紀氏は、「これは、称賛と批判のはざまで、さまざまな評価があったひとりの登山家の人生を活写したノンフィクションにとどまる作品ではない。それ以上の、あるいは「共犯者」としての自己を深く問い詰めながら、マスメディアという社会機能が抱える残酷さ、非情さに向き合う「内省録」ではないかと諒解した。」と書いている。
そう考えると、主人公である栗城氏については、氏が、登山家である以前に、一人のエンターテイナーであったと考えれば(事実、氏は高校卒業後、山登りを始めるより先に、お笑いタレントを目指してよしもとNSCに入学しているのである)、言動の多くは理解ができる(賛成するという意味ではない)ような気がする。ただ、氏にとって想定外だったのは、「登山(家)」の世界には、長年の歴史を背景としたカルチャーや暗黙のルールが存在し、かつ、それらは、ぽっと出の若者に侵すことの許されない、神聖・厳格なものだったということである。栗城氏の登山が本当に「単独」、「無酸素」だったのかに関しては、多くの議論がされているようだし、本書の後半でも分析が為されている。8回目の敗退時にエベレストで死んだということに関しては、そこが自分の死に時・死に場所と思ったのではないかという、何人かの取材相手の意見と、私は同感である。
また、マスメディアの一員としての著者については、随所に後悔とも自省とも受け取れる記述があるのだが、マスメディアが対象(物)のイメージを創造する力というのは極めて大きく、それゆえに、マスメディアは、対象(本件では栗城氏)に対しても、視聴者に対しても、より責任を自覚する必要がある(あった)のだろう。最近改めて話題になっている、小池東京都知事の学歴詐称疑惑なども、マスメディアの責任が問われるべき(長年疑惑を指摘されていながら、メスメディアは敢えてその確認を怠ってきた)、同根の問題である。
私は、既述の通り、栗城氏についての予断は持っていないし、本書を読み終えた今も、ネットに溢れているであろう栗城氏や本書に対する賛否の意見・情報はほとんど見ていない。
そうした立場で、少し冷めた言い方をするなら、「こんな若者がいたのだな」といったところではあるが、機会があれば、氏の書いたものも読んでみたいと思う。
(2024年5月了)