あらすじ
【第18回(2020年)開高健ノンフィクション賞受賞作!】両手の指9本を失いながら〈七大陸最高峰単独無酸素〉登頂を目指した登山家・栗城史多(くりきのぶかず)氏。エベレスト登頂をインターネットで生中継することを掲げ、SNS時代の寵児と称賛を受けた。しかし、8度目の挑戦となった2018年5月21日、滑落死。35歳だった。彼はなぜ凍傷で指を失ったあともエベレストに挑み続けたのか? 最後の挑戦に、登れるはずのない最難関のルートを選んだ理由は何だったのか? 滑落死は本当に事故だったのか? そして、彼は何者だったのか。謎多き人気クライマーの心の内を、綿密な取材で解き明かす。
≪選考委員、大絶賛≫
私たちの社会が抱える深い闇に迫ろうとする著者の試みは、高く評価されるべきだ。――姜尚中氏(政治学者)
栗城氏の姿は、社会的承認によってしか生を実感できない現代社会の人間の象徴に見える。――田中優子氏(法政大学総長)
人一人の抱える心の闇や孤独。ノンフィクションであるとともに、文学でもある。――藤沢周氏(作家)
「デス・ゾーン」の所在を探り当てた著者。その仄暗い場所への旅は、読者をぐいぐいと引きつける。――茂木健一郎氏(脳科学者)
ならば、栗城をトリックスターとして造形した主犯は誰か。河野自身だ。――森 達也氏(映画監督・作家)
(選評より・五十音順)
感情タグBEST3
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テレビの企画として栗城氏を取材していた著者。取材当初は彼の明るく人懐っこい人柄に惹かれるも、テレビ企画の競合における栗城氏の裏切りをきっかけに少しずつ違和感や不信感を覚え、彼に興味を失っていきます。
栗城氏の死を知り再び取材を始める著者。関係者たちからの声を集め、「彼はなぜ山に登っていたのか?」を探っていきます。
『七大陸単独無酸素』という虚偽表示を使いスポンサーを募る不誠実さ、プロの登山家とは言えない精神性や技術のなさに、かつて応援していた気持ちは薄れ、「観察者」として栗城氏の素顔を炙り出しています。複雑な思いや彼に助言や苦言を言えなかった自身の反省もまじえつつ、事実と感情がわかりやすくなっているので、私としても栗城氏を必ずしも悪者だとは思えませんでした。メディアを巧みに利用しようとしていた結果、巨大なメディアの闇に返り討ちにあったような印象を受けました。
「登山」と「自己啓発」を一体化し「夢の共有」という売り文句で周りを巻き込んでいくビジネスマン・栗城氏。登頂への成功率を否定しながら占いに足繁く通うなど、言動の整合性のなさは、彼の精神の不安定を表しているかのようです。本書の最後のほうで「山で死ぬことが目標」だったという話もあり、滑落死を『エベレスト劇場』のラストシーンにしてしまった栗城氏。笑顔の裏にどうしようもない孤独や弱さがある、人間らしいとは言えるけど、彼が他に輝ける方法はなったのでしょうか。
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実際に本人と交流があり、真摯に彼の人生を辿ろうとした人しか書けない本だと思った。
栗城さん本人に落ち度はありすぎるほどあるのだけど、夢中になったのが登山ではなかったら、今も炎上しながら生きていたのかもしれない。
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ワンゲル部に所属していたため、栗城史多(くりき・のぶかず)さんの存在は知っていたが、この河野さんの本は面白かった。栗城さんは何をしたかったのか?売名行為か?山を劇場にする。エンターテイメントの舞台にする。誰もやったことがないからかそ、みんなから注目された。しかし、山は劇場になるような場所がなかったことが1番の栗城さんの誤算だったと。それを綿密な取材と裏どりで事実として練り上げていっただ河野さんの筆致に拍手。面白かった。
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一気に読んでしまった。
栗城さんについて、単なる賛美や批判に終らずに
著者が当事者意識をもって、栗城さんと自分の関わり方を問いただす点が非常に印象的だった
賛否両論はあれど、
きっと、本当に魅力的な人だったのでしょう
Posted by ブクログ
人間という生き物の複雑さが、とてつもなく細かい描写で描かれていた。また、人を表面のみで判断することの恐ろしさを感じた。ネット界で集まる人の印象に対する意見は、良くも悪くも『その人自身』を変えてしまう可能性があること、また、自分自身もそうならないとは言い切れないことを忘れずにいたいと思う。
「虚実皮膜」という言葉を初めて知った。
うそとまことの境界が微妙なところにあり、虚構があることによってかえって真実味が増す、という近松門左衛門の芸術論らしいが、snsが日常にある現代では、誰もがそれを創り出してしまえる環境にあると思う。それも意図せずとも…。
最後に。この本を通し、栗城さんの苦悩と生き様を知った私はどう在りたいか?
改めて考えるキッカケを頂いていることに感謝。
Posted by ブクログ
一度ラジオの出演していたのを聞いたことがあったな、という程度の認識で、7大陸無酸素登頂を目指しているというのを確かに聞いたことある。元気な若者だなーぐらいにしか思わなかったが、こんなことになっていたんだ。
危なっかしいが魅力的な人
栗城史多の従来のメディアでの派手な印象と、ひとりの人間としての葛藤とが両方うまく書かれている。時代が違えばそのバイタリティも違う方向に向いて命を落とすことなくビジネスなどで成功していたのかもしれない。彼が最初に注目を浴びた頃の印象しかなく忘れかけていたところで亡くなったと知った口なので、ネットなどで激しく叩かれていたことや自身の賞味期限に対する焦りのような暗い部分は今回初めて知った。人としてどうかと思われる記載もあるが嫌悪感はなく、あれだけポジティブに振る舞っていた人がこんなに人間らしい弱さを持っていたという点で親近感を覚えた。現代社会の生きづらさや色々な人生訓などを引き出そうと思えば学びはいくつかあったが、純粋に栗城史多という人物が危なっかしく生き急いだかのような人生の話に引き込まれて半日で読み終えた。
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栗城氏が登山家とは言えないというのは、少しでも山をかじったことのある人なら疑う余地のないところだが、本書を読めば山の知識がない人にもそれは十分すぎるほど伝わるだろう。以下の一節が象徴的だ。
「BC(エベレストベースキャンプ)に入って最初に言われたのが『今回は占いの先生の判断を最優先したい』って」
生死のかかった登山の判断を、現地にすらいない占い師の判断に委ねることは登山家としてあり得ない。
本書は読んでいるうちに段々と苦しくなってくる。最後のエベレスト登山は、周りの状況すべてが、その登山がほぼ自殺だったことをうかがわせる。栗城氏は自己実現の場所を誤って見つけてしまったようにしか思えない。こうした最期を迎えねばならかった彼の生き方には、大きな悲しみを感じた。もう少し遅く生まれていれば、普通のYouTuberか何かとして人気者になり、長く暮らせたかもしれない。
全般として作者の独りよがりな意見の押し付けのような部分も散見されどうかと思う部分もあるのだが、一方で栗城氏と深く関わった上で、さらに死後も取材を重ねたこの作者でなければ書けなかった作品であることは間違いなく、開高健ノンフィクション賞を取ったことにもうなづける良いノンフィクションだった。
Posted by ブクログ
寡聞ながらこのかたを存じ上げておらず、たまたま友だちとの会話で栗城さんという登山家がいらっしゃったことを知り、興味深く思いこちらの本を読んでみた。
登山界隈のことは知らないことばかりで新鮮だった。リアルタイムでこのかたの挑戦を追っていたらどんな印象だったんだろうな。
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栗城史多(くりきのぶかず)さんという、登山家(?)を追ったノンフィクション。
本の構成がうまくて、続きが気になって一気に読んでしまった。
登山というと、なんとなく真面目とか一途とか、神聖なもののようなイメージがあるけれど
一方でビジネスでもあるんだと思ったり。
やめたいのにやめられない。やめた後の自分が見えない。
自分にも思い当たることがあり、悲しくなってしまった。
栗城さんのご冥福をお祈りします。
以下メモ
・広義のヒマラヤ山脈は、東西2400キロにも及ぶ。日本列島とほぼ同じ大きさだ。
約5000万年前、インド洋の海底だった場所が地殻変動によって高山となった。
・私にはインターネット生中継というものが、荘厳な「世界の屋根」をわざわざ小さく見せている気さえした。
・単独登山とは何か
結論から言うと、実は明確な定義がない。「単独」の解釈は登山家によってまちまちなのだ。
「単独」が一人で登るのをさすのは当然だとしても、例えば、他の登山家が山に残したザイルやハシゴにはどう対処したらよいのか?
・単独無酸素での七大陸最高峰登頂
そもそも酸素ボンベを使って登るのは8000m峰だけなのだ。つまり七大陸最高峰のうち、エベレストのみ。他の六つの大陸の最高峰にボンベを担いで登る人間など、はなからいないのである。「単独無酸素」と「七大陸」がセットになること自体、ひどく誤解を生む表現なのだ。
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佐伯ポインティがお勧めしてたから、初めてノンフィクション作品を読んだ。小説と違って、現実に基づいてるからこその魅力に惹きつけられて一気に読んだ。
人間失格の主人公みたいに、なかなか上手く生きられなかったのかな。
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SNSやメディアの危うさや怖さ
栗城さんの純粋さ
恐れながらも一気読みしてしまった
著者の取材力は確固たる意地と責任を感じた
ご冥福をお祈りします
Posted by ブクログ
ビジネス登山家といっても過言ではないし、
彼は本当に山が好きだったのか、そこを確認する術もない。
そこまでしてエベレストに挑戦する必要があったのか。
もうそれ以外の生き方しか、選択肢がなかったんだろう。
凍傷で指4本全てを綺麗に切断しなければならないケースは、あまりないらしい。ならば、彼は自ら…?
そこまでしなくてはいけない生き方を選んだ彼は幸せだったんだろうか。幸せだったのかもしれない。
人は何を求めて生きるんだろう。
Posted by ブクログ
一世風靡した登山家 栗城史多氏を追ったノンフィクション。
単に一人の登山家が登山中に殉職しただけという話ではなく、マスメディアの闇と承認欲求に飢えた現代人が招いた死とも言える。
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栗城さんについては生前は名前くらいは知っていたが、いろいろ見るようになったのは亡くなったあとだ。
色々うさんくさい話や誹謗中傷も見るが、筆者が多面的に取材し丁寧に栗城像を描いているのが好印象。読みやすくわかりやすい。テレビ業界の人の文章は読みやすいが薄味のものが多い印象なのだが、本書は読みごたえがありなかなか良い。
Posted by ブクログ
何度もエベレストに挑戦したのは、彼にとって本当にやりたいことだったのか…?という感想を持った。
本書ではあくまでも作者から見た栗城さんが描かれているだけなので、ほかの視点から描かれた栗城さんについても知りたくなった。
Posted by ブクログ
非常におそろしい本です。
メディアの力によって奉られた
登山家、栗城史多。
ただただ、おめでたい人だったのかもしれない。
無計画だったのかもしれない。
芸人だったのかもしれない。
しかし、それをつくりあげている共犯者は
僕たち一般人なのである。
最終章に震えます。
Posted by ブクログ
新聞記者やTVドキュメンタリやってる人たちの本を何冊か読んできて、取材対象に近づくことで、自身も対象化するのだなと、思うようになった。それが味にもなるんだけど。番組制作ではない部分で追いかけるようになってからの著者の思索の過程が考えさせる。
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もう後戻りできないところまできてしまっていたのか。
本人がどう考えていたのか今はもうわからないけれど、どんな人だったのかもっと知りたくなった。
Posted by ブクログ
本書を読むまで栗城史多という人物をよく知らなかった。もちろん、名前は聞いたことがあったし、エベレストに挑戦していたこと、その挑戦の半ばで亡くられていたことはなんとなく聞いたことがあった。つまり、メディアでその名前を聞いたことがあっても、実際どんな人物でなにをやっている方なのかよく知らない、という状態であった。
本書を読んで、彼のことがよくわかったかというと、より謎が深まった気もするし、何かが明確になったわけでもない。ただ、色々と考えさせられる内容となっており、読んでよかったと思えた。事実を淡々と積み上げて、真実を明らかにする、というよりは、途中途中でかなり著者の推論が入るが、そのプロセスを読者としても一緒に通過することでより読み応えがある内容になっていると感じた。
Posted by ブクログ
第十八回開講権ノンフィクション賞受賞作。
彼のことは、以前盛んに投稿していたfacebookで知った。ヨガの先生が彼が指に凍傷を負って帰国したときの記事だか投稿だかを紹介していたのを見た。
こんな人がいるんだ、と驚くとともに、称賛する人も多いが批判する人もかなり多いことを知った。後になって、栗城史多氏が何をしていたのか、何を成し遂げようとしていたのか知り、炎上も知った。
彼に関わったテレビディレクターからの視点で彼とは何者だったのか、を探る一冊。
自分の弱さを占い師にだけしか曝け出すことが出来なかった事実が、自分と重なる。
Posted by ブクログ
一気に読ませるほどには面白い。
ですが結局、栗城がどういう人物なのか最後まで分からず。
本人がどういう人間だろうと、エベレスト登頂の生中継はみたい。
著者の自分アピールが鬱陶しい。
内面なんか勝手に想像してないで、事実をもっと書いてほしい。
Posted by ブクログ
登山界でばかにされてた栗城さん。テレビで見たことあるけど、押し付けがましさ、暑苦しさを感じて苦手だった。彼が登山を始めたのは、好きだった女の子を見返すため。何一つ成し遂げられなかった彼が、自分を面白がってくれる人たちに後押しされ、その声に応えるようにチャレンジを重ねる。それが紛いものでもかまわない。みんなが喜んでくれれば。でも、何度ものエベレスト失敗により、彼のニセモノぶりがたたかれるように。凍傷の指をまだまだ夢物語の再生医療に頼ったり、占い師の助言に頼ったり。恐山のいたこを通じて栗城さんが会ったのは、17歳のときに亡くなったお母さん。聴衆者のこころが離れていき先が見えなくなったとき、彼は死を意識するように。ただのお調子者の若者が、たまたま山に出会って、山なんてたいして好きでもないのに、みんなの声に応えてチャレンジを続けざるをえなくなった不幸。とっても孤独だったのだと思う。
Posted by ブクログ
単独無酸素の真相 構成は、初期の栗城さんに惹かれた筆者が取材を通して失望しつつも登山家としてではなく人間として興味を抱き、死後に丁寧に周辺のひとや専門家の意見を聞きまとめながらその謎に迫るミステリーのような雰囲気がある。単独無酸素への疑問を拾うラストは見事であった。
わたしが栗城さんを知ったのはもう既に指を失い叩かれるようになってから。専門家の無酸素単独に関する厳しい意見からネット的な袋叩きのようなものまで目にしたが、その時はさして興味がなくふと最近Twitterで話題になっていたこの本を手にしてみた。
世界の名だたる山に登山はじめて数ヶ月後に単独で登ってしまった大学生。確かに起業家が好きそうな話であり、海千山千の起業家たちの中で世間知らずのADHDぎみの大学生が大金を出資された所から既に人生の歯車が狂っていたのではと思わされる。しかし悪いのは誰なのかという風には感じず、長生きするだけが正解では無いというように感じる。不思議と爽やかな読後感である。
Posted by ブクログ
栗城史多さんの生きた足跡を辿る物語。
登山家にそこまで詳しくなかった私でも、ニュースで騒がれていたことは微かに記憶にあり、書店で並んでいる「栗城史多」という聞いた事がある名前と、「デス・ゾーン」という一瞬見ただけでも目を止めてしまう様な強烈なワード、この2つの文字を見て、私はこの本を手に取ってみた。
趣味として登山を行う私からみても、山をビジネスに繋げようという考え方は、あまりにも失礼なのではないか。読み始めは終始この感情がついてまわった。
しかし、読み進めていくと、栗城史多さんの行き詰まっていく様子や、ネットを使った事による様々な弊害、自分の実力を見誤り虚勢を張ってしまったこと、そして、社会に食い物にされていく者の一部始終などが鮮明に綴られており、この人の生き方そのものについて考える事が多かった。これらは、現代における闇の部分そのものであり、栗城史多さんがその闇を表しているように感じた。
読み終わると、なぜ栗城史多さんは虚勢を張ったのか、なぜ最後にあまりにも無謀な登山を決行したのかなど、様々な疑問点が残る。この本は、登山を題材に書かれているものの、現代社会の闇の部分を栗城史多さんにスポットを当てることで描こうとしていた。この栗城史多さんの様な人生は現代に生きる全員が歩む可能性のあるものである。その事を考えつつ、様々な疑問点についてどのように個々人がアプローチして考えて行動するのかが、この本の最大の魅力だと思う。
後味の悪さ
一方的な暴露本。なんだけど、これが面白くて夢中になって読み進めてしまった。私も彼の人生を面白おかしく消費しているということなんだろう。良い作品だけど後味の悪さが残る。
Posted by ブクログ
栗城さんの事はテレビでよくお見かけするなぁくらいの意識しかなかったが、ニュースで亡くなったと報じられた時は驚いた。
夢を向かって頑張っていく姿を見せて周りを勇気付けるみたいな人だったのかなとふんわりと思っていた。
栗城さんが掲げていた夢が山岳界隈から物議を醸すような無謀な行為であったのも山についての知識のない自分は全く知らなかった。
登山は夢というより山という圧倒的現実と対峙するもので、自分の体力気力ポテンシャルとコンディション、天候、地形、シェルパの存在、その他諸々が合致して初めて難所の山が登れるのだなと思った。
無謀な挑戦を夢として無責任に応援する事の罪深さも理解できた。
にしても、この著者は栗城さんに対して少々厳しい姿勢なのも気になる。
亡くなった方をそんなに悪く言わなくても良いのでは、とも思う。
Posted by ブクログ
田部井淳子さんとは、真逆の登山家さんだなあと感じた。でも、それは好きとか嫌いではなくて別のもの
読んでいくうちに、登山を舐めてるよな。とも思ったけれど
作者のように何故か憎めない。そして気になる。山が好きという田部井さんとは違うけれど、山を目の前にして少しずつ自分と向き合っていくさまが共感できる部分もあったりして、気になった。栗城さん自身が書かれた本を読んでみようと思う。
Posted by ブクログ
登山家ではなく、演出家と言われたことがテレビマンの視点から語られる。
行動力はすごいが礼儀がなってない?何かを成し遂げようとする人はそうなるかもだが。。
思い込みもあり、危なっかしい人の印象。結果論だが、その通りになってしまったのか?TVでは表面しか見ていなかったのかも。
誇大広告する人は個人的には好きではないけど、みんなから好かれた人だと思った。
Posted by ブクログ
2018年、35歳でエベレストで亡くなった栗城史多さんについての本。筆者は2008年と2009年に彼を取材したテレビマン。
栗城さんが亡くなった日、登山系の話に興味があった自分は、「また山で若い人が亡くなった…なんで登山家は山に登るのか?」とネットサーフィンしていた。そこで彼についてのネット上の評価を知ることになり、同時に彼の不可解さに驚いた。だからこの本の批判でよく言われる「悪く書きすぎ」という印象は受けなかった。むしろ栗城さんに対するというか孤独な人間への愛情みたいなのを感じたのは自分だけか…
この本を読む前は、「無邪気な陽キャの若者がでっかい野望をぶち上げて世間をあっと驚かせようとしたけど、そこにアンチやらファンやらお金儲けを企む大人やらが寄ってたかって集まってきて、引くに引けなくなりエベレストに登らされた」と思ってたけど、読んだあとは「孤独だったのかもしれないな」という感想に変わった。指を凍傷で失ってから登山家の人と懇意になって、エベレストとは別の8000メートル級への登頂を果たした件を読んで、「誰か純粋に一緒にいてくれる人がいたら違った結末になってたのかもしれないな」と感じた。
登山家の本、というよりは、人間についての本だと思った。