Posted by ブクログ
2022年03月13日
【感想】
カメラを手に、山を劇場に変える、新時代の登山家。
栗城史多はインターネット全盛期における登山のあり方を変えた人物、といってもいいかもしれない。それはいい意味でも、悪い意味でも。
栗城は身体が硬く、登山の技術はなく、体力も並であり、おまけに運動神経が悪い。加えて努力を重ねる真面目人間ではな...続きを読むく、行きあたりばったりで挑戦する「芸人肌」な人間だ。そんな栗城が登山を始めてからわずか2年目、準備不足のまま挑んだマッキンリーに、なんと単独で登頂成功してしまう。これが栗城の自信につながり、その後アコンカグア、エルブルース、キリマンジャロと、とんとん拍子で登頂を成功させていく。
登山の厳しさを知るプロ達は、誰しもが栗城をこう評する。「アマチュアのレベルだ」。
実力と経験のある一流登山家でも、予期せぬ雪崩や落石で死ぬ可能性がある。完璧な用意と油断のない心。数々の登頂で積み上げた経験。そうした盤石性すら山の前では一瞬で無意味になる。登山とはそういう世界であり、その世界に入ったばかりの栗城は経験に加えて純粋に実力が足りていなかった。
一方、他の人に無くて栗城にあったのはビジネスの才能だ。持ち前の企画力で学生の頃から話題を集め、企業に融資を募れば多額の金が集まり、講演会を開けば人が集まりおまけに話も面白い。栗城が「魅せる登山」を意識していたのも成功の一因である。登頂の際には必ずカメラを持参し、シーンを作ることを意識して立ち回っている。登山の過程を手持ちカメラで撮影するという手法は、インターネット配信の時代にピタリと合致していた。
そんな栗城の営業力と人間性に惹かれて、「単独無酸素七大陸最高峰登頂」を応援したいという人が続々と集まってくる。大小さまざまなパイプが寄り集まり大きな流れとなって、栗城をエベレストに運んでいった。
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本書の中盤からは、栗城の負の面が徐々に描かれていく。本当の山頂が目の前にあるのに、手前のコブ(認定ピーク)の地点で登頂を諦める。「単独無酸素での七大陸最高峰登頂」という誤解を招く表現(実際には、酸素ボンベが本来必要なのは7つの峰の中でエベレストだけ)を前面に押し出し、スポンサーや聴衆を集める。マルチビジネスの会社が主催している講演会に足を運び続ける。栗城の言動は次第にパフォーマンス性を帯び、幸か不幸か世間から注目を集めていく。
栗城のエベレスト遠征は、Yahoo! JAPANがサポートしていた。同社は栗城がABCに入ったその日から登山の過程を動画で毎日配信し、最後の山頂アタックを生中継で全世界に流すという大仕掛けを用意していた。
「栗城にネットでの生中継を吹き込んだのは、日本テレビの関係者ですよ。彼が考えたことじゃない」とBCのカメラマンとして同行する森下は話す。
自分だけの「劇場」を作る必然性、遠征資金を募る謳い文句、それらを思案していた栗城は、黒木安馬など多くのコンサルタントや企業家との関わりから、「自己啓発」という世界に傾倒していく。そして彼は「登山(見える山)」と「自己啓発(見えない山)」を一体化するアイデアを思いつき、世界の人々と「夢の共有」をするという目標を掲げるようになった。
「仮に登頂の生中継ができないとしたらどうしますか?」
筆者の質問に栗城はこう答える。
「それならエベレストには行きません」。
彼は更に言葉を続けた。「ただ登るだけではつまらないので」。
登頂が目的ではない。世界最高峰の舞台からエンターテインメントを発信するのが、彼の真の目的なのだ。
しかし、それは山への冒涜ではないのだろうか?
登山家の間では、栗城のセールスポイントである「単独登山」を疑問視する声が挙がっている。そもそも登山家の言う「単独」の解釈はマチマチで、自分で張ったロープしか使わない者もいれば、他の隊が使ったハシゴを使用する者もいる。栗城はもっぱら後者であり、下山中、外国の隊が残していったテントで夜を明かすこともあれば、シェルパを先行させて先にザイルを張らせるという工作もしていた。
そんな中、栗城がエベレストに挑戦する日が訪れた。
初挑戦は、標高7,850メートル地点での敗退だった。
「ボクの仕事は、隊長の栗城を安全に下ろすことではないんです。彼以外のスタッフを守る立場だった。栗城が一人で死ぬ分にはいいけど、周りを死なせちゃいけない、無謀な冒険の巻き添えにしちゃダメだ。他の隊員の命を守ることは栗城にはできない。副隊長であるボクの一番重要な仕事だと思っていました」
栗城隊の副隊長である森下は、筆者のインタビューにそう語っている。栗城は技術も体力もエベレストに値しないと察知していたのだ。
2回目のエベレスト登頂は7,550メートルでの敗退。森下はこの登頂をきっかけに、栗城と決別した。
3回目の登頂も失敗した後の4回目の挑戦で、栗城はノーマルルートより格段に難度が高い西陵ルートを選択する。この挑戦も失敗し、栗城は凍傷を負う。右手の親指をのぞく9本の指の、第二関節から先を切断した。
このころにはもう、栗城の主戦場であるネットでも彼を批判する声が多数を占めていた。「プロ下山家」。それが栗城につけられたニックネームである。
2015年3月、栗城は3年ぶり5回目のエベレスト挑戦を宣言する。このときも生放送を予定しており、5,600万円の総費用のうち2,000万円以上をクラウドファンディングで集めた。
それにも関わらず、途中で登頂を断念。同時中継は実行されなかった。のちほどブログで配信されたアタック時の動画も、後日撮ったやらせという声が挙がり、栗城のブログは炎上していった。
繰り返すこと8度目の挑戦となった2018年5月18日、栗城は登頂中にファンに向かってこう宣言する。
「南西壁ルートに変えます!」
とても正気の沙汰ではない。エベレストのネパール側にある南西壁は「超」の字がつく難関ルートだ。実際、高度順応の段階ではノーマルルートを標高7,200メートル付近まで登っている。安全性を無視しての急な方針転換は無謀としかいう他なかった。
21日午前8時頃、シェルパからBCに無線が入る。
「死んでいる」
栗城の遺体はC2の少し上、標高6,600メートル付近に横たわっていた。滑落死であった。
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8度目の挑戦を前にして、栗城は焦っていた。回を重ねるごとに出資に後ろ向きになっていくスポンサー、年齢から来る身体の限界、失敗するたびに傷ついていく評判……。この機会を逃せば、山を下りたとしても行くところがなくなるのは明白だった。
そして栗城は禁忌を犯した。
BCで酸素ボンベを使ったのである。
実は、栗城は今までも酸素ボンベを使っていた。寝るときにも使っていたり、BCだけではなく上のキャンプ地までシェルパがボンベを運んだこともあったりしたそうだ。また、単独登山と称しながらBCまでシェルパに荷物を運ばせて、テントを立てるところだけ撮影のために自分でやる、といった行為も横行していた。
登頂直前でのルート変更、成功のため無酸素をかなぐり捨てる執着。栗城はもう後戻りができなくなっていた。
――頑張ってください、勇気付けられました、と言われれば、その声に応えたくなるのが人間です。これは外すことのできない鎖を、自分に巻きつけていくのと同じことです。そこに、大人たちが、企業が、近づいてくる。大きな挑戦には資金が必要だから、彼らを相手にしなければ実現できない。すると失敗が許されなくなる。そしていつしか挑戦をやめられなくなる……。
もしかしたら、栗城は死ぬ場所を探していたのかもしれない。山から下りたあと、次の人生が始まるのが怖かったのかもしれない。歳をとってまで生きたくない……、いつ死ねるんだろう?エベレストに挑む前、何度もそう口にしていたという。
――私たちは無意識のうちに、彼を謳い上げる前提で番組を作ろうとしていなかったか?私たちと彼との関係は馴れ合いではなかったか?私たちは彼に文句を言ったか?私たちは彼という人間を愛したか?(略)私たちは栗城史多の本当の姿を伝えようとしただろうか?
栗城は純粋に「人に喜んでもらいたい」という思いで登っていた。彼の実績の多くが嘘であろうとも、そこだけは偽りのない本心であった。常に夢を口にし、世の中に希望を与える。それをモットーにして山に挑んでいた。
ネット登山家は人々に夢を語りながら、自身は死を望んでいたのだ。
彼は孤独という「単独」の中で、山を登っていたのかもしれない。
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栗城に対する後世の評価は否定的だ。
私も、栗城が事前準備を怠り山に挑んでいること、また「単独無酸素七大陸最高峰登頂」と言いながら内実は酸素ボンベやシェルパを使うという詐欺行為を働いていたこと。これらは決して許されるべきではないと思う。
しかしながら、栗城が山に挑むための動機、すなわち「人々に笑顔を届けるため」「有名になるため」という野望は、それでいいと思っている。そして、「死ぬ可能性が高いのに無茶な登頂を決行した」ことについては、事実といえど批判されるべきではないと思うのである。
そもそも登山自体が常軌を逸した行動だ。8,000メートル級の山に命をかけて登る理由など、どこまで突き詰めても合理的なものはない。ならば、「名声のために登る」と「山が好きだから登る」の間に、本質的な差はないのではないだろうか。もっといえば、栗城の動機が「山以外に行き場所がないから」「引くに引けなくなった今、成功を収めるしかないから」だとしても、それをもって「不純な動機」とは言い切れないのではないだろうか。
栗城の滑落死の責任は徹頭徹尾彼自身にあるが、ただ、間違いなく自らの命をかけて登頂していた。エンタメだろうと本気だろうと、彼には彼なりの「山を登る理由」が存在していた。それが真実であり、他の登山者との間に貴賤の差はないと思ってしまうのだ。
「8,000メートルの高さも、酸素を吸う事によりその高さを三分の一の3,000メートルにしてしまうならば、暇とお金をかけてわざわざ8,000メートルに登ることはない」
文中で触れられているこの言葉は、日本の登山家で初めてエベレストに無酸素登頂した吉野寛氏の言葉である。これを目にしたとき、思わず「山に挑む意味とは何か」を考えてしまった。
エベレストの死亡率が1%まで下がり、誰でも目指すことのできる山となった今、登山者は「山頂」ではなく「道中」を意識するようになった。単独、無酸素、難関ルート、冬期登頂……。一つ達成されれば人々はこぞって自らに縛りを化し、無謀とも呼べる挑戦に身を投じていく。一昔前までは無酸素登頂でも「自殺行為」だったものが、登山道具が進歩するにつれて、注目すら集めない記録へと落ちぶれていく。栗城の「指欠損」「生中継」という制限もその縛りの中に含まれるとすれば、栗城は「登山」という営みの中にある止まらない欲望によって殺されたのではないか、と思えてしまうのだ。
登山という行為は、やはり残酷だ。そして、人々の期待を背負うというのは、それに輪をかけて残酷である。
苦々しい後味が残るが、ぜひ読んでほしい一冊だった。