魯迅のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
わたしは阿Q正伝を読んでわたしもまた阿Qだと思ったが、阿Qは阿Q正伝を読んでも己を阿Qだと思うことはないのだろう。
装飾と情緒を削いでなおふくらみと余韻のある、魯迅の文章は好みだ。
訳が良かった、日本語として好きな文章だった。竹内好訳。肌触りがしっとりさらりとしていて、心地良い。
とても陰鬱な色調の話で始まって戦慄いたのだが、行きつ戻りつだんだんとほの明るい色調になった。
昼の明るさではなく月のささやかな光。最初のどうしようもないどん底の絶望を読まねば、この明るさをさほどに感じなかったと思う。
話の配置の良い短編集。
最初の狂人日記の食事がすげーまずそうなのに、最後の村芝居の食事はすげー -
Posted by ブクログ
中学(高校かも?)の国語の授業で登場した魯迅の「故郷」。
まさかこうしてここでめぐり合うなんて・・・。
新訳とあって、こうも変化するとは思わなかった。イイ意味で。
読んだことのない小説を読む如く、みずみずしさが残る。
本書はその「故郷」を含んだ魯迅の短篇集。
有名ところの阿Q正伝、狂人日記なども収録されており、当時の中国の背景、日本との関係も踏まえて、小説を通して垣間見ることができる。
革命だのなんのと時代が揺れうごめく中に、筆者が感じた痛烈な批判的な要素も含んでおり、救いがないような作品の中にも、今後の「良い未来」として変えていかなければいけないといった思いも託された作品が多い気がした -
Posted by ブクログ
ネタバレ☆つけるのは烏滸がましい気がするから3にしておく。
故郷が好き。故郷で貧困にあえぎつまらない大人になってしまった閏土と、故郷を離れ役人となった自身の対比。かつて友人だった彼らは彼らを取り巻く問題によってもはや友人ではなくなってしまった。閏土は私に対して畏れともとれるような感情を抱くようになってしまった。私は役人の地位に慣れてしまったのか親しく付き合うことの許可を出しもしない。当時の中国の片田舎ではそれが当たり前なのかもしれないが、私の立場に立たされたとしたら自分だったらそうすると感じた。私は閏土の現在の姿をみてあきらめてしまったのだろうか。それでも息子たちはかつての閏土と私のように親友となった -
Posted by ブクログ
とにかく書き出しが素晴らしい作品が多い。
「孔乙己」の書き出し「魯鎮の居酒屋の構えは、よその土地とは違っていて」、「薬」の書き出し「秋の夜中、月は沈んでしまい、日はまだ昇らず、青黒い空だけが残っていて」、「藤野先生」の書き出し「東京も同じようでしかなかった」など、書き出しだけでシビれる。
どんな物語が始まるんだろう?とワクワクするような、嵐の前の静けさみたいな、すごい俗っぽくいうと戦闘フィールドを設定するフィールド魔法を脳内にかけられるようなイメージ。
結構私が読んだことある中では「最高の書き出しを書く作家」といっても過言ではないと思う。
残念なのは、短すぎると思うこと。当時の流行りとかもあ -
Posted by ブクログ
呉下の阿蒙の故事も絡めてあったんだなと、思いながらも「男子3日あわざれば刮目して見るべし」が、阿Qが成長するのではなく、阿Qの立場や財産で世間の阿Qを見る目がどんどん変わっていく所に人間の恐ろしさと、自分への戒めも感じた。自分も阿Qになるかもしれないし、阿Qを見る周りの人になるかもしれない。昔はワイドショーや写真週刊誌。今はSNSなどで、面白半分に人をつるし上げる。自分だって金持ちや偉い人を見れば、それだけでその人を判断してしまうし、阿Qのように、自分の才能に似つかわしくない金や名誉を求めてしまう。今風に言うと承認欲求だが、しかし結局誰も他人には興味はなく、他人の動向は単なる暇つぶしでしかない
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Posted by ブクログ
標題の「阿Q正伝」は、阿Qと呼ばれる名前もはっきり分からない、行状もはっきり分からない、当時(1920年頃)の中国の最底辺で暮らす、家も無い、家族も無い、日雇労働者で稼いだ金は全て飲み代に使ってしまうような男が主人公。
皆から馬鹿にされ、しょっちゅう殴られているのだが、変なプライドがあり、例えば殴られた時でも「息子に殴られたようなものだ」とか「我こそ自分を軽蔑出来る第一任者なり」などと考え、自分を納得させて、殴った相手よりも意気揚々とその場を立ち去る。
しかし、自分よりも見すぼらしい者や女性のことは軽蔑している。
ある時、その町に革命軍がやってきた。その革命軍が町の有力者を怯ませたと聞