カンザキイオリのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
読み終えた。
小説の言葉を借りるなら、それは「嫉妬」。
正直、舐めていた。“カンザキイオリ”を。
この軽やかな筆致。心に沁み入る選りすぐりの言葉。そして何より物語の組み立て。
それ故に……。
僕(敢えて一人称を“僕”にする)は、「カンザキイオリ」という作家を知らない。勿論、名前ぐらい――“『命に……』の人” 程度には知っている。ただそれ以上、例えばどんな作品を書き、どのような人物なのか、その殆どを知らない。
そして今回、この作品『親愛なるあなたへ』に巡り合った。それは何の気なしに、全くもって“ノーガード”で。
「小説」と一言に言っても、そのカテゴリーは様々だ。その中で「青春」/「学園」ものというものもそのひとつ。この小説はまさにその王道をいっている、と……。
しかしながら何だろう。割と慣れ親しんできたはずの“この手”のモノではあるが、得体の知れない“新鮮な?異質な?風”を感じだす――その正体は……そう、何処となく途中から。
青春の甘酸っぱさ――
程よくすれ違い、程よく融合する。
程よく緊張を伴い心が行き交う。
その移ろいを滑らかに、それでいて適度な湿度を保ちながら書き連ねていく。
軽やかに、しかし深く――深い洞察で心が移ろう風景――機微が描かれていく。
――とある街のとある学校で起こるよくある物語。
人は皆、物語を描く生き物だ。
どんな形であれ、頭の中で、心のままに、それがどれほど荒唐無稽であろうと、呆れるほどにハッピーエンドであろうと、至極悲観的であろうと、想像し、描く生き物だ。
ただそれが作品になった時――そしてここにその作品はあるのだが、思い描かれる理想の結末というものがその読者の数だけ存在し始める。しかしながらその結末を決めるのはいつだって“その”作者だ。全ての結末はその物語の作家の手中にのみ委ねられる。希望に満ちていようが、絶望の果てを迎えようが、それは作家の意のままである。そしてそれを我々は受け入れるのみだ。
ただどう受け止めるかは自由だ。その受け止め方は読者それぞれに委ねられる。そしてその“正しさ”もまた千差万別であろう。
小説を読むということは、そういうことのはずだ。
果たして僕はどう受け止める、この物語を。
結果として僕は泣いている。「ずるい」――こんな物語はあまりにも“ずるい”と思いながら泣いている。そして“嫉妬”しながら涙が転び落ちていく。
こんな物語を書くなんて……。
三分の二より七分の四がより心地よい感覚を思い出す。この物語がそうさせる。
つまり感情――喜怒哀楽――を“割り切る”とするなら、分母が多ければ多いほどしっくりとくる。寧ろそうでなければここでの“正しさ”はどうにも捉え切れないという思いだ。
「人間万事塞翁が馬」という成語がある。
「禍福は糾える縄の如し」という諺もある。
『爆弾』そして『偶像』を改めて聴く。
爆風をノーガードで浴びた僕の心は、果たして……。
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遅ればせながら、今手に取っている。
これから読まんとするところだ。
(ということで評価はまだできない)
ではなぜ、そんな状況で拙速にこれを書いているのか、という話になるのだが―。
その理由は、購入特典の音源取得期限が今月末(2026/8/31)までだから。
もし音楽には興味がない(小説だけに惹かれて)としても、折角ならこの特典音源を聴いてみたいと少しでも思っているなら(なんならそんなふうに思っていなかったとしても)、この“音”は聴いておくべきだろうと、今実際に“これ”を聴きながら、そして鳥肌を立てながら、僕はそう思い、これを書いている。
そう、この“歌”は聴いておくべきだと思いながら。
日にちもないので取り急ぎ殴り書き。 -
Posted by ブクログ
『あの夏が飽和する』を読んで
私はいつも、本はゆっくり読むものだという美学を大切にしてきた。ページをめくる時間の中に、余白を見つけたいと思っていた。だけど『あの夏が飽和する』は、その美学を軽々と越えてきた。気づけば3日で読み終わっていた。これは、私の中で初めての経験だった。
この物語の魅力は、千尋や瑠花という2人の関係だけにとどまらない。登場するすべての人物が、それぞれに「抱えているもの」を持って生きている。
物語が進むにつれ、それぞれの心の傷や関係性が浮かび上がってきて、最後にすべての線がつながった瞬間、私は鳥肌がたった。
最近、友人が自ら命を絶っていたことを知った。
それは、去年のことだった。
その子は、私が人生で一番落ち込んでいたとき、「大丈夫、大丈夫」「幸せになれるよ」と何度も言ってくれた。私は、その言葉に救われた。
だから、その子がもういないと知ったとき、不思議な感覚になった。その子の死は、静かすぎるほど静かに私の元へ届いた。
笑っている顔も、話した言葉も、私が知っているのは、その人のほんの一部分だった。
人は誰かの人生を、完全には知ることができない。
どれだけ近くにいても、どれだけ愛していても、その人の心の奥底にある痛みまで、自分のものとして理解することはできない。
人間は、他人の内面を直接見ることができないのだ。
その感情を思い出させる本がまさしくこの本だった。
この作品に登場する人物たちは、それぞれが異なる傷を抱えている。千尋と瑠花も、その例外ではない。
彼らはただ「生きたい人」と「死にたい人」として描かれているのではなく、生きたいという願いと、死にたいという願いの両方を抱えながら揺れ動いている。
私はそこに、この作品の最も重要な部分があるように思う。
だから、千尋の言葉が心に残っている。
「どんなに強い人でも、周りがひどい環境だったら、どうしようもないことが起きてしまうことだってある。どんなに最悪の選択でも、それしか方法がないって思い込んでしまうこと、瑠花もあるだろう?」
どれだけ心が強い人でも、もし周りの環境がずっとつらくて、誰にも助けてもらえなかったら、だんだん気持ちは削られてしまう。
自分では“絶対に選ばない”と思っていたようなことでも、それしか道がないように思い込んでしまうことがある。これはきっと、「自殺」というテーマの核心でもある。
「生きたい」という気持ちがどれだけ強くても、どうにもならないその瞬間に「死ぬしかない」と思い込んでしまうことがある。
人は、理屈では動かない。
この物語は「生きるとは何か」という問いに、まっすぐ向き合っている。
そして、それに対して、「生きていていい」と語りかけてくれるような気がした。
人は孤独を知ることで、やさしくなれる。
誰かとつながる前に、自分とつながる勇気を持ちたい。
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Posted by ブクログ
元々歌が好きで、聴いてから読み始めたから最初はてっきり千尋と流花の逃避行の話かなと思ってたら、その話から何年も経った後の物語だった。
主な登場人物は、目の前で自殺した恋人 流花を13年経った今も引きずり続けている千尋。父子家庭で父親に甘えられない孤独をマッチングアプリで出会った男性で紛らわせている女子高生 瑠花。家庭内暴力を受けているが、笑顔を繕い1人で闇を抱える男子高校生 武命。
全員が孤独を抱えていて、それによって出来た心の穴をそれぞれ埋めようとする。創ることで埋めるか壊すことで埋めるか。
何故そのようなものが選択肢として入ってしまったのか。何故信じることを選択肢に入れることができなかったのか。やるせない展開が多く心苦しくなるが、夏の儚い出来事として妙に綺麗さが掛かっていた。