樋口耕太郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
沖縄が抱える問題の根幹的な原因は低い自尊心にあると書かれていた.
自分を愛すことができないから,他人の挑戦や努力を認めることができないと.
補助金などの外的要因が絡んでいることで,自尊心の問題が沖縄では色濃く出ているが,同様の問題は日本でも起きている.
沖縄の問題を知っていく中で,本土に住んでいる自身の行動や認識を改めて見つめ直すきっかけとなった.沖縄に行きたいな~
↓の文章が刺さった.
> 自分を愛していない人の「心の穴埋め」は時に脅迫的だ.
> ・・・
> 自分の思う通りに事が進めば,自分の心の穴が少し埋まるような気がして,
> その一瞬だけ安心するが,誰かが自分の意に沿う行動をしなければ,
> 心の穴が広がる痛みを感じてパニックを起こす. -
Posted by ブクログ
著者は序文で「沖縄は、見かけとはまったく違う社会である」と述べているが、本書を一読して、自分の沖縄観について目から鱗が落ちることが多々描かれていて知的興奮を覚えざるを得ない読書体験となった。
ひとつひとつ取り上げたらキリがないくらい沖縄社会に対する鋭い考察がたくさん記述されている本書だが、特に第2章「人間関係の経済」では沖縄社会が本土以上に息が詰まる村社会であることが垣間見れてとても知的興奮を覚えました。
また、貧困が沖縄社会を支えているという本書で描かれている事実はいろいろと考えさせられました。著者は本書の中で人は自尊心が低いままだと向上することが難しいと論じてますが、その考えには自分も強く同意します。自尊心が低い、自分を愛すことができない人間にはよりよい人を育て、よりよい社会を創造・構築することはできない。そのことをいくつになっても自分の心に銘記し生きていきたいと感じさせる単なる文化論・社会考察にとどまらない自己啓発な一冊でした。 -
Posted by ブクログ
平易な言葉で書かれてるが、本書の本当の意味を理解するのは難しい。
経営の理解の難しさというより、人生というものの捉え方の難しさ、哲学的な難問を突きつけられた感じ。
資本主義の不都合な面、贈与が社会を動かすと気づいてもそれを実行できる人は少ない。
資本主義で株主が不当な利益を得ている真実を知っても、今持ってる株を手放して、資産を分け与えることはできない、と思った。(私のような個人投資家のちっぽけな資産でも。)
ただ本当にお金を追い求めるだけの人生への疑問はかなり深まった。
それに、分け与えるにしても、その適切な方法を知らず、損得勘定ない心で実行しても、ここに書かれていた効果はもたらさないだろうとも思った。
お金だけに視点を絞ると、貯めることへの警鐘はDIE WITH ZEROも説かれていたけど、大資産家の使いきれないお金を持ってるおじさんに言われるより、一度全部失ったこの本の著者に言われる方が説得力はあったと感じた。
私も早く手放した方がいいものを多く抱えているんだろうけど、そもそも自分が何を持っているか、まだ理解できていないことにも気付かされる。
この本のタイトルにもあるように「長い時間」が必要。
おもしろかったのは贈与の影響力、6次理論と3次の影響力、幸福度は伝播するという話、ブラックスワンの例。
あとは親孝行は義務ではないという話。生まれてからの3年で親へは無償の愛を注ぐことで全員役目は終わっていると。これは自分にも家族関係に困ってる人たちにも言い聞かせたい。
すでに役目を終えたほぼ余生なんだから、と思える。
自分の関心に耳を傾けて、まず自分を愛してあげること。
贈与の経済学について、他の本も見てみたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ経営の本というより哲学の本、というかんじ。
こういう類の本はだいたい海外の方が書いて和訳されてベストセラーなことが多い印象だけど、日本の経営者でもこのような人がいてよかったなと思う。
資本主義すぎる世の中でここに書いてある全てが綺麗事のようにいかないかもしれないけど、それでも人間として、働く者として、人と関わっていくうえで大切にしたい教訓が散りばめられていたし、ずっと意識したいと思う思想に触れられて、読んでよかった。
いま、愛なら何をするだろうか。
_φ(・_・
・人は変化が嫌いなのではない。変化させられることが嫌いなのだ
・孤独とは、自分自身と離れていることである。
ひとりぼっちが耐えられないのは一人でいるからではない。自分と一緒にいないからだ。孤独の正体は、自分を愛せないこと。
・人生のさまざまな局面で、正しいことが意味を持つとは限らない。
・存在するのは、『いま』だけ。
現実に生きることができる唯一の時間は、永遠に連続する『いま』である。
いま、愛に生きる。
・人を憎んで生きることは、自分の人生を他人に譲り渡すことと同じだ
・2人でいるということを当たり前にせず、今日も2人でいて幸せだったかな、自分は相手のためによき存在でいれたかな、そう問い続けることが大切。
この問いはわたし自身も問い続けたい。
・誰か心を打ち開けられる人、見つけたかい?
・君のコミュニティに何か貢献しているかい?
・自分に満足しているかい?
・精一杯人間らしくしているかい? -
Posted by ブクログ
ネタバレ前半は沖縄問題の現実をデータや裏付けを元に論じて、後半部分で問題の根本や解決方法について述べてある。
日本全土の、出る杭は打たれる、協調性を重んじる、他人を慮る…のような悪い面が凝縮されているのが沖縄だと知り、かなり驚いた。
旅行で訪れた時は何の気なしに触れ合っていた現地の方が、このような環境で育ってきたのかと思うとなんとも言えない気持ちになる。
ーーー
①
-「私たちは、世界をありのままに見ていると思っていますが、それは違います。私たちの問いが、私たちの現実を作り出すのです」
「だからこそ、問題に直面したとき、正しい答えを探すよりも前に、まず、正しく問わなければならないのです。正しい問いこそが、可能性を切り開くのです」-
いきなり的はずれな考えかもしれないが、これは問題発見と問題解決にも言えることだし、AI活用にも言えることだと思った。
②
沖縄社会は現状維持が鉄則で、同調圧力が強く、出る杭の存在を許さない。
弱いものいじめではなく、「できるものいじめ」が蔓延している。
他人にNOと言えず、言ったら最後仲間外れになってしまう。それは離島において生きることを困難にする。
違法駐車していようがクラクションを鳴らせない。鳴らすと周囲に迷惑をかけた「加害者」になってしまう。
日本本土の悪いところを凝縮したような、そんな
構図になっていると感じた。
③現状維持という名の停滞を続ける沖縄社会の構図
1.昇進・昇給を望まない労働者
2.思考停止状態の消費者
3.現状維持が最も利益を産む経営者
1.昇進・昇給を望まない労働者
昇進や昇給をしてしまうと「できるものいじめ」に遭ってしまう。また、上司になり命令する立場になると同僚と一緒にお昼ご飯を食べれなくなってしまう。
などの理由により、昇進しないことのデメリットがメリットを上回っている。
2.思考停止状態の消費者
初代ボンカレーなどの定番商品が売れ続けているのは沖縄だけ。他の家庭と違う商品や調味料、親が普段使わないものを買うと突っつかれる。
また、美味しいものより人間関係を優先する。「遠くのイタリアンより親戚の焼き魚」ではないが、美味しい店より知り合いの顔を立てることを優先する社会が、消費行動の平常化をもたらしている。
3.現状維持が最も利益を生む経営者
人間関係さえ気をつけていれば、後は一度作った商品が売れ続け、労働者は文句を言わずに低賃金で働いてくれる。つまり現状維持が最も利益を生むという、資本主義ではあるまじき状態になっている。
沖縄企業は県内では敵無しだが、県外に出ると本土の企業に太刀打ちできずに即撤退するのは、県内で競争してこなかったからだ。
④全ての問題の根本は沖縄の人に自尊心が欠けているからだと著者は語る。
自尊心が無いから少しでも周りとズレることを恐れて、他人にNOと言えず、主張できず、何も行動できない。
逆に自尊心が育まれれば、どんな行動をしても大丈夫だと自信がつき、他人にNOを言えるようになり、新しくチャレンジができるようになる。
ここでいう自尊心とは、自分はありのままで愛される価値があると信じている。ことである。
自分を愛することができないから他人に関心を持てず、他人を愛することができない。
幼少期から周りばかり見て行動し、できない自分を自覚させてきた家族に囲まれ、「できること」で周りから突出することを恐れてきた沖縄人にとって圧倒的に足りていないものだと。 -
Posted by ブクログ
愛についての考察がある。引用も映画の紹介もたくさんあり、追ってみたくなる。
最初の前置きは長い印象だったが、その事前認識が後半に生きてくる。
心に残った言葉
①神は人間を自分(神)姿に似せて完璧なものとして創造したという真実を、人間の心の中にしまった。(だから人間は生まれた時から想像的で、善良で、その権利を自身が持っているという事実を、人間に見つからないように人間の心の中に隠した。
もし人間の真実の姿が愛であるなら、人間は自分のうちにそれを持っていることに気が付かず、外に求めてしまう。しかし人間の真実の姿が愛ならば、幸せ、愛は初期設定で人間は持っていて、外に求める必要は何もない。
②「道徳を忘れた経済は罪悪である。しかし経済を忘れた道徳は寝言である」二宮金次郎
③ダニー・ウォレス『イエスマン ‘YES’は人生のパスワード』寺西のぶ子訳、バジリコ(2009年)
④岡本太郎 太陽の塔は「(当時の日本の最高峰の頭脳たちが導き出した「人類の進歩と調和」というテーマに反対していた。
現代の惰性への激しい挑みの挑戦として太陽の塔を作った。
調和というが、みんなが少しずつ自分を殺して、頭を下げあって、こっちも6分で、相手も6分通り。それで馴れ合っている調和なんて卑しい。ガンガンと相手とぶつかり合って、闘って、そこに生まれるのが本当の調和なんだ。まず闘わなければ調和は生まれない。
だから太陽の塔なんだ。エキスポ70=進歩と調和だという訳で、テクノロジーを駆使し、ピカピカチャカチャカ。モダニズムが会場にあふれることは目に見えている。それに対して、ガツーンと全く正反対のもの、太古の昔から、どんどんそこに生えていたんじゃないかと思われるような、そして周囲と全く調和しない、そういうものを突きつける必要があったんだ。
科学技術と経済成長を礼賛するプロジェクトのど真ん中に、自分を生き、人生を歓び、生命を謳歌するような「太陽の塔」を突き立てたのはこのためだ。
⑤課題「あなたの一般的な慣習に照らして、自分が絶対にやりそうもないことを少なくとも1つ考え、少なくとも1ヶ月間継続しなさい。それを発案した理由、きっかけ、狙い、その顛末と気付いたことなど、経験をまとめなさい。
自分が自分だと思い込んでいる、その範囲の外で行動せよ、という意味だ。
小学校3年生の分数あたりから算数がわからなくなった…算数からずっと逃げていた自分に気がついた。
小学校3年生にときに算数から逃げた自分は、今もそのまま。まるで成長していない自分がいる。小中高と逃げ、高校でも逃げ、大学受験み事実上、何の勉強もしなかった。小学校3年生のときから大学3年生まで逃げ続けてきた自分を変えようと思った。…
彼は小学校3年生のときから気づかないふりをしていた心の痛みを、彼自身で癒した。彼の成長は算数を学んだことだけではない。自分に嘘をついていた自分に向き合い、「算数ができない」という自分の思い込みを葬って、本当の自分に一歩近づいたのだ。
それは彼の人生の中では小さな体験だったかもしれない。だが、その中に大きな意味がある。小さなことを手放せなければ、大きなことを手放すことはできないのだから。」
⑥ポストイット
私たちは誰でも、自作自演のストーリーにしがみつい生きている。そして、そのストーリーが自分の真実だと思い込んでいる。
彼が「算数ができない」というストーリーにしがみついていたのは、算数から逃げるためだ。
「算数ができない」と思い込んでいれば、算数の勉強をしないでおくいい言い訳になるし、算数から逃げている間は痛みが和らぐような気がするのだ。
彼が本当に苦しんでいたのは算数ではない。自作自演のストーリーをでっち上げて、自分自身から逃げていたせいだ。
それは手当たり次第にポストイットを貼り付けて行くようなものだ。
小学校3年生のとき、たまたま分数がわからなかっただけなのに、彼は自分自身にポストイットを貼り付けた。そこには「算数ができない」というストーリーが書いてある。彼はそれが自分自身だと思い込んだまま10年近くを過ごしてきた。
しかし小学校3年生に算数ができない大人はほとんどいない。「算数ができない」というストーリーが幻想だという証拠に、彼が一旦勉強を始めたら、数ヶ月もしないうちにその全てを理解してしまったわけだ。
彼は自分の苦しみが幻想だったということに気づいて、10年前に自分で貼り付けたポストイットを自分で剥がしたのだ。
⑦この広い世界で、自分のことを誰よりもディスっている人物は自分である。そして私たちはそのことに気づいてもいない。
自分の悪口をポストイットに書き込んで、それを毎日のように読み返していれば、自分が嫌になってくるのも無理はない。
自分だと思っているものは、ほとんどの場合、自分が書き込んだポストイットだ。
自分だと思っているものを手放すということは、そのポストイットに気づくことである。
⑧明らかに観る
幸せになるためには、これらへの依存ー愛だと思っているものーから抜け出すことである。
でも、どうやって?
そのためにはまず、自分が愛だと思っているものを「明らかに観る」必要がある。
「諦」とはサンスクリット語のサティアで真理を意味する。諦観という言葉がある通り、仏教における「諦める」は「明らかに観る」ことである。「見る」は肉眼で形あるものを見ること、「観る」とは怖れのない心でありのままの真実を観るということである。
自分の幸せを他者に依存している人は、人間をありのままに、明らかに観ることができない。
あらゆる人間関係の接点で、その人が自分を評価してくれる人か、それとも批判する人かその人は痛み止めをくれる人か、そうでないのか、自分のことを満足させてくれる人か、そうでないのか、ということだけが関心事になってしまうからだ。
ありのままに観ていないものを、どうして愛することができるだろう?
明らかに観るとは、評価に依存せず、批判を怖れず、愛だと思っているものーポストイットーを手放して、物事をありのままに受け入れることである。
すると「あの人から愛されなくなったらどうしよう」という怖れの正体が、自分が貼り付けたポストイットだったということに気づくかもしれない。
⑨『ヤクーバとライオン』ティエリー・デデュー
⑩子供への愛の本質は、子供から愛されることではない。子供の最善のために自分の執着ーロープーを手放すことにある。
11 射種の技術は変わらなくても、「未来」に意識が移った瞬間に、射手の力は失われる。
未来のゴールを持つことはいいことだとされる。人生の目標をはっきり語れる人は尊敬されるし、自分がなりたい未来の自分のイメージを明確に描くことは成功の近道だと言われている。
しかしそのゴールは積み上げた結果でなければ機能しない。
ヒーローになることを望んでいても構わないと思う。しかし自分を見失わずに本来の力を発揮したいなら「いま」にあるべきだ。
12 映画『恋はデジャ・ヴ』(原題Groundhog Day)1993年ビル・マーレー
13 親指を離す 赦す
親友という加害者がいるからこそ、彼女は被害者でいられる。被害者でいる限り、自分の不幸の原因は常に自分以外の誰か(加害者)にある。
赦すことは人間にとってもっとも難しいことの1つだが、その理由は私たちが被害者であることを無意識に)望んでいるからである。
許せない理由は相手にあるのではない。加害者にしがみついているのは自分である。
赦しは自分自身を加害者から解放する有効な方法だ。自分が愛であるならば、加害者にしがみつく必要はどこにもない。赦しは愛である自分を取り戻すことだ。
被害者であることと被害者として生きて行くことは似て非なるものである。被害者として生きて行くかどうか〜被害者のポストイットを自分に貼り付けるかどうかは100%自分の選択である。
赦しとは加害者にしがみつき、被害者という役割を演じている自分自身の姿に気がつき、それを手放すことである。
自分を知りことと赦しは深く結びついている。赦すことは真の自分に出会うことなのだ。
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Posted by ブクログ
ネタバレ沖縄旅行へ行った時、本屋さんで目につくところに置いてあったし、予てから関心あるテーマだったので、買いました。
沖縄に対する見方や考察、筆者なりの考えや分析が、大変参考になりました。
(特に「沖縄社会は現状維持が鉄則で、同調圧力が強く、出る杭の存在を許さない」というは参考になりました)
また、「他人の関心に関心を持つ」という考えも大いに共感できます。人に無関心な人が増えているように思えるからです。
ただし後半は、事実(ファクト)や数字とエビデンスが薄い中、ご自身の意見や主張を何度も繰り返している為、少し食傷気味になったのが残念です。
誤解を恐れずに自らの意見・考え・主張をズバズバと書いていますが、愛という言葉を多用しすぎている感があり、愛があればなんでも解決できる、とお考えか?と思ってしまいました。
募る思いを伝えたかったのだと思いますが、終盤はヤヤ共感しづらいところもありましたので、1点減点の4点とさせて頂きます。 -
Posted by ブクログ
新たな発見や、考え方を与えてくれた本でした。
日本国内で見れば、沖縄は「離れたところに孤立してある」島であり、本土と違う歴史や人間性を持っています。
この本を読み進めていくと「これは世界から見た、日本そのものなのではないか?」と感じるようになってきます。
大陸から離れているからこそ、日本は独特の文化や価値観があってそれがいいように感じていますが、世界から見れば日本は孤立化しているように見えるかもしれません。
グローバルの中で日本がガラパゴス化して孤立していく懸念です。
今は日本で市場が成立してしまうからこそ海外の企業や文化が入りにくい、独特の人間関係など、、 でもいつまでも通用しません。
「沖縄からなぜ?」と筆者が問うたびに「日本はなぜ?」に置き換えて読み説くことができます。
沖縄を他人事だと思っていると、それがいつか日本全てのことになってしまいそうです。