永田希のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
永田希氏のことは「これって教養ですか?」というPodcastで知った。会話の節々に感じる知識の膨大さに惹かれ、彼がメインスピーカーの回が好きだった。急逝されたとPodcastで知ったときは驚いた。
本書は「再読」の効用と重要性を説く。
本書を読み進めるに従い、私は読んだ数をとにかく増やそうと躍起になって常に新しい本を手に取っていることに気づかされた。ただ積みあがる数字に固執して、読書を通じて自己のネットワークを構築するという営みを蔑ろにしていたのだ。
一度読み終えただけでは一義的な自己解釈にとどまる。再読を通じて、読み飛ばしたり抜け落ちている個所への再接触を図ることで作品-自己の相互補完的なネットワークを更新する機会を得るのだ。
貧乏性の私は、一度読んだものを再読する時間があれば次の新しい本を読んだほうがいいだろうと考えていた。その持論は、本書によって覆された。むしろその姿勢こそ、情報過多の現代によるアテンションエコノミーに飲み込まれている証左であると少し怖くなった。
再読の価値を真摯に問い直し、読者をその境地へと誘う。けれども、読書スランプや、そもそも本を読むことの難しさにも目を向けており、決して無理強いはしない。その筆致に、著者の優しさが感じられる。心地よく、そして自分の読書習慣を見直すきっかけをくれる一冊だった。 -
Posted by ブクログ
難しい本だった。題名にひかれて読んだ。いきなりモモの話が出るとは。読み終わってからそのつながりを理解する不思議な経験をした。まさにこの本の言いたいことなんだろう。内容の節々に私の知っている話もあり、デジャブ感があった。著者ほどの造詣はないが、ほんの一部自分の感性と重なるものがあったんだと思う。本を読む人は孤独であるが、孤独ではないということを読みながら体験できた。私のテーマ、時間についても書かれており、何かこの本に感性的に惹かれたんだろうと思う。難しいので読みにくさはあった。ただ共感できることは非常に多かった。最近はお金も無いので再読ばっかり。人間は覚えてないからシンプルに再読は新鮮、私にとって。何か新しい発見があるというより、やっぱりこの本好きだな、みたいな好きな曲聴く感じと同じ。読書も音楽と同じ感覚になってきている。目的を持たずに読む、それが理想なのではないか。その領域に達するには再読含め、数こなさないと見えないと思う。
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Posted by ブクログ
テラフォーミングとしての再読
理解できなかったこと、思い出せなかったことを回収するため。自分が好きな部分をノスタルジックに反芻するため。そんな少しネガティヴで非生産的なイメージのある再読。
でも本書では、資本主義によって不毛な惑星のように荒廃した情報世界を生き延びるための、テラフォーミング技術という比喩でポジティブに表現されている。再読には、自分の生きられる情報環境を構築する機能がある。
なぜ再読したくなるのか?
その問い含まれる、自分をメタ認知する契機は、地球のように多様なそれぞれの人生を生きる出発点にもなるだろう。
ps再読
再読だけが、新しく生まれる私を教えてくれる
読書って、本って、そもそもなにか。
そんな読書論の深みにまで本書は降りて行く。
そこで著者が見つけた答えが、全てが「ネットワーク」であり、再読とはネットワークとしての私と本が再接続する出来事だということ。
例えば本なら、文字同士、文同士のネットワークを内側に抱えるし、本同士の参照や本屋に置かれることで外部のネットワークに繋がっている。
読書は、ネットワークにつながること。
そのことに気づく驚きを、まず本書は私にもたらしてくれた。
そして、初読する時と、再読する時の間に横たわる時間が、経験が、読み手というネットワークを組み替える。恋をして、子供が生まれ、仕事を失い、親が死んでいるかもしれない。美味しいものを食べ、初めて映画で泣くかもしれない。そんな私は、変わらず書庫にある本に接続することで、変わってしまった自分を知ることになる。
変わって行く私に対して、本は、組み変わらないネットワークを保って、ただ読まれることを待ってくれている。悠久の時を超えて。
だから、本のおかげで再読は創造的な営みになる。私が日々創造されていることを教えてくれる時間になる。
再読だけが、創造的な読書術である。いや、再読は創造的な読書にならざるを得ないという宿命のようなものかもしれない。かの哲学者が「同じ川の流れに2度足を踏み入れることはできない」と言ったように。
あくせくとした人間と、超然とした本との再会。本の側から見た再読にまで言葉が張り巡らされている本書は、本とそれを支える人と文化のネットワークへの穏やかな愛を感じさせる一冊だった。 -
Posted by ブクログ
情報の濁流に流されないために、テーマをもって本を集めたビオトープ的積読環境を構築することにより、情報に対する自己の軸をつくる。
現代は情報が多すぎる情報の濁流の時代
積読環境=知識のビオトープ
バイヤールは完全な読書以外は未読と定義
流し読みも積読も同じ未読
完全な読書は不可能
自分にとって重要な本を見つけるために投資が必要
積読=投資
テーマを決めて書き出す
テーマにあった本を集める
古典を読むと早く読めるようになる→多くの本で参照されているため
読書ノートで情報のいけすを作る
定期的に本棚をメンテナンスする
ビオトープ的積読環境=スロー思考
→自己の輪郭を作り自己肯定のための足場になる -
Posted by ブクログ
ネタバレ要約:積読が完全な読書法なのは、そこには「主体性」しかなく、イノベーションの土壌形成となるから
ひとたび本を開くと、次のページも読まなければ、本全体を理解せねば、という強迫観念に囚われ、そこに主体が陰る部分が生じる
これに駆られ何度も本を読むと、その本だけでは理解しきれない部分が出ることで別の本にも手を出さざるを得ず、やはり主体が脅かされる
この板挟みや葛藤から逃れることは「読まない」つまり「積読」であるが、そこにも「読んで!読まなければ!」という本の訴えを幻聴する状況がある
著者のメッセージは本の機能はそもそも「読まれること」と「情報の保存」の二つで、積読は後者を叶えている側面から、気負いはやめよう、という旨となる
かつ、著者が「積読ビオトープ」と銘打つ「現代という情報濁流」から自意識によってつくる「情報の支流」は、言うなれば「イノベーションの土壌」ではなかろうか
何らかの意思・思想のもとでフィルタされた情報だけが「濾されて」流れるものとなり、その分子一つ一つが思いもよらない繋がりをすることで「新しい価値」となる、まさにイノベーションが起こる、そうした活動を本という現物を用いて行う
すなわち、積読とはイノベーションの基盤を作っていく活動だと帰結した -
Posted by ブクログ
永田希(1979年~)氏は、米国コネチカット州生まれの書評家。書評サイト「Book News」を運営し、「週刊金曜日」、「週刊読書人」、「図書新聞」、「HONZ」等でも執筆している。
本書は、著者がかつて「時間銀行書店」を名乗って刊行した『サイコパスの読書術-暗闇で本を読む方法』を下敷きに全面的に改稿され、2020年に出版された。
私は元来、不必要に断定的だったり、奇をてらった書名の本(「~しなさい」、「なぜ~なのか」等々)は敬遠する方で、本書も書名自体は好まなかったが、書店でめくってみると、多数の著名な読書術の本を引用しており、面白そうで購入した。
このチャレンジングな書名について、著者は「おわりに」で次のように語っている。「人間が読んでいない状態=「積読」の状態のままで、書物は言うまでもなく完結しています。人間の読書は不可避的に不完全なものですが、積読の状態は唯一、完全性を認められる状態です。本書の書名はこの逆説に基づいています。したがって、わたしは「人間が積読をすること」が「完全な読書」をする方法であると主張したいわけではありません。人間は完全な読書を成し遂げることはできません、読書は、単に積読の一部でしかありません。人間の不完全な読書は、それ自体で完全である積読の一部で、局所的に、かりそめに展開されるだけなのです。」
著者はまず、現代という時代は、本に限らない、動画コンテンツ、音楽、ゲーム、演劇などの様々な情報が日々大量に供給され、それを体験したり消費したりできないままに時間だけが過ぎていく「情報の濁流」の状況(「情報が積まれる(=積読)」の状況)にあるという。そして、その情報の濁流に飲み込まれないためには、無秩序に増大していく他律的な積読環境から、ある程度の独立性を持った自前の積読環境(それを「ビオトープ的積読環境」と呼んでいる)を自律的に構築する必要があると説く。
次に、なぜ「読書」が「積読」の一部なのかについて、ピエール・バイヤールのベストセラー『読んでいない本について堂々と語る方法』をメインに、M・J・アドラーの『本を読む本』、ショーペンハウアーの『読書について』、加藤周一の『読書術』、山口周、若松英輔、小林秀雄、橘玲、斎藤孝、鎌田浩毅、小飼弾などを引用しつつ、持論を展開している。(私はそれぞれの原本のいくつかも読んでいるが、この章では、原本から著者の意図に合う部分が取られているようにも見え、それぞれの原本は別途読んだ方がいいかも知れない)
また、後半では、積読の概念が少々拡散していく印象があるのだが、これは著者の好奇心・関心の広さ故か。
本書で奨める実践術をシンプルにまとめると、読書において最も重要なのは、世の中にある本を手当たり次第に読むことではなく、自分なりのテーマや基準で選択し、常に中身(関係性含め)を確認しつつ入れ替えなどのメンテナンスも行う蔵書(=ビオトープ的積読環境)を持つことであり、本を読むという行為はその延長線上にあるべきということなのだろう。
(2021年2月了) -
Posted by ブクログ
この本は、ランキングで見かけたときに、気になったのですが、タイトルが私はとても鼻についたので、一度敬遠したのですが、レビューを拝見したら面白そうだったので読みました。
何冊かの読書についての名著を取り上げて、積読について語っています。
主に取り上げて語られているのは、バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る本』他です。
そして同じことを書名をある時はショーペンハウアー『読書についいて』。モーティマー・J・アドラー『本を読む本』などに変えて繰り返し言い方を変えて述べられています。
「予算を決めて定期的に本を買いなさい。ただし買った本のすべてをすぐに読む必要はありません。積みなさい。そして積んだ本を新陳代謝しながら、あなたのビオトープを作りなさい。大事なのは、あなたの積読環境が構築されることです」
という結論にたどりつきます。
まとめだけ読むと積読する必然性がわからないかもしれませんが、通してこの本1冊読むと大変よく理解できるようになっています。
けれど私は学者でも作家でもない、ただの読書好きなので、そこまでして積読するような体系的な読書をしていないので、自分には必要ない本だったかもしれないとは思いました。
何か勉強されている方には有益かと思いますが。
何冊か紹介されていた、読書についての本では、若松英輔さんの『本を読めなくなった人のための読書論』が一番読んでみたいと思いました。 -
Posted by ブクログ
この本は読み方のハウトゥーではなく(読書ノートや情報カードがどう、みたいな話はほぼない)、情報過多な現代で、いかに積読するか?が書かれている。
自分の決めたテーマに沿ってビオトープのような積読環境をつくり、その環境も適宜見直して代謝させていく。読んで!(観て!聴いて!買って!)と訴えてくる情報の濁流にのまれず、自分が読むべき(観る、聴く、買うべき)ものを選び取ることの大切さを述べてある。
お堅めそうな本から、流行ったこんまりさんの本まで様々な本を引き合いに出しつつ、いかに積読するかを語る著者の視点はとても興味深い。
濁流にのまれて日々焦燥している身として、もう少し主体的に積読を構築し直そうと思います。笑
あと、ブックデザインがとてもいい。
中扉の積読本が崩れた感じのタイトル、天才かと思った