あらすじ
千葉雅也氏推薦
「読まずに積んでよい。むしろそれこそが読書だ。
人生観を逆転させる究極の読書術!」
読めないことにうしろめたさを覚える必要などない。
まずはこの本を読んで、堂々と本を積もう。
気鋭の書評家が放つ、逆説的読書論!
情報が濁流のように溢れかえり、消化することが困難な現代において、
充実した読書生活を送るための方法論として本書では「積読」を提案する。
バイヤールやアドラーをはじめとする読書論を足掛かりに、
「ファスト思考の時代」に対抗する知的技術としての「積読」へと導く。
たしかに本は、人に「いま」読むことを求めてきます。
でも、それと同時に、書物は「保存され保管される」ものとして作られたものだったことを思い出してください。
情報が溢れかえり、あらゆるものが積まれていく時代に生きているからこそ、
書物を積むことのうしろめたさに耐えて、あなたは読書の前にまず積読をするべきなのです。(本文より)
【目次】
はじめに
第一章 なぜ積読が必要なのか
情報の濁流に飲み込まれている
読書とは何だったろうか
情報の濁流のなかのビオトープ
蔵書家が死ぬとき、遺産としての書物
第二章 積読こそが読書である
完読という叶わない夢
深く読み込むことと浅く読むこと
ショーペンハウアーの読書論
「自前」の考えをつくる方法
第三章 読書術は積読術でもある
一冊の本はそれだけでひとつの積読である
読めなくていいし、読まなくてもいい
本を読まない技術
積読のさらなるさまざまな顔
第四章 ファスト思考に抗うための積読
デジタル時代のリテラシー
書物のディストピア
積読で自己肯定する
おわりに
参考文献
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
情報の濁流に流されないために、テーマをもって本を集めたビオトープ的積読環境を構築することにより、情報に対する自己の軸をつくる。
現代は情報が多すぎる情報の濁流の時代
積読環境=知識のビオトープ
バイヤールは完全な読書以外は未読と定義
流し読みも積読も同じ未読
完全な読書は不可能
自分にとって重要な本を見つけるために投資が必要
積読=投資
テーマを決めて書き出す
テーマにあった本を集める
古典を読むと早く読めるようになる→多くの本で参照されているため
読書ノートで情報のいけすを作る
定期的に本棚をメンテナンスする
ビオトープ的積読環境=スロー思考
→自己の輪郭を作り自己肯定のための足場になる
Posted by ブクログ
訃報を聞き、感想を書くことにした。
積読を、読み主の知的環境として捉え、本の増殖を自身の拡張、延長線だと考えて手入れする。
本へのアクション全てが、読むことの変奏として形作られていく場所、それが積読本の山。
再読本は年末に弔読する予定にした。
Posted by ブクログ
本を読む。完全に読み切った、は無い。なら、積読すればいい。そして、なにかおりてきた時に読めばいい。が読んでも、完全ではない。それを思い、今後も本を買い、積み、読み、本を閉じる。
Posted by ブクログ
装丁が好き。積めるように、紙の本で買った。
様々な読書術の本が紹介されていて興味深い。
人生は有限なのに、処理しきれないあらゆる情報がどんどん積み重なっていく。
積読を「ビオトープ」として息づかせるためには、まず自分のテーマを決める必要があるらしい。
情報の濁流の中から、テーマに沿った本を取り上げて積む。その中から、目次や前書き、後書きを参考に、選び出し読む。面白くなければ、ほかの本を選んで読む。今まで通り、そんな読み方でいいんじゃないか、と思うようになった。
匿名
ずいぶん昔に読もうと思って買ったけど読まないまま本棚で埃をかぶっている本が多く、そんな状態をどうしていくか、どう考えていくかについてヒントを得たくて読みました。自律的に積読環境を作ることの意義はわかったが、飛躍した論理のように感じた部分もあったので、永田氏の「再読こそが〜」にも手を出しつつ(笑)、本書も読み返したいと思います。
Posted by ブクログ
要約:積読が完全な読書法なのは、そこには「主体性」しかなく、イノベーションの土壌形成となるから
ひとたび本を開くと、次のページも読まなければ、本全体を理解せねば、という強迫観念に囚われ、そこに主体が陰る部分が生じる
これに駆られ何度も本を読むと、その本だけでは理解しきれない部分が出ることで別の本にも手を出さざるを得ず、やはり主体が脅かされる
この板挟みや葛藤から逃れることは「読まない」つまり「積読」であるが、そこにも「読んで!読まなければ!」という本の訴えを幻聴する状況がある
著者のメッセージは本の機能はそもそも「読まれること」と「情報の保存」の二つで、積読は後者を叶えている側面から、気負いはやめよう、という旨となる
かつ、著者が「積読ビオトープ」と銘打つ「現代という情報濁流」から自意識によってつくる「情報の支流」は、言うなれば「イノベーションの土壌」ではなかろうか
何らかの意思・思想のもとでフィルタされた情報だけが「濾されて」流れるものとなり、その分子一つ一つが思いもよらない繋がりをすることで「新しい価値」となる、まさにイノベーションが起こる、そうした活動を本という現物を用いて行う
すなわち、積読とはイノベーションの基盤を作っていく活動だと帰結した
Posted by ブクログ
永田希(1979年~)氏は、米国コネチカット州生まれの書評家。書評サイト「Book News」を運営し、「週刊金曜日」、「週刊読書人」、「図書新聞」、「HONZ」等でも執筆している。
本書は、著者がかつて「時間銀行書店」を名乗って刊行した『サイコパスの読書術-暗闇で本を読む方法』を下敷きに全面的に改稿され、2020年に出版された。
私は元来、不必要に断定的だったり、奇をてらった書名の本(「~しなさい」、「なぜ~なのか」等々)は敬遠する方で、本書も書名自体は好まなかったが、書店でめくってみると、多数の著名な読書術の本を引用しており、面白そうで購入した。
このチャレンジングな書名について、著者は「おわりに」で次のように語っている。「人間が読んでいない状態=「積読」の状態のままで、書物は言うまでもなく完結しています。人間の読書は不可避的に不完全なものですが、積読の状態は唯一、完全性を認められる状態です。本書の書名はこの逆説に基づいています。したがって、わたしは「人間が積読をすること」が「完全な読書」をする方法であると主張したいわけではありません。人間は完全な読書を成し遂げることはできません、読書は、単に積読の一部でしかありません。人間の不完全な読書は、それ自体で完全である積読の一部で、局所的に、かりそめに展開されるだけなのです。」
著者はまず、現代という時代は、本に限らない、動画コンテンツ、音楽、ゲーム、演劇などの様々な情報が日々大量に供給され、それを体験したり消費したりできないままに時間だけが過ぎていく「情報の濁流」の状況(「情報が積まれる(=積読)」の状況)にあるという。そして、その情報の濁流に飲み込まれないためには、無秩序に増大していく他律的な積読環境から、ある程度の独立性を持った自前の積読環境(それを「ビオトープ的積読環境」と呼んでいる)を自律的に構築する必要があると説く。
次に、なぜ「読書」が「積読」の一部なのかについて、ピエール・バイヤールのベストセラー『読んでいない本について堂々と語る方法』をメインに、M・J・アドラーの『本を読む本』、ショーペンハウアーの『読書について』、加藤周一の『読書術』、山口周、若松英輔、小林秀雄、橘玲、斎藤孝、鎌田浩毅、小飼弾などを引用しつつ、持論を展開している。(私はそれぞれの原本のいくつかも読んでいるが、この章では、原本から著者の意図に合う部分が取られているようにも見え、それぞれの原本は別途読んだ方がいいかも知れない)
また、後半では、積読の概念が少々拡散していく印象があるのだが、これは著者の好奇心・関心の広さ故か。
本書で奨める実践術をシンプルにまとめると、読書において最も重要なのは、世の中にある本を手当たり次第に読むことではなく、自分なりのテーマや基準で選択し、常に中身(関係性含め)を確認しつつ入れ替えなどのメンテナンスも行う蔵書(=ビオトープ的積読環境)を持つことであり、本を読むという行為はその延長線上にあるべきということなのだろう。
(2021年2月了)
Posted by ブクログ
この本は、ランキングで見かけたときに、気になったのですが、タイトルが私はとても鼻についたので、一度敬遠したのですが、レビューを拝見したら面白そうだったので読みました。
何冊かの読書についての名著を取り上げて、積読について語っています。
主に取り上げて語られているのは、バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る本』他です。
そして同じことを書名をある時はショーペンハウアー『読書についいて』。モーティマー・J・アドラー『本を読む本』などに変えて繰り返し言い方を変えて述べられています。
「予算を決めて定期的に本を買いなさい。ただし買った本のすべてをすぐに読む必要はありません。積みなさい。そして積んだ本を新陳代謝しながら、あなたのビオトープを作りなさい。大事なのは、あなたの積読環境が構築されることです」
という結論にたどりつきます。
まとめだけ読むと積読する必然性がわからないかもしれませんが、通してこの本1冊読むと大変よく理解できるようになっています。
けれど私は学者でも作家でもない、ただの読書好きなので、そこまでして積読するような体系的な読書をしていないので、自分には必要ない本だったかもしれないとは思いました。
何か勉強されている方には有益かと思いますが。
何冊か紹介されていた、読書についての本では、若松英輔さんの『本を読めなくなった人のための読書論』が一番読んでみたいと思いました。
Posted by ブクログ
タイトルを見て、積読しても気にしなくていいというような軽い本なのかと思っていたら、かなりボリュームがあってしっかりした内容に驚きました(笑)
いまのいろんな情報やコンテンツがあふれかえった時代に、何を読んで何を読まないか、何を積むかというのを意識的にやらないと流されてしまうというのは本当にそうだなと思いました。
読みたい本を読んだり積んだりしながら、読めないことを責めずに今後も読書していこうと思いました。
Posted by ブクログ
この本は読み方のハウトゥーではなく(読書ノートや情報カードがどう、みたいな話はほぼない)、情報過多な現代で、いかに積読するか?が書かれている。
自分の決めたテーマに沿ってビオトープのような積読環境をつくり、その環境も適宜見直して代謝させていく。読んで!(観て!聴いて!買って!)と訴えてくる情報の濁流にのまれず、自分が読むべき(観る、聴く、買うべき)ものを選び取ることの大切さを述べてある。
お堅めそうな本から、流行ったこんまりさんの本まで様々な本を引き合いに出しつつ、いかに積読するかを語る著者の視点はとても興味深い。
濁流にのまれて日々焦燥している身として、もう少し主体的に積読を構築し直そうと思います。笑
あと、ブックデザインがとてもいい。
中扉の積読本が崩れた感じのタイトル、天才かと思った
Posted by ブクログ
『なにかを積み上げる。その意味を、真剣に考えてみようじゃないか』
まず断っておくけれど、この本は、「読書法」の本ではない。『積読論』の本である。
「もうこんな生活イヤ!
積読しっぱなしなんて、あり得ない!」
な〜んて人にこそ必要な本だ。
つまり、何かを積んだ状態が許せない人への「特効薬」とも言うべき本である。
今や、誰もが、何かしら「積んでいる」状態にある。本はもちろん、DVDやネット動画、テレビ番組や雑誌、スマホゲームから旅行先、食べ物や飲み物に至るまで、それこそ、「あれもやりたい、これもやりたい」状態にあるはずだ。
ひとつ終えたと思ったら、その間にもまた多くのコンテンツが発表される。もはや、すべてをやり終えることは到底無理で、煩悩のように次々と湧き上がり続ける。
それほどコンテンツだらけの世界で、ボクらはどう積み上がったものと付き合っていくか?
この本には、そのヒントがある。人によっては、「積読論」だけではないこれからの人生における「何かしらの大切なもの」を掴むことも出来るかもしれない。
ちなみに、ボクはこういうちょっととんがった本が好きだから★4つにした。
さて、あなたは読んでどう思うだろう?
積読に、いや、積んでいることに後ろめたさを感じている多くの現代人に、ぜひ一度読んでもらいたい一冊。
Posted by ブクログ
現代は情報がどんどん生産される時代です。今後も情報が氾濫します。こうした時代に生まれた以上、積ん読は必要不可欠な行為になります。本書では、情報過多な現代では、すべての本に目を通すことは困難なため、積むことも重要な読書術であると書いてありました。
私自身も積極的に積ん読をしております。読書をする時間は限られているため、すべての本に目を通すのは難しいです。本を購入してもすぐには読まず、1年後に読むことがあります。私にとっても、積ん読はなくてはならない行為です。
本書では、「積ん読」の肯定的な意見を知ることができます。
Posted by ブクログ
(01)
さしあたり最新の読書論として愉しく読むことができる.書店で購入した後,積んでおくことなく,即,読んでしまった.
本書で用いられる隠喩(*02)のひとつに建築的な言い回しがある.同様に建築的に譬えるのであれば,本書は,間口は広く,奥行が深い構成をもっている.タイトルに読書「術」としてあるように,読むことや積むことの技術のほかに書物がもつ魔術性についても触れているが,ハウ・ツーの体裁をもって読者に広い間口を通じて呼びかけ(*03)てくる.
しかし,広い間口に誘われ,この書物に入り込んだところで,それなりの奥行の深さがあることに気が付き,嬉しくなる.書物の害悪をめぐってソクラテスとプラトンとの矛盾する立ち位置や,近代の印刷技術と製紙技術が可能にした紙ベースの以前にあった重量感のある書物の物性など,歴史的なパースペクティブもきいている.また,ショーペンハウアー,ジッド,アドラー,小林秀雄らによって提起された近代の読書とその環境をめぐる所論や異論を紹介しながら,21世紀の幕開けにおいてベストセラーとなったバイヤール『読んでない本について堂々と語る方法』のよい解題にもなっている.本書を手がかりとして,読書界のさらなる深みへと入り込むこともできるだろう.
(02)
本書のキーワードであり,主要なテーマとして取り上げられたのは「積読」である.この「積読」に眠る積極性を惹起し,積んでいることに関連する状態をさすために,さまざまな比喩や言い換えが用いられている.
ビオトープ,森,山,いけす,自律的積読環境,新陳代謝(メタボリズム!*04),庭といった語彙がその言い回しにあたる.また,「情報の濁流」というたとえが,積読に対立しつつ,積読という術の前提となり,積読を脅かす不安の根源ともなっている.濁流の濁(だく)は,ノイズの他律性を印象させつつも,読み進めるうちに,読書の読(どく)と通じはじめる.そのセンシティブな言葉遣いが,本書の大胆な着想をわたしたち読者のうしろめたい地平に着地させていることにも驚く.著名な作家,哲学者,論者の面々を引きつつも,それらの言説へのスタンスや位置取りには公平さがあり,フェアネスや中庸なバランス感覚にも新時代の読書を予感させるものがある.
ビオトープは,ランドスケープ批評に慣れ親しんだわたしたちにとっては馴染み深い概念でもあるが,このような文脈でいきいきと語られ,泳ぎ出すことを想像していた者はいなかったであろう.
(03)
本書の140ページには,未読や積読にある書物が「いまあなたに呼んでほしい」と語りかける様子について論じられている.この「呼んで」は,後段の同様の文脈からすれば,「読んで」の誤字であるかもしれないが,意図的な誤りなのかどうかは定かでない.世代を超えて存在する重要書や古典は,確かに,読まれるとともに「呼ばれる」べき書物でもあり,本の側からすれば,読者をいまも呼んでいる積もりであるのだから,という弁解も成立しそうなところが面白い.
悪貨と良貨の関係にある流通や貨幣経済の原則を,悪書と良書に置き換え,濁流と積読との関係にもフローとストックを示唆しつつ,ファストとスローの時間性の議論に持ち込んでいる点も興味深い.エピグラフ?として引用されたデリダにも読み取れそうな,「読むこと」と「書くこと」の時間的な断絶と,時間の堆積の高低による「崖」を考えるきっかけになるのかもしれない.
(04)
新陳代謝は,日本近代の建築において主唱されたメタボリズムを想起させる.自律性に擬えたその建築運動は,本書に照らし出されたショーペンハウアーの「自前」や,自己言及性あるいはメタ言及のようノリツッコミ,オートポイエーシスの問題にも踏み込んでいるようにみえる.
自己の言説によって自己のまさにその言説に楔を打ち込むようなノリとツッコミは本書にも散見され,にやりとさせられる.つまり,積読を推奨する本書が,閉じられたまま読まれずに積まれてしまうのではなく,まさにいま読まれているという読者側の情況を皮肉のように炙り出す効用がここにある.
自身(セルフ)の積読環境である蔵書に直面し,都度,走査(スキャン)をかけながら自律的に蔵書を代謝させ,本たちの位置づけをマッピングすることで得られる自身は,生態的でもあり未来的な主体でもある.本棚や蔵書の顔ぶれを変容させ,外界や他者との距離を日々更新するようなマッピングによって,わたしたちはどんな事態を招来するのだろうか.メタモルフォーゼする積読環境に映されているのは,自身そのものの姿なのかもしれない.
Posted by ブクログ
大量の情報があふれる現代、「積読」はうしろめたさを覚える必要などなく、むしろビオトープ的に興味のある本を積んでおくことのメリットを説くユニークな切り口の一冊。古典的な読書論などを引いてきたあたりからやや冗長に感じられて、個人的には後半は今ひとつ。
Posted by ブクログ
本を完全に理解して自分のものにする、完全な読書なんて無理だから、流し読みでも目次だけでも、あるいは積んでいるだけでもいい。情報過多の全国民総積ん読状態にあって、自分なりの積読のビオトープを作ればいい。……という積読推奨本を積読せずに読んだ。積読の山も定期的に見直して手放す、入れ替えるなどのメンテをしよう。
Posted by ブクログ
# 積読とは世界に一つだけのブックマーク群であり、情報テリトリーである
## 面白かったところ
- 積読の期限や歴史、名著からの引用を元にした論理展開は凄まじかった
## 微妙だったところ
- 各章の話の飛び方が尋常じゃなく、例えも高尚なものばかりで小難しい
- 積読に対するとてもわかり易い、後ろめたい感情の1つが「身銭を切って購入したものだから」というものがあると思うが、論及がなかった点
## 感想
「情報の濁流」という表現をなされていたように、我々は堰が切られた直後の流れような時代を生きている。
情報の良し悪しを選別し、自分だけの確かな情報リソース群(ビオトープ)を作成・管理することを推奨していおり、特に『タイミングが来るまで「積む」』という考えは完全に同意した。
個人的な見解として、本は情報の詳細であり、本棚はデータベースである。脳はインデックスの役割を果たす。故に、興味があって積んである本もすでに、データベースやインデックスとしての役割を果たしている。
本当に必要になったタイミングでその書物を手に取り、必要度合いに合わせて読書のレベルを上げていく。
積読が完全な読書かはわからないが、必要なタイミングで質の高い情報にアクセスを保有している状態を作る意見に対しては大賛成である。
Posted by ブクログ
全体的な評価は星2でしたが
バイヤールの「完全な読書は不可能な理想にすぎない」というフレーズにハッとさせられたので
星1つアップです。(^^;;
Posted by ブクログ
書評家って凄い。
こんなに文章の中に、書名を良くも詰め込めたものだ。
しかし、脱線に次ぐ脱線で読みにくい。本の紹介がクセになるとこんな文章しか書けなくなってしまうのか。
Posted by ブクログ
積読をどう消化するのかという点は触れられてなく、むしろ積読を推奨する本。
結局積読に何も悪いところはなく後ろめたさややましさも感じる必要はない。たくさん本を買ってビオトープ的積読環境を構築するということに尽きる。
この本から色々と読みたい本をいくつかピックアップできた。後半に掲載されている参考文献もとても良い。
Posted by ブクログ
読書術というよりも現代の情報の濁流対処の指南書と言える。
「本を読む本」「読んでいない本について堂々と語る方法」「読書について」の3冊の有名な名著から非常に多くの引用がある。
第三章
読書術は積読術でもある
の、「音楽的積読」と「絵画的積読」が良かった。
「理科系の読書術」に言及しながら、積読を音楽で比喩する。
Posted by ブクログ
無職になって読書が捗る。哲学の劇場で読書について語られていて、それから読書のハードルが下がり、今月はよく本が読めている。この本も読書についての本で、今月になって読んでいる本とリンクスする点も多く、興味深く読めた。アドラーの点検読書というのは、ポストトゥルースの時代には一番嫌われるものだと思うけど、そこを恐れず読んだ(しかし未読)の本について語る勇気を持ちたい。
Posted by ブクログ
自分だけのビオトープ。積読に対する引け目は解消されるが、この本そのものが、何か積読したくなるくらい、著者の自己中毒的な論の展開のパートもあり、気になる。積読も不完全な読書の集まりなら、やっぱり不完全なのでは?
Posted by ブクログ
ずっと気になってはいたけど、積読しまくっている自分がこの本を読むのは自己弁護っぽすぎないか…?と思ってチラ見するに留めていたが、ついに読んだ。
積読を2通りに大別すると、1つは大量の本、映画、動画コンテンツ、ゲーム、メール、サブスク…など「情報の濁流」に揉まれ、インプットしたいものが次から次へとあるにも関わらずそれを消化しきれない状況。2つはそうした情報の濁流の中で独立性を保った自前の積読環境を作る「ビオトープ的積読環境」。
本書では積読について古今東西あらゆる著者の読書術から検討を進めているが、日頃から特別に意識せずともやっていることと重複する部分も多かった。
ほぼ毎日本屋へ行くが、それは世界では今何が流行っているのか、どういうトピックスが熱いのか等について、一番中立な情報が並んでいるメディアが本屋だと思っているからである。インターネットやSNS等ではどうしても自身の思想に与しやすい情報の方が入ってきやすいが、本屋では割とニュートラルにインプットできる。
そこから今興味のあるテーマについての本を買うが、その時はたいてい目次や「はじめに」や「おわりに」を読んでその本の大枠は掴んでいることが多い。
そしてその本を家に帰って一定期間積む、…ということだが、積読における私にとってのうしろめたさは買った本が読まずして死蔵されていることではなく(そういう意味では買った本の概略はもう頭の中には一度入っていて思考回路の中から取り出せる状態ではあるので、"死"蔵とは思っていない)、もっと即物的な、それは収納スペースという問題である。「本棚に入るスペースがもうないのにまた買っちゃったよ…」といううしろめたさなのだが、これは適宜本棚を見直して新陳代謝を図るしかない…。
しかしファスト思考とスロー思考という概念を持ち出して、ファスト思考に偏らないために読書及び積読をするという話があったが、それは本を読むのが好きな私にとっては大いに賛成である。が、本を読まない人にとってファスト思考に偏らないための方法として読書以外の代替案はあるのだろうか。やっぱり読書をするって所要時間がその他メディアと比べて長いし、自分にとって有益かどうかは読んでみないと分からない(その嗅覚は読む場数によって育つし、自分に合わなくても面白い本があるという感覚も場数あってのものでは?)のにそれに何時間もかける、あるいは積読するにしてもその本に500円~数千円は払わないといけない。そう考えると読書ってエントリーコストが高いな…と思えてしまうのだが、その辺りは今後ももっと考えたい。
Posted by ブクログ
「積読=完全な読書術」というタイトルに惹かれて購入、自分自身も積読が多いので興味本位で読んでみた。ダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー」、こんまりさんの「片づけの魔法」、山口周さんの「読書を仕事につなげる技術」など、いろんな著書の読書テクニックに永田さんが独自の味付けをして「積読」のすばらしさについて語る。最近本が増えてきてどうしようかと考えていたところ、そろそろクラウド(電子)に移行したいんだが、なかなか踏み切れない。VR機器がメガネくらいのサイズになってきたら紙本の積読問題は解決する気がする。
Posted by ブクログ
「ビオトープ」が本書の数あるキーワードのなかで、最も合点がいった。ビオトープとはウィキペディアによれば「有機的に結びついた生物群。すなわち生物社会(一定の組み合わせの種によって構成される生物群集)の生息空間」と位置づけている。別の表現をするならば「周辺地域から明確に区分できる性質を持った生息環境の地理的最小単位」とのこと。
ビオトープの中にいるのは「生物」である。このことが改めてポイントだろう。生物はそれぞれが運動するがゆえに影響しあうということ。積読状態にある書物群をビオトープに喩えているということは、ビオトープを構成する生物が一冊ずつの本であり、本は静的なモノではなく動的な運動体である。
読んだかどうかではなく、あなたの本はビオトープの中で運動しているか? が問われている。運動しあうように積読をデザインすることが重要。運動するかしないかはビオトープをデザインする主体であるわたしたちの手にかかっている。わたしの知的世界が積読ビオトープであり、積読ビオトープがわたしの知的世界に刺激を与え続ける。
そのようなものがビオトープだと考えると、今自宅の約3,000冊からなるビオトープは運動をやめることなく、いまだ干渉しあっている。読んでいない本はおよそ半分。著者が言うような読んでいない本へのうしろめたさはない。うしろめたさと決別するには本を読まねばならぬものととらえるのではなくビオトープの一部ととらえること。であれば、折に触れてビオトープを手入れするのが最低限必要なことだとあらためて思えた。
Posted by ブクログ
これまで私が読んだ読書論や読書観とは異なるアプローチで読書を解説してくれる本だった。参考文献等が豊富でよく勉強して考察をしている事が伝わってくる。ただ少し脱線したり本筋とズレるところもあったような印象は受ける。読書観について半学術的な見方をしてみたい方、考えてみたい方、読書観を広げたい方にオススメ。次にどんな本を読もうかなと考えるきっかけにもなった。