河内春人のレビュー一覧
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継体天皇については、はるか古代の倭で、皇統が途切れそうな時に、大王家とはうすい血のつながりがあるだけにもかかわらず、北陸から連れて来られて大王の位についたという雑駁な知識しかなかったが、今回皇室典範の改正もあり皇位継承について興味もあり読んだ。
始めは、本のオビにある「始祖王」の意味がよく分からなかったが、本書を読み難解で理解するのは難しいところはあったが、概ね理解できたと思う。作者の「日本書紀」に対する、中国側の史書を引用しての厳密な資料批判の姿勢には大いにうなづかされた。
何せ文献に乏しい古代の時代の話なので、作者も述べているが、断定調で書いてはいるが「と思われる」を文末に付加して読んで欲しいとの姿勢は、多くの読者が歴史の専門家ではないの事を考えると親切だと思う。いずれにしても継体天皇が現在に続く天皇家の始まりである可能性があるかと思うと、悠久なるロマンを感じずにはえない。
元々古代史には興味はあるので、これからも色々なものを読みたい。
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Posted by ブクログ
まずは6世紀の日本史に対する基礎知識があまりに不足していたため、サラッと読み通すことが困難であったことが悔やまれる。
得た知識としては、この本を読む人はある程度予備知識として持っていたものかも知れないが、
・日本書紀などに記載されている内容が中国の歴史書を模倣しているものであること
・これらの資料が脚色されたものであること
・継体天皇が現在の天皇家につながる始祖であること
・遠いところから来ていきなり権力を握ったこと
・任那4県の割譲はなかった?ということ
といったところか。
磐井の乱に興味があったので、知識欲を少しでも満たせたという点が良かった -
Posted by ブクログ
西暦400年代から500年代の日本と朝鮮半島(高句麗、新羅、百済、任那、加羅)と南北朝中国(東晋、宋、南斉、梁、前秦、北魏)の歴史を解説してあり、たいへん勉強になった。遣隋使の2百年前に日本(倭国)が外交を展開しているのは驚いた。中国には文献が残っているのに、日本側には外交文献が残っていないのは残念である。古墳つくる力があるのだから、何らかの石碑が残っていてもよいのに・・・
倭の五王とは中国史書「宋書」倭国伝に記載されている讃・珍・済・興・武であり、それぞれ履中天皇(応神天皇、仁徳天皇の説もあり)、反正天皇、允恭天皇、 安康天皇、雄略天皇と目されている。作者は中国史書の文面、古墳や過去の学説や当時の朝鮮・中国との国際情勢をもとに自論を展開するが、結論は藪の中である。邪馬台国同様、証拠が少ないのであらゆる仮説が成り立つ。古事記・日本書紀を鵜呑みにせず、あらゆる方向に想像を広げていけるということは理解できた。 -
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5世紀の日本と朝鮮半島、中国を取り巻いていた状況をあらためて見つめなおすところで、日本と朝鮮半島との交流、確執、戦いについて考えさせられた。現在まで続くこれら近隣諸国の繋がりが、これからどうなっていけばよいのか、現代にも置き換えて考えることができるだろう。
当時の大和政権の大王たちが選んだやり方、中国の歴史書をたどりながら紐解いていく内容になっているが、読み進めていくうちに、書かれたものから真実を得ることの難しさを想像した。古墳などから出土する物的証拠にこそ真実性があり、そのために地道な発掘調査が行われるのだろう。
倭の五王の後、越前から大和に入った継体大王がそれ以前とはまた別の日本を作り始めたのだろう。応神天皇五世の孫など後からの創作物語ではないかと思う。 -
Posted by ブクログ
倭の五王とは、中国史書『宋書』倭国伝に記された讃・珍・済・興・武をいう。当時、朝鮮半島では高句麗・百済・新羅が争い、倭もその渦中にあった。本書は、中国への“接近”の意図や状況、倭国内の不安定な王権や文化レベル、『古事記』『日本書紀』における天皇との関係などを『古事記』『日本書紀』にはなるべく依拠せず、中国史書等から解読し、5世紀の倭や東アジアの実態を描くものである。
『古事記』『日本書紀』が主軸であったこれまでの倭の五王研究に対する挑戦ともいえる書だが、『宋書』倭国伝などを精緻に読み解くことで一定の説得力のある歴史像を提示できていると思った。特に、477年の遣使についての分析は緻密だと感じた。各地域が文化的な同質性を持っており、文書による「外交」が盛んであった、5世紀の東アジア情勢のダイナミクスを理解することができた。
ただ、逆に『古事記』『日本書記』の価値を低く見過ぎているのではないかという印象も持った。『古事記』『日本書紀』以上に信頼性があるのか疑問な、12世紀に編纂された朝鮮の『三国史記』を特に史料批判なく根拠として用いているのも気になった。
そして、『古事記』『日本書記』における天皇と倭の五王との関係について、これ真野研究の問題点の指摘はもっともな部分はあるものの、結局わからないと結論付けているのは、一種の逃げではないかと感じた。