岩竹美加子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
読もうと思った理由
題名のそのとおり教育が日本と何が違うのか知りたいと思ったから
気づき
・入学に際して、ランドセルや新しい服など高価な買い
物は必要ない。教科書や教材は学校において行くので
ちいさな子供が毎日重いカバンを背に通学する必要は
ない。持ち物すべてに名前を書く必要もない。学校と
保護者の間の連絡や情報交換にはメールシステムが使
われ、学校からの手紙やプリント類はほとんどない
・教育が無償であることに加え、国が17歳以上の人に
給付型奨学金、学習ローン、家賃補助からなる学習支
援を行う。この中で返済の必要があるのは、学習ロー
ンだが保証人は国なので、親や親族が保証人 -
Posted by ブクログ
ネタバレ福祉国家フィンランドの教育について、日本とフィンランドで子育てをした経験から述べた本。フィンランドの教育を権利、いじめ、性教育、兵役など様々な観点から切り取っている。
この手の本によくありがちな、経験だけで「やっぱり〇〇最高!日本はダメ!」と言ってしまうタイプの書籍ではなく、
しっかりと教育基本法や客観的データなどを参照しながら科学的根拠に基づいて語っており、そこに自身の経験を肉付けするという構成になっている。
そのため、説得力があり具体性にも富んでいる。
特に重要なキーワードは「教育のシンプルさ」だ。教育改革と言うと「何をすべきか」に意識が向きがちだが、日本の教員の長時間労働を鑑みると、 -
Posted by ブクログ
私は日本の教育にいくらか疑問は持っているが、抜本的な改革を、とまで強い意志はない。
しかし、世界の良いと言われている国の教育は知っておきたいと思って手に取った。
本書の中で日本との違いが挙げられており、なるほどこれを日本でやるには色々大変(腰が重そう)だと感じた。
歴史や社会情勢が異なるのは想定していたが、実際に具体的なことを知ると、動ける人間は少ないだろうなと思った。
ただ、小学校から自分で考える(大学のように受ける科目や時間割も)システムはあると良いなと思った。
昭和の教育を受けてきた私は、どうしても「こうあるべき・これだけ正解」のような思考に偏りがちだ。
今はいろんな人と話、色んな文 -
Posted by ブクログ
読んだ時に身につけたいな、と思ったこと。はっとしたこと。
●なぜそう考えるか→情報源の批判的なチェック
自分に適するように選べる積み木のようなもの
●良い対話→相手の主張を聞くこと、相手を尊重した会話、しっかりした論拠。反論、論拠を明確にして、良い主張を行う。
・意見を温和に、相手を尊重しながら対話するのが理想
・相手を尊重する。ボディーランゲージにも留意して話す。
・人やグループではなく事柄、誤った行動を批判・評価する
・自分と反対の意見も聞き、理解に努める
・誰も孤立させない、違う意見であっても全員が参加する
・違う意見を言う勇気を持つ
・ユーモアを装った嫌がらせや差別をしない
●良い人 -
Posted by ブクログ
現在のフィンランドは人々のウェルビーイングを第一に考えた国の形であり、ケアする国家と呼べるであろう。幅広く人々のウェルビーイングや安全、生活の質をケアする国家である。1900年代前半までは保守的であったが、60年代以降急速に変化した。変化は国家との闘争にあるよりも、国家との共同によって実現されてきた。変化は歴史的にキリスト教的世界観の批判、再解釈、議論、修正などを経てをされたものと見ることも可能で、論理と思考回路がわかりやすい。現在のあり方は世俗化、と考えることができるようだ。日本はいつまでも変わらず議論も進まないのは、社会を貫く原則がないことが原因の1つかもしれない。若い世代に希望を託しなが
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Posted by ブクログ
2019年に発行されていて、それから日本の学校現場も変化は目まぐるしいし、ウェルビーイングを目指す部分は同じだと思った。
いじめの予防策は日本でも実施されていることもある。性教育は確かに学校で使えない言葉というのがあるが、親も関心が高くなり男女関係なく互いを思いやり自分も大切にすることを日本なりのやり方で伝えていけるんじゃないか。そしてそれを全部学校でやる必要もないんじゃないか。
服装やヘアスタイルなど校則の問題も、今まさに現場が葛藤してる部分だと思う。
東京の園との比較でフィンランドでは親がすることが少ないと書かれているが、私も東京で子育てをしたが保育園では弁当を持たせたことはないし、布 -
Posted by ブクログ
フィンランドの教育事情について。先日読んだ栗原類さんの本の中で、お母様が言及されていて気になったので読んでみました。
ニュース等で見聞きしたことはあったけれど、日本の学校教育とはずいぶん違う。
フィンランドの学校には、まず入学式がない。それが初回の登校というだけで、格式ばった式典など行わず、価格高騰が止まらない重たいランドセルを買う必要もない。
校則もない。そしてテストもない。一人ひとりの子どもの関心や目指すものは異なり、子どもが自分らしく発達していくことが大事なのであって、それはテストで測ることはできないから。不要なのだ。
日本で公立小学校に通わせていると、集団行動と義務や伝統を重んじるよう