庵功雄のレビュー一覧
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やさしい日本語とは、相手の立場に立って、わかりやすく伝えようと工夫した日本語のこと。
その工夫は以下、
・相手の立場になって考える(相手は何が知っていて何を知らないのか)
・伝えたい情報を選んで、短く伝える。
・難しい言葉は使わない。漢字にはルビをふる
・図やイラスト、身振りを使う
・ゆっくり、はっきり発音する
・相手の反応をみて、理解しているか確認する。
上記のことを、相手の日本語レベルによって調節して使う。
本書は2016年に書かれているので、2026年時点では法改正などで、変わっていることもある。
例えば、外国人が日本に働きにくるためのビザ、「就労支援制度」は2027年4月から「育成就労支援制度」となる。条件には日本語教育が義務化され、転職も可能となり、特定技能へと移行することが前提となった。外国人にルーツをもつ子どもたちの日本語教育支援も拡充されることが決まった。諸外国に比べてあまりにも遅く、やっと、という感じではある。
2026年時点では、トランプ政権の影響もあり、日本でも排他的な雰囲気が強まり、ビザの更新料値上げなど、外国人に優しい政策ばかりではない。
けれど、それでも少子高齢化の影響は強く、外国人に頼らざるをえない状況となっているのが現実である。
そうした多文化共生社会の中で、互いに敬意をもって共存していくことは、ますます大切になってくる。
誰もが自分事として考える必要がある。 -
Posted by ブクログ
移民を受け入れると犯罪が増えると言われるのは日本人が、外国人が住みやすい居場所をつくってあげられていないからだと納得した。
外国人に対しての社会的保障が手厚く、日本人が受け入れる姿勢をとれば、安定した地域社会を作ることができる。
やさしい日本語を使うことは日本人自身の日本語力をあげることにもつながり、情けは人の為ならずと言われるように自分のためになる。日本人の態度にも問題があるので、聞きなれない日本語に嫌悪感を抱かず寛容さを身に付け、言語的ホスピタリティをもつことが大事だとわかった。将来日本語教師になったとしたら、日本語を教えるのではなく学びあう意識を大切にしたい。 -
Posted by ブクログ
とてもためになった。
やさしい日本語がどういったものか、どのようにしたら多文化共生が実現するのか、著者の思い描く「やさしい日本語」に共感した。
日本語教員を目指す人には、やさしい日本語だけではない試験に出そうな内容もあって勉強になると思う。
そして、今まで自分の価値観でしか物を見ていなかったことに気付かされた。
例えば、道路標識のナマズや「墨字」という言葉。
道路標識のナマズは、地震の際にはこの道路は緊急車専用になりますという標識に書いてあるナマズの絵のこと。
これは、日本人であれば地震とナマズが結びつくが、異文化の人々には意味不明である。
そのため伝えたいことがきちんと伝わらない。
「やさしい日本語」の概念と真逆である。
「墨字」とは、点字ではない文字のこと(今読んでいるまさにその文字のこと)で、その言葉を知らなかったこと(というか、一般的に知られていない)。
点字という言葉はよく知られているのに、なぜ知られていないか。それは「普通のもの」だからである。(「男医」という言葉はないのに、「女医」という言葉があるのと同じ)
有標、無標については知っていたが、このような例を提示されると全く無自覚だったことに気付いた。
そのような意識を改めることも、やさしい日本語を考える上で重要なことだと思う。
また、「やさしい日本語」を使用することに対して、外国人に迎合していると考える人もいるようだが、著者がいうように「優しい日本語」を使用することは、日本語母語話者にとっても自身の日本語を磨く機会になると思う。
外国人やマイノリティーに対して排他的にならず、お互いにwin-winの関係を目指すべきだと思う。
今の国の政策は、それを全く実現できていないように思われる。
ただそれ以前に個々人の多文化共生に対する意識も低いと思うので、まずは本書を読んで考えることが大切だと思う。 -
Posted by ブクログ
70年前に国語審議会が「やさしい敬語」として敬語のあり方を変えた。いま使われてる敬語は調整された敬語。
封建が崩れた近代に合う形で、いまも敬語は変化してる。
いろんな原因や狙いがあって言葉は変わる、変えられる。
あと30年もしたら、日本語は面白い形に変わってると思う。楽しみ。
この本で大収穫だったのは、日本語手話話者の日本語書記に関する考察。
手話は体系を持った言語だから当然、「手話が母語」になると理解していたつもりだったんだよね。理解してませんでした。「日本語手話を扱えるから、日本語を学ぶのは難しくない」って思ってたんだけど、大きな間違いだった。
もう一点あった。
母語を流暢に扱えるようになる前に、生活基盤が非母語圏になることがこれほどに危険な事だとは…。国語研さん、たのみます!あなた達が頼りですぅ! -
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大学の公開講座で紹介されていて興味を持ったので読んだ本です。
その公開講座でも触れられていたのですが、まず興味をもったポイントとしては、日本に住むいわゆる定住外国人のひとたちのうち、英語が母語の割合の人は少なく、むしろ英語よりも日本語のほうを解する人が多いという点でした。
日本で「国際化」=英語対応というような風潮が強く、国際的なコミュニケーションツールとして、ビジネスや観光客・留学生対応としては確かに有用だと思います。一方で、ある意味で一番大事な「今すでに日本に住んでいる外国人のひとたち」ということについて、市役所の方とかそういう一部の人しか考えてないんじゃないかと痛感しました(もちろん自分もそうです)。
いろいろな母語の人が日本に住んでいるので、すべての母語に対応するというのは事実上困難、そこで地域社会の共通言語としての「やさしい日本語」をこの本では提唱されています。
英語に対して拒否感を示す人も多い日本人にとっても、また英語が母語でない定住外国人の人にとっても、お互いが少しずつ歩み寄ることで使えるコミュニケーションツール。現時点で一番いい解決方法なんじゃないかなと思いました。
外国にルーツをもつ子供たちへの日本語教育ツールとしても使える、という点もとても興味深かったです。多くの場合、自分の意志とは関係なく日本に来る子供たち。無理やり溶け込ますのではなく、溶け込みたい・日本語をちゃんと学んで日本の学校で勉強したい、そんなニーズにこの国が対応できていないということ。そういう問題についても考えさせられました。
日本語という普段自然に使っているツールについて、本当にいろいろな側面から考えさせてくれる1冊です。こんなに読み終わって、感動や満足感のある新書は初めてかもしれません。読んで損はないと思います。 -
Posted by ブクログ
「やさしい日本語」の使い方を学ぼうと手に取ったら、ガッツリ庵先生の論文を読んでる気分になった。やさしい日本語の実例や先生の体験談はほぼなく、日本を取り巻く環境、マイノリティへの必要性などを言語の側面から、なぜこのような形態の言葉が必要なのかを説明しています。
外国人向けのわかりやすいチラシを作ってもらう実験などの例示や、冒頭に読者へのサンプルの問いかけなどがあると新書っぽくなるのかなー
モダリティやテ形やチョムスキーや手話母語者などは、全く日本語学をやったことがない人には、日本語学の話がてんこ盛りなのでは。
これで卒論を書こうと思う人には、必要な文献や例がバランス良く書かれてて良いと思うのですが。
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Posted by ブクログ
外国人実習生の受け入れをしているにもかかわらず、外国にルーツを持つ子供たちへの手当の薄さには、日頃から腹を立てていた。現実として、言葉の問題に端を発して、さらに進学の問題まで述べられていたのは素晴らしいと思った。
やさしい日本語は決して外国人だけのためではなく、我々みんなにも関わることだとさらに思う。というのも、行政で使われる用語は難解で、我々日本語ネイティブですら、わからないことも多々あるからだ。様々な手続きをする際にわからずにそのままにしてしまったり、窓口で聞かなくてはならなくなったりすることも多い。
やさしい日本語はみんなにやさしいはずである。これからの文書はやさしい日本語で書かれているのがいい。 -
Posted by ブクログ
昨今、難民受け入れが国際的な課題となっている。また高齢化社会を迎えるにあたり、外国人労働者を新たなる労働力として期待する向きもある。しかし多種多様な文化圏の人間が暮らす社会を目指すにおいて、現在の日本が抱える課題は決して少なくない。
本書は、そうした課題のうち、特に言語に関するものを、日本語学と日本語教育の観点から論じた一冊。
言語とはもともとコミュニケーションの道具であるし、コミュニケーションとはつまり「自分の考えを相手に伝え、説得する」ことだ。美しい言葉遣いはもちろんよいものだが、コミュニケーションの手段たりえることは尚のこと重要だ。
本書を読むことで、「言葉の美しさ」に知らず知らずのうちに固執していた自分に気づかされた。
相手のことを思いやり、コミュニケーションのために言語レベルを調節する能力、そのためのやさしい日本語。本書で提言されているこの考えは、日本人と外国人のみならず、大人と子供、学者と一般人など、さまざまな場において不可欠だ。多様な人間が共生するうえで、重要な視点であると、本書を読んで強く感じた。 -
Posted by ブクログ
弘前大の佐藤和之さんらが提唱する「やさしい日本語」は、災害初期に日本語に不慣れな人が生き延びるための情報伝達手段として開発された。
本書の著者、庵さんら一橋大グループは、外国にルーツを持つ人たち、障碍者(ろう者)が、社会で情報弱者にならないための手段として新たに〈やさしい日本語〉を提唱する。
使われる場面や役割がかなり大きく広がった感じだ。
実は私も地域の団体でやさしい日本語に関わるボランティアをしている。
佐藤流であれ、庵流であれ、やさしい日本語が社会で認知されているという実感はまだまだない。
社会での有用性、必要性がきちんと説明された新書が出ることで、認知度が高まるといいな、と思う。
本書は、これまでの開発の経緯、やさしい日本語で使える文法事項の枠組み、外国にルーツを持つ人やろう者が言語生活でどんな困難を抱えているかなど、この問題についての基本的な知識を、まとめて提供してくれる。
私には障碍者の方にやさしい日本語が貢献できるという意識がなかったので、その点が収穫だった。
やさしい日本語が多文化共生社会の基盤になるという理念には共感できる。
おそらく、やさしい日本語なんて必要ないでしょ、という向きを説得しようという傾きが強いせいだと思うが、移民や障碍者がよきタックスペイヤーになり、日本社会に貢献できるようになるから、やさしい日本語が必要だという言い方に、どうも違和感がぬぐえない。
日本国籍を持つ親のもと、日本社会で生まれ育った、「無標の」日本人は、よきタックスペイヤーであることを露骨に求められることがあるだろうか。
中学校の社会の時間あたりで、国民には納税の義務があると習うあたりではそうか?
だとすれば、人間はよきタックスペイヤーでないと社会に存在してはいけないのだろうか。
なんだかそんな人間観が感じられて、ちょっとつらい気持ちになった。