ミランダ・ジュライのレビュー一覧
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ミランダ・ジュライの作品にはいつも笑いながら泣いてしまう。あまりにも切実にストラグルしているから。新作は主人公が自分と同い年ということもあって、いつも以上に身につまされるものがあった。
どうして人はこんなにみっともないのか、どうして夫婦はこんな最果てまでたどりつかずにはいられないのか、どうして人生はこんなにもままならないのかー。「十五年間ずっと水の中で手足をでたらめに動かしつづけて、やっと水面の上に顔が出た」ら、「それは思っていたのとは全然べつの場所だった。」!
ミランダ・ジュライのプライベートを鑑みてもあまりにも勇猛果敢な表現。わたしもエクセルシオール321号室で彼女に会いたい。あらゆる場所に、黄金色の光。 -
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日常のマンネリ化、人生の退屈さ、生きづらさを感じている人におススメな一冊。
システム的な独自ルールで外的な要因や自分の気分でさえも乱されることのない、自分だけの快適な生活を営む独身女性の主人公シェリルだが、異常なほどの妄想力と自己保身力の強さに、最初は「関わりたくない人だな」という印象を抱き読み始めた。
しかし、上司の娘と同棲するという思いがけない展開から彼女の平穏と思えていた生活が一変し、彼女がもがき、苦しみながらも幸せに感じる意識さえ変わっていく彼女に惹かれ、自分もいつしか応援している感情に変わっていることに気付いた。
ヴァイオレンス、性的、ぶっ飛んだ妄想の描写もあるので避けたくなる読者もあると思うけど、バランスよくユーモラスな描写もあり、笑ってしまう場面も多い。
しかし、この独特な主人公の殻をぶち破った先にある希望みたいなものを、一層際立たせてくれるアクセントになっているところにこの作品の魅力を感じた。
作中「ヒステリー球」とあり作者の造語かと調べてみたら、実際にこうした症状があることを初めて知り学びにもなった。
作者は、独特の個性を持った人を鋭く際立たせ、その生きづらさと救いを描くことが上手く素晴らしいなと感じる。 -
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半泣きのような、半笑いのような。一編を読むごとに、きっとヘンな顔になっている。
ゾクゾク、ゾワゾワして、しんとする。僕の中の埃が溜まったへこみを押し開けて、入り組んで届きにくいカーブに指をぴたっと添わせてグイグイ突いてくる。
なんともイタ気持ちいい読後感。しばらく動けない。
ギュッと腕を身体に巻き付けて、バラバラに解けてしまいそうな自分の形を保つのに必死なとき。一緒にベッドに潜り混んでいる人の寝顔が、見知らぬ他人だと思うとき。バスタブの中で息を止めて、「ねぇ、私は悪くないよね」って呟くとき。
そんな危うい瞬間を潜り抜けて、残念な今日とウンザリな明日を生きていく誰かさんに、奇妙な回線で、接続してしまった。
『水泳チーム』
“朝起きるとわたしはまず思った。ー きょうは水泳の練習の日。それ以外の日は、朝起きると思ったー きょうは水泳の練習のない日。”
圧倒的な孤独の中に消失してしまいそうな自我をかろうじて繋ぎ止めるために、わたしは「水泳コーチ」という役割を進んで引き受ける。
教え子の老人達もまた、何もないちっぽけな町の中で耐え難く老いていく自分に抗うように、水泳の練習に打ち込んでゆく。
例えそれが、水を張った洗面器に顔を沈めて、手足を床の上でバタバタさせるだけだとしても。
アスリート特有のピュアで滑稽な真剣さを共有した素晴らしいチームを、後年に彼女はジョークにできない。
“もしあなたがこの話をおもしろがるような人だったら、わたしだってとっくに話してただろうし今もまだあなたと付き合っていたかもしれない”
悲しみと共に、アパートで泳ぐ老人のイメージが心に焼き付く。一番大好きな物語だ。
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ずっと気になってたミランダ・ジュライ。
U-NEXTのポイントは書籍に使ってくことにしたので、
初の長編小説という今作を読んで見ました。
いや〜マジでよくこんな話を思いつくなと。
もうひたすら面白かったのは2人が取っ組み合いを始め、
そしてビデオを模倣して絡み合うようになる展開。
結局、ここでクリーがふいに口にするセリフが
意味深なタイトルになってるとこも本当にイケてる。
シェリルは私の頭の中で完全にエイミー・アダムスだった。
たぶん「メッセージ」の印象かな。
シェリルが自己完結してて閉じてる故に
押しの強いクリーやフィリップスに対して受動的であることが
結果的に頭のおかしい展開を作り出し、
ある意味、夢見てたものを得る結果になる。
ぜんぜん自分と属性の違うシェリルなのに、
まさにその受動性や自分の確信が揺らぎ、
他者に巻き込まれて納得してく感じに
切なさややるせなさを感じつつも、
確実に強くなってるとも思えるからおもしろい。 -
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予備知識なしで読んだ。自分が普段わりと静かな作品を読むので、最初は面食らった。少年漫画さながらのバトルシーン。途中一瞬任侠感のある言い回しも出てきて、海外小説で任侠って、と笑えた。
それにシェリルの妄想の産物、クベルコ・ボンティなる奇妙な赤ん坊。千と千尋の神隠しの坊みたいで、登場するたびに坊がしゃべってるように思えてならない。
シェリルの奮闘は滑稽でエキサイティングで勢いでどんどん読み進められる。怒涛の出産シーンにはハラハラした。
ジャックには深い愛情を注いでいるがほとんど自分の内で対話しており現実には話しかけていなかった、とシェリルが気づいたとき、読者である私も、シェリルの内側(ほとんど妄想)から現実を見ていることに気づいた。
エピローグのジャック視点から見る2人に、なんだか泣けた。良かったねシェリル。 -
Posted by ブクログ
映画「君と僕の虹色の世界」「The Future」そして、短編集「いちばんここに似合う人」、ドキュメンタリー「あなたを選んでくれるもの」で、ちょっとイタイ・なんかズレてるこじらせアート女子による、抜群のセンスを見せてくれたミランダ・ジュライの待望の長編小説です。
や、もうこれ、文句なしの傑作で、そのこじらせと妄想が100倍にスケールアップしていて、私は女子ではないんですが、なんかおんなじようなこと考えてる人いるのか!と感情移入しすぎてページ進まないので困りました。松岡茉優の「勝手に震えてろ」も名作でしたがこじらせと妄想はミランダが圧倒的に上です。容赦なくこじらせてます。世界の40代女子のこじらせを一人で引き受けて、まるで「地球のみんなオラに元気をわけてけろ」と孫悟空が元気玉を集めて放つ時のような超エネルギーを爆発させてます。
主人公シェリルの一人称小説で、もはやミランダ本人の私小説といっても過言ではなく、どこまでも赤裸々にそしてカオティックに散乱するディテールの集合体なのですが、内に籠りすぎたエネルギーが容量オーバーで爆破してしまい、溢れんばかりのエモーションをこちらにぶつけて来ます。
ここに書かれているのは、個人的ななにかではなく、おおきな全体のような気がしてなりません。たとえばドストエフスキーのような全体です。それは小説が根源的にもっている本質のことです。
ボリス・ヴィアンとミシェル・ウェルベックがマウンテンハウスで相談しながら女性になりきって書いたみたいな本作は、ミランダ・ジュライのミランダ・ジュライによるミランダ・ジュライとちょっと変わり者と言われる我々のための小説です。猛烈にお勧めします。タイトルについては読めばわかるんですが、センスがありすぎる。 -
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ネタバレAmazing! と言いたくなった。笑えて切なくてホロッと最後は泣きそうになるエンディング。ページターナーでした。43歳女性が66歳シングル男性に密かに恋してる所から始まるけど日本の恋愛市場ではオワコンの年齢だ。その主人公シェリルの人生がそこからあれよあれよと、ここどこ?私誰?な感じでスピーディーにモノクロからカラフル人生に変わっていく。一番印象に残ったのはやはりsexual fantsies性的妄想やその描写があからさまなんだけど、ちっとも下品ではないとこ。「おりもの」だなと分かるって新鮮だった。おっぱいが垂れてるとか陰毛に白髪とかウケるけどいくつになっても恋してるっていいなと思う。タイトルはクリーの事らしい。本当に素敵な物語だった。
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こんなにヘンテコでエキセントリックでユーモアに溢れた作品ってほかにある?
中年女と若い女が殴り合ったかと思えば、愛し合ってみたり、子育てしてみたり。
ほんとに意味がわからない展開ばかりなんだけど、不思議と嫌悪感はゼロ。むしろ次はどうなるの?とページをめくる手が止まらない。
え、これってアリ?そんな問いはシェリルには愚問。
ぜんぶ、アリ。なんでも、アリ。
信じられないことが起きるのが、ミランダ・ジュライの小説なんだとおもう。
本の後ろに書いてあるコメントにすごくいいのがあるので、それを載せておしまい!
『私たちの愛し愛される能力について、誰にもできない形で教えてくれる。』
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Posted by ブクログ
「最初の悪い男」(ミランダ・ジュライ)
「例えばシェリルの家の壁から、世界地図が外れなかったとしたら。」
この物語の主人公、シェリルは43歳独身女性。職場ではある程度の地位を得て、快適な一人暮らしを謳歌している。
本当の自分とか、生きる意味とか、無くても生きていくことはできる。煩わしさを排除して、毎日なにかを少し我慢しながら。
空想の世界では饒舌なシェリル。
人の良い感じがするけれど、その世界では誰かを踏みにじってしまうこともある。
それはそれで、ひとつの人生。誰にも当てはまる人生。
自分を感じずとも、生きることはできる。
だけど。
世界地図は外れる。ミランダの描く世界はひとところには留まらない。
望んだわけではない出来事だったはずなのに、足が臭くて暴力的な美人の娘、クリーが転がり込んできて、偶然は必然かのように、シェリルの人生は回り出す。
世界地図が外れる!
その展開のめまぐるしさ、生々しさ、ページをめくる手が止まらない。
前半は、シェリルのイジイジした様子、優しいようで、決して心を開かない様に、読みながらあんなに悶々としたのに。
新しい価値観に気付いたあとのシェリルの心の声は、センシティブの極み。ヒリヒリと心を打つ。
そして、声を限りの、
ノーノーノーノーノーノーノーノーノーノー。
サンドロップを見たときのこと。虹に似た何かなんてない。美しすぎるエピローグ。ここはもう、何度読み直したかわからない。
これ以上ない美しい気持ち、これ以上ない悲しい気持ち、これ以上ない優しい気持ちに満たされる。もちろんすごく笑わせてもくれる。会話のセンスが、ずば抜けて面白い。
あと、これは個人的な意見です、と前置いた上で書く。
ミランダがこの作品を、子供が産まれてから書いたこともやっぱり作品の手触りがより切実になった要因な気がする。
生まれたての子を昼夜問わず世話するあの、作中に出てくる言葉で言うところの、
「洗脳」、の表現。子を持つ前の自分がいなくなってしまうような感覚。
それでもなにかひとつでも、例えばずっと出なかったウンチがやっと出たりとか、初めて声をあげて笑ったとか、それで帳消しになるようなあの感覚。
すごくリアルだった。
奇跡と偶然で、「私たち」はここにいる。
絶対に、ひとりではないのだ。
作中の様々なシーンが頭をよぎる度、自転車を漕いでいても、バスに乗っていても、どこにいても、甘やかな痛みが鼻を刺しては目が潤む。
素晴らしい映画を観終わった後のような読後感。そしてまた始めから、味わうように読み直す。 -
Posted by ブクログ
ネタバレめっちゃネタバレです。
翻訳小説ひさしぶりに読んだけど、読みやすかったなあ。岸本さんの訳、すごく身近な言葉でいい…。「肩がバキバキ」とか「ぜんぜんオッケーです」とかそういう微妙にリアルな言い回し。岸本さんのエッセイも大好きなのでたぶん自分的に肌に合ってるのかも。
んで、これ最初孤独な独身中年女性の狂気、みたいな感じで進んでいくのかとちょっと警戒した。いや杞憂でした。
クリーと同居しはじめて、傍若無人に搾取されるだけだったのが反撃をはじめて、バトルになり、だんだんその関係性が変わって来る、そのあたりでもうぐいぐい話の中に引っ張り込まれる。
主人公がややこしい妄想にとりつかれて、ファック、としか言い様のないことばっかり考えてるあたりもだいぶ突っ走ってるんだけど、でもこれやばいな、と主人公に自覚があるので、どこかちょっと明るい。
クリーが妊娠して、出産のあたりは、ふたりの祈りが本当に切実でうつくしくて胸に迫って来るものがあります。
あたらしい命はどうやったって尊くて、愛そのもののかたち。
なんかこのあたりは印象的な文章があちこちにあって、うぐぐぐ、ってなる。
受精卵は自分が精子と卵子という二つのものだったころの記憶を宿していて、なのに一つのものとして生きていかなければならない永遠の孤独を運命づけられている、なんて、ひりひりするんですよね…。
危機にある赤ん坊に、主人公が、この世界はすばらしいんだよ、だからこっちにおいで、生きろ、生きろ、と呼びかけるとこはここがクライマックスかってくらい、もうシンプルに力強くて心が揺さぶられました。
でもってクリーとシェリルの恋。最初のキスシーンはとてもやさしくてピュアなんだけど、その恋はたぶんはじめから終わりが見えてるんだよねえ。すくなくとも主人公のほうには。
あれだ、神田川の、ただあなたのやさしさがこわかった、的なやつ。現実には破綻するであろう、って予感があるからせつない。
それでも人と人との関係って、一瞬のしあわせであっても一生分の価値があったりもする、一方的なものであってもいい、どんな型にもはまらないオリジナルなものであってもいい、ってことなんかがちゃんと伝わって来るわけで。
運命の子クベルコ(であるジャック)とのやりとりが本当に救い。
スイートポテト、って呼びかけて、あ、根菜だと勘違いされたらいけないな、って思い返すのとか、とてもかわいい。
いやー最後ほんとフィリップとどうにかなるかと思ってそれはなんかいやかも…と思ってたので良かった。
そしてエピローグ。あああ、これが本当でありますように、と祈らずにはいられなかった。
なぜかすごく感想を書きたくなる小説だったなあ。
心斎橋の本屋さんで岸本さんと津村記久子さんの対談イベントがあって、行けなかったんだけどもそこでこの本取り上げられてたってんで読んでみたんですけど。
もっと早く読んでおけばよかったー。
ミランダ・ジュライも岸本さんの翻訳も(絵本以外では)初めて読んだ。
誰にでもオススメではないんだけど、自分的には妙に癖になる感じ。
なんだかとてもいとおしい、と思うような物語でした。 -
Posted by ブクログ
ミランダ・ジュライの新刊が出ている!と思って本屋で手に取った。家にはまだ読み終わっていない『いちばんここに似合う人』があるのに本書を買ってしまったのは、書き出しに心を掴まれたからだ。こんな魅力的なはじまり方があるだろうか。
あと、過去の作品を読んでから最新作を読むという読み方もあると思うが、何となくではあるが、ミランダ・ジュライは新作があれば新作から読んだ方が面白いような気がした。とにかく今を生きているイメージがあるので、最新を知りたくさせられるのかもしれない。この人は今どんなことをしているのだろう。作品よりもこの人が気になってしまう。
もの凄く面白かったのだが感想が難しい。男の自分が読んでどこまで共感できているだろうと考えてしまう。男性は楽しめない作品では全然ないので、とにかく多くの人に読んでみてほしい。見方によって感想は様々ありそう。
女性の更年期がテーマではあるが、性別や年齢を越えて、人生の曲がり角に光を当てる素晴らしい小説だった。 45歳の家庭もある女性アーティストが魂の赴くままに突き進んでいく。あまりにも奔放すぎる主人公の言動に笑いを堪えることができないくらいだが、小説とはいえ女性がここまで赤裸々に心情を曝け出すことに、現代の作家としての覚悟を感じる。
自分に正直であるが故に、どこかで今の生活が壊れることを望んでいたりするのだろうか。ふとしたことから一人旅を思い立ったことで、築き上げてきたものが壮大に崩れていく。
ひりひりとした痛みを伴いながら、こちらのちっぽけな倫理をどこまでも飛び越えていく。何故そんなイバラの道を?と思いながらも、いいぞ、もっとやれ!と、いつの間にか応援してしまう。
歳を重ねると落ち着いてくるなんて嘘なんだろうなと思う。オードリーの若林さんが言っていたが、大人は元気が無くなるから落ち着いて見えるだけらしい。クロマニヨンズの甲本ヒロトさんは、若い人に向けて「歳をとってもイライラするよ」と笑っていた。それが悪いことかどうかは時と場合によるのだろうけど、良い歳した大人だって盛大に転んだりしたいよなぁと思う。
どうしようもない人間の「どうしようもなさ」が、とても面白い。
不安定な精神の波に溺れそうになりながらも、何とか自分らしい生き方を探す。歳をとる事は悪いことばかりではないのだ。何もうまくいかなくても、過去に引き摺られながらも、それでも自分の人生を生きていく。強いメッセージを感じて胸が熱くなる。
そんな切実とした瞬間の連続にも関わらず、全体に張り巡らされたミランダ・ジュライのすっとぼけたユーモアに笑いを堪えられない。どんな感情で読めばいいのか謎のパワーに満ちた奇妙な小説でもある。これは自身の人生も多分に投影されているらしいので、当時の複雑な感情がそのまま入り乱れているからではないか。
複雑なことは複雑なまま、答えのないそのままの人生が詰まっていて、正解はないのだからもっと正直に生きていいのではないかという作者からの問いかけを感じた。
この本を読んで救われる人は沢山いるだろうなぁ。大きなテーマでありながら、元気の出る楽しい小説でした! -
Posted by ブクログ
・あらすじから想定されるちょっとコミカルな筋。その先からはちょっと予想外の展開をして、最終的には静かな感動(達成感?)に辿り着く。小説を旅になぞらえる比喩があったりするけれど、まぁまぁ長いこの小説を読み終えたその読後感はまさにそれだなぁ、と思った。
・自分は男なので、この女性の更年期問題(それだけじゃないけど)に感情移入を完全に出来たかは、あやしい。ただ、「老い」の問題、それに伴う生物的、社会的、経済的な変化という点として見るならば、完璧でないながらも、重なる所は多い。
・その上でのある種エキセントリックな、そして滑稽な主人公の行動、その果てにあったちょびっとの癒しにはグッときてしまった。
・旅のたとえをしてしまったけど、あと読みながら、特に後半部分は、最近読んだ東畑さんのカウンセリングの本、まさにカウンセリングの道程の様な話だな、と思ったりした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ人生をローラーコースターに例えるのは安直だが、じゃあ登り切った頂点は、あなたにとって、いつなのか?
そして、そこからの落下は、恐怖?それともスリルに満ちた体験?
やっかいなことに、このメタファーは、滑り落ちた先で、これにてお終い!さようなら、ともいかないのだ。
完全停止して下車するその日まで、僕らに待っているのは再び車両を自力で押し上げていく作業だ。もう以前ほど楽々と高くへ昇ることはできなかったとしても。
ミランダ・ジュライの、“はいつくばって”は、彼女の、彼女たちの二周目のローラーコースターだ。
もちろん同じ敷かれた軌道には戻らない。
コースアウトした先にレールがあるかも分からない。
ふと気づけば無頓着だった若さ/性的な魅力は失われる手前。若い恋人に焦って執着してもモノにできない。幸せな家庭生活は、妻と母を無条件に請け負うことの言い換えだとも気づいている。
それってミッドライフ・クライシスでしょ、通り過ぎ去れば笑い話だよ、なんて世間の知恵みたいなことを彼女は当然言わない。
これって何?わたしは何処へ向かえばいいの?
まっしぐらに全力で落下した後に、冒険と探究が再び始まる。
つまり本当の問題は、更年期の乗り切り方のハウトゥーなんかじゃないのだ。
“わたし”がハッキリと気づいてしまったこと。
それは、ホルモンにコントロールされた身体と欲望が求めるままに人生を生きることではない。
かといって、旧式であれ進歩的であれ、頭と理性で考えた人生を生きることでもない。
誰も所有せず/誰にも所有されない、“遍歴する魂”の赴くままに、生きること。
例え大切な人を傷つけ、損なってしまうことが見えていても、自分の心を誤魔化さずに生きること。
それは自由であること。
これは高らかな宣言ではない。
本作中で示された家族の形のように、紆余曲折の末にパートナーもまた新しいガールフレンドを見つけて、対等な関係性が築かれるといった、物語的エンディングが待っていると期待するのは難しい。
それでも、墜落の痛みに怯えずに飛ぶのだ。
ゴミ袋に身を包んで窓枠を乗り越えるのか? No!
赤裸々で、生身で、弱さをあらわにしながら這いつくばって崖っぷちを前進する彼女は、タフだ。
“いちばんここに似合う人”の、世界に対して私をハグしてと、泣きべそと共に訴えていた彼女たちはもういない。
作中で語られる通り、四つん這いの体勢は、“ちょっとやそっとじゃ倒せない”。