シェリー・ケーガンのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
人は死ぬことを信じてない→一度急死に一生を味わった人が仕事を辞めたりするということは本当の意味で死を信じてない
死はわるいことか?→ 死んだ人に会えない他者にとっては悪い。
本人とっては?→存在しなくなることは苦痛は伴わない。何も起こらない。しかし相対的に存在できなくなる、幸せな体験をできなくなる。という意味で悪い。
永遠の生はいいものでもない→面白いことは永遠には続かない。永遠の生をもったとしても、飽きる、忘れる、別の人物になってしまう。
最善の生→満足するまで生きられること
6章 唯一本質的に良いもの→快感
悪いもの→痛み
用心する→自分の設定している目標は適 -
Posted by ブクログ
筆者の結論は「魂など存在しない。私たちは機械にすぎない。もちろん、ただのありきたりの機械ではない。私たちは驚くべき機械だ。愛したり、夢を抱いたり、創造したりする能力があり、計画を立ててそれを他者と共有できる機械だ。私たちは人格を持った人間だ。だが、それでも機械にすぎない。 そして機械は壊れてしまえばもうおしまいだ。死は私たちには理解しえない大きな謎ではない。つまるところ死は、電灯やコンピューターが壊れうるとか、どの機械もいつかは動かなくなるといったことと比べて、特別に不思議なわけではない。」
したがって「死について考えるとき、死を深遠な謎と見なし、恐ろしくて面と向かえず、圧倒的でぞっとするもの -
Posted by ブクログ
7月に3年ぶりに帰省した際に、94歳の祖母の認知症が進んでいた事と、年に1〜2回帰省できたとしてもあと数回しか会えないのだなと考えた。
ずっといると思っていた人にも死が近づいてくる、というのを実感した時に死ぬ事とはなんだろうかと考えた。
そんな中、そのまんまのタイトルのこちらの本を見つけたので読んでみた。
こういった哲学的な内容の本を読んだ事が今までほぼ無かったので新鮮だった。
普段何気なく過ぎていく事も深く考えればここまで広がるのか、と終始感心した。
死ぬ事は悪い事なのか、これについての考えは本当に人それぞれだと思う。
お互いの合意があれば殺してもいいのか、死んでしまってもいいのか -
Posted by ブクログ
2講までしか読んでいませんが。何で自分は死にたくないのか。何で死を恐れるのか。不死身なら良いのか。じゃあ死ってどんな状態なのか。意外と考えたことのない事ばかりで良い発見にはなる。結局、健康な身体と自分と言う人格のある事が前提で「生きたい」と言う気持ちが湧いているのかなと思う。年老いて身体機能がどんどん衰えるにつれて、自分という人格はあっても肉体的な部分で限界を感じた時、今と同じく生きたいという感情が湧くのかは分からない。若い内は死ぬ事が今よりもっと怖かったと言う話はよくあるが、それはこのまま生き続けている事の魅力をそこまで感じなくなった先にある世界なのかもしれない。とすると、死が怖いのはまだま