シェリー・ケーガンのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレこの本でよかったのは、子どもが自分の人生を受け継いでいくという感覚を得ることができたことです。
「死んでも子ども達が生きていればいいじゃん」という感覚になれたことが、とてもよかったです。死への恐怖が襲ってきた時は、そこに立ちかえるようにします(^^)
死を客観的に捉えていくところが、とても興味深い本でした。
ーーーーー
イェール大学教授 シェリー・ケーガン
◻︎形而上学(けいじじょうがく)
・魂の存在や死の本質、死後も存在し続けることにまつわる疑問
◻︎価値論
・死はなぜ、どのように悪いのか、死を恐れるべきなのか、
◻︎心(魂)と身体は切り離せるか
・二元論
◻︎私たちには二つの主 -
Posted by ブクログ
全人類の共通課題→「死」について
イェール大学の教授による解説
・死は怖いものではない
→死後の世界は現在にあり、要は誰が死んでも世界は変わらないと。
実際人格や記憶が無になるだけ。
お母さんのお腹の中の記憶はありますか?という逆説的な問い。
剥奪説という考え方で、要は未来生きてればできることが奪われると考えるから怖いだけなんだ、と。(なので自殺はこの逆、生きることが怖いとなるから起きえる事象)
で、本著から学べることとしては、要は死をどう捉えるか、ということ。
締切として捉える、死は怖くないけど死ねば無になる。
なので死期がわからない今をどれだけ懸命に生きるか。
それは仕事でも趣味で -
Posted by ブクログ
ネタバレ人は生物としての機械なので、死ねば何もなくなる」という(少なくとも私もそうだと納得している)前提で、死に対する恐怖を論理的に突き詰めるイエール大学のシェリー・ケーガン教授の哲学講義。(西洋)哲学は、物事を論理で徹底的に突き詰めて(正面を向いて納得できるまで)考えぬく学問。この本は、客観的に「死」について論じているのではなく、シェリー氏がこれが論理的だと信じていることを読者に説得する形式。
ふだん私たちは、「死」について、正面から考えることを避けている。しかし、一度怖がらずに死について正面から考えることは、限りある人生の私たちにとって、悪いことではない。
人が怖がるのは、後に悪いことが待っている -
Posted by ブクログ
死について徹底的に考えた本。でも難しい話ではなく、わかりやすく親しみの持てる語り口なのでスラスラ読んでいく。翻訳者のセンスでもあるな。
人間は人格という機能を有する機械に過ぎず、死ねばその機能を失うので死は終わり。だが永遠の生を考えてみると死は救いでもある。状況によっては自殺も許容されるべき。この本を読んで著者の考えに染まっただけの可能性はなきにしもあらずだけど、自分の死の捉え方も同じ。ただ、それをこれだけ深く掘り下げているのは凄いな、その道のプロとはいえ。
二元論と物理主義、魂の存在、デカルトやプラトンやノジックやヒュームなどの哲学など、結論に至るまでの検討が面白い。 -
Posted by ブクログ
前著も読んだ。前著と完全版との違いは魂は存在するか?を語っている前半部分。魂が存在するとしたら?を哲学的に様々な観点から考察した内容となっている。とても勉強になる。しかし、本著で最も伝えたい「どのように生きるべきか」は完全版でなくとも前著で十分と思う。より深く知りたい人向け。
本書の結論は次の通り。私たちに魂は存在せず、人間というのは肉体を持った機械にすぎない。しかし、ただの機械ではなく「愛したり、夢を抱いたり、創造したり、計画と立てたり、それらを共有できる」人格を持った驚くべき機械である。
死はその機能を果たす機械が壊れただけのこと。なので死を過度に恐れるのは不適切な反応といえる。
-
Posted by ブクログ
序盤の「宗教的に考えません」って所でもう心を掴まれてたんだけど、形而上学的な考察が長くてって言うか終始それなんだけど中弛みがありはした。
ただ、やはり、死の考察はそれぞれがやるべきだけど「宗教がこういうからこう思う」で済ませる人を否定も出来ないなと改めて思った。
結局、この本の言ってる事を踏まえた上で抽象化すると、身近に例えると「人=細胞」かな。システムではあるんだけど、それを悪性や良性に分けたり、殺す意味や細胞の適齢を伸ばす意味、生まれ変わりとしての代謝、自浄作用などを自分の体内で起こってる事なんだけど俯瞰で見るとこういう言い方にもなるのかなとも思いながら。
ただ、私の死に対する恐怖は単 -
Posted by ブクログ
死とは何か、死はなぜ悪いのか、人生の価値をいかにして測定するか、といった死にまつわる諸論点の哲学的説明を試みる本。
機会費用的な考えを応用した剥奪説に対してエピクロスやエピクロスの再解釈、ルクレーティウスをぶつけ、さらに反論を加えたあたりはなかなかエレガントだったように思う。
また著者の主張の本流ではないかもしれないが、カート・ヴォネガットの著作の一節から引用した考え方が素敵だった。
死に向き合おうとするときの適切な反応は、生への感謝であるという。起き上がることを許された我々「幸運な泥」たちは、多大なる幸福に浴している。
一つの論点に網羅的な可能性を提示し平易な言葉で十分な検討を加えてく -
Posted by ブクログ
死とうまく向き合えば成功するかも
成功するには具体的な目標を立て、イメージしろとはよく言われている。
そして、7つの習慣では自分が弔事を読んでもらうイメージを持てと書いてあった。
人生の最終目標は死ぬことである。ということは死をイメージしておけば人生は成功するのかもしれない。死については怖いイメージしかなく、ある本には怖いのは情報が少ないからだと書いてあった。
この本を読んで、死に対する怖さの原因、死のイメージを変えてうまく向き合って利用の2点を学ぶことができた。
・死んだところで、世界は大して何も変わらない
・死んだあとは無になる。夢見ずに寝てるのと同じ。いつも経験してるし怖いことなんて -
Posted by ブクログ
「死」とは何か?この深遠なる謎に対して、まったく未知の、あるいはこれまで抱いていた概念がガラリと変わるような、そんな知識を授かることを期待していましたが、その期待は外れました。著者はドラスティックに断言します。「人は機械である」と。機械は壊れてしまえばもうおしまい。つまり、魂など存在せず「死」は一巻の終わりであり、その後は無であると。私も、もとよりこの考えでしたが、それでは救いがない。どこかで永遠不滅の魂というものが存在することに期待を寄せていました。けれども、本書を通じて、そもそも「死」を深遠なる謎などと見なすことが不適切である、と考え直しました。そこには「死」に面と向き合うことを避ける心理
-
Posted by ブクログ
自分の死生観に関しては、決してここで書いてよいものではないはずだ。それが誰であっても。
ただ、「死」に関して、自らフィルターを設け、考えるのを拒否している人間が多い。
酒やタバコ、自堕落な食生活。薬のODやetc.
これらはゆるやかな自殺に他ならない。死を早めているのにもかかわらず気にしない素振りで馬鹿みたいな顔で続けているのは、「いつか死ぬ」ということについて考えることをやめてしまっている。そんな人間は決まって「いつ死んでもよい」と宣う。そんなわけはないだろう。一番命乞いしそう。知らんけど。
死生観すらも持っていないのではないか?なんとなくで時間を消費していないか?
本書を読めば、ある