シェリー・ケーガンのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
本書は、死についての答えを与えてくれる本というより、「死」を入り口に哲学の面白さを体験させてくれる本だった。
特に印象的だったのは、「私とは何か」「死はなぜ悪いのか」といった、一見当たり前に思える問いを徹底的に掘り下げていく姿勢だ。
私は、死そのものが怖いというより、恋人との時間や、まだ出会っていない本や映画など、未来の可能性を失うことを惜しいと感じていることに気づいた。
また、本書を通じて、私の直感と論理は必ずしも一致しないことにも気づかされた。死後には私が存在しないのだから死を恐れるのはおかしいのかもしれない。それでも、別れは悲しく、死を惜しいと思う。
そうした答えの出ない問いを考え続けることこそ、哲学の醍醐味なのだと感じた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ前半の形而上学部分もかなり面白かった。
これを踏まえた上で後半を読んだ方が絶対良かった。文章の量が多いから出版の問題上省かれたのだろう。近いうちに後半も再読しようかな。
前半は議論するのが難しく、結局どちらの立場を取るべきかが委ねられる場面も多い。魂の不在も証明できないし、人格の同一性問題で、身体説人格説のどちらを支持するかとか。
デカルトの解説
論理的に想像できるから現実でもその通りになりうる。byデカルト
と言う点が間違っている気がする。この前提のせいで論理が成り立たない。と思う。
だけどデカルトの言ってること自体が面白いのには同意する。
プラトン
プラトンはわけわからん。いかにもギリシャの人という感じ。形相とかいうわけわからん概念を都合よくこねくり回してるだけな気がする。
それでもプラトンの解説は面白かった。確かに数字とか美しさっていうものは普遍のもと言えるかもしれない。美は基準が時代や場所で大きく変わるけれども、確かにあるコミュニティでは概念として存在し得るもので、その概念は現実の物体に左右されにくいように感じる。
人格の同一性の問題はほんとにわからん。
私は人格説を支持する。
メトシェラのケースも致命的だとは思えない
極悪人が極悪人であった頃の記憶や欲求をすっかり忘れてしまって善人になり得るとしたらそれは望ましいことだと思う。
それに100000年という時間の幅によって煙に巻かれた気もする。我々は2歳とか一歳の時の記憶を覚えていないことで絶望に暮れるということは稀だし。同じ人格を持って生き延びたいという主張には概ね同意するけど、完全になくなることを全く望まないか、と言われるとそれは別な気もする。
無くならないに越したことはないけれど、それ以降の人生で変わっていった価値観だとしたらそれは自分がより良いと思う方向に進んでいっているわけだから悲観しなくて良い気がする。無くすような記憶はそこまで重要ではないとも考えられる。
縮小版は裏表紙のコピーがチープだった。完全翻訳版にはそれが無くなっていて良い。表紙のコピーも無くして良いと思う。
人は、必ず死ぬ。
だからこそ、どう生きるべきか
2行目に句点がないのも気にかかるし、本書のテーマとズレてる気がする。確かに死の捉え方が変われば我々の生き方は変わるだろうが、本書を表すコピーとしては死の捉え方に関するものの方が適しているのではないか?と個人的には思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ筆者の論が綺麗に進んでいくからこちらも賢くなったような気がして楽しい本。説得してみせよう、とい前書きで述べられていたので、説得されてみようと、かなり素直に無批判に読んだ。ところどころ引っかかる点はあったけれど(例えば我々読者は筆者の述べるほど素直にある物事を信じるのは難しい。)たしかに7割8割は彼の言っていることに納得した。自殺の合理性だとか、不死が悪いものであるだとか。けれど死は恐れるべきではなく感謝するものだとかは若干無理がある気がする。剥奪説に則って、死が、我々の人生から、今後起こり得た素晴らしい出来事を奪うことが理解できるために悲しみを抱く。というところまでは納得できる。しかし、少しばかりでも経験できた、経験していることに対して感謝を抱くべきだ、までは繋がらない。
この本は短縮版らしい。失敗。完全版もどうやら出ているらしいのでそちらも買うことにした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレこの本でよかったのは、子どもが自分の人生を受け継いでいくという感覚を得ることができたことです。
「死んでも子ども達が生きていればいいじゃん」という感覚になれたことが、とてもよかったです。死への恐怖が襲ってきた時は、そこに立ちかえるようにします(^^)
死を客観的に捉えていくところが、とても興味深い本でした。
ーーーーー
イェール大学教授 シェリー・ケーガン
◻︎形而上学(けいじじょうがく)
・魂の存在や死の本質、死後も存在し続けることにまつわる疑問
◻︎価値論
・死はなぜ、どのように悪いのか、死を恐れるべきなのか、
◻︎心(魂)と身体は切り離せるか
・二元論
◻︎私たちには二つの主要な部分、すなわち物質的な身体と非物質的な魂がある。
・物理主義
・魂は存在せず、身体があるだけ。
◻︎今の自分と明日の自分は本当に同じ人?
・身体説と、人格説
・将来存在する人が私かどうかを決める本質的な疑問は、じつは、その人が私の人格を持っているかどうかの問題であって、私の身体そのものを持っているかどうかの問題ではないことがありうる。
・人格をアップロードすることがらできれば、自分の肉体の死後も存在し続けることになる。
◻︎人生の意義とは?
・自分が今持っているのと同じ人格を持った人に、将来も存在していてもらいたい。
◻︎死んでいるとはどういうことなのか想像する
・何も聞こえない、何も見えない、なにも考えない、、、最終的に想像できない
・人が死んだら、想像するべきことは何一つその人の内部では起こっていない。
・内部からは思い描けない、外部から思い描きさえすれば良い
◻︎死を恐れる必要はない
・あるゆる災難のうちで最も恐ろしい死は、私たちにとっては取るに足りないものなのだ。なぜなら、私たちが存在している限り、死は私たちとともにはないからだ。だが、死が訪れたときには、今度は私たちが存在しなくなる。ならば、死は生者にも死者にも重要ではない。前者にとっては存在しないし、後者にはもはや存在しないのだから。
◻︎死はなぜ悪いのか
・死んだら人生における良いことを享受できなくなる点で、それが最も肝心だ。死が私たちにとって悪いのは、私たちが死んでさえきなければ人生がもたらしてくれただろうものを享受できないからにほかならない。
【名言】
永遠に生きたくはありません。
私たちは永遠に生きるべきではないからです。
もし私たちが永遠に生きるはずだとしてら、永遠に生きるとでしょう。
でも、私たちは永遠に生きられません。
だから私は、永遠に生きたくないのです。
私たちが死ぬまでに考えておくべき、死にまつわる6つの問題
1.死は絶対に避けられないという事実をめぐる考察
自分だけでなく、すべての人が死ぬ
2.なぜ寿命は、平等に与えられないのか
3.自分に残された時間を誰も知りえない問題
4.人生の形が幸福度に与える影響
5.突発的に起こりうる死との向き合い方
6.生と死の組み合わせによる相互作用
死に対する立場
・事実を認めて、その後でそれに即して生きる。 -
Posted by ブクログ
全人類の共通課題→「死」について
イェール大学の教授による解説
・死は怖いものではない
→死後の世界は現在にあり、要は誰が死んでも世界は変わらないと。
実際人格や記憶が無になるだけ。
お母さんのお腹の中の記憶はありますか?という逆説的な問い。
剥奪説という考え方で、要は未来生きてればできることが奪われると考えるから怖いだけなんだ、と。(なので自殺はこの逆、生きることが怖いとなるから起きえる事象)
で、本著から学べることとしては、要は死をどう捉えるか、ということ。
締切として捉える、死は怖くないけど死ねば無になる。
なので死期がわからない今をどれだけ懸命に生きるか。
それは仕事でも趣味でも家族との時間でも何でも良いけど有意義に生きようね、という圧倒的な哲学的名著 -
Posted by ブクログ
ネタバレ人は生物としての機械なので、死ねば何もなくなる」という(少なくとも私もそうだと納得している)前提で、死に対する恐怖を論理的に突き詰めるイエール大学のシェリー・ケーガン教授の哲学講義。(西洋)哲学は、物事を論理で徹底的に突き詰めて(正面を向いて納得できるまで)考えぬく学問。この本は、客観的に「死」について論じているのではなく、シェリー氏がこれが論理的だと信じていることを読者に説得する形式。
ふだん私たちは、「死」について、正面から考えることを避けている。しかし、一度怖がらずに死について正面から考えることは、限りある人生の私たちにとって、悪いことではない。
人が怖がるのは、後に悪いことが待っていると考えるから。しかしながら、死んでしまえば悪いと感じる私自身がいないのだから何も悪いことはない。では、何を恐れているのか?
不死(死ねないこと)は幸せではない。何億年も興味を持つ対象を持つことは想像できない。永遠の退屈。
だとしたら、早すぎる死が経験できただろう良いことが経験できなくなることを恐れている。(剥奪説)
では良いこととはなにか?快楽は良いことで、痛いことは悪いこと。でもマトリックスの世界で快楽三昧の人生は、良いことだと思えるか?人は心の中の(内面的な)良いことだけでなく外面的な良いことも欠かせない。
自殺は、今からの人生が本当に苦痛でしかないときは、合理的には正しい場合もある。問題は本当に苦痛でしかないのかどうか。
一人を殺せば五人助かる。五人助けるために罪のない一人を殺すのは道徳的に正当ではない(義務論的立場)
しかし、殺される人の(心からの)同意があれば道徳的には許されるかもしれない。
私は私が死が怖いのが、私という意識が永遠になくなること。それは、死ななければ経験できることができなくなるからというのとは、少し違う気がする。 -
Posted by ブクログ
日本縮約版の方を読んだ。
最初はちょっと合わないかもと感じた。まずは死んだら終わりという定義から始まっているのだ。潔いというか、まったく死後の世界を俎上に載せない前提から始まる。真宗で往生とか考えている自分としては、そうだなそれが科学的な視点かもということで改めて自分が宗教的環境にいるということを思い知らされる。
この方は外国人で哲学者で、生きる意味について語られた時に、それはやっぱり名を成した人が言うことであって、名もなき一般人にはそんな生き方できねーよみたいなところもあり、そこはもやっとした。
結果としてはとてもいい読書経験だった。死ぬということは、自分にとっていいことかということを突き詰めていったら、死んだ自分がどうこう思うことがないからそういう問題ではないということが自分に明らかになった。それではなにが自分にとって死がポジティブではないのかというと、死に至る瞬間、ものすごく痛いのではないかという恐怖がある。死んだら自分がなくなるということよりもそっちの方が自分にとっては恐怖だなというのを感じた。ということは、思いもよらない事故や災害、戦争などで身体が傷つけられることの恐怖が一番恐ろしく、次いでは病気かな。病の痛みは今ではだいぶん配慮されるようになっているので、ガンガン痛み止め使ってくださいという方針をお願いすれば自分の恐怖の元は解決されるのではなかろうか。と思うとちょっと気が楽になった(気がする)。
などということを本気で考える時間を作れるということでこの本はすごくいいと思った。
一回、自分が死ぬということを、あらゆるシチュエーション(自殺も含めて)真剣に考えてみることで自己分析ができるのではないだろうか。 -
Posted by ブクログ
【概要】
「死」を題材に哲学する本。
初見ではわかりにくい概念・考え方も身近な例や思考実験を使って解説してくれるので、哲学に親しみがない読者にも優しい。
本書の前半では「死とは何か」「『私が死ぬ』とはどういうことか」を考えるために、「『私』とは何か」と「『死』とは何か」について徹底的に検証を重ねていく。
後半では、前半での結論を前提として「死は悪いのか」「悪いとして、どのような場合に悪いのか」「自殺は悪いのか」といった内容について考察を重ねていく。
【感想】
科学的な書籍ではなく、徹頭徹尾哲学的な本。
上述のように、著者の思考の道筋が入念に文章にしたためられているため、哲学的な考え方の入門書としても良書であるように感じた。
説明が丁寧な分、文章量は多いが難解な文章ではないので読みにくくはない。
一方で、本書で結論づけられている「シェリー先生の見解」については全面的に同意できるかというとそこは少し微妙な面があった。
理由として、以下のような展開がいくつか見られた点が挙げられる。
---
1. 「結局重要なのは○○は××であるかという点である」とことん深くまで追求する
2. 「正直、それはわからない。私は○○だと思うし、読者の多くもそうだと思う」といった形での結論づけをサラッとしてしまう
3. それを前提に後続の議論を続ける
---
ただ、現実的には、どこかのタイミングでこういった「感想」に依拠してしまうのは避けられないことだとは思うし、それを明示的に述べているのでやはり本書は哲学の本として良書だと感じている。
本書を読んでいると、「哲学をするのは時間と精神力を使う、贅沢な趣味なんだなぁ...」と感じた。
忙しなく活動する現代人としては新鮮な時間だった。
時間に余裕のある時に読んでみるのが良いかもしれない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ本書は、死生観を通じて「人が何を価値とみなし、どのように生きるべきか」を再定義する一冊です。経営者が読む意味は、宗教的・哲学的関心ではなく、意思決定の基準を長期視点で再構築するための思考資源にあります。
本書が提示する核心は、死を避けるのではなく、有限性を前提に人生と選択をデザインする視点です。これは経営における本質と重なります。すべての資源は有限であり、だからこそ何に時間を投じ、何を捨てるかという“選択の質”が結果を左右します。また、死とは何かを科学・哲学・倫理の各側面から検討するプロセスは、経営者が複雑な問題を扱う際に必要な多面的な思考の訓練として有用です。単一視点での判断は誤りを生みますが、本書は思考を強制的に広げる効果を持っています。
さらに、死をテーマにしながらも、結論は極めて実務的です。人生の優先順位・働き方と生き方の統合・他者との関係性の扱い方、これらを再整理することで、経営者自身の意思決定の軸がより強固になります。 -
Posted by ブクログ
「死」について、論理的に考えてみるのは、確かに興味深い。
意識が無くなったら死と言えるのか。
肉体が残っていても、それは死と言えるのか。
様々なパターンを例として挙げながら、学生たちに「あなたはどう考えるか?」と問う形式の授業内容をまとめたものだ。
本書の中に、余命宣告を受けた学生が、この授業を受講したエピソードが記載されている。
その学生が、この授業をなぜ選択したのかは分からない。
死に向き合おうとしての選択なのか。
単純に「死」を知識として探求したい目的の受講なのか。
当たり前であるが、死を体験して自身で理解することは、論理的に不可能だ。
死ぬ瞬間については想像できるかもしれない。
しかし、実際に死を体験する訳にはいかないのだから、本質の部分を理解することは、事実上不可能と言える。
そんな制限された環境の中で、「このパターンはどう考えるか?あのパターンならどう考えるか?」をひたすら問い続け、探求していく授業だ。
「自殺は本当に許されない行為なのか?」という問いも出てくるのだが、これだけ考えても相当に難しい。
唯一の答えはないし、それこそ国や文化によっても、個人の価値観によっても、全然違う回答が出てくるはずだ。
だからこそ「あなたはどう考えるか」という部分が重要になってくる。
我々にとって「死」とは本当に何なのだろうか。
死について深く考えることは、同時にどうやって生きるかを考えることだ。
つまり「生き方」についても、唯一の正解はないと言える。
そんなことは当たり前であるはずなのに、ついつい我々は「生き方の正解」を求めてしまう。
お金持ちになる生き方が、正解だと思ってしまう。
無条件の愛情を受けられる人生を、正解だと思ってしまう。
出世して人に認められたり、褒められたりする人生を正解だと思ってしまう。
そんな都合良い話があるはずがないし、そんな恵まれた生活を送れる人はほとんどいないはずなのに、そんな人生に憧れてしまう。
自分なりに納得する人生を見つけるのは、簡単な話ではない。
むしろ所詮人生はコントロールが効かないのだから、今の人生を受け入れて納得するしかない。
そういう境地に至るのを「悟り」というのかもしれないが、そんな大そうな話にせずとも、「死」について考えることは「生」について考えるきっかけになることは間違いない。
これから益々社会は変化していく。
AIの進化は凄まじく、人間の能力を凌駕していくことは間違いない。
そんな時に、人間だからこそできることは何なのか。
それこそ、生も死も、人間だからこそ与えられた特徴と言えるだろう。
こればかりは、AIでは決して代替できないことだ。
人間として生きること。
AIでは真似できないこと。
これからの時代は、「人間だからこそ」の部分を突き詰めていく必要がある。
AIが進化して、ロボットに組み込まれていく際に、最早人間とロボットの境界は曖昧になっていくだろう。
そんな物語は、SF世界ではよくある話だが、いよいよ現実化し始めたということだ。
人間が機械化していくのか、ロボットが感情を持って人間化していくのか。
そんな時代には、「生と死」が非常に重要な意味を持つようになるだろう。
これはそんなに遠い未来の話ではない。
今から人間の生死について考えるのに、早過ぎることはない。
そういうきっかけを与えてくれる書籍だ。
死について真剣に考えて、自分なりの生き方を実践していきたいと思う。
(2025/4/27日) -
Posted by ブクログ
死生観を公平な視点と哲学で「死」とは何かについて説く良書である。
死は必ず誰にでもどんな存在でも訪れる不変なもの。本著では、人間という死の先には無があると説く。
世の中には、死後の世界についての経験を語る人は少なくない。本著はそれらも否定しない。純粋に人間として、死とは何か、今生きる私たちが幸福でいられるためにはどう過ごせばよいのか、そして、死を問うことで生きることに繋がると本著は強いメッセージを私たちに伝えてきてくれる。
死生観は十人十色だ。本著を通じて学べることは、死を極端に怖がる必要ないこと。自殺について否定的であり、「死を問うことで、未来の可能性を見いだし、生きる希望を持つこと」を説く。私も同感だ。仮にあの世があるとして、自殺したからといって救いがあるとも証明はされてはいない。
私は、私という人生の終わりの先が無であれ、人生の最後の言葉は「ああ、善く良く生きたな。疲れたな、満足だ」と言って死にたいと思っている。
現代の私たちもこれからの私たちにも刺さる良書といえよう。 -
Posted by ブクログ
「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義
著:シェリー・ケーガン
訳:柴田裕之
出版社:文響社
死についての西洋哲学的考察の本です。
購入してから、一読するのにかなりの時間がかかりました。
聖書からは離れられないかと思いましたが、いったん宗教からはなれて死というものは何かを考えなおしたものと受け止めました。
当然、深く考えるためには、仏教や神道を中心とした、東洋的、日本的な考察も参考にすべきであるとは思いましたが。
気になったのは、以下です。
二元論および、物理主義、2つ考え方の対比ではじまる。
二元論とは、物質的な身体と、非物質的な魂があるというもの
対して、物理主義とは魂は存在せず、身体があるだけであるというもの
死を科学の観点からとらえると、解明すべき詳細の点は多々あるが、哲学的な観点から死とは、身体が作動し、それから、壊れる。死とはただそれだけだのことである。
死ぬときは、けっきょく独り、それは必然か、偶然か。この自明となる命題にも、著者が疑問を投げかける
死はなぜ悪いのか、本当に悪いのか、そして、もし、そうなら、死のどんな側面のせいなのか
⇒死は、死んだ人にとっては悪くないが、残された人にとっては悪い
⇒死が悪いのは、主に何のせいかを考えているのなら、本人が死んでいることに的を絞るべきのようだが
エピクロスの言
あらゆる災難のうちでも最も恐ろしい死は、私たちにとっては取るに足りないものなのだ。
なぜなら、私たちが存在している限り、死は私たちとともにはないからだ。
だが、死が訪れたときには、今度は私たちが存在しなくなる。
ならば、死は生者にも死者にも重要ではない。
前者にとっては存在しないし、後者はもはや存在しないのだから。
生まれる前と、死んだ後の時間は同じ価値をもつか
死後の期間のほうが悪いのは、死には喪失が伴うのに対して、誕生前の非存在は喪失を伴わない
不死こそが人間にとって最善なのか
長く生きるほど人間は幸せなのか
いずれ死ぬ私たちー人生で何をするべきか
死ぬか死なないか以前に、人生を台無しにしないこと
人生は、何もしないには長すぎるが、何かをするには短すぎる
自殺の合理性に対する疑問
①どんな状況ならば、自殺は合理的な決断となりうるか
②自殺の決断は明晰で冷静になされうるか
結論
死は不快なテーマであり、私たちはそれを頭から追い出そうとする
たいていの人は、どうしても死について考えたくない
人生が価値あるおのをもう提供できなくなるまで生きる力が私たちにあったほうが、間違いなくのぞましいだろう
死について考えるとき、死を深遠な謎と見なし、恐ろしくて面と向かえず、圧倒的でぞっとするものととらえるのは適切ではない。死に対する比類なく合理的な応答には程遠い。
おもうに、死を恐れるのは不適切な対応だ。
目次
閉じる
第1講「死」について考える
日本の読者のみなさんへ
第2講 死の本質
第3講 当事者意識と孤独感――死を巡る2つの主張
第4講 死はなぜ悪いのか
第5講 不死――可能だとしたら、あなたは「不死」を手に入れたいか?
第6講 死が教える「人生の価値」の測り方
第7講 私たちが死ぬまでに考えておくべき「死」にまつわる6つの問題
第8講 死に直面しながら生きる
第9講 自殺
死についての最終講義 これからを生きる君たちへ
訳者あとがき
注
ISBN:9784866510774
出版社:文響社
判型:A5変
ページ数:384ページ
定価:1850円(本体)
2018年10月10日第1刷発行
2019年02月18日第7刷発行