古田徹也のレビュー一覧
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すっごい面白かった
一人の人間が二回も世界に衝撃を与えることなんて彼以降無いだろう
前期の超然とした思考、そして歳を経て誕生した後期の地上的な思考の対比と変遷が綺麗にまとめられており読みやすかった
個人的には後期の方が、ボクの考えとも近く親しみやすいと思った
前期は前期で言語的な側面から哲学的常識を崩していくところに若さと情熱を感じてワクワクしながら読めた
後期の「像」や「アスペクト」、「形態学」といった見方の一つは先入観を打破するのに協力な道具だと思った
ウィトゲンシュタインの主要概念として挙げられる「言語ゲーム」やその他の概念が彼にとっては精神的痙攣を治療する「像」の一つであったというのを読んで彼の天才性を思い知った -
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『言葉なんていらない?』
中高生向けシリーズの本書はイラストと適宜の「まとめ」を添え深遠なテーマを分かりやすく説いている。「やばい」「えぐい」が生む過度の同調、生成AIの便利さに隠れる危うさ、SNSのフィルター、様々な場面で浮き彫りになる言葉の役割をバランスよく捉えた良書だ。
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このシリーズ、どの本も面白いのですが本書は特に良かったです。言語の本質、コミュニケーションのあり方、SNSとの付き合い方、本に触れる事などのテーマに関心がある方は特に楽しめるでしょう。今年読んだ「言葉・コミュニケーション」のジャンルでは本書が私の中でベストです。 -
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一冊まるまる、面白かった。
中でも、娘さんの奇妙な言葉遣いから、どうしてそのような言い方になるのか、大人はそうは言わないのかを、愛おしみながら探る話が幾つかあって、とても良かった。
コロナ禍における、イメージのしにくいカタカナ語の氾濫。けれど、単純に日本語に置き換えれば良いわけでもない、難しさ。
「自粛解除」のように、言葉の意味を考えるとおかしいことが、メディアを通してまかり通っていく。
言葉は思考の枠組みを決めている。
「発言を撤回する」ことが根付く社会では、コミュニケーションの在り方もまた、変化するだろう。
「言葉を哲学する」意味の、面白さと不安が両方書かれていた。 -
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言葉にして伝えるって難しい。何気なく使っている言葉の定義や語源を十分に理解することなく、気づけば軽い気持ちでコミュニケーションをとっている自分がいる。人と会話する機会が増え、コミュニケーションがフラットになりつつある今だからこそ咀嚼するように読み直したい新書。ウィトゲンシュタインの「言語批判」をベースに、日常的に使用される言葉の側面について深く考察がなされている。
p125
ステレオタイプで話すというのは、何でこんなに楽しいんだろう。
この一文は全体を通して最も印象的だった。言われてみれば、日常生活においてカテコライズを通して物事を単純化したり、あるいは相手に伝わりやすいように比喩を用いたりする。この行為自体が絶対的に悪というわけではないが、このような"わかりやすさ"にはミスリーディングな理解・伝達を誘発したり、最悪の場合、差別・排斥といった形で人を傷つけてしまうことすらある。
p281
私たちの生活は言葉とともにあり、そのつど表現と対話の場としてある。言葉を雑に扱わず、自分の言葉に責任をもつこと。言葉の使用を規格化やお約束、常套句などに完全に委ねてはならないこと。これらのことが重要なのは、言葉が平板化し、表現と対話の場が形骸化し、私たちの生活が空虚なものになることーひいては、私たちが自分自身を見失うことーを防ぐためだ。
単に語彙力や読解力を高めれば良いという話ではなく、多様な言葉のもつ多様な側面を見渡し、他者との対話を重ねていく中で「言葉を哲学する」こと。批判的な精神をもって探究を続け、言葉に対して責任を負える人でありたい。 -
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言葉について考えることは、それが息づく生活について考えること p.37
「お父さん」や「お母さん」等々も、そして「先生」も、子どもから見た自分の立場にはほかならない。それを一人称として用いることによって、いまの自分が、子どもを保奏し、ときに教え諭す役割を担う者であることを、自ずと示しているのである。p.64
依存先が限られてしまっている」ということこそ、障害の本質にほかならない。逆に言うなら、「実は膨大なものに依存しているのに「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、自立。といわれる状態」だということである。p.69
※しっくりくる言葉を吟味するということ
学部生の書く哲学・倫理学の論文は、まず何らかの問いを立て、それに対する答え(および、その答えの根拠)を探究する、という手順を踏むのが一般的だ。このとき、読む側からすると、なぜそれを問うのかという大本のポイントが掴めない場合がある。その問いに客観的な重要性があるかどうかが明確でなかったり、逆に、あまりにメジャーな問いであるがゆえに、それをなぜ今こうしたかたちで問うのかが分からない、といった具合だ。そうした場合、論文指導の最初にまずこの点を学生に尋ねると、学生本人のこれまでの経験が問いの基層にあるケースが多い。たとえば、高校時代にかくかくのことに悩んだとか、アルバイト中にしかじかの場面に遭遇したといった経験だ。それを聞いて腑に落ち、論述の内容に入り込めるようになったとき、私は学生に対して、論文の冒頭において当該の経験に―書ける範囲で、あるいは、より一般化したかたちで触れつつ、問いを自然に導くかたちにしてはどうか、と提案することもある。さらに、そこからその問いの客観的な重要性を示す論述が必要な場合もあれば、問いが明確に示されれば、それだけで十分に重要性が分かる場合もある。よく勉強している学生はど、そういうことを書いていいんですか、と驚く。p.86
十拍一絡げにする言葉の危うさ p.123
重要なのは林の表現を尊重するということだ。具体的には、相手の言葉を十分なかたちで描い上げ、それがどのような脈絡の下で発せられたのかをきちんと踏まえたうえで応答するということが必要だろう。批判を受ける側も、自分の言わんとすることをちゃんと聞いてもらい、それをよく理解してもらったうえで、納得できる問題点を指摘されるのであれば、苦い思いをしたり、多少傷つく部分はあるとしても、感謝する部分の方がきいだろう。p.138
「自粛を解禁」という誤用が意味すること p.240
「発言を撤回すること」はできるか p.250
※つまり、しっくりくる言葉の候補は、自分がこれまでの生活のなかで出会い、馴染み、使用してきたものたちなのである。それゆえ、そうした言葉の探索は自ずと、これまでの自分自身の来歴と、自分が営んできた生活のかたちを、部分的にでも振り返る実践を含んでいる。よく、「自分の言葉で話しなさい」ということが言われ、創意のある言葉やユニークな言葉を繰り出すことが無闇に推奨されることもあるが、「自分の言葉で話す」というのは必ずしもそういうことではない。むしろ、ありがちな言葉であっても、数ある馴染みの言葉の中から自分がそれをしっくりくる言葉〉として選び出すのであれば、そのことのうちに、これまでの来歴に基づく自分自身の固有なありようや、自分独自の思考というものが映し出される。逆に、「お約束」に満ちた流暢な話しぶりや滑らかな会話は、こういう場合は人はこう言うものだ)、こう言うのが世間では正解だ〉という暗黙の基準にしばしば支配されている。それが常に悪いわけではないが、しかしそのときには、言葉に責任をもつべき自分がそこに存在しないことも確かなのである。P.280 -
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この本を通して得られるのは、まずウィトゲンシュタインという人物の人となりである。提唱者がどんな人間だったのか、を知ることは哲学に必要なのか?と思う人もいるかもしれないが、少なくとも私はこの本を通してウィトゲンシュタインという人がどんな人間なのかを知れたことで一層、ウィトゲンシュタインの哲学の深みが増したように感じた。浮世離れした天才ではなく、孤独で、悩む人。様々な行動も含めて俯瞰したことで、それらを経て発せられた言葉をどんなトーンで受け取ったらいいのかが少しわかった気がした。
次に得られるのがウィトゲンシュタインの哲学の骨の理解である。一つひとつの書を深く理解するための梯子になるような骨の理解。ウィトゲンシュタインの思考を貫く重要な要素が、平易に、わかりやすく、でも理解を妥協しないような文章で綴られている。ウィトゲンシュタインを「わかった気にさせる」本はいくらでもあるが、この本は「これからわかろうという気持ちにさせる」ものだと思う。ここで得られた骨の知識があれば、ウィトゲンシュタインの著書に臨める気がしてくるのだ。そういう意味で「はじめてのウィトゲンシュタイン」、入り口としての機能を担う一冊なのではないかと思った。
特に後期ウィトゲンシュタインの哲学において何度も出てくる重要な要素に「連関」「見渡す」というものがある。多くの具体を見て、目を移していくことで、これだと決めつけずに物を見、探求し続けるという姿勢だ。この本ももしかしたら、ウィトゲンシュタインという存在へのアプローチとして、「連関」「見渡す」を実行できるような構成にしてあるのかもしれない。様々なウィトゲンシュタインの側面を見ることで、ウィトゲンシュタインが立体になる。素晴らしい本だと思う。 -
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哲学の書ということである程度身構えて読み始めたのだが、最も驚かされたのはそのなめらかな読み心地であった。まさに「なめらか」という言葉がぴったりくると自身で思うほどに、伝えたいことがしっかりと抑揚に乗って伝わりつつ、それでもどこか控えめで、落ち着いた論調で議論が展開されていく。加えて、小手先の言葉で惑わされたり、騙されたり、議論を飛躍させられたりするような感覚がない。非常に真摯に、眼を見つめられながら話されるように、内容が進んでいくのである。ここに著者の誠実さや真剣さを私は感じ、それ故余計にこの書の論に惹き込まれた部分があることは否定できない。あまり類を見ないような、素晴らしい読書体験であった。
書の中で展開されている「言葉」をめぐる議論についても、大変興味深く、おもしろいと感じさせられるものであった。自身が普段体験していることと、自身が思いもよらなかった考え方・思想の広がりが繋がることで、眼前が開けるような感覚が得られた。決して簡単・平易・わかりやすいに振り切ったものではない内容に対して、しっかりと言葉を追いながら、議論を味わっていく。こうして得られる深い味わいもまた、容易に他では得られるものではないと私は思う。
著者も最後に述べているように、この書で得られる啓示は現代の我々にとっても非常に重たいものである。言葉が安易に発せられ、それを安易に受け止められる現在、私達は言葉に対してどのように向き合うべきか。何事も効率化が重視され、140字に収まる効率的な・キャッチーな言葉がすべてを決めるような向きが我々の世界には存在する。それに流される自分を客観視して、今一度「言葉」というものを再考すべきだと私も思う。その思考のための梯子がここにはある。ぜひ多くの人に読んで貰いたい、勧めたいと思える一冊であった。 -
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これまで読んだウィトゲンシュタインの概説書のなかでは、一番、わかりやすく、一番、面白かったかな?
といっても、いろいろ読んだ後でのことなので、本当に一番わかりやすいかどうかは、保証できないけど。。。
哲学者の本と人生を切り離して、テキスト解釈するのが主流になっている気がするけど、これはしっかりと人生とリンクした解説になっている。
ウィトゲンシュタインは、「人生とは?」みたいな問いは、「語ることはできない」というだろうけど、でも、かれの斬り付けられた表現を解読していくためには、やっぱ、その人生とか、発言とか、を突き合わせてやっと見えてくる感じだな。
この本は、「論理哲学論考」と「哲学探求」という2大主著を「講義録」をはじめ、さまざまな遺稿も踏まえながら、かなりわかりやすく解説してくれる。さらに、「探求」後の遺稿についても、簡潔に説明してあって、後期ウィトゲンシュタインの先というか、晩年の思考までを見渡せるものになっていて、うれしい。 -
Posted by ブクログ
私が大学生の頃、先輩方の印象深かった警句の一つに「違和感を大事にしろ」というのがある。本書で言うところの「しっくりこない」からはじめろ、それを手放すな、ということだろう。
常套句に身を委ねてしまったとき、戦争に代表される社会の破滅がやってくる。リアルな話で、歴史の教訓だ。国家だけでない。企業も組織も、あらゆる人間の集まりがそうだろう。
堕落や破滅は言葉への敏感さを失ったところにある。常に創造せよ、というわけではなく、常套句にも魂を立ち上がらせよ、と本書は言う。
哲学が衒学ではなく、言葉に溺れず、傲らず、しかし、言葉を大切に選ぶこと、待つこと。それが哲学だと。クラウスとウィトゲンシュタインの魂を本書は言葉にしてくれた。